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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:05:00 平均起床時刻:03:36

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07月31日(水)

起床時刻:03時46分

 就寝午後9時半頃。最初の目ざめは午後11時45分頃。この時点での睡眠時間は2時間と少し。これくらいではまだ起きれない・・と私は判断し又寝たのだろう。しかし意識ははっきりしていた。そして次の目ざめは午前1時半前頃。ここでは4時間弱。これだったら起きても良いのだが時刻的に早すぎると思ったのだろう、再び寝る。そして本日の起床時刻。睡眠時間は6時間と少し。比較的良く寝た。目ざめの気分は良い。と言うか、この場合の気分はテンション的なものではなく、体調的なもので、体の調子が良いということだ。


 昨日「うつ」について色々書いた。うつは体の病気です・・と広告は言っていた。そんな訳は無い。一歩下がって、うつは心の病気である。体の病気なんかあるわけはない。そもそも病気等本来ないものである。病気があると思っているのは幻想であり、幻である。しかし「うつ」があると思い込んでいる人にとっては鬱はあるのだろうから、これをどうにかしなくてはならない。幻であるから本当はすぐに消えてしまうのであるが、本人があると強く信じているから手ごわい。その本人の思い込みを取るためには現代では医学を先ずは信じる。医学と言えば先ずは治療と薬。精神科の医者は治療もするが概ね薬物治療に頼る。カウンセリングなどで治療をしても、医者自体が病気の何たるかを知らなければ、根本的な治療とはならない。

 精神病は永遠に治らない。とは昔から言われてきたものだ。実際現場の看護師の言葉である。私の姪に長年看護師をしているものがいるが、彼女の口から実際聞いた事もある。彼女は実際の現場を見て、そして同僚や医師の言葉も聞いての確信なのだろう。精神病には根本的な治療は無いのである。永遠に治らないのに、なぜ患者は病院に通い続けるのだろう。なぜ患者の家族もそういう医者や医学を頼るのだろう。それは結局現代社会ではそれしかないからである。限界があるのである。

 精神病の中では鬱は比較的軽い病気なのかも知れない。だからもしかしたら治る事もあるのだろう。しかし治らない人もいるだろう。一生、精神病とは付き合っていかなければならないのだろう。それはそれで開き直って、精神病は治らないものとして、付き合う手法を、考え方を教える医者もいたりする。しかし何かやるせないし、楽しくない。

 精神病は治らない・・というのが、この世の、今の時点での常識ならば、では、完全に治そうとする方法もあるのではないか。逆説的ではあるが、そういう世の中の常識であれば治らないのであれば、常識の外に出れば良いのではないか。脱常識である。そしてその方法は・・。これはまあ千差万別だ。個人の数だけ無限にあるといっても、良い。なぜなら、個人個人の思想、心情、信念はそれこそ個人の数だけある。一人の持っているこの世の常識感を脱し、その常識の外で病気をとらえれば良い。しかし逆にある人の常識の外には別の人の常識がある場合もあるが。

 脱常識で鬱をとらえればイイ。常識の範疇で病気を治そうとするからいつまで経っても治らないのである。昼間は常識の中でたっぷり暮らせば良い。食う為にはね。しかし人間は食う為だけには非ず・・と聖書にもある。食う事から外に飛び出し、常識の外に脱出し、そこから自分の病気を眺める。そこに完全な治療の方法が見出される。それはあなただけの治療方法である。

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07月30日(火)

起床時刻:03時10分

 就寝午後11時少し過ぎ。途中覚醒なし。一気寝。出張先。相方は神経質なTさん。睡眠時間は4時間。少し少ないかも。それとももうそんなレベルに達している? 就寝時の環境はエアコン冷房オン。設定は25度・冷房・弱。寝る時それを確認していたが、少し「怖いな」とも思ったが、相手に合わせようと思った。前回の暑がりなHさんもそうしたように。私には全部で6人の相方がいるが、今後すべてのメンバーに合わせようと思うとある意味私の心と体も大変である。が、やり始めたらやってみよう。「我」のない生活だ。6人のうち、3人程度は冷房はつけないと思う。半分はつけるとして、随時彼らに合わせるのである。これも修行?笑。しかし一日一食・短眠・瞑想の生活を実践しているなら、これくらいな事は切り抜けられるはずである。

 人に合わせる生活は窮屈だと感じる人もいるだろう。だが良いこともある。それはその相手がこちらに幾分好意を持ってくれると言う事だ。やはり相手にしても自分の好みの温度を押し付けるという形になるから幾分負い目があるのかも知れない。しかも私はその事について心の中に不満を持っていない。それに陰で隠れてその事についての文句を言わない。相手としても、普通の人とは違うなと感じるはずだ。そして負い目があったとしたら、それを何かしらの形で返そうとするだろう。しかしだからと言って、私はそれに対して計算ずくでやるのではない。自然とそういう気持になるのである。それもまた1日1食、超小食の余得かも知れない。そして自分を相手に合わせれば自分の中に相手が入り込む。逆に言えば、自分が相手の中に入り込んで溶け込む。つまり自分と相手が一つになり、一体化するのだ。もっと気持ち良い言い方にすれば、自分が相手の方まで伸びて行って、自分が広がるのである。自分が広がり大きくなる。心が大きくなるのである。

 「うつは病気である。」とこのサイトの広告欄にあるが、私は反対である。うつは心が作る一つの表れなのだ。病気ではない。お世話になっているサイト運営者の方には申し訳ないが、これははっきりと言いたい。1日1日の思い、考えが集積して行った結果に外に表われた症状なのである。もしこれを病気だと言うのなら仕方ないが、しかし病気と捉えると、自己責任がどこかに飛んでいって反省する隙間がない。そして反省と言えばどこか陰湿的な感じがあるかも知れないが、反省と言うのは本来はポジティブな作業である。

 あれが悪かったこれも悪かった・・というのが一般的な反省のイメージだが、本当はそれだけではなく、本当の反省とは、今までの間違った考えをそっくりひっくり返して、まるっきり別の思想に生きるのである。これが本当の反省である。ではそれは何か。新たな考えた方とは何か。それは悪いこと、弱いことを微塵も考えないことである。良いこと、良いほうに考えることである。全てにおいて良いことのみ考える。生長の家ではこれを「日時計主義」と言ったが、明るいことのみ考えるのである。そうすればそこには「うつ」が入り込むようなスペースがない。常に明るく、いつも楽しく、ワクワク生きるのみ・・という人生が展開していくのである。


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07月29日(月)

起床時刻:03時15分

 就寝午後10時半頃。途中覚醒の記憶無し。一気に寝る。睡眠時間は5時間弱。良い感じだ。昨日の一時的な豪雨、気温の下がりなどで、比較的過しやすかったのが影響したのか。久しぶりに快適な状態で寝られた。山口県は昨日は大変な状況だったらしい。妻がそれとなく私に伝えていたのだが、私はそれを何気に聞いていたのでここまでとは思ってもいなかったのだ。というのも、私達西部地域は一時的な豪雨であり、この程度なら今までも何度かあったものだから、ここまでとは思ってもいなかったのだ。北部・中部は大変なことになっていたようだ。全国ニュースでも取り上げられているほどだった。驚いた。特に萩、阿東地域など。被害に遭われたその地域の皆様にご同情を申し上げます。

 本日は出張日。相方は神経質なTさんだ。今月は彼との仕事が比較的多くある。以前は彼と一緒だなと思ったら少し憂鬱にもなっていた。と言うのも、彼は神経質なのだが、自分の信念を通そうとする気質が強いのである。最近は幾分和らいだ感はあるが、そういう気質は中々おいそれとは変わらないものである。しかしこういう場合も真理は一つである。それは何かと言えば、結局相手を変えようと思ってもどうしようもないことなのだ。相手を変えようというよりも、自分自身を変えれば全て上手く行くということである。

 私はこの道を選んだ。何十年もずっとそういう気質でやって来た彼を変えようとするのは並大抵なものではない。それよりも一番早くて簡単なのは自分が変われば良いのである。簡単だと書いたが本当はそんなに簡単ではないかも知れない。だが言葉は神である。言葉にはものすごい力がある。簡単だと書いたり言ったりしていればその通りになるものだ。だから私は敢えて簡単だと書いたのだ。

 私なりに頑張って自分を改造した。正しくは本来の自分に戻る努力に努めた。その結果、今の私は以前よりはその神経質で強情な、良く言えば真っ直ぐなTさんをそれほど苦にしなくなった。逆に彼の良いところが分ったりしたのには我ながら驚いたものだ。彼の良いところが分るようになれば彼に対して少しは好意的にもなる。そしてそういう感情は必ず相手にも伝わるものである。同じ伝わるものならば嫌悪感よりは好意的なものの方が良いに決まっている。そうして結果的には彼は私に好意的になってくれた。人間は一つであり、相手の姿は自分の心を表す「鏡」、しかも、目に見えないものまで映してくれる「合わせ鏡」なのである。アインシュタインの相対性理論にも通じるところである。


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07月28日

起床時刻:03時53分

 就寝午後11時半。最初の目ざめは午前1時半。睡眠時間2時間での目ざめとしては割合意識もはっきりし、私としては珍しいトイレにも行くほどだった。だから起きようかなとも思ったが、何せ2時間である。思い直してもう一度布団に横になる。しかししばらくは中々寝付けず、何でだろうと思った。が、その内、眠ったようだった。そして本日の起床時刻での目覚め。睡眠時間は・・4時間と20分。いつもより少し少ないかも知れないが、しかし現在自分がこだわっている睡眠時間、たぶんそれは5時間ではないかと・・。その自分のこだわり、それは思い込みかも知れないし、引っかかり・・かも知れない。自分の体、自然な心の声に従おう。頭で考えてはならない。

 今日は穏やかな日だった。天候も雨のち曇、そして晴れ。雨が多く降った為に気温も下がった。そのせいか幾分暑さも和らぐ。久しぶりの穏やかな日。妻と昼ごはんを食べにいつものイタリアンのファミレス。私はピザ。妻はパスタ。私は自宅から持参のタマネギの煮物。それにピーナツ少々。ピザは直径18センチの小ぶりなヤツ。これだけである。晩にオヤツとしてぜんざいを一杯食べるのみ。私の1日の食事はこれだけ。大体最近はこの程度の食事を毎日食べている。間食は一切しない。

 その後ショッピングセンターに。ホームセンターにも寄って帰宅。ショッピングセンターでは陶器の展示販売会も行われていたが、ここの店主は市内の至る所のショッピングセンターで会ったりする。先方は覚えていないかも知れないが、私はこの店主はお馴染みだ。彼は歳は私よりは少し年上のようだが、とにかく面白い。映画に出てくるフーテンの寅さんみたいに露天商よろしく喋りが楽しいのである。以前別のショッピングセンターで会った時は私が陶器のビアジョッキを眺めていたら「その陶器でキリン生絞りを飲んだら美味いです!」と横から突然言われて私も思わず大笑いした思い出がある。その頃からのこのオジサンのファンであった。

 そして本日も又その面白いトークを聞くことが出来た。テレビに出てくる若手のお笑い芸人の大げさなギャグなんかよりずっと笑えるのだ。ライブ感覚も良いのだろう。私が又いつものように陶器を見ていたら、この日はコーヒー用のマグカップを見ていたのだが彼が近づいて来て「何か言うかな・・・」とこちらも期待していたら、案の定「それでゴールドブレンドを飲んだら美味しいですよ」と。私はその言葉の響きが面白く感じられまたまた大笑い。今日は私も言い返した。「実は僕、家ではいつもゴールドブレンドを飲んでるんですよ」と。すると彼、すかさず「そうでしょう!?そうだと思ったから言ったんです」って。これまた私、少し笑いつつも怯まず「そんなん、たまたまでしょう?」と言い返した。もちろん笑いながらであるが。

 日曜休日かかわりなく、こうやって色々な場所で日々自分の日々の糧を得るために商売を通して悪戦苦闘している中高年は仕事を楽しんでいるものである。そんな彼としばしのやり取りも又楽しいものだ。犬も歩けば棒に当たる。妻に誘ってもらったお陰で、このような楽しいひと時を得ることが出来た次第である。やっぱり外には出てみるものである。青年よ書を捨て街に出よう・・とは若い頃流行ったフレーズであるが、その言葉は今も行き続けている。きっと今からもそれは永遠に真理であろうと思う。


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07月27日

起床時刻:04時49分

 就寝午後11時。出張先。最初の目覚めは午前3時40分ころ。普段ならここで起きるが何となく又寝てしまった。なぜだろう。。もしかして・・テンションが落ちたのか・・。と、今思っている。まさか・・こんなに長く続いているのに、しかも、一日一食も本当にまじめに取り組んでいるのに? とにかくよく寝た。睡眠時間は結局5時間50分くらい。しかしこういう事はたまにあるのだが・・。

 職場の同僚の内、Hさんは暑がりである。肥満体ではなく「ガリ」という形容詞がつくほどの痩せ型であるにもかかわらず、彼は暑がりだ。しかし若かった頃の私も彼と同じようなものだった。よく汗をかいていた。夏の暑さに弱く冬の寒さにも弱かった。つまり虚弱体質だったのだ。心が弱かったのである。もう少し厳密に言えば、全てを悪い方に悪い方に解釈していたのだ。

 昨日もHさんはその暑がりを大いに発揮した。我々が詰めている仕事場はエアコン温度の設定がHさんが23度にしている。しかしこの温度は私にとってはまさに「地獄」。冷蔵庫の中にいるようである。途中から私は長袖に着替えたくらいだ。それを見たHさん、さすがに私に遠慮した様子だった。しかしだからと言って彼はその設定を守った。長袖に着替えた私は幾分生きた心地が戻ってきた。そして就寝時、前回同様に除湿・25度設定だとばかり思っていたら翌朝彼に聞けば普通に冷房にしてしかし温度はさすがに26度にしたと言う。私は夜中に目覚めた時、快適だなと感じたものだから当然除湿であると思っていたが、さもありなん。

 私にとっては幾分快適ではあったが、彼はやはり「暑かった」そうである。幾ら今年は猛暑猛暑と言われていても、エアコンつけて暑いはないだろうと思う。自宅では薄着で扇風機のみ。それも明け方には消している。しかしそれが一番ベストな快適さだとは思っていない。階下にはエアコンはあるが、寝室にはないのだ。この先寝室にエアコンを導入すれば、除湿・弱・25度くらいが一番ベストなのかも知れない。

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07月26日(金)

起床時刻:03時05分

 就寝午後10過ぎ。途中一度目覚めるがその時刻は定かではない。本日の睡眠時間は5時間。そして本日は出張の日。昨日から食事の時刻は昼に設定。夜に軽いオヤツ。このパターンでしばらくやっていこうと思う。ただし、出張日の内の半分は晩ご飯に設定。月の内、5日程度になるだろう。残りは昼ごはんに1日1食の設定だ。この方が比較的楽に出来る。こうすることで、日中一度程度仮眠タイムを取り、そして夜は午後10時頃に就寝できる。すると朝の起床が比較的早い時刻になる。ほぼこのパターンで行ければと思う。しかし出張日は午後11時の就寝は致し方ない。将来、本当に自由な境遇になれば、逆に決まった時刻に寝て決まった時刻に起きるという型にはまったパターンで1日を過すと言うのがベストなのかも知れない。

 最近筋肉トレーニングを時々やるようになった。1日一食生活の為体が痩せていくので見るからに寂しい思いになるからだ。まあそれもあるが、一番の理由は自然とやりたくなるのに任せるというのが本当だ。結果はあまり気にしないようにしたい。あくまでも過程を楽しむ。これは人生全般に及ぶものと思う。理屈抜きで筋トレをやりたくなるというのがホントのところ。だから以前やっていたような、義務的なものでもなく、義務的なものなら「数」を重視するものだが、回数などは気にしないことにした。数を気にすると私の性格では長続きしないように思うからだ。あくまで私の筋トレは楽しいからやる!ということにする。

 だから回数も以前と比べたら少ない。やりたくなくなったら止めるようにしている。しかしやる時は一生懸命、心を込めてやる。一回一回心を込めて丁寧にやるのだ。負荷をかけつつ「今筋肉が鍛えられ、血液が体を駆け巡っている」と思いながらイメージの力を駆使しつつ、じっくりと丁寧にやるのだ。もちろん呼吸法も使いながら。

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07月25日(木)

起床時刻:03時23分

 就寝午後11時。最初の目ざめは午前1時半頃。しかし直ぐに寝る。本日の睡眠時間は4時間20分弱。自分で現在最適だと思っている時間よりはやや少ない。微妙な時間である。が、起きてみた。十分なようで足りないかも知れない。そんな微妙な時間である。

 昨日は次女の結婚式の為の出席者確認の為父親としては奮闘した。奮闘という言葉がそぐわないかも知れないが、いやまさに奮闘という言葉が一番適切だと思う。自分がここまでやるとは思いもしなかった。そういう意味では次女の結婚式のお陰で私は積年の心の暗闇の部分をある意味払拭できるかも知れないと思ったりした。しかしこれは次女も同じように感じていて、彼女はそれについて自分の結婚式の意義を誇りにしているようにも感じた。

 多分・・50年ぶりくらいに父の弟さんに会った。叔父さんである。子供の頃、一度か二度会った記憶があるだけの人かもしれないし、もっと会っている人かも知れないが、とにかくホントに久しぶりの人だった。これも全て次女の結婚のお陰である。同じ市内に住んでいると言うのに、この状況である。しかし時代や他人のせいにしても仕方ない。全て自分が作り出した現状なのだから。もしそれを改革したいと思うのなら、全て又自分がアクションを起こせば良いことである。自分が考え自分で行動を起こせば自分が本当に望む状況を作り出せる。しかし本当に望むことである。  


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07月24日(水)

起床時刻:04時18分

 就寝午後11時。途中何時かは分からないが一度目覚める。が、すぐに寝る。本日の睡眠時間は5時間と少し。良い感じかも。出張先。久しぶりの同僚Hさんとの仕事。暑がりの彼のため、就寝時にはエアコンをつけて寝る。除湿に設定。25度。弱。快適だった。

 彼は無類の汗かきであり、暑がりのようだ。常時仕事場では部屋の温度は23度に設定している。私としてはその温度では相当冷える。冷蔵庫の中にいるようだ・・・というのが大げさではない表現。長袖を着たいと思う気持ちにもなる。彼もそういう私を見て不思議に思うようで、色々と聞いてきた。汗はかかないの?と。そりゃあ、私だって汗はかく。今年の猛暑ならなおさらだ。だが多分、普通の人と比べたら私は今年の夏を「猛暑」という言葉では表現できないと密かに思っている。密かに・・と書いたのは、あまり人前では憚られて言えないからだ。

 昨年もちょうど一日一食に挑戦していた。今とは少し趣の違う一日一食ではあったが、やはり今年同様夏の暑さに対してそんなに「苦」として感じていなかった。車の中では一人の時はほとんどクーラーはつけなかった。暑くてどうしようもない・・・という事もほとんど無かった。世間ではやはり猛暑猛暑と連呼していたが、私はホントにピンとこなかった。

 話を戻す。Hさんは色々と聞く。自分はひと仕事が終われば体中はおろか、額まで汗が滝のように流れる。それに引き替え私を見ているとそのような気配がほとんど感じられない。一体どうなっているのだろうと。私は具体的に答えはしなかったが、暑いのは自分も暑いと一応答えた。しかしそれは本当だからである。私だって暑いのは暑いが、多分それをそんなに苦に感じないのだろうと思う。どちらかと言えば、いつもではないが、それを「快適」と感じる瞬間もあったりするくらいである。

 昔の私はそれでもHさんと変わらぬ、いや、それ以上の暑がりで汗かきだったと思う。体重も標準をはるかに超えた肥満体で、少し動いただけで汗はダラダラである。大学時代のクラブの後輩で、筋肉質できれいな体を持つ男がいたが、彼は激しい運動をした後でも私の半分も汗をかかなかった。そんな彼を非常に羨ましく思ったし、憧れてもいた。しかし今の私は多分彼と同じような体質になったのだと思う。だから絶対叶わないと思っているようなことでも人間思い次第でどうにでもなるのだと思う。幸福の科学の代表者、大川隆法さんは講演の中で私と同じようなことを述べている。今の方が若い時よりも元気で健康で体力もあるように感じる。年々元気になっているようだ。体だけではなく精神や知力の方もアップしているような気がしていると。人間のイメージの力、想像する力、信念などは全てを創りかえるパワーを持っているのだ。

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07月23日(火)

起床時刻:03時45分

 就寝午後11時前頃。最初の目ざめはその3時間後の午前2時前頃。本日は出張日ということもあり、しかしそれでも構わず起きても良いかなとも思ったがいつの間にか再び眠りについていたようだ。本日の睡眠時間は5時間弱。まあ今の時点では一番適切な時間かも知れない。上半身は裸の状態で結局寝てしまった。風邪を引く・・・という観念は現在ではほとんど無い。多分、これは子供の頃からの母親を初めとした世間の常識に縛られていたものだと思う。お腹を冷やす・・という他者からの暗示。これは多分日本人なら誰でもが根強い暗示になっているのではないか。しかし今の私はどうにかこれから脱しているといえる。ちなみに外国映画ではよく見かけるが、男性はほとんど上半身裸で寝ている。日本以外では裸で眠ればお腹を冷やす・・・というような暗示は無いのだろう。もしかしたら、その行為は眠る時の当たり前の行為であり、逆に何かプラスの意味などがあるかも知れない。


 昨日は午前中からS市に向かった。どうしても欲しい本があったからだ。その本はS市のショッピングセンターの中の書店にしか無いのだ。先日S市に行った時偶然見つけた本。引き込まれたが、買うことは無かった。そしてその次にS市に行った時、また別の書店でその本を見つけた。実は一回目の時に地元でも探してみたのだがどの店にも無かったのだ。マニアックな本なのであろう。自分としてはそれがマニアックとは思わないのだが、結果的にそうなるのだろう。

 そして二番目に見つけた書店に再度行った時、既にその本は売られていた。よくまああのような無名な本を買う物好きがいるのだなとその時は感心したものだが、今日、先ず大丈夫だと安心して行った店、つまり、最初にその本を見つけた店であるが、まさかとは思ったが、売れてしまっていたのだ。これには少々驚いた。

 初めてその本と遭遇してからもしかしたら一ヶ月くらい過ぎてしまったのかも知れない。しかし、あんな、マニアックな本、誰が一体買うと言うのだ・・・。と自分で自分に問うてみた。まてよ・・・誰って、それは俺やん!俺がいるやん。という事は、世の中にはこの俺と似たような物好きがいるのだ・・・と変に感心してしまったのだった。

 あー、こんなんだったら、最初に見つけた時に買えば良かった・・・。後の祭りである。縁が無かったのである。と諦めよう。本が俺から逃げている・・とまで思った午後だった。

 そして帰宅後妻としばらくその話も含めて話した。そして今私が行っている1日1食についての話題になった。なんで私がこんなアホな事をやっているのか、妻としても少しは不思議なのだろう。「男のロマンなのよ」と私。しかし妻にはそれが何故男のロマンなのか分らないようだ。1日1食という「常識はずれ」をやるというところが男のロマンなのである。常識どおりに生きて何が楽しいの・・・常識を逸脱するから人生は面白いのだ。

 食生活という人間の一番の欲望において、常識を超えたことを実践する。すると生活全般にわたって、人生全般にわたって、常識を超えた感覚が得られるような気がする。気がするというよりも、実際私は今それを強く実感している。これだけはやってみなければ分らない。ドンドン常識を超えていけば良いのである。

 若いアンちゃんのような格好をして外出する。肌も露わなタンクトップに半パン、そして派手なキャップ。そのいでたちで外に出る。自宅前で偶然高校時代の同級生に会った。彼は仕事中で運転中。すぐにすれ違ったが、私は彼に手を挙げて会釈した。彼も笑顔で応えていた。そして直ぐに私は思ったものだ。彼は私の格好を見て何て思うのだろうと。平日である。

 仕事でよく使う郵便局に行く。顔なじみだ。今までは割合普通の格好で行っていたが今日はその格好で行ってみた。いわば実験である。職員達の反応を見たかった。しかし思っていたほどの反応は無く、彼女たちは普通に私に接してくれた。なんだ、たいしたこと無いじゃないか。自分が思うほどたいしたことじゃない・・・。

 自分が今前例の無いこと、周囲で見かけないような事をやっている時、こう思えば良いのだ。誰が一体こういう事をやっているのだ、・・・それは俺、俺、この俺なんだよって。タカ&トシのタカではないが、「俺だ、俺だ、俺だーー」の調子である。そうすればもうそこに前例は出来たという訳である。ドンドン自分で前例を作っていけば済むことである。

 今まで遠慮して中々出来なかったこと、上下関係を気にしたり、利害関係を考えたりして出来なかったことも、やってみると良い。意外に何でも大した事はなかったりするものだ。あのコロンブスだって、ゆで卵を縦に立てかけて皆の度肝を抜いたわけである。そんな事は世間にはいくらでも転がっているかも知れない。そんな生き方をしていけば今までは退屈だった人生も相当楽しいものになること請け合いだ。


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07月22日(月)

起床時刻:00時55分

 就寝午後10時~11時の間だと思う。確かな時刻は分らない。いつ寝たのかも分らない状態だった。いつの間にか寝ていつの間にか夢を見てそしていつの間にか目覚めた・・という感じ。夢も内容豊富で面白いものだった。あの「さんま」が出た。彼と私は何か以前からの知り合いみたいな感じだった。それについて違和感も無かった。高校の同級生・・といった感じだった。お互いの話し方もそんな感じだった。彼とのやり取りはそんなに長くは無かったが、色々なストーリーの後、まさに締めくくりとして、夢の最後に現れ、私の夢を締めくくってくれた。こういうこともあるものだ。

 そして起床時刻だが、いつものパターンである1時間半後の目ざめとか長くて三時間後の目ざめであったけれど、今日は3時間のパターン。しかしいつもと違うのは意識の中で「今日は起きてみよう」と思ったことだ。いつもならそのまま眠る。しかも直ぐに眠れる。だが今日は一丁起きてみようと、そう思った。眠くなれば又眠れば良いのだと、そう思ってしまった。しばらくテレビの選挙速報を見たが、その後階下に降りて、オークションの仕事をやる。相当久しぶり。


 私の父は私が小学校六年生の時に家を出た。ちょうど炭鉱閉鎖が相次ぎ、鉱夫達が次々と新天地を求めて地元を離れて行った時期である。普通なら私達家族も一緒に出るのだろうが、父の場合は私の母親ではなく別の女性と出たのであった。

 今を思えば父も行く末を考えていたのだろうが、残念にも家族との別れを選んでしまったという事である。それからは私は母親と二人で生きて行った。正確には私達には他に家族もいて、私には何人かの兄弟がいたのだが私以外は皆独立して家を離れていたのだ。そして母親は彼らに愛されていたのでバックアップは大いにあり助けられていた。そういう点で私は今も彼らに大いに感謝している。

 私の方もまだ小学生ではあったが父親不在という事で大いに鍛えられ逞しく成長出来たと思う。だからいつも思うのだが、世間では一見悲惨な出来事だと思われるものにも必ずプラス面はあるもので、父親の家出、蒸発(当時流行っていた言葉であるが)も捉えようによっては残された者達の成長という果実を産んだりする。しかしやはりこのような事は起こらないに越した事はない。プラス面をもはるかにしのぐかも知れないマイナス面を引き起こす事が多いからである。

 そういう訳で私は小学校中学校高校と父に対して良い感情は持てなかった。しかし年の割りにはませた私は良い意味で逞しかったし独立精神も旺盛だった。そして大学卒業後一年で結婚し、他の級友のような大企業や公務員などの安定した道を選ばず知り合いがいた小さな工務店に就職し社会人の一歩を踏んだものだった。今考えれば、このような道を歩んだのも子どもの頃の両親の離婚があったのかも知れない。しかしやはり私の父親への思いは決して良いものではなかった。

 それでもここ数年私の気持ちも落ち着いたのか、父の弟、つまり私にとっては叔父にあたる人との接触の機会を得た。相手からの呼び掛けではなく、私からの投げ掛けだったが。いくら良い感情を持ってはいない父親でもその弟とは関係ないものだ。そしてその叔父は父とは全く違ったタイプにも見えた。地元では有名な企業一筋に生き、もちろん父のように他の女性と再婚などせず今の奥さん一筋である。大人しいが真面目一本という感じが私には好感を持てた。

 何回目かの彼とのやり取りでお互いある程度気心がわかり会えた頃、叔父が父の若かりし頃の話をしてくれた。父のそんな姿は母親でも分からない事だっただろうし、知らなかっただろう。そんな父の色々な思い出を私に語ってくれた事があった。その中で印象的だったのは、父が子どもの頃実の母親が早世し、その後すぐに新しい母親が家に入って来たそうである。いわゆる継母、ままははである。彼女は気性の激しい女性で父の弟達とは比較的うまく行ったようだが父とは仲が良くなく、父としては家庭に居づらかったようであった。

 それらはどれもが全く私の聞いた事もない知らない話ばかりだった。ある意味父親は私より過酷な寂しい子ども時代を送っていたのかも知れない。それで父はその寂しさや心の空虚さ、孤独感を埋めてくれるような伴侶を求めていたのだろうと思う。私の母親なら、それに敵う相手だっただろうと私には思えるのだ。息子の私から見ても、母は温かくて人情味に溢れた女性だったからである。

 話を元に戻そう。そんな家庭の空気に馴染めなかった父は自分のやりたい事に心のベクトルを向けた。それは中国大陸への憧れ、勇飛である。当時日本では満州への開拓に夢を託す若者が多かったらしい。この部分は私の歴史書での知識だが、父もそんな夢見る若者の一人だった。だがそれを現実に実践するとなると誰もがおいそれとは出来ない。そんな中で父は冒険に踏み出した訳である。

 私は叔父さんから父についての、そんな初めての話を聞き目が覚めるような気がした。あの弱々しく見えていた父が、他に女を作って家族を捨てて行った「不良」の父が、大陸への勇飛などという行為を果たしていたのである。私は正直嬉しかった。心踊った。そしてそんな父を見直しもしたのだ。

 今まで母親の話はよく聞く事もあった。兄弟達は私とも歳が離れているためだ。しかし父の姿はその母親以外はあまり聞かなかったし兄弟達から聞く事はあってもそれは多くが母と一緒になってからの事だし子どもの見た感想である。そういう意味でも父とほぼ年齢の近い叔父の話はとても私には意義深かった。

 母親を捨て他の女性のもとに行った父親を普通なら中々許せないだろうし、ましてや、その父親の兄弟達にもわざわざ会いに行く事もないだろう、と私の兄弟達も言う。ところが、そこが私なのであり、そんな私を嫌な顔もせずにいつも受け入れてくれる彼ら兄弟達が今の私の掛け替えのない宝なのである。もちろん家族は言うに及ばない。




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07月21日

起床時刻:03時58分

 就寝午後11時。出張先。最初の目覚めは3時間後の午前2時。そしてその後午前3時と続き、その都度まだ早い、と言うか、もう少し睡眠時間が欲しいと思いつつ眠ろうとする。もし、そのまま寝られなければ起きようと。しかしすんなりと寝られたようだ。そして本日の起床時刻。頭で納得して起床。ちょうど良い時刻だ。今の私の潜在意識レベルでの判断だろう。もっと自由自在な感覚となっても良いのかも知れないが、今の私の悟りレベルである。


 昨日から今日にかけての泊りがけの出張日だ。私には現在このようにほぼ定期的に自宅を空ける日がある。最初は自宅を空けるなどどうしても出来ない感じがしたものだった。しかし私の友人達もサラリーマンを長く続けている連中などの中には単身赴任で長く頑張っている者もいたりする。彼らはもう長いことそういう生活を続けているのだ。

 一週間に一度だけ帰宅して家族と過す。そんな生活である。比較的自宅と赴任先が近いからそういうことも出来るのだろうが、ある程度離れていれば中々そういうわけにはいかない場合もあるだろう。それから比べれば私の現在の生活は比較的楽かも知れない。ただ同僚との就寝時には中々慣れない事もあったりする。

 特に今の暑さである。本当を言えばそれほど苦になっている訳では無い。同僚達の中にも様々である。暑さに強い者、弱い者。強い者は寝る時もエアコンは消す.これはどちらかと言えば私もこの口である。今まではの話であるが。だがこの所の暑さ、自宅では寝るときには扇風機をかけて寝るが、途中夜中に気づいたら私は消している。それでも十分であり、夜明け頃には気温もすっかり下がり程よい感じになっているからだ。

 しかし先日の泊まりの日に、少し違和感も感じた。私達の寝室は防犯上閉め切った状態である。しかし鉄筋コンクリート構造のため、それほどの暑さは感じられない。だから今までは私もエアコンは必要なかった。しかしそれでも同僚によればエアコンをつけたまま寝ることもあった。

 今からしばらくは同僚にもエアコンをつけようと提案しようと思う。我慢すれば我慢できるのは出来る。しかし自宅に近い状態でなるべくなら寝たいというのがホンネである。ベストとは行かないまでもベターな状態で睡眠を取りたい。なぜなら何となく睡眠というものが私に強力な力を与えてくれるような気がするからだ。

 今の私は1日1食生活の影響やその結果としての短時間睡眠、そして毎日の定期的な瞑想をも加わり、相当体自身も変わっていると実感している。肌など本当にきれいになった。さかのぼれば、もう何十年にもなるが、私の食生活・睡眠という二つの改善における様々な取り組みで、私も随分変身してきたと思う。特にこの数年、それは顕著なのだと思う。

 その中でもこの二ヶ月、私は今までの私と比べての話であるが、小食に対しての意識・実践は強いものがあり、それは相当確立してきたと自負するところもある。変化はいたるところに現れている。それについて話を元に戻すが、肌は本当にきれいになり、艶やかになり、そして強そうになった。

 その中でも特徴的なのは、蚊にさされなくなった。あの「蚊」である。以前の私、肉をたらふく食べ、酒を飲み、ご飯の大盛りを平らげる。そんな時代の私と比べたら雲伝の差である。一旦蚊に刺されれば、その周囲はプクゥーと膨らみ、痒くなる。それが体のあちこちで始まる。夏は私にとってそういうイメージもあった。

 しかし最近の私は、ここ数年の私は、蚊にほとんど刺されなくなった。たまに刺されても以前のようにそんなに膨らまない。生長の家ではこれはその人自身が他人を刺すような心を持っているから蚊にも刺されるのだと説明する。その点から言うと、私の中には他人を刺すような気持ちが少なくなったのかも知れないと喜んでいるのだ。

 話がいつものようになってしまったが、このように今の私は夏の暑さでも我慢すれば我慢できるのである。だがやはり今の私の中の大きな特徴は、強い体であっても、やはり快適さは大切だということである。快適に目ざめ快適に眠りたい・・・ここが私の一番の願い、欲求だろうと思っている。.


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07月20日

起床時刻:04時20分

 就寝午後8時半~9時頃。最初の目ざめは午後10時半。続いて午前1時過ぎ。この時は既に睡眠時間も4時間と少し。だから起きても良かったのかも知れない。自分でもそう思いながらトイレに行った。しかしまだ眠気も少しある。本当は鍛えようと思えばこれくらいの体の感覚が良いのかも知れない。しかし私は再び寝た。今日は出張日でもある。十分寝ていない・・・という思いもよぎったかも知れない。そして直ぐに寝られたようだ。結局本日の睡眠時間は7時間と少し。今の私としては最も長い睡眠時間だ。ここ最近ない。昨日といい今日といい、睡眠時間が随分長い。これは何かの知らせかも知れない。知らせという表現しか今は思い浮かべなかったが、1日1食生活が2カ月を過ぎ、何かしら体の途中経過的な症状・・・というのが一番適切かも。しかしとにかく良い方向に向かって行っているのだ。


 最近の暑さのせいか、いわゆる熱中症の患者が急増し昨年の倍以上にも上っているとニュースで見た。史上最高の患者数であるらしい。しかし一体今年はそれほどの猛暑だと言うのだろうか。確かに暑い事は暑いが、それは夏なのであるから当たり前の話であり、それが史上最高の熱中症の患者数の原因だけとは思えないのである。

 では一体本当の原因はどこにあるのだろう。まあでもこんな事を言うのは日本中で私くらいなものかも知れないが、実は私は直感的にもこう考えているのだ。それはあまりにもまさにヒートアップしている報道の為だと。メディアが過剰にこの「病気」を取り上げているせいだと思うのだ。病気と書いたのは熱中症というネーミングの語尾に「症」とあるからであるが。

 現実に各地で起こっているこの症状の為だからそれを報道するのは確かに仕方ない事かも知れないが、あまりにも大仰に取りざたされている為私たちは嫌でも毎日このニュースに接する事になる。そして嫌でもこの熱中症という言葉を脳にインプットしてしまうのである。それはまさに自己暗示となり潜在意識の中に沈み込んでいくのだ。

 潜在意識の中に毎日蓄積されていったものはいつか現実に現れてくる。形となって出てくるのである。だから気温がまたまた上がり確かに自分でも暑く感じ、体調も少し悪いかなと思えばその深く沈んでいた思いが現実となって形作られて行くのである。メディアは自分達が報道して注意を喚起しているつもりなのだろうが、逆な結果を作り出しているのである。

 私などもその影響はある。ちょっとでも具合が悪ければ心の中で「あれ、これはヤバイかも・・・」と思ってしまったこともある。今年の夏になってわずかだか一度だけそう感じた瞬間もあった。そしてこれは又別の病気ではあるが今東京等で流行っているといわれる「手足口病」である。

 これは一種の夏風邪だと言われる。ウィルス性の風邪らしい。名前の通り、手や足、そして口内に発疹ができるというものである。実際その症状を写真で見せられた事もある。文字だけでなく言葉だけでなくこうした写真等でも見せられると潜在意識へのインプット効果は一段と増すのだ。

 東京で流行っていると言われればまたまた東京で出てくるだろうし、全国各地でも敏感な子供たちの中にはそれが出てくる者もいるだろう。私なども少しでもそれに近い現象が我が身に出てくれば「もしかしたら・・」と思ったこともあった。特に私は幼い頃から皮膚には過敏で皮膚病に対する恐怖心は他の子より大きかったと思う。

 多分私の場合は単なる汗疹(あせも)であったかも知れないが、それでもこれが徐々に大きくなって今流行りの「手足口病」となってしまうかも知れない・・等と恐れる事もあった。しかしそんな様々な病気への恐怖心を防いでくれているのは現在私が日々実践している一日一食生活でもあるのだ。そしてこれも又大きな力を与えてくれている「スワイソウ」による瞑想である。

 人間が本来持っている自然治癒力、そして人間は本来「病気」などには無縁であり完全健康体であるという真実。この自覚を強めるものが私の食生活なのであり瞑想なのである。とにかく先日にもここで書いたように毎日の生活の中で悪いことマイナス的な事は一切考えない事である。悪い事は微塵も考えてはならないのである。常に良い事、良い方に考えていく事だ。今我が身に現れ出ている全ての現象でさえも全てが良い方向に運ばれている経過なのだと信じる事だ。


 自分との戦いという言葉はよく聞くが、大体世間では大仰にこの言葉を使う為そんなに一般的でもなく自分とはあまり縁のない話だと思っているものだ。その道のエキスパート達が自分に挑戦したりする時に主に使っているのだろうと考える。しかし私は誰でもが意外にこの言葉と遭遇する機会を持っていると思う。毎日の生活の中で、それも頻繁に使う機会があるのではと思っている。

 例えばである。そばに自分が多少緊張するような人間がいるとしよう。立場的には上司的なポジションの彼である。そして彼の考え方や思想は何となく自分なりに想像がつく。だから普通なら彼の思惑の中で自分の言動も決めようと思うのが人情である。しかしそれでは成長がない。ちょっと勇気を出して自分が想像する彼の範囲を越えてみようかなと思ったりする。だがやはりそんな事は中々できないものである。彼の仕事のスタイルとは違うように思える事をやろうとするが、やっぱり出来ない。が、それでもやってみるのである。もしかしたら彼に何か言われるかも知れない。彼の機嫌が悪くなるかも知れない。しかしそれでもやってみるのである。

 それが私の言う自分との戦いである。これは簡単なようで意外に難しいものである。中々出来たものではないのだ。しかしこれが出来ると一気に貴方の視界は開ける。そして最も良い事には、一目置いていた彼、緊張する相手だった彼が以前より身近に感じるようになった事に新鮮な感動を覚えるだろう。以前の貴方の人間関係とは大きく変わって行くだろう。

 この世にあるあらゆる環境、自分を取り巻く人間関係などは結局全て自分が作り出しているのだ。自分の中で自分の考えが外界を作っているのである。だからこそ、弱い自分、偏った自分、偏狭な自分との戦いに打ち勝って行く事が自分の環境を自分の理想に近づける道なのである。小さい事からコツコツと・・・




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07月19日(金)

起床時刻:05時08分

 就寝午後11時。途中一度目覚める。しかし時刻は分らないまま再び眠る。一気に。久しぶりに5時過ぎまで寝てしまう。それでも睡眠時間は6時間と少しだが、近頃珍しい。この暑さの影響か・・・。それとも、テンションが墜ちつつあるのか。と言うのはあまり考えにくい。一日一食生活も昨日で2ヶ月が過ぎた。そして昨日は少しショックな事もあり、それやこれやでこの少食生活が自分の中で少し揺らいだような気がした。もう一度しっかりと自分を見つめてもいいのかもしれない。


 よく人は強いとか弱いとか言うが、本来人にそんな等級のようなものはない。みんな同じである。新興宗教の信者にもそういう感覚の人が大勢いる。とにかく教祖は絶対であり、自分とは次元が違うのであると考えているのだ。しかしそんな人に限って自分より劣る人間を見つけるのも上手であるようだ。とにかく人には上があり下があると思っている。強いとか弱いというのもそういう感覚だろう。

 しかし冷静に考えて見ればすぐに分かる事だろうが、弱いと思っている人も実際は意外にしぶとかったり、強いと思っていた人も気弱な所を見せたりする事がある。だからみんな一緒だと思えば非常にすんなりと分かりやすい。ただそれでは人は全くの同じ存在かと言われればそれも又違う。では何が違うのかと言えば、要は考え方、意識が違うのである。とにかく成功したり思う通りに人生を生きている人は悪い事は考えない、悪い風に考えないのだ。同じ事でも良い方に考える人と悪い方に考える人がいるが、人の違いはわずかそこだけである。

 例えば地震に遇って瓦礫に囲まれ救出までの数日間食べるものも飲むものも断たれたとしよう。人間は一日たりとも食べなければ生きられないと考えれば数日で彼は死ぬであろうし、また逆に健康の為に断食道場に通えば一週間でも食べなくても大丈夫だし逆に健康が増したりすると考えればそのようになる。。片や死であり、片や健康、更なる健康の獲得である。考え方で全く違った結果になるのだ。

 または、こんな話もある。宗教の話であるが、生長の家の教本でもある「生命の実相」の中にある話だが、昔の日本では不治の病と言えば結核だったが、その症状の一つに吐血がある。昔の映画の中でも結核患者が寝床いっぱいに血を吐いたりするシーンがあるが、その時点で彼は死を宣告されたと観客は悟る訳である。しかし生命の実相にはこう書いてある。吐血は悪い事では無く、体に溜まった毒素が血液に混じって排出される浄化作用であると。だから決して驚いたり悲観などしてはいけない。逆にそうやって悪い方に考えるから病状もますます悪化するのだ。つまり本人の意識が病気そのものを作るのである。逆に、これは浄化作用なのだと考えれば体はきれいになって行く。人間の想念というものはこの現実世界を作っているのである。

 人の違いはその意識であり考え方だけである。
釈迦は生まれた時に「天上天下唯我独尊」と言ったそうだが、自分がこの世で一番偉いのだと思ったからあの釈迦になったのだろう。何千年の時を越えていまだに多くのファンを持っているが我々も少しはあやかりたいものである。

【夕方更新】
 名古屋の男子中学生が自殺した問題で昨日の朝刊を見た。教育委員会はイジメがあったと認めたようだが、そんなの当たり前なのだ。実際、自殺など起こっていない学校でもイジメはあるものだ。逆にイジメがない学校などあるはずがない。何故なら人間が生きて生活している以上どんな所であれイジメはあるものだからだ。

 職場、社会、地域、サークル、果ては家庭にだってイジメは存在するだろう。以前にも書いたが、イジメがある以上それを認めて生きた方が良い。ただし、明るいイジメを目指さなくてはならないと思う。イジメる方もイジメられる方もお互いが明るくやらなければ駄目だ。テレビの中で繰り広げられる芸人達のイジメのやり取りはそういう意味ではとても参考になるのではないだろうか。

 自殺した男子生徒はスポーツクラブにも属し成績優秀だったという。しかもイジメた方の気持ちまで配慮するような言動があったり、人格優秀、努力家でもあり、仲間の間では「彼は天才」とまで言われる若者だったらしい。では何故そのような人間がイジメを苦に死まで選んでしまったのであろうか。

 私は前回の記述でも書いたが、彼の一見人格優秀、努力家に見えた辺りにポイントがあるのではと思う。つまり彼は周りから尊敬されると同時に「生意気」にも見えたのかも知れない。大体イジメを受けるタイプは総じて生意気なタイプが多いものである。生意気だからこそ、やっつけちゃおうと周囲は思う。しかしこれも又寂しいものである。が、現実でもある。

 一般的にイジメの被害者は周りへの復讐、見返し的な感覚で死を選ぶ。つまり相手に対して慚愧の念や後悔の念を起こさせ苦しめる為である。しかし今回の場合は又少し違う感じも受ける。彼のように優等生的であり、リーダー的なタイプは珍しいと思う。彼にとってはとことんまで対処したにも関わらず周囲のイジメは無くならなかったのであるから彼にとっての最終手段が「死」だったのだろう。死を賭けて彼はこのイジメを無くそうと思ったのかも知れない。一途であり、あまりにも男気が強かったのかも知れない。しかしどんなに美辞麗句を並べても死を選んだ事は良くはなかったと思う。そして彼のようなタイプであっても、やはり根底には前述したような相手への復讐とか相手に苦しみを与えるような暗い想念が流れているものである。そういう思想からは根本的な明るい生き方は生まれないだろう。

 結局何が一番良いのかと言えば、やはりこの三次元世界、物質世界を超越した世界に生きる事だろうと思う。この現実社会にどっぷり浸かったままではいくら自分の理想論を述べてもいくら崇高な事を唱えても周りとの調和は難しい。物質など超越して現実をありのままに見ながら生きて行けばそれほど生意気にも見えないし逆に好かれながらも自分の理想や夢を追う事も出来るであろう。人から尊敬されたり愛されたいと思う気持ちも立派な「エゴ」である。エゴは物質世界にのみ存在する我々の強力な敵である。





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07月18日(木)

起床時刻:03時27分

 就寝午後11時。最初の目覚めは午前0時半頃。いつものパターンである。出張先。そして本日の起床時刻直前の目覚め。すぐに起き上がる。パッといった感じ。しかし自宅に比べたら幾分寝起きも悪い感じだ。モワーとした感じ。そのうちスッキリするのだろうが。まあ、睡眠時間が4時間20分程度だからそうなのかもしれない。あるいは睡眠環境も。自宅では扇風機か、あるいは窓全開の自然の風。しかし職場は窓は閉め切られる。が、鉄筋コンクリート造りのためか、それほどの暑さはない。昨年は同僚によればエアコンをつけたまま寝たりしていたが。昨日の同僚はそれは今のところしない。それほど暑苦しくはないので私もそのまま就寝したのだ。起きた時も寝苦しさは感じられなかった。しかしやはり少しは自宅と違う。


 自由とは一体何だろうと思う時がある。分っているようでも厳密に解釈しようとすれば中々奥が深いような気もする。一昨日、ショッピングセンターで店内を歩いていた時中学生の男子らしき少年とすれ違った。彼は手にクレープを持っていた。生地の中にはホィップクリームもたっぷり。あとフルーツやチョコ、ナッツ類も混じっているのだろう。とにかく美味しそうだった。彼の顔は今からそれを口の中に放り込められるという嬉しさにあふれていた。

 しかしふと私は思った。自分が1日1食という一般的には過酷な食生活と言われている事を実践しているからもあるのだろうが、この少年は欲しいままに甘いものを食べているが、彼をこのように甘やかせる時代とか環境とか、そういったものの正体だ。もしかしたら彼の母親は彼のこういった食生活に批判的な立場かも知れないが、彼女の見ていない所ではどうしょうも無いのである。

 私はこういった食べ物が悪いというのではない。ただむやみやたらに、欲しいままに自分の欲望のままに、それらを口にするという姿勢について疑問があるのである。自分でコントロールできれば良い。たまにはそのような美味しくて甘いものを食べるのにはやぶさかではない。私だってきっと食べることもあるはずだ。

 しかし一事が万事という言葉もある。彼はこれだけではなく、他の食べ物とか運動とか日々の生活の中の全般にわたって、自分自身をもしかしたら甘やかせているのかも知れない。そしてそれらは全て結局我が身に跳ね返ってくるのである。そしてその反動も全て自分で受け止めなければならないのだ。

 しかし世の中はうまく行くものである。彼が自分の生活を好きなように生きて、好きし放題にやっても良いのだが、今度は環境がそれを許さないのだ。彼には両親という関門があり、中々自由が許されない家庭というものもある。そして彼には学校という他者との接触を嫌でもしなければならない「公共の場」というものがある。それらは彼の自由気ままな精神を上手に制約してくれているのである。

 そしてそれは彼のような未青年だけではなく、我々のような大人にも厳然として存在する。会社があったり、地域があったり、学校のPTA活動があったりする。そこでは我々の自由勝手な奔放な生き方は許されてはいないのである。しかし結局その厳しい環境のお陰で我々はある程度の生存を許されるのである。

 だが本来の自由を求めたいというのなら話は別だ。周囲を取り巻く厳しい環境を受け止めつつ、我々は本当の自由を感受できるはずだ。そしてその自由の中にこそ人間の持つ本来の喜びや生きがいがあるような気がする。

 それは一体どうやって手に入れることが出来るのだろう。今の私はそれはこの物質世界を超越する中にあるのではないかと想像している。物理学に支配されているこの物質世界。これを超えることで真の自由も手に入るような気がするのである。自由に生き、自由に行動し、自由に考える。心の世界は無限である。物質の制約から放たれているのだ。それが本当の自由のような気がするのだが。


【本日の食事】
昼ごはんは外食。シダックスのランチ。ベーグルサンドのセット デザート付 
夜はオヤツとしてのぜんざい1杯 以上である。




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07月17日(水)

起床時刻:04時36分

 就寝午後10時頃。途中家族の物音で一度目覚めるがすぐに寝る。その後はほとんど目覚めた意識なし。よく寝た。睡眠時間は6時間と少し。今回は出張までが長く、中4日。その間に遠出して海水浴までやった。今年初であり、ここ数年やっていなかった事。私にとってはささやかであるが画期的。多分一人で暮らしていればしていなかったかもしれない。妻が提案してきた事はまことに意外だった。妻も私の影響で非常に元気になっているようだ。


 私の食事はここ50日間ずっと1日1食であるが、内容もほぼ毎日同じものを食べている。と言うか、1日1食の生活をしていると毎日同じものを食べても不思議に飽きないのである。これは家計に優しい。先ず食費は安い。しかも調理時間も日々短縮する。なぜなら慣れるからである。

 初期の頃は一日に一度だということで、大量の食事をいただいていた。もうここで食べないとあと24時間食べられないのだ・・という恐怖感がそうさせていたのかも知れない。とにかく無茶苦茶食べていた。が、最近は非常に減少し、しかも日々何を減らそうかと考えるのが一つの楽しみにもなっているという私は立派な「マゾぶり」を発揮しているのだ。

 話を元に戻す。とにかく毎日同じものを食べても飽きない。と言うか、逆に毎日バリエーションをつけようと、献立を変えなくてはならない人たちが大変だなと気の毒に思ったりする。毎日同じものを食べているとここが不思議なのだが、逆に違ったものに対してあまり興味も湧かなくなる傾向もある。

 南洋の土着の人たちの中には毎日タロイモばかりしか食べない人種もいるらしい。もちろん彼らは飽きないのだろう。しかも、彼らの体格は総じて立派である。力強くて元気一杯だ。子供の頃は誰に教えられるでもなく、簡単に椰子の木などにスルスルと登ってしまう。まるでサルのように。

 一度オリンピックの体操かなんかの選手がその真似をして木に登ろうとしたのだが、綱などの道具無しではとても出来たものでは無かったらしい。だが子どもらは誰もが皆いとも簡単に背の高いその木を見事に登って行ったという。

 先日テレビのインタビューであのスタジオジブリの宮崎駿監督が自分の食生活について話していた。とにかく無茶苦茶忙しい彼は時間が一番貴重なものらしくていかにしたら効率良くしかも良質な納得できる作品を作れるかと言うことを自問自答した結果ある食生活の方法に行き着いたと言う。それが毎日同じものを同じ時間に同じ量を食べると言うことだった。

 そしてあのニューヨークヤンキースのイチローもその一人だ。彼が毎日昼、カレーライスだけを食べ続けていると言うのは有名な話である。私は以前その話を聞き、実際にそのテレビも見た事があるが、その時はなぜ彼ほどの金持ちで賢明な人間がカレーのようなものを毎日欠かさず食べているのか、よく分らなかったものだ。

 この二つのケースはとても似通っていると思うのだ。実際自分が同じものを毎日食べ続けているとその理由らしきものが見えてくるのだ。胃腸にとっては消化吸収という「仕事」は大変な仕事だと言う。とにかくまるっきり違ったものに根本から変えてしまうのである。世の中にこれほど大変なエネルギーの必要な仕事は他には無いという学者もいるほどだ。

 神がこの宇宙を創造したほどに匹敵するほどの仕事。と言う人もいる。それほどのエネルギーをただ人間の欲望、惰性などのためだけ費やすのは勿体無い。宮崎監督は彼の仕事を愛するがゆえ、より良い作品を作るためにそのエネルギーを使いたいと思ったのかも知れないし、イチローも素晴らしい野球スキルの完成のためにそのエネルギーを使おうとしているのかも知れない。

 貴方がもし仮に何かの仕事をさせられているとしよう。今日はこの仕事、明日はあの仕事、といった毎日違った仕事をやらされれば中々慣れるものではない。しかし毎日同じ内容の仕事であれば段々慣れてくる。そのうち、どのようにしたら如何に早く処理できるか、よりスムーズに進むか、より良い内容に仕上げられるかといった事に全エネルギーを注げられる。

 同じように胃腸にとってもご主人様が同じものを食べ続けてくれれば、いつの間にか消化吸収作業もより簡単に楽に出来てくる。その分エネルギーも余裕が出来てくる。もちろん人間のエネルギーは無限ではあるが、だからと言って無駄遣いは良くないことは当たり前の話だ。効率良く使えばそのエネルギーは他のものに充分転化されるかもしれない。

 体の、内臓自身の負担も軽くなる。これは特別健康にも良さそうだ。以上の理由で毎日同じものを食べている宮崎監督、イチロー、彼らは本当に本質を見ているという話になるではないか。ちなみに・・・これは私の経験での話であるが、一日に一食であれば楽にこの毎日同じものを食べることも出来るということだ。無理が無いのだ。え、一日に一食がそもそも無理があるって? まあ、それは又次回に話したいと思います。


【本日の食事】
本日出張。昼はオヤツとしてぜんざい一杯。
晩御飯はクルミロールパン1個にオニギリ1個 玉ねぎ大1個と魚肉ソーセージの煮物 スープ 素焼きアーモンド10個 以上である。


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07月16日(火)

起床時刻:03時12分

 就寝午後9時半~10時頃。明確ではない。途中二度目覚める。最初は多分午後11時頃。長女が泊まりに来た音で目覚める。二度目は午前1時過ぎ頃。これは当然寝る。そして本日の起床時刻。睡眠時間は5時間半くらい。今日も比較的よく寝た。昨日はよく動き体も大いに使った。何年かぶりの海水浴。体も多少焼けた。就寝時は気温も高く、体も焼けていて火照っていたせいもあり、下着を着る気も失せ上半身裸のまま寝る。扇風機もそのまま。風邪を引く・・・という意識はゼロ。自分がそう思わなければそうならない。午前1時過ぎに目覚めた時にその扇風機は止める。これは風邪を引かないようにした訳でもなく、当然今よりも快適さが上がるような気がしたからである。止めた時にジッと様子を伺ってみる。暑くない。よし、これで良い。と、そのまま直ぐに就寝。


 以前にもここで書いたが、朝の日課のウォーキングで、行き交う同じようなウォーキングの人たちからの挨拶にはやはり違和感を感じている。昨日の朝も又そういう挨拶を受けた。私も思わず小声で返してしまったが、あとで後悔のような念が残った。普通なら当たり前のことであり、私のような後悔の念に苛むなど無いことだろうが、それでもやっぱりどうしても違和感が残る。

 それで私はどうしてこんな違和感があるのだろうと自問自答してみた。歩きながらである。そんな事どうでも良いじゃないかと笑われそうだが、やはり嫌なものは嫌である。思い出してみた。挨拶された時のことを。多分そのおばさん、私に挨拶してくれた人だが。そのおばさんは挨拶してくれる時、私の方は見ないままに挨拶したのだろうと思う。つまり、前を向いたまま、挨拶だけ投げかけるのである。それって果たして人間的であるだろうか。

 よく山登りなどで登山と下山で行き交う時に挨拶を交わすという事は聞くが、多分そういう感覚で気軽に挨拶してくれるのだろうと思う。しかし正直、今まで見たことも無いし言葉も交わしたことも無いような見知らぬ人から突然挨拶されれば誰だって少しは驚くだろうと思うのだ。名前さえもちろん知ることも無い人である。

 これが昼間だったらどうなのか。絶対に昼間だったら挨拶などしないような人も当たり前のように朝なら挨拶をしてくる。これは朝の持つ独特な力、パワーのせいなのだろうか。私は歩きながらあれもそうかこれもそうかと思案しながら歩いた。

 そんなに大げさに考えることは無いのかも知れない。が、私がそのおばさんから突然挨拶を受けて「良い気持ち」になれなかったのは確かなことなのだ。それでは要は相手の問題なのか。人によるという事か。

 私は思いつめて考えた。この違和感を解消する為には、何か対策を考えなくてはならないと。それなら、無視するというのはどうだろうと。見も知らない相手が挨拶しても無視するのである。しかしこれはかなり「勇気」が必要だ。私はそんな鉄面皮でもない。だったら、これはどうだ。相手が私の方を見ないままで、真っ直ぐの状態で挨拶するのに抵抗があるようだから、もし、相手が私の方を顔を向けて挨拶してくれば、その時はちゃんと挨拶を返す。そうでなければ無視する・・・。うーん、これは・・

 しかし逆に言えば、世の中の大勢の人が見も知らない相手に顔を向けて笑顔など作りながら挨拶してくるなど皆無であろう。ここは日本であり、宗教性の強い外国ではないのだから。外国なら顔を真っ直ぐに向けたまま見も知らない人に挨拶してくるなんて人はそれこそ皆無であろう。

 私の言っている事は理想論であり、現実にはそんな外国人のようなおばさんはいないのだ。いないのに無理するのは無いものねだりだ。それでは一体私はこの日本国でどうすれば良い気分でウォーキングできるのであろうか・・・。

 そうだ!と私は帰りの歩きの中でひらめいた。相手が声をかけてきた時、こちらの方が相手の方に顔を向け、大きな声で、笑顔も作ってやろう、そして挨拶を返すのだ。その声の強さで、もし、相手が思わず私の方を向けば見っけものである。私は満面の笑顔を作ってやろう。外国人のように。まてよ、それもまたあてつけがましいか。しかし、やはり、今のままの状態は好ましくないと思う。どうでも良いじゃないかと思うことの中にこそ、変えなければならないことがあるのかも知れない・・・という事を昨日発見した私である。

 先日私のような中年がラフな格好で外出することに対して私は我が町のパイオニアになろうと決意したばかりである。だから当然またまた昨日の朝私が思案したこの問題についても私なりの考え方・行動を創造するのも面白い。我が町のような地方の田舎町だからと言って萎縮するのも馬鹿らしい。せめて私の周囲くらいは外国の町のように、ウォーキングする人々がリラックスした表情で挨拶を交わすようになっても良いではないか。私はここでもパイオニアを目指そう♪


【本日の食事】
昼ごはんは外食。直径18センチのピザ1枚 自宅から持参のタマネギと練り物の煮物 素焼きアーモンド8個 
夜はオヤツとしてのぜんざい1杯 以上である。


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07月15日(月)

起床時刻:04時13分

 就寝午後10時前。途中何度か目覚めるが最近の傾向として意識が割合無い。しかし明け方午前2時頃に一度はっきりと目覚めたかも知れない。←これは矛盾した文節だな。しかし結局睡眠時間は6時間と少し。最近にしては良く寝た。昨日から今日と今までに比べたら暑苦しさはアップしている。つまり夜になっても夜明け近くなっても気温が低くならない。その証拠に私は午前2時に目覚めた時扇風機をかけていた。妻ももちろんそのようだった。しかし私はその時多少暑苦しかったが逆に扇風機を止めそのくらいの方が「快適」では無いかと判断し扇風機を止めた。そして本日の起床時刻までそのまま。妻は依然つけたままである。多少暑苦しさもあったが、扇風機よりもその暑苦しさの快適さを取ったのは良いジャッジだったと思う。ある意味気持ちが良い起床となった。


 昨日は久しぶりに休日だというのに自宅にほとんど籠っていた。早朝日課のウォーキングに出かけ、午後妻と少しだけ近所のショッピングセンターに散歩がてら出かけたのみ。後はDVDを見たり本読んだり掃除したりネットの仕事をやったりしていた。だから格好は半パンに紺色のランニングシャツ。いわゆるタンクトップというヤツである。体の半分は露出状態だ。

 朝のウォーキングでは下着のランニングシャツのみ着用して歩いた。もちろん下半身は半パン。それでも自宅から少し離れた所にある公園までの往復は少し抵抗もあった。今までの私ならまずやらない。そんな格好で外には出ない。が、昨日は何となくそれが出来た。

 朝の午前5時半頃。だからそんなに人は出ていない。ましてや日曜日である。少々のウォーキングやジョギングの人がいるだけ。だからその格好でも出来たのかも知れない。しかしいずれにしても以前の自分だったら下着姿で外に出るなどしなかっただろう。そこで思い出したのが私が生まれた街である。

 私は港町で生まれた。町が全く一つになっているかのような地域であった。住民のほとんどは漁師をやっており、あとは私の父のような地元の炭鉱で働く労働者であった。だからそういう町柄であったから、皆、ざっくばらんであった。隣近所の動向なども町民それぞれがよく知っていたりして、良い意味で温かな空気に包まれていたのだ。

 下着のランニングシャツと半パンなどはまだましな方である。男は30代40代でも平気で褌(ふんどし)一丁で家の外で夕涼みなどしていたものだ。私の家でも家の前に縁台を置き、そこで夕ご飯のカレーライスなど食べ、そのそばを近所のおばさん達が素通りし、食べているものを覗いたりしていたものだ。「今日はカレーかね~、美味しそうね~」てなもんである。

 そんな空気の中でも私の母は特別大らかであった。肌も露わな格好ですぐ隣の食料品屋に出かけ買い物などへっちゃらである。しかしまだ思春期の私としてはそんな母の姿が少し疎ましかった。友達などに見られたりすることにとても抵抗があったものである。しかしそれらも今では良き思い出だ。

 しかし現代でもあの「ステテコ」なるものが見直されているという。もちろんファッショナブルに改良されているようだが、あまりにも物質文明が進んでしまった現代、過去へのノスタルジーとともに原点回帰のようなところもあるのかも知れない。

 私はその勢いで午後のショッピングセンターへの買い物にも朝に近い格好で出かけてみた。いわゆる挑戦である。上半身は紺のタンクトップ、下はもちろん半パンである。肌も露わにそんな街中に出るなど先ずこの歳ではいないだろうと思っていた。朝のウォーキングの時でもそれは思ったのだが、以前の私ならある判断基準があった。それは他に誰か同じような格好で歩いているか・・ということ。しかし明らかにそんな野郎はいなかったのだ。

 だから当然過去の私ならその格好では出なかっただろう。他の誰かがやっていたら自分もやろうと決めていた私である。そんな人間は周りには皆無。だからやらない。以前の私ならそうだった。しかし・・・私はふと思った。直感的にひらめいたのだ。「そうだ、自分以外には誰もいないけれど、よく考えたら、自分が、この俺がいるじゃないか!」と。パッとひらめいてしまった。

 そうなのだ。私ももちろん人類の内の一人である。私だけが特別ではないのだ。もしかしたら私の姿を見た誰か(例えば過去の私のような)が「あー、あんなラフな格好で外に出ている人もいる。そんなら俺も・・」と、もしかしたら、思ってくれる物好きもいるかもしれないではないか!私はそう思うと、何となく勇気(大げさかも)が湧いてきて、その格好で着替えもせずに、街に出たのだ。私はその意味では「パイオニア」になる事も出来るのである。

 過去のお袋やオヤジのようにとうとう私もなってしまった。子供の頃の私はそんな二人を少し軽蔑していたかも知れなかったが、今ではその当人が同じ穴のムジナになってしまった。娘達は二人とも結婚して外に暮らしている。彼女たちが子どもの時は私も軽蔑されたくなかっただろうから、身なりも周りを非常に意識していたのかも知れなかった。しかし・・・思うのだが、娘達が幼かった頃から今の自分のような気持ちになれていたなら、又違った家庭の雰囲気が出来上がっていたかも知れない。そしてそれはもしかしたら一段優れた空気の家族になっていたのかも知れないなどと思う始末である。

 ショッピングセンターでは本当にリラックスできたと思う。もちろんこの年齢のオヤジでランニング一丁の格好をした者はいなかった。皆さんヨソ行きである。それは結構なことであるが、たまには私のようにざっくばらんで町を歩いても良さそうではないだろうか。こういう精神には今流行の「うつ」等、入り込む隙間もないだろう。

【本日の食事】
昼ごはんは海水浴場で食べた。持参のもの。クルミロールパン2個 寿司1個 レタス少々 魚肉ソーセージ1本 板天ぷら2枚 ゴボウサラダ1パック カニクリームコロッケ1個 納豆1 素焼きアーモンド8個 
夜はオヤツとしてのぜんざい1杯 以上である。 


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●1日1食 57日目

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07月14日

起床時刻:03時12分

 就寝午後11時頃。途中覚醒確か一度程度あり。と言うのも、泊まりに来ていた長女の声でぼんやりと覚えている程度だからだ。いつものようにはっきりとした目覚めではなかった。ほぼ一気に本日の起床時刻まで寝られたという事になる。一気に4時間と少しの睡眠を得られたという事になる。


 自転車に乗っているとたまに警察官に声をかけられたりする。これはとても恥ずかしいし屈辱的な気分になる。つまり自分が「不審者」と警官に判断されたと思うからだ。実際悪い事はしていなく、堂々としていれば良いのだがそれでも良い気分はしない。平日の昼間、いい歳をしたオッサンがチャリンコでフゥラフゥラと散歩する姿はある意味確かに尋常ではないのかも知れない。

 と言っても、最近はあまりそういう機会もなくなっている。逆に自転車で走行中にパトカーと遭遇等すると「おい、今だよ、声をかけてくれよ、呼び止めてくれよ」等と大胆な事を考えたりする自分を発見する。精神的なものが変わればその発想も随分と変わるものである。しかしあまり芳しくない精神状態の時であればほぼ確実に警察に声をかけられるものである。そういう時「あ、やっぱり」等と心で舌打ちする。

 で、大体警察官は「現在自転車の盗難防止キャンペーンですから」とか「多くの人に声をかけてますから」等と「慰めて」くれるが、やはり声をかけられたときのショックは大きいものである。往来での警官とのやり取りはやはり恥ずかしいものであり、格好の良いものではない。

 以前卒業した高校の同窓会の役員会があり、同じテーブルの席で現在母校の事務長をしているという同年代の男性とお酒を交わしながら歓談した時にこの話題に触れた事があった。私が酔いに任せてこの恥ずかしい体験談を話すと何と彼も同様の体験をしていたというではないか。これは面白いとばかりに私も興味津々となり彼の話に耳を傾けた。

 相手は天下の公務員であり、ある程度の地位の持ち主である。その彼が私と同様に警官に不審者に間違われた事があるのである。これが嬉しいことでなくて何であろうか(笑)。そういう意味では警官も目の節穴の持ち主ではある(笑)。しかしよく聞いていると私と彼との大きな相違点が見つかった。私はこれには少し驚き随分と納得させてもらった。そして思い込みの大きさと言うのも実感した。

 何が彼と私と違っているのか・・・。警官に呼び止められ路上で職質を受けた事には両者変わりはない。だがその受けた方の受け止め方に大きな差があったのである。私はてっきり警官からの職質等受ける事は大いに恥ずかしい事であり、屈辱的なことであるものと決め付けていた。が、それは全く一方的な私の思い込みであったかも知れないのだ。

 私は警官に呼び止められる事が「自分が不審者に思われた」ということで、自分を情けなく感じたという事だ。しかし彼は、母校で事務長を務めている彼は全くそのような感想等持たないで私であれば思いもつかないような感想を持ったというのだ。それは・・「警官たちは常に自分達の安全に留意していてくれているのだ」と思ったというのである。なるほど、見事に、公務員的な発想であることよ・・。

 彼は子供の頃からずっと優等生であったかも知れない。親にとっては良い意味で「良い子ちゃん」であっただろう。そして自分を取り巻く大人たちは皆愛を持って自分を守ってくれる存在と思っていたのだろう。それとは逆に私などは大人は私を叱る存在、注意する存在、私の自由を縛る存在、罰を与える存在と考えていたのであろう。それがずっと大人になるまで尾を引いているのである。

 この差で私と彼は同じことを体験したにも関わらず違う感想を持っていたのである。そして私は彼の言葉を聞き、ある意味ホッとしたところもあった。しかし冷静に考えれば私の感覚のほうが彼より現実味があり、真実味があるのではないかと思っているのである。現実的には警官は私に対して不審者と感じたという事である。しかし事務長には確かに「安全を考えていた」のかも知れない。自分が考えている事を相手も反映しているというのはアインシュタインの相対性理論でも分かるとおり真実なのである。

 だからと言って私は今でもやはり同じようにその警官たちの行為をとらえている。彼らは不審だと感じた者に声をかけているのだ。不審者への職質である。事務長が言うような警官等ある意味稀ではないかと想像する。しかしいない訳ではないだろう。私たちはその会合でその話題で大いに盛り上がり、両者の環境の違いや生い立ちの違いにそれぞれが興味も盛り上がって楽しく時を過ごしたものだ。

 私たちの会話をそばで興味深く聞いていた一人の女性がいた。彼女も母校で現在教師の助手を務めている者だった。その若い女性は私のある意味自虐的な発想に関心を寄せてくれ面白そうに私たちの会話に参加してくれていた。私は最後に彼女に言ったものである。「不思議な事に精神的に良好な時には警官に声をかけられる事はないのです。大体不調な時に限ってそういう事にぶつかるんですよ」と。

 そうなのだ。テンションも高く、元気一杯の時には不思議に職質等受けない。その時の格好がどんなにラフで、いわゆる「不審者」っぽくあってもである。しかしあまりよろしくない状態の時には彼らに声をかけられる。パトカーとすれ違った時に「あ、来るな」と感じた時は先ず間違いない。「はい、そこの自転車の人、停まってください」である。

 そして、面白い事に自分が調子が良く、やる気満々の時にはこうも思ってしまうのだ。「おい、パトカー、俺を呼び止めてくれよ」等と大胆な事を考えてしまうのである。職質でしばしの間彼らとやり取りしたら面白いなと思ってしまう。一体自分は彼らとどういうやり取りをするのだろう・・等と不埒な事を考えてしまうのだ。ある意味何回か経験した嫌な思い出としての彼らとのやり取りに対して「復讐」してやろうという思いがどこかにあるのかも知れない。そういう意味ではそれほど職質は私にとっては「屈辱的でショック」な出来事なのであろう。

 私はこういう自分の独特な感覚を彼女に強く説明し熱弁した。彼女も幾分興味深そうに聞いてくれた。既に事務長は他の人間と盛り上がり好い気になって酔っていた。先ほどの私との会話等忘れているかのように。

 しかし2ヶ月近く「上機嫌」な状態が続いている私であるが、今のところ自転車での散策は以前のようにあるのだが、「職質」にはトンとご縁が無くなった。人間の精神状態とか思考がその個人の環境を創り上げたり、それに似合った事件に遭遇するというのはまさしく真実であるのだ。


【本日の食事】
クルミのロールパン2個 タマネギと魚肉ソーセージの煮物 野菜とエビのかき揚 コロッケそれぞれ1個ずつ 冷奴少し レタス少々 締めとして素焼きのアーモンド8個程度←晩ご飯として 昼はオヤツとしてのぜんざい1杯 以上である。 


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07月13日

起床時刻:04時03分

 就寝午後11時。出張先。途中事務所に間違い電話が入る。同僚が出る。午前2時頃だった。この時点で睡眠は3時間。ということは私の意識は意外にはっきりしている。ただ係りの関係上同僚が電話に出るのだが、着信音が何回か部屋に響いた。私もさすがに初めは何の音だろう、等と思っていた。何回目かに同僚が出た。寝る前に自分はしっかりと睡眠を取る方だと言っていた矢先の話。しかしよく電話に出たと思う。間違い電話だったと分かった後、受話器を下ろし、ベッドに再びついた同僚は口を開いて言った。その電話の相手に対しての不満・文句。まあ、それは当たり前の話かもしれない。

 その相手とはどちらかと言えば、全く他人・不特定多数の人間でもなく、我々にとってはお客さん的立場の人である。しかし同僚はしばらく憤懣収まらぬという感じでその間違い電話の主に対して自分の感情をぶつけていた。私がさすがに「そんなもんですよ」と何度も慰めたが、それでも当分収まらない様子だった。彼の気性からすれば当然かも知れなかったが。

 「こういう時は素直に自分の間違いに対しての非礼を詫びるのが社会人としての義務、務めだ」と彼は訴えた。社会人としての…というフレーズが彼の口癖でもある。私はそれに対して「しかしそんな人種は現在では稀ですよ」と答えた。彼は「自分ならそうする」とそれでも私の意見に対応する。「それはあなたが上級の人間だからですよ」とやんわり褒めても彼の感情はまだ落ち着かないようだった。「特に若者はその辺りが未熟ですよ」と私。「あなたが若い時でもそれが出来るのならそれはあなたが優れている証拠。逆に自分を褒めてやってもいい。」とまで私は彼に言った。とにかく彼の怒りを治め、逆に彼自身の長所に気づかせたいとも思ったのだ。

 そうこうする内に、私も彼も再び眠りに入っていったようだが。実は昨夜その彼と少し口論してしまった。私とすればあまりないことであり、彼も同僚とはあまりなかったことだろう。イジメの事でそういうことになったのだが、率直に意見をぶつけ合い、その時は若干両者が気まずい雰囲気になってしまったのだが、少し時を置き、冷静になった後二人は以前よりも増して良い関係になったと自負しての就寝だった。そして再びその間違い電話であった。だから今度は彼も私の言葉に対して強い反発はなかったようであった。以前の私なら彼に対してそこまで言わなかったし、言えなかった。「悟りを得、悟りが深まるとともに、その人の人間関係は劇的に変わる。ぬるま湯的人間関係は精神的関係へと成長していく」とアメリカの啓蒙家Wダイヤーは言っている。

【午前更新】
 市内で中学3年生の男子が自殺するという事件が9日あった。イジメが原因とされる。しかし関係者が不思議がるのは、最近の彼の様子は以前に比べて随分改善されていたという点だ。と言うのは、イジメ自体があったのは彼が1年生の時。しかもそれは前の学校でのこと。イジメを避け、転校した後は人間関係も良好に見られたようだ。まあ、転校先の教師等も悪く言えば腫れ物に触るような感覚で彼と接触していたものかも知れない。

 彼は問題のあった学校を出て、市が主宰するそういう子供たちをまとめて教育する特別教室にしばらく移ったようである。そして落ち着いた後、現在の学校に転入したのだろう。そこではクラブ活動にも取り組み、新入生の勧誘にも活動していたという。だから一見誰が見てもそこにはもはやイジメは無かったように見えたのかも知れない。

 だが・・皮相的な現在の教育界では奥の奥の隠された部分は見えないだろうと思う。イジメは確実にある。イジメが無い世界などという方が無いものである。しかも学校だけではなく、職場でも家庭でもその辺の公園でもどこでもある。どこでも転がっている。この世は阿修羅餓鬼の世界だからだ。

 いじめる方といじめられる方・・いつも議論になるのはいじめられる方にも責任がある・・ということだ。一般的に考えればいじめる方が悪い・・というのが本筋だ。いじめる方がいなければいじめられる事も無いからだ。先ずはいじめる方ありきである。しかしいじめる方といじめられる方は分かりやすく言えば同じ次元でものを言っているのである。同じ世界に住む住人なのである。だからイジメから問題を解決しようと思えば簡単な事であり、それはそういう世界から抜け出る事に尽きるのだ。

 そういう世界から超越するのだ。ポーンと上に飛び出すのだ。そうすればそこには別の世界がある。ただ面白い事に今度の新しい世界にもイジメがあるかも知れない。いや、正確に言えば、阿修羅餓鬼の世界から抜け出た人が再び新しい人間に生まれ変わった状態で元の世界に戻った時、現実的にはイジメの世界はあるままなのだが、新しく生まれ変わった人にとっては「イジメ」は「ゲーム」に転換されている。

 そして新生した人間にとって「イジメ」は自分をより成長させてくれるネタになる。そのネタはとても面白く楽しく飽きさせない。生まれ変われない人間にとってのみイジメは辛く苦しく哀しいネタとなるのである。そして生まれ変われる事をしらないまま時に人は死を選んだりする。するとその関係者は自分を責めたりしてまたまた苦しむ。今回のケースでは両親やイジメた同級生達、教師等である。皆内心自分に責任があるのかも知れないと思い悩む。人は根本的に優しいのである。

 つまり阿修羅餓鬼の世界の住人は全てを暗く考える。明るく自由な思想とは無縁であり、そんな事等微塵も思いつかない。発想が一方通行であり、360度、パノラマ的に考えられない。

 さて、それではこの事件。転校先の同級生、教師の中にはイジメは無かったのか・・。多くの関係者の間ではそれは無かったと言う。だから転校後の彼は普通に過ごしていたという。が、彼の内心は誰にも分からない。逆に以前の学校の時よりもまだその心の闇は深くなっていたのかも知れない。表面的には普通に見えて内面が深い闇という方が、最初の学校の時の表に現れていた頃よりももっとたちが悪いのかもしれない。着実に彼の心の闇は以前より増して育っていたのである。しかしこんな事、現実社会では誰も言わない。指摘しない。みんな自分が可愛いし、そんな深遠な世界の事は分からない、見えない。

 イジメを無くす事はできない。挨拶運動、心理カウンセラーの校内導入・・・色々な手法が教育界で取られている様だが、イジメは無くならない。一人ひとりがこの世界から抜け出て新しく生まれ変わらなければ、本当の「愛の世界」は実現しないと思う。しかし・・・前にも書いたが、一人が新しく生まれ変わってこの阿修羅餓鬼の世界で生きていけば徐々にその影響で変わる事もある。しかもその新生した人間にとって、この阿修羅餓鬼の世界は面白い。退屈させない。飽きさせない。テレビなんかよりずっと面白いものだ。釈迦や仏陀は毎日きっと楽しく生きていたのだろうと思う。イジメは面白いのだ。

 よく不登校児童に対して学校を否定する考え方がある。ただ不登校を悲しむより前向きに考えようとするグループの思想であるが、これなんか決して根本的な解決策なんかではない。家庭で教育したり、フリースクールを提唱したりする。学校の教育を否定するのだ。もうこうなると開き直りである。今回の事件のお父さんも記事によれば「無理やり学校に行かせようとするのではなかったのかも知れない」と述べているが、つまり自宅で保護するというものだ。まあ一時期はこれでも良いのかも知れないが。

 が、何度も言うが、根本的な解決は新しく生まれ変わるという事だ。新しく生まれ変わった人間は同じイジメにあっても、それが苦にならないのだ。楽しく感じたりする。逆にいじめる方にも回ったりする。しかし陰湿にいじめるのではなく、明るくいじめる。芸人同志が「イジル」と言っているあれである。こうすればいじめられる方も一瞬怒ったりするが中にこもらない。いじめた方に向かって攻撃する。いじめた方に余裕があり、明るいし、笑顔だったりするから、遠慮なく攻撃できるのだ。そういった関係はホンネをぶつけ合えるから暗くならないし両者の関係を良好に転換する。良い関係になる。つまり、イジメもまた楽し・・・である。

 そしてイジメが辛いと不登校に逃げ込み、引きこもりになる。これも一時的な緊急避難としては良いかもしれないが、イジメを自分を新しく生まれ変われるチャンス、契機としてとらえればいいのだ。とても辛いかも知れないが、それをグッと押し留まって、踏ん張るのだ。人間は神の子である。以前テレビでもてはやされた「神の子キッド」のような格闘技者だけが神の子ではなく、人間は誰もが皆神の子である。キリストだけが神の子ではなく、釈迦だけが仏の子ではない。人間は本来皆神の子である。イジメを苦にして死ぬような弱い存在ではない。無限の強さを持つ神の子である。神の子が分かりにくければ神そのものと言っても過言ではないのかも知れない。

 それでは普通の人間が神の子に戻れる方法は・・?と言えば、それは人それぞれで違うのかも知れない。が、とにかく強く求める事だ。途中で諦めないで、求めて求めて求めぬけ。聖書には「求めよ、さらば開かれん」とある。求めれば必ず神が応えてくれるはずだ。新生したら目の前の世界が一変するはずだ。諦めてはいけない。.


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07月12日(金)

起床時刻:01時10分

 就寝午後10時20分過ぎ。本日は珍しく最初の目覚めで同時に起床する。睡眠時間は3時間も満たない。いつもなら寝ていたはずである。しかし不思議に今日は起きようと思い、そのまま起きてしまった。いや、いつもそう思うのは思うのだが、つい寝てしまうのだ。実際直ぐに寝られるから寝ていたのだが。しかし今日は何となく体が起き上がってしまった。そうは言ってもどこか迷いは確かにあった。「まだ早い・・」。早いというのは睡眠時間が短くて時刻が早いと言う意味ではなく、自分はまだそこの境地(?)に達していないという意味である。増してや今の自分は毎日が充分充実している。何もそんなに無理してまで起きることも無いのだ。5時間6時間の睡眠でも充分毎日楽しくやっているのである。それならそれで良いはずであるが。しかし私はそれでも不思議にスッと起きてしまった。

 正確に記す。もう一つのブログに写真込みでアップしその作業を含め起床後約1時間半費やした。そして今日は出張日でもあるからやはり少し寝ておこうと思った。で、もう一度寝床についた。寝られるのかな・・と思った。ま、寝られなければ本当に睡眠は充分なのだから、それで良しとしようとも思ったがいつの間にか寝ていた。そして一時間半後目覚めた。もちろん直ぐに起床。結局分割睡眠を使ってトータル4時間半弱の睡眠時間となり、大体いつものペースであった。よし、いくぞう!・・・演歌歌手の名前でもあるな♪

 気づいたことがあるので記す。昨日と今日、続いて排便アリ。朝から汚い話で申し訳ないが、私にとっては大切な事。実は1日1食を始めて50日以上経つがやはりそういう所が変調はあった。ただこれは致し方ない。実際1日に一度しか食べなければ排便そのものも少なくなるのが物理学的・科学的には当然だ。だからそんなに心配はしていないのだが、やはり私の目指すべきはそんな常識の世界、範疇ではない。そんなものを超えたところだ。1日1食でも毎日排便がある。はずだ。と言うのが私の理想(大仰な表現かも知れませんが)なのだ。それがまだわずか二日目だけれども、現在進行中だ。これはやはり嬉しい。ただ前述したように、無くても良いのだ。それが常識だからだ。まずいのは、1日食べたいだけ食べるような人がそれでも排便が無く、長い便秘である・・というのはまずいような気がする。

 それとそういう排便状況と相まって、眠気自体も変わりつつあるのを感じている。昨日など勤務明けで午前3時半頃に起きたにも拘らず、1日眠気らしいものはほとんど感じなかった。夜、9時を過ぎてもその状態は続き、内心逆に心配でもあった。あれー、俺って眠くならない・・・という心配である。が、まあ、それも杞憂であり、実際午後10時を過ぎた辺りで眠気がやって来てすぐに寝たわけである。しかしこの日中、少ない睡眠時間にも関わらず、あまり眠気を催さないというのはこれもまた嬉しいものだ。以前は睡眠が少ない時は日中眠気がやたら続いたものだった。体と心がその気になりつつある。

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07月11日(木)

起床時刻:03時39分

 就寝午後11時。出張先。途中覚醒は2時間後の午前0時頃。しかしすぐに再び寝る。そして本日の起床時刻。途中覚醒が少ないのは多分昨日一日10分程度の軽い仮眠のみで一日動いたからだと思う。しかもお昼。残りはずっと目覚めていた。出張先だからそうなる。だから就寝時刻の午後11時前頃には何度もあくびを繰り返していた。自宅ではこうはいかない。少しでも眠くなれば素直に寝るからだ。しかしいずれにしても睡眠は得られる。どちらも良いものである。今はそう思う。


 「傷追い人」という漫画がかつてあった。小池一夫さんの原作で、絵は池上遼一さんだ。名コンビによる名作だ。たまたま手に入った単行本で懐かしく読んだが、以前読んだ時とは明らかに違った印象を受けた。これは最近の私にはとても頻繁に起こる現象である。漫画と言っても馬鹿にはならないなと感心した。さすが小池一夫さんである。

 主人公は愛する恋人を何者かに殺される。そこから物語が始まるのだが一般的な復讐ものとは違いその主人公の復讐への徹底した思いが胸を打つ。復讐というものは一般的に悪い事、マイナスなイメージであるが、この場合は少し次元が違っているように感じる。自分というものをどこかに置いて無私の精神で復讐の対象へ立ち向かう。ある種の清々しさもあるところが小池さんの真骨頂であり、女性への限りない優しさはいつもの定番である。

 数多くの難敵を倒しいよいよ最後の刺客達と相対する主人公だが、その最強の刺客達をさえ畏敬の念を持たざるおえないまでにする強烈な主人公の信念に私は胸が熱くなった。そしていよいよエピローグである。その刺客達から本当の求めていた復讐のターゲットの姿が明らかにされる。そしてそれはもう既に存在するものではなく、あるいは、巨大な国家を意味するものであった。主人公の目的を失った喪失感・・・しかし新たな目的を己の中にもう一度見つけようとアメリカのスラム街に一人入る主人公。そこでは犯罪者、精神病者などの巣窟であった。

 ただ生きるだけの彼ら、無目的で、食べるだけが目的の彼らの中に入ってギリギリまで生きて新たな目的を見つけようとする主人公。私は思わず現在の自分にその主人公を重ね合わせた。彼はスラムの中にある浮浪者用の施設に入り込み六日間の断食に入る。一切の食べ物飲み物を拒む事で逆に食べる事だけが目的の浮浪者達の中に混じる事でもう一度目的を見つけようとするのである。

 私もこれとはスケールは違うのだか、近いものがあるのかも知れない。食べない事は己の我を捨て去るのに的確な作業である。何故なら食欲こそ人間が持つ最強の本能だと思うからだ。作中の浮浪者の一人もそんな事を言って主人公の断食を脅威の目で見、または恐怖し畏怖している。

 一週間後、主人公はそのスラムから出てくる。待ち受ける彼の仲間達。彼の目には新たな目的を持った証しとしての輝く光が宿っていた。


【午後更新】
 ニュースを見ると又イジメである。男子中学生がイジメを苦に飛び降り自殺とあった。まことに残念な話である。死んだ本人も悔しいだろうが、イジメた方も嫌だろう。もしかしたら死んだ本人よりも苦しむかも知れない。そして死んだ子の親だ。先ず親は自分を責める。表向きは学校や教師、そしていじめた同級生。彼ら皆責めるだろう。しかし本心は自分を責める。自分の接し方とか育て方とか。色々苦しむだろう。そういう点で見ればイジメを苦に自殺というのは全て皆不幸に落とす。最悪のシナリオだ。

 とにかくこの事件に関わった全ての人が苦しむ。懺悔する。負の連鎖である。ろくなことは無い。さて、暗い話ばかりしていてもしようがない。明るく行こう!えー、こんな話どこに明るさがあるかって?そりゃあ明るさなんてありませんよ。しかしね、よく考えてみてくださいよ。一体誰が悪いのか、誰に責任があるのか。

 一般的にはいじめた方ですよね。それは当たり前なのかも知れない。それでは一体誰がそのいじめた方を裁けますか?貴方は今まで生きてきて誰もいじめた事はありませんか?キリストも同じような事を言いました。売春婦を責める聴衆に向っていいました。泥棒を責める聴衆に向って言いました。「一体この中で誰が今まで一度も罪を犯した事がないのか、もしいれば出てきなさい」と。結局誰もいませんでした。

 私はいまだにイジメをしています。その時は分からないのですが、後になって分かる時があります。それは相手の反応によってです。私の言動によって相手が怒ったりすると後で振り返ってみて分かります。あー、俺はあの時イジメをしたんだと。

 でも私の場合は救いがあります。と言うのは、相手が直ぐにその場で私に向って怒るからです。私には遠慮なく怒れるようです。これは私の人徳(笑)。だから多分後を引かない。事件になるのはきっとその時はいじめられた方がグッと我慢するんでしょうね。言い返せないんでしょう。では何故言い返せないのか・・。そこにポイントがあるような気がします。

 それはきっといじめられる方にも問題があるからです。いじめられる方にも原因があるからいじめられる。いじめられる方もそれを何となく分かっているからストレートには言い返せない負い目がある。いじめる方は何も無しにいじめないものだと思います。

 それでは一体いじめられる方にどのような問題があるのでしょう。多分・・・私の経験では相手は生意気なんです。偉そうにしたりね。実力も無いくせに偉そうにしたり。見栄を張ったり。目立ちたがったり。謙虚じゃない。だからいじめる方はちょっと「イラ」っとするんです。で、いじめる。私など回りくどくからかったりしてね。それで相手は怒るようです。まあ、心が狭いんです、元々。見栄張りだから。すぐに怒る。でもまあ、そのお陰で私の場合は後を引かない。私の場合は怒られてもワハハと大声で笑って済ます。相手は私以上に私に攻撃しますから後は引かない。

 しかし私の場合とは違って多くの場合こういう具合には行かない。陰湿です。その場で我慢。そして積み重なっていく。負のエネルギーが溜まった時爆発するんですね、きっと。弱い者と弱い者がぶつかる。お互い弱いから悲劇になっていく。まるで国と国の問題のようです。強い国はいじめたりいじめられたり慣れっこになっています。鷹揚なもんです。「いっちょ、ドーンと来ーい」くらいな気分でやってます。

 こういう話をしていたら妻が突然私に言いました。テレビの報道番組でテリー伊藤と加藤浩二が出ているヤツですが、その加藤さんが「イジメは楽しい」と言ってたよって言うんです。私がそれより前に妻に「イジメも楽しいんだよ」と言った後です。こんな事言ったら顰蹙ものですが、実際「イジメは楽しい」。

 今の時代、誰も個人主義になっちゃって、誰にも干渉しなくなりました。無視。隣の人の事なんか知らないよ・・という感じです。人情紙風船。だから私から言わせればイジメをして来る人なんて希少です。こんな自分にちょっかい出してくるのですから。相手をしてくれるのですから。でもここで問題。世間ではテレビ新聞でイジメは悪いの合唱です。親も学校の先生もイジメは悪い。子供たちの頭の中ではイジメは完全な「悪」としてイメージされています。

 だからある日突然自分に向けられたちょっかいがイジメに映り、イジメは悪いものだと思うから、そういう悪いものを自分に投げかけてくる者が許せない。そしてそんな自分が情けなく感じる。これら一連の流れは根本的にいじめられる方が弱いからです。もし彼が強ければ全てが逆に転換されます。逆に感じられるのです。だから自然と楽しくなるのです。

 イジメを面白がるような子に育てれば良いのです。それは先ずは母親がそういう人間になる事です。母親がそうなるには父親がそうであらねばならない。「イジメって面白いんだよ」って余裕で面白そうに言ってやれる親になればいいのです。それを子供がいじめられれば「キー」となって取り乱したりする。そんな親には子供も自分がいじめられているなんて、とてもじゃないが言えません。

 生意気なヤツをいじめる。すると相手は怒る。怒るようにしなければいけない。我慢されるようなイジメはへたくそです。相手とのそういうやり取りが楽しい。そうする内に、相手と良い関係になる時が来るかも知れません。家族以外でホンネをぶつけ合うんですから。だからイジメは楽しいんです。子供にそう言ってやれる親になりましょうよ。

 そのうち・・・飽きてくるような気もします。生意気な相手をいじめても面白くないやって。めんどくさいし。生意気なヤツは生意気なままでそっとして置きましょう。でもたまには良いかな・・(笑)。あっさりした付き合い、そのくせ、深い付き合い、そんな人間関係がその先に待っているかも知れません。




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07月10日(水)

起床時刻:04時18分

 就寝午後9時過ぎ。随分早目の就寝だった。とにかく眠気が襲い、しかも最近の私は午後9時以降はテレビに対してそれほど以前のような興味が失せている。すんなりとスィッチを切る。しかしその後ホントに数多く目覚めた。1時間後1時間半後くらいの間隔で目覚めたのかも知れないし、意外に長い時間の感覚で目覚めたのかも分からないが、とにかく目覚めと入眠を繰り返した。それでも以前の私のようにそれを悪い方に解釈しないから何とも無い。これは頭でそう思おうとしている訳でもなく、全く自然にそう思えるのである。しかし結果的に随分長い時間眠った事になった。睡眠時間は7時間。ここ最近では最長記録である。とにかく昨日・今日の私にとって必要な時間だったのだろう。たまには良い。


 昨日は一日仕事はオフであり、しかしいつもと同じような時刻に起き、いつもと同じように食事し、いつもよりも家の仕事に精出した一日だった。
先ず午前3時半起床。夜中に例によって何回か目覚めたが、そういうものは気にしなく、逆に私はそれを楽しむ。夜中に目覚めて色々と思ったり考えたりするのは中々面白くもある。思い切ってそのまま起きても良いのだが現在の私はそれほど熱中したい事が残念だが無い。だから目覚めてもその都度寝る。もっとも、すぐに寝られるのだ。

 午前4時に月に一度の燃えないゴミの収集の為、その収集場にゴミを持ち運ぶ。少し多目にあるので車に積む。もちろん私の他まだ誰も来ていない。が、ゴミ自体はいくらか置かれていた。サッサと済ませ、帰宅。そしてコーヒータイムだ。ここでしばらく落ち着く。朝刊は残念だがまだ来ない。我が家には大体午前5時前頃に届けられる。

 ブログを書き、朝刊など読んで午前6時前。自宅の玄関前の雑草が若干伸びているので除草。徹底的にやる。気温はまだそんなに高くも無いので体を動かしても汗は出ない。と言うよりも、非常に快適でさえあった。気になっているところがきれいになっていくのは気持ちのいいものだ。

 以前のように朝ごはんを食べないので時間はたっぷりある。三度三度の食事の支度や食事の時間そのものを考えると一日の意外に多くの時間を食事に費やしているのが分かる。午前7時過ぎから先週借りていたDVDの1本を視る。2時間のアメリカ映画だ。迫力あるシーンの連続で朝からテンションも上がる。

 昼前、自転車で散歩。日差しも強まり気温も上がっていたのでキャップをかぶり、悠々と走る。途中ユニクロに立寄ろうと思ったが、まだ開店準備中。その近くにある書店に入り、見たかった本を探すがここにも無い。市内では結局どこにも無い。

 途中コープにより、血圧を測ってみる。自転車に乗っていた為か少し高かった。136。しかしこの値は私の年齢であれば低い方であり、大体30代の値である。現在取り組んでいる食生活法が効いていると思う。
 帰宅後昼ご飯。というか、私は現在一日一食なので、厳密にはオヤツ程度をいただく。熱々のぜんざいをお椀に一杯だ。これはほぼ毎日いただく。

 昼からはテレビを見たり、本を読んだり、そして又出かけた。今度は車である。妻は長女と買い物に出かけたので珍しく一人で出かけた。近所のショッピングセンターである。ここで1時間程度ウォーキングを兼ねて色々店内を散策。セール期間中で中々楽しいものだった。

 帰宅後、気になっていた自宅倉庫の片付け。蚊取り線香を焚き、汗を流す。やる前までは中々その気にならないが、やり出すとノッてくる。そうこうしている内に夕方近くとなった。妻から電話。長女と晩ご飯は外食して帰るとの事。それではと自分一人で食べる事にした。この日最初の食事であり、最後の食事でもある。

 チーズトーストを主食に、野菜の煮物、サラダを食べる。トウモロコシも小さいのを一つ。デザートとしてソイジョイを1本とナッツ少々。これで終わりである。自宅での食事は至ってシンプル。多分私の一日の摂取カロリーは1000㌔㌍に満たないかも知れない。

 テレビで大相撲を見終わり階下に降りてこの日最後のブログを更新。目覚めて既に15時間以上が経過していた。普通ならあと3時間で寝なければならないだろう。風呂にでも入り、しばしテレビ等も視よう!妻はまだ帰らなかったが、久しぶりの一人きりのオフだった。これも又よし♪


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07月09日(火)

起床時刻:03時30分

 就寝午後10時過ぎ。途中何度か目覚める。いつものパターン。午前1時台に一度目覚めた時は睡眠時間も3時間程度で起きても良いかなと思ったがその内寝てしまっていた。結局睡眠時間は5時間半弱。最近は勤務明けとかそうでない時でも日中はほとんど仮眠は取らず、眠くならない。が、夕方以降眠くなり仮眠等も取る場合がある。


 私には今年85歳になる義母がいる。つまり私の妻の母親の事だ。現在その義母は九州は阿蘇に住んでいる。長男夫婦と同居して今は悠々自適の毎日らしい。私が妻と結婚した頃はまだ50代でちょうど今の私より少し若かった頃だろう。若くして亡くなった夫の跡を継いである店を経営していた。従業員数人を抱えるいわば零細企業の経営者である。

 その義母と私の妻は毎日携帯電話で会話を楽しんでいるようだ。その義母が最近は少し元気も無くなり、二言目には「もうこの歳だからそんなに頑張る事もない」等と、あの義母にはあまり似つかわしくない事を言っているそうだ。以前は中々の女傑で、私は密かに彼女は私の永遠のライバルだ・・等と勝手に決め付けていた時期もあったものである。

 妻はそんな母親の気弱になった事を少し心配している様子である。だから私は妻に言ってやった。「この世の事だけで人生というものをとらえているから、そんな年齢でまさに人生のゴールを迎えるような事を言うんだよ」と。そうなのである。たとえ80歳、90歳、果ては100歳を過ぎても人間にゴールはないのである。人生は永遠の旅なのだ。

 魂は永遠である。終わりはないのだ。それなのにこの世だけで勝手に自分で自分の命の計算をしていると、死んだ後、つまり、あの世にすんなりと行けない事になってしまう事もある。それはこの世に留まり、自分が死んだ事も分からず、この世にしがみつく「自縛霊」や「浮遊霊」となってしまうのである。頭ではこの世とかあの世の存在を何となく理解している人でも心から信じる事が出来ないような場合、そういう不成仏霊となっていつまでもいつまでもこの世をさ迷い続ける事になるのである。

 だから決して自分勝手にゴールなど決め付けないで、魂の修行は永遠に続くのであるから、たゆまぬ努力と精進は必要なのである。これで完成とか、これで充分などというものは絶対無いはずである。限りなく私たちは神に近づく旅の途中なのである。もっと上が、今よりももっと上の世界が、上の楽しさ、心地よさ、快楽、喜びが私たちには用意されているのである。まだまだ上があるのである。


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07月08日(月)

起床時刻:03時40分

 就寝午後11時。出張先。途中一度目覚める。午前1時頃。中々面白い夢を見た。具体的にはもうあいまいだが、将来の夢とか仕事とか、そんな感じの内容で、今からの自分の将来を暗示しているかのような、そんな夢だった。そして本日の起床時刻。くっきりと目覚めた。まさに、くっきりとという副詞がピッタリの目覚めだった。睡眠時間は4時間30分。ちょうど良い。

 昨日は出張で食事はしかしいつもの通り。昼は一人で食べるのでぜんざい一杯。オヤツ程度だ。晩御飯は同僚と食べる。家から持参の特製弁当。先ず炭水化物。フランスパンのバケット。ヤマザキ製パンで1個100円程度のものの半分弱。しかしそれも少し残した。副食はカボチャと野菜天の煮物。それにベビーハム半分を焼いたもの。ナッツ少々、バナナ1本。これで終わりだ。前回の一日一食では本当に大量に食べていた。一日にわずか一度しか食べないからというある種の欲、不安感、恐怖心の為か、とにかく色々なものをたくさん食べていた。しかもいくらでもお腹に入れるような気もしていた。しかし今回の一日一食ではそれは止めた。一度に食べる量としては、一日三食の人たちが朝・昼・晩とそれぞれ食べる一回分の量よりも多分少ないのではないかと思う。それで良いのだ。何故なら、食後、充分この量でも満たされるからである。胃というものは伸縮自在なのだ。

 私の同僚に七十を越えたばかりの男がいるのだが、ここ数日めっきり元気がなくなった。と、私には感じている。とにかく大人しくなったし、声が細くなった。老人特有の声の細さである。動きにもかつての精彩がない。しかしその事は他の同僚達には敢えて言わずにいた。言葉や思念には力があるので、余計な事は言わない方が良いだろうと思っていたからだ。

 が、たまたま本日、別の同僚と勤務になり、たまたま彼の話になった。彼が一時メタボを気にし、食事の量を減らしていたのだが、掛かり付けの医者にそれを否定され、現在も充分スリムなのだから、もっとたくさん食べなさいと言われたらしいのだ。そして一頃流行っていた一日一食を推奨する南雲ドクターの本にも興味を持っていた彼ではあったが、結局現実の目の前の医師の忠告に従ったのだと思う。

 しかし私に言わせれば、以前の彼、つまりメタボを気にしていた彼も、南雲ドクターの本に興味を持っていた彼も私から見れば、その年齢にしたらよく食べるなあと思っていたものである。特に間食が目についていたものである。
 そして掛かり付けの医者からのアドバイザーである。多分それからの彼は更に食事量を増やして行ったのだろうと思う。そしてこれは私の直感的推量ではあるが、彼のここ最近の衰え、元気の無さ、声の衰弱などはその食事量の増加にあるのかも知れないなと思ったのである。

 適度な食事量なら良いのである。何も誰もが一日一食をやる事はない。ただ歳を取れば取るほど体力は衰えるのでそれを食物で補うという考え方が問題ではないかと思うのだ。人間は機械ではない。多くのエネルギーを注入すればそれだけ動きが滑らかになるという物質的なものでは決して無い。人間は神が創造したもので、神秘的な存在なのだ。ただし彼が潜在意識の底の底からその医者の言うことを信じていれば健康になったかも知れないが、彼自身の心はどこかでそれを否定していたのだと思う。

 人間は自身が強く思うことがこの世の現象として現れる。イメージトレーニングと言うものはもともとここから来ているのだ。物質の力で生きるのが人間ではなく、人間は「気力」で生きる生き物である。精神の生き物なのだ。

 第二次世界大戦の時、物量で勝るアメリカに対して日本はこの精神力で立ち向かおうとしたが、やはり物質の力には勝てなかった。だから、人間は物質の力が基本である。というようなことは嘘である。当時のアメリカ人の精神力が素晴らしかったのだ。日本人は一部にはその真理を修得していた者もあっただろうが、多くは国家からのお仕着せだっただろう。多くの日本人が本当に心から精神の力の偉大さを信じていればあるいは戦争に勝っていたかもしれない。しかし当時の日本は連戦連勝で浮かれており、実際に厳しい戦いに勝って行ったのは明治の人たちだった。当時の日本人はその遺産の上に胡坐をかいていた「金持ちのお坊ちゃん」達だったかもしれない。

 かたや、アメリカという国は貧しい移民たちが何もない荒野から全てを切り開いた挑戦者達の子孫の集まりであり、その魂は信仰心等にも支えられ鍛えられていた。単に物量が多いだけの国ではなかったのだ。よって、人間の運命を作っていくのはその精神である。健康のことでも然り。信じた通りが体に現れてくるのである。


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07月07日

起床時刻:04時30分

 就寝午後11時過ぎ。途中何度か目覚める。1時間とか1時間半単位で目覚めを繰り返す。しかしこれは決して悪い眠りではなく、深い眠りと浅い眠りが流れのように繰り返すだけであり、通常よりその振幅が狭いだけである。狭いというのはある意味圧縮されている、凝縮されているという事である。つまり本当は1時間半とか2時間、あるいは3時間程度の睡眠で事足りているのかも知れないが、まだ私自身の意識がそれについていかないだけなのかもしれない。睡眠時間は5時間と少し。

 関東地方では早や梅雨明け宣言が出されたという事だ。通常より2週間程度早いとテレビのニュースでは言っていたが、私たちの街でも意外にもうそれも近いのかも知れない。天気予報では今日から曇りや晴れの天気がしばらく続くという。このまま行けばもう雨も降らないかもしれない。実質的にはこちらも梅雨明けなのかも知れないが。

 そのニュースを聞いて妻と遊びに来ていた娘たちは梅雨明け自体から飛躍して何と夏が来る、暑さは嫌だね、などと話し合っていたが、私はこれには少し驚いた。私などそんな事思いもしなかったからだ。夏は暑くて当たり前、大した事じゃない・・等とすぐに意見を挟んだが、それも小さい声であった。我が家では私はこんなものである。しかし暑い夏、良いではないか!泳ぎに行けるし、女性もますます薄着になって大いに目を楽しませてくれる。汗は悪いものをしっかりと体外に排出してくれる。1年分の毒素をこの際しっかりと出して体をリフレッシュできるというものだ。さらに、冬と同様、人間の精神を鍛えてくれる良い季節なのだ・・・と考えたい。


【午後更新】
 民社党や共産党は「自民党の暴走を止めよう」と訴えているが、どこが「暴走」だろうと思う。まだ政権が自民党に返ってない頃は、確かにそういう一面もあったが、今はすっかり大人しくなって、以前の政権を取っていた時に戻っているような錯覚さえ感じる。国民の顔色を伺いながら、そろそろと進んでいるような印象を受ける。そういう意味ではさすがに長い時期政権与党としてこの国に君臨して来ただけの事はあるものだ。

 しかし「暴走」とまで言われるような迫力やパンチの効いた雰囲気はもうないように私には見える。国民は気を付けないとまた、裏切られるかも知れないだろう。
原発に関しても、なぜ、再稼働をする!とはっきり言わないのだろう。外国に原発を積極的に国の元首が売り込んでいるのなら尚更である。外国人は絶対に奇異に思うだろう。ウチは絶対に安全面で自信があるから再稼働する、だから貴方の国もぜひどうぞ、というのが正しいセールスマンではないだろうか。

 自衛隊だって以前は国防軍に変えると言ってたのがいつの間にか言わないようになってしまった。本当に信念を持って発言していたのだろうかと思わず疑ってしまう。自分の意見を国民の様子を見ながら変えるのなら、どこかの市長と変わらない。結局、どのようなカッコいい事を主張する人気政治家であっても結局一緒な訳である。だったら我々は一体誰にどこの政党に一票を入れたら良いのだろう。

 国民の動きに左右されるような政治家に我々は生活を預けているのである。その国民自体、一体どこまで正しく社会や経済や世界情勢が理解出来ているのだろう。我々はこんなあやふやな状態で生きているのである。

 それならばやはり我々は我々の生活や人生において、素晴らしい未来を提供してくれる政治家に一票を投じるべきだ。我々の狭い了見などに左右されないような、見識のある政治家を信じたいではないか。維新の会は「選挙を恐れない」と主張しているようだか、何かそれも嘘くさい。やはりどこか国民の顔色を伺いっている感じは歪めない。そうではなくて、本当に国家の繁栄を考え、国民の幸せを願う政治家を待望したいものである。

 ちなみに共産党や民社党は理想論を全面に押し出すが、潜在意識的に言えば、これは不思議な事に彼らは全くのリアリスト、現実主義者達なのである。物事を皮相的にしかとらえないから、逆に魂はバランスをとろうとして内面的な理想論を主張するのだ。という事は、逆に言えば、自民党などは本来は理想主義者達の集まりではあるがそれでは魂的にアンバランスなので表面では現実主義的になってしまうのである。つまり、皆同じようなものではあるが、本来の姿が現実的で物質的であるというのは、危険な感じがする・・というのが私の考えである。やっぱり本来は愛とか平和という今の姿とは離れている理想を持っている人が好きである。


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07月06日

起床時刻:04時10分

 就寝午後11時過ぎ。途中何度も目覚める。最初の目覚めは2時間後の午前1時過ぎ。そして午前2時台に二度程度、午前3時台にも確か一度。その都度起きようかなと思ったが、本当に起きようと思えば起きられた感じはしたのだが、結局その都度簡単に眠りに入っていった。睡眠時間は5時間。


 今朝の朝刊を見て面白い記事があった。子供が将来なりたい職業がベスト10形式で男女別で並べられていた。見出し文句では「人を守れる職業」に人気が集まったようだ。私はこの記事を見て直感的に「日本人は、人類はやはり進歩しているな」と思ったものだ。

 昔は自らの地位とか名誉とかお金等を意識した職業、あるいは、自己顕示欲求を満たすような芸能関係の仕事に注目が集まっていたものだ。が、今は、自分のことではなくて他者の為に・・という所がまことに素敵ではないだろうか。

 その中には警察官等もあった。しかも男女ともである。現職、OBとも、警官に取っては嬉しい限りではないだろうか。あるいは、ますます責任を意識する人もいるだろう。そして思ったのは、いつかこの中に「自衛官」も入ってくれば日本はますます成熟した国民になっていくものと思うのだ。

 アメリカなどのある都市で日本の自衛官が制服を着たまま飲食の店に入った時、そこの店主がスタッフと何やらヒソヒソ話をしていて、自分達の方に近づいてきたという。何か文句を言われるのではと日本の環境に慣れていたその自衛官は思ったそうである。ところが、その店主は大変謙った態度でこう言ったそうである。「あなた達の席はこちらではない。あちらの方へ」と別室に案内されたそうだ。その別室は一般客とは少し趣の違ういわゆる「貴賓席」のような感じであったという。

 このようにアメリカでは国を守るような職業が国民から尊敬を受けている。しかしこれは又当たり前な事なのかも知れない。我々日本人が世界では特殊な民族なのだろう。日本ではそのような行為をすれば「軍国主義」等とすぐに短絡的に言われてしまいがちである。

 ところで私の知人に地元の大学で警備員をしている者がいる。校内を歩いて学内の安全を守る男達だ。その知人は私も一目置く男で、人格的にも成熟していてユーモラスで素晴らしい男であるが、彼が言うには一部の警備員は学生達に非常に厳しく否定的であるが、彼も確かにそういう面もあるが、中には優秀な学生もいたり、並べて悪い者はいないようだと私に言ってくれる。

 彼は非常にはっきりした男で、学生達にも言いたい事を言う。しかし決して感情的にはならず、正統的な事をスカーッとした感じで言うのだそうだ。例えば夜遅くまで校内に残っていた学生に向って注意しなければならない時も他の警備員のようにあやふやな態度では接せず、ストレートに物言いするそうだ。「勉強するのなら少しは大目に見ても良いけれど、遊びなら駄目だよ」・・という具合である。

 しかも彼の声は比較的大きいのである。よく通るその声で、彼は学生達に接し、また教授たちにもその態度は変わらないそうだ。事務職員の女性達には面白い事も時には言い、笑顔で接する。挨拶も欠かさない。他の警備員なら反抗する時もある学生も彼の場合は大概すんなりと従う。しかも言葉遣いも礼儀正しいそうである。根底に学生達への愛情があるからなのだろう。不正に対してはっきりとした態度で学生に接し、だからと言って四角四面でもない。そんな彼には学生達も子供たちがアンケートで感じている「自分達を守ってくれる」勇々しい男を感じるのであろう。

 どの世界にもきっとこんな人物はいるのだろう。それは職業に上下は無い。そしてこんな人たちが世界を常に引っ張り上げてくれているのだろう。私たちの背中を押してくれているのだろうと思う。そしてもちろん私たち一人ひとりがこのような人になって世界を人類を引き上げていく事が望ましい事であり、今の子供たちは多分それを直感的に感じる事が出来る優れた新人類なのだと私は期待している。


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07月05日(金)

起床時刻:02時10分

 就寝午後9時半頃。途中何度か目覚める。午前0時過ぎ、午前1時過ぎ・・。睡眠時間はその都度3時間、4時間・・と推移していったが、起きようと思えば起きられたのだが、しかし直ぐにも又眠りにも付かれた。だから自然に寝たのだ。もし・・寝付かれなかったら起きたと思う。しかし直ぐに寝付かれた。そして最後の2時台。睡眠時間は5時間弱。もう良いだろう、と思ったのかどうかは定かではないが、スッと自然に体が起き上がった。


 本日もウォーキングに努めた。およそ40分の時間。途中真ん中で瞑想を入れる。草が伸びる芝生の上に立ち瞑想をする。近所の運動公園でのヒトコマだ。この時間だとぼちぼち私同様な人もいる。走る人、歩く人様々であるが、速度で言うと私は彼らのちょうど真ん中辺りかも知れない。と言っても、歩く人も普通の徒歩に比べれば幾分早い。それはもちろんウォーキングというシロモノだからである。ウォーキングの人も一般の人よりは幾分早い。そして走る人はもっと速い。私はその中間ということだ。

 実際速さ比べをしたことは無いから私がもしかしたらジョギングの人と同等か、もしかしたら、速かったりするかも知れない。信じられないだろうが、私のウォーキングは速い。頑張って速く歩いているわけでもないが、こちらの方が気持ちが良いからそうしているだけである。快適さを選んでいるわけだ。食事の量が一般の人より半分以下だと思うので、体も自ずと軽量化し、その分軽いから速度も増すのだろう。あるいは、両足を交差する瞬間に空中に浮いている時間が比較的長いのかも知れない。つまり分かりやすく言えば「飛んでいる」のかもしれない。

 帰宅すれば程よい疲労感、いやこれは「疲労」という種類のものではないのかも知れないが、とにかくこれも又心地よい。そしてパソコンの続きを打ったり、朝刊に目を通したりする。以前は朝にコーヒーを飲んでも、又昼になれば飲み、夕方にも・・・という具合で多い時には一日4,5杯も飲んでいたこともあったが、最近は1杯のことが多い。24時間の仕事で外に出ている時はそれでも2杯いただく事もある。が、確実にコーヒーの量も減ったと思う。

 そんなこんなで私の朝は過ぎていく。この中にはもちろん聖なる本を読む事も入っている。これは確実に日々の蓄積が大切な作業だと思っているからである。以上が私の朝の日課である。

【午後の更新】
 悟りを得ると今までの対人関係がすっかり変わってくるという。もちろん悟りを得ればあらゆるものが変わってくるものだが、この対人関係もその多くのものの中の一つであるという。生長の家の創始者・谷口雅春さんもそう言っているし、海の向こうのアメリカの現在も存命中の思想家・Wウエインも同じ事を言っている。劇的にそれは変わるという。

 実はここだけの話ではあるが、私も少しそれを実感している。だからと言って私が悟りを得たと自慢しているわけではないが、事実であるから仕方ない。実際に私が悟りを得たかどうかは別として、まあ聞いて頂きたい。

 とにかく何か不思議であるが「ありがたくなる」。もちろん相手の事がである。今現在存在している目の前にある相手の事がである。感謝の念だろう。一般的に修養書や宗教の本に書かれているのがこの感謝の念だが、我々には少し抽象的で分からないものだ。

 とにかく相手がありがたくなる。先ほどももう何年も前にご厄介になった会社の担当役員から電話をいただいた。私に仕事の口があるからやってみてくれないか・・・という内容だった。もちろん現在従事している仕事に関してで私は既にその相手の同業社のお世話にもなっている。だからもちろん断る事になるのだが、以前の私なら何とも無い気分で何ともない風にその依頼を断っていただろう。日常の光景の一つであるから。

 それが彼の話を聞きながら何とも知れないが自分の心の深いところから「感謝」の思いが沸々と湧いてきたのである。ありがたい・・・という気持ちが私に何度も感謝の言葉を口にさせた。相手は少し引いていたのかも分からないが、決して悪い印象ではないと思う。こんな自分のことを忘れずに思っててくれた・・・という思いもあったのかも知れない。それは全く相手にとってはそんなに大したものでもなく、大仰な事でも無いのかも知れないのだが。

 とにかくこの事一つとっても、最近の私は様々なシーンで、その人間関係が大きく変わってきたのを実感する。自分でも相手に発した言葉や態度に驚く事があるくらいだ。えー、俺ってこんなキャラだっけ? えー、こんな事言って大丈夫かなあ・・等々。普通の人に感想を聞けばやはり普通ではないと感じ、以前なら一目置いていた人に意見を聞けば同意してくれ賛成してくれる。だから結局、良い方向に進んでいるのだなと感じる。

 そしてその自分以外との関係は、人間だけが対象ではない。ここからは夢物語、SFの世界、ホラ話であると言われても仕方ないが、ホントの事だから正直に書く。
 先ずは仕事先にある大きな池。ここには20匹程度の鯉が飼われているのだが、私たちは時々この鯉たちに餌を与える。これも又今までと変わらぬ風景である。が、ここから違う。鯉たちも中々頭が良くて、餌をやるメンバーの顔を知っているのだろう、その中の一人である私が池に近づくと一斉に皆が水面から口を開いてパクパクさせて近寄ってくる。

 その姿はとても可愛いものである。その姿を見ると「よし、お前達、待っとけよ、直ぐにご飯をやるからな」と餌をやるのである。ここまでは他の同僚達と変わらない。しかしその鯉たちの中の一匹にとても人懐っこい鯉がいるのである。他の鯉たちも初めはパクパクやって近づいてくるのだが逆に私がグッと彼らに近づくと他の皆はサッと離れるのだ。しかし、ただ一匹、その鯉だけは相変わらず私の方を向いてパクパクしているのである。

 何か私に話しかけているかのようだ。うんうん・・・と私も頷く。しばしの間両者の間で会話が続く。彼の目の奥に何か私に訴えかけるようなものを感じるのである。これも気のせいだと思えばそれで終わるのだが、ここで大切なのは、他人の意見、感覚は関係ないという事。自分がそう感じられるという所が大切なのだ。過去の自分ならそんな事を思いもしなかったし感じもしなかった。その過去の自分と比べてみるのだ。こういう鯉との交流を続けているうち、私は少し不安になったことがある。「今までどおり俺は魚が食えるだろうか」ということ。家で飼っている猫と変わらないではないか!その鯉も。それならばそれの仲間を食べられるのか・・・という素朴な自分への疑問である。

 そしてもう一つ。私の車の窓、運転席の窓だが、その雨よけ、日差しよけの部分にクモが住んでいる。そして窓一杯にクモの巣が見事に張られている。これも又誰にでもある事かもしれない。普通ならサッとクモの巣を払うだろうし、クモも捨ててしまうだろう。しかし何となく私はクモもクモの巣もそのままにしておいたのだ。それは何と、一週間、そのままの状態であるのだ。

 毎日のように車を使い、その間には大雨も降ったし強風もあった。特に運転中は向かい風でクモにとっては大変なはずであった。それにもかかわらず、彼は立派に私の窓に住み続けているのだ。だから私はこのクモをムゲに払いのける事はできないのである。愛おしさまで感じているのだ。妻に言ったら笑っていた。当たり前かも知れない。以前の私なら考えられない話である。

 こういう風に私の心境とか環境は大きく変貌しつつある。私はこれを当然な結果としてどこか受け止めている。毎日決めた自分だけの日課、食生活の改善、真理の書の読破・・・これらが私を変えてくれているのかもしれないし、本当は本来の自己に戻してくれているのかも知れない。魂のふるさとに近づきつつあるのを感じる今日この頃である。


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07月04日(木)

起床時刻:03時22分

 就寝午後11時過ぎ。途中一度目覚める。確か午前1時過ぎ。出張先である。同僚がトイレに行こうとしていた。それを確認後、彼がトイレから帰ってくるまでは覚えているがその後眠る。そして本日の起床時刻。割合スッと起き上がれた。睡眠時間は4時間10分ちょっとか。昨日はものすごい雨だった。もちろん地元の線路は不通。土砂降りという表現がピッタリであり。バケツをひっくり返した大雨という表現も合っていた。バッシャアー・・・という感じであった。仕事先であったが、自宅が心配になるほどの豪雨。今日も同じような天候になるようだが、もしかしたら、今年の梅雨のピークなのかもしれない。今日が終われば明日以降は雨も上がり、数日曇りや晴天が続くらしい。とにかく今は梅雨なのである。仕方ないのだ。


 昨日の出張先での私の仕事ぶり。我ながら惚れ惚れする(笑)のだが、しかし、その後は何か心の中に空虚感と言えば適切ではないかも分からないが、しかし一番先に浮かんできた言葉なのであるが、そんな感じが湧いてきた。やり過ぎなのかも。と思う。いくらテンションが高く、そしてそういう日々が続き、毎日が充実しているとは言え、一般的な人たちにそれを強要するのは少し無理があるのかも知れない。強要・・とまでは思わないけれども、実際、そうなっているのかも知れないし、少し戸惑う。ギアを少し緩めて、パワーダウンして外に対処しつつ、その力は内包して行かなければならないのかも知れない。

 天下無敵な気分…とは本当に良い気分である。が、あまり調子に乗っても反動があるかもしれない。その力をある程度オブラートに包み、ソフトに行動するのがいいのかも知れない。何せ、パワーがはち切れそうな状態なのだろう。自分でそれを制御しコントロールしなければいけないのかも知れない。何故なら、やはりパワーを出した後の空虚な気持ち、寂しい気持ちは、他者との一体感に欠けるからかも知れないからだ。いわゆる「アホ」を装うのである。一見おバカに見え、アホな自分を演出した方がこの世的には生きやすくなるのかも知れない。意外にこれが人生を生きる上でもっと高みに上りつつも、心穏やかに過ごせる秘訣であるのかも知れないな。


【更新その2】
 エジプト等では軍が現大統領の退任を迫っているというが、今日も仕事先で同僚と話題になった。彼は北朝鮮にも同様な意味で言及していたが、その言葉の奥にはやはり否定的なニュアンスが感じられた。しかしこういう彼の考え方はやはり現代の日本では最も一般的なものだろう。

 が、そんな二人の空気の中、私はちょっと勇気を出してある意見を言ってみた。日本も自衛隊が力を持って、政府に拮抗するくらいになっても良いかもしれませんね・・と。彼はもちろんかぶりを振った。「ダメですかね」と、私もさらにイタズラ心で重ねてみた。しかし、そのくらいの緊張感、刺激がないと、この国はあまりにも平和が行き過ぎているのではないだろうか。もちろん平和というものは絶対的に良いものである。しかし今の日本は歪んだ平和が蔓延っているのかも知れないではないか。

 今日の朝刊、テレビのニュースでも、パンの中に針を混入する、幼い女児をいたずら目的で連れ去る・・これらは全て歪んだ平和がもたらしたものではないだろうか。特に若い男性が目立ち、彼らは並べて無職である。暇があると人間はろくな事をしないし考えない。また仕事があっても世間体の良い仕事、楽でより儲かりそうな仕事、汚くない仕事などを選ぶ。それでいて、そのような仕事がないと、働く仕事がないと政府を非難する。これらが歪んでなくて何が歪んでいるというのだろうか。

 だから初めに戻って、自衛隊が政府に拮抗して国を進めて行く・・というのも、あながち、顰蹙を買うような話でもないかも知れない。石原慎太郎さんは北朝鮮が一発くらいテポドンを発射してくれても良い、等と刺激的な意見を発した事もあったが、それも私のアイデア同様、一つのカンフル剤なのかも知れない。
 まあ一つ言える事は、我々国民はあまり今繰り広げられる様々な現象に対して「ビビらない」事である。どっち道なるようになるのである。


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07月03日(水)

起床時刻:03時25分

 就寝午後9時過ぎ。早すぎるが日付が変わらないうちにもう一度起きれば・・等と思いそのまま眠ってしまった。確かに午前0時頃に一度目覚めたが、意識も定かでなく、そのまま深い眠りに。午前2時頃にも一度目ざめ、その時睡眠時間も勘定、5時間は寝たな・・等と思ったが、ナント又眠ってしまっていた。良く眠る。結局睡眠時間は6時間と少しかも。しかし布団の中で5分間、うとうとしてしまうほど。が、起きてからは意識もはっきりし、行動も普段と同じように迅速に。


 本日は出張日だ。1日24時間しっかりと拘束され自由は利かない。だが冷静に考えてみればこの自由とは一体なんだろう。例えば仕事の休みの日。こんな日は1日確かに自由ではあるが、大体休日のパターンなど知れている。いつもの休日のパターンが繰り返されるのだ。たまに旅行に出かけたりして少しの変化はあるが、いつもの休日と同じような行動を旅行先でも取っている事が多いから大して変わっていないのかも知れない。

 しかしその反面それでは今日のような1日24時間拘束されいかにも不自由な状態に入るようだが、その拘束された時間の中にも自分が考えたり模索したりする時間が非常に多い。他人の指示や思惑を外れた時間のほうが圧倒的に多いのである。しかも何が起こるかも分らないという、ある意味エキサイティングな環境でもある。例えその仕事が自分が大好きなことではなくても、長く続けているということはまるっきり嫌いなことでもなく、多分本当は自分に性分も合っているのである。

 そのような仕事が社会的にはそれほど高く評価されるものではなくても、自分が如何に感じ如何に捉えるかという事が一番重要なのである。休日の24時間はあっという間に過ぎてしまい、何も残っているという感覚はない代わりに、仕事での24時間は非常に長く濃いい実感を得られるのである。そして緊張感も得られる。またその反動として仕事から解放された時の清清しさは何者にも変えられないような喜びがあるものだ。

 だから私は自分の喜びとか感動をより大きく得ようとする時、仕事での緊張感をなるべく大きく保とうと意識的に動いたり考えたりする時がある。また休日の時でさえ、1日、様々なことを考え、動き、様々な経験を得ようとする。それはその後に得られる開放感とか喜び、清清しさなどを充分自分に感じさせたいからなのである。

 夜は泥のように眠りにつき、夜中目覚めたとしてもそれは夢の中か現実か分らないような感覚にあって、それはある意味楽しいものである。それを一種の病気だとか精神的に参っているのだとか、とにかく悪い方に解釈しないことである。全て自分を良い方向に進めてくれている神の配剤だと信じればいいのである。

 そうすれば起きて働いている時も遊んでいる時も何をしている時でも楽しくて充実していて又は寝ている時も寝ぼけている時でさえ楽しいものである。一分一秒、呼吸をしていることでさえも楽しいようになればその1日は良しとしよう。

 特に朝は全く自分の自由な時間だ。仕事に制約されるものでもなく、女房にどこかに連れて行けとせがまれることもない。彼女は全く夢の世界に遊んでいる。今は全く自分だけの世界だ。どう使おうと、それこそ、貴方の、私の自由な時間である。

 私はだから早く起きて自分の自由な時間と空間を好む。全く宝石のような時間である。こういう感覚になれば、あれが欲しいとかこれが足りないなどという飢餓感は無くなる。小欲知足である。欲を少なくすれば逆に本来人間が持っている「大欲」が湧き出てくる。その大欲こそが人が生まれ持った使命にも通じる。大欲はまた豊富な物質も引き寄せるものかも知れない。


【夜に更新】
 職場でのヒトコマ
寮の寮母、今風に言えば管理人であるが、その女性のため息ともつかぬ愚痴?を聞いた。総務の人間は皆上から目線だと言う。だからなるべく話したくないのだそうだ。私はこれを聞いた時、その場では何気なく聞いていたが、よく考えてみると、これはやはり彼女が悪い。悪いというのが適切な表現でないのかもしれないが、この世はそういう風に出来ているのであり、そういう仕組みにすんなり収まっているのである。上下関係は厳然としてあり、この世の中で上下関係がある以上上から目線になるのは当然であろう。当たり前の事について怒ったり悔しがったりしても自分の心を傷めるだけである。

 逆に上の立場の人が同じ目線で話したり、下の方から話したりでは、その相手も戸惑うだろう。ただ、たまにはそういう変わった人もいて、面食らったりするが、そういう人は非常に魅力的に感じる事もまた事実ではある。

 この世はそのように出来ている。それでこの世はどうにか秩序も保たれているように映る。しかし、これはあくまでも皮相的な見方であるが。上から目線で嫌な思いとか悔しい思いとかを感じるのはやはりプライドがあるからだろう。そんなプライドなど捨ててしまえば全然問題ないのだろうが、やはり中々そうはいかないようだ。しかし何度でも言うが、この世は上下関係で出来ているのであるから、それを素直に認めれば良いのである。そうすれば楽な気持ちで生きられる。大体人間が生きる上で、この世的な尺度だけで生きようとするから苦しいのであり辛くなるのである。この世的な尺度を第一義として生きるから悲しいのである。

 順序が違うのである。先ず優先すべきは、精神世界と呼ばれる感覚である。心とか、意識とか言われる世界である。自分の中にある高い意識の自分である。先ずはその世界から全てを見る。高い所から俯瞰すれば、この世の仕組みも案外見えて来るかも知れない。自分の体はあの世界ではそういう上下関係で動き成り立っているのだと分かれば、もう余計なプライドとか虚勢等とは無縁になれる。しかし心は高みにあるのを忘れてはならない。

 この世の仕組み、秩序が分かれば素直にそれに合わせて生きれば気楽だ。穏やかな気分で生きれ、楽しい気持ちで日々を過ごせる。誰に対してもフレンドリーに接し、誰に対しても笑顔で対応出来る。この世のちっぽけな価値観の上で成り立っている上下関係など右から左に受け流そう。



●スワイソウ 1000回(久しぶりにこの回数。出張先とは言えよくやりました!)
※スワイソウは2012年6月16日からスタート   
●テンションアップ40日目
●1日1食 45日目

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07月02日(火)

起床時刻:03時46分

 就寝午後11時。出張先。最初の目覚めは午前2時半前頃。ということはこの時点で睡眠は3時間と少し。起きようと思えば起きても良いのだが、しかし又寝る。で、次は午前3時半過ぎ。普通なら3時台であるからパッと起きるはず。が、心はまだ寝ようかな・・等と珍しく考える。これは普通の中高年の感覚である。しかし何となく又目をつむる。普通の私なら再び少なくとも1時間は眠るのだが、その10分後くらいに目を開け、今度はパッと起き上がった。良く言えば心が穏やかなこと。悪く言えば緊張感の緩み。テンションの落ち込み。はて・・どちらか。睡眠時間は結局4時間40分くらい。



 先日のブログで、子供の病気は親、特に母親が作ると書いた。そして妻の病気は夫、夫の病気は妻が作ると。つまり、家族の誰かが病気で、それを治そうと思うのなら、家族の中でも一番その病人に心を傾けている者が病気を治そうと心に決めれば良いのだと。

 しかし、本当は病気という存在はないものであり、親や伴侶が自己中心的な思いで作り上げているものだから、その思い自体を無くせば良いのである。子供を心配する思い、妻を気にかける考え方、それらは俗に言う「優しさ」であるのだから、何でそれが病気を作り上げるのだと非難したくなるかも知れないが、しかしその思いの多くは取り越し苦労であり、結局は他者への優しさ等ではなく、保身や自分可愛さなのである。

 だから、家族にたいしては、微塵も悪い事は考えないのである。少しでも悪い事、マイナスな事が心に浮かんだら、即、否定する事である。

 これは、決して家族だけの問題でもなく、全ての人間関係に当てはまるだろう。目の前の相手に対して余計な事は考えない事だ。そしてこういう考え方は家族の病気を消すばかりではなく、自分の運命までをも改善するだろう。何故なら人は皆本来は一つであり、繋がった存在であるからだ。つまり、自分の心や体に対する前向きな思いや考え方は自分の良好な健康を作るし、常にそういう態度で生きている人は他人も同様に扱うからである。逆も又真であり、他人をそういう風に扱う人は自分にも影響を与えているのである。自己を信じ、自己の完全さを信じる者は、他者の完全さも又信じる事が可能なのである。


●スワイソウ 450回()
※スワイソウは2012年6月16日からスタート   
●テンションアップ39日目
●1日1食 44日目

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07月01日(月)

起床時刻:03時31分

 就寝午後9時前頃。途中一度だけ目覚めるもすぐに寝たようである。そして本日の起床時刻。途中覚醒はあったにしても一気に寝た感強い。何故だろうとは思う。昨日は確か午前1時台に目ざめその後仮眠はさすがに若干取ったが朝のウォーキング、久しぶりのオークション作業、そして午後からのドライブ、買い物等比較的活動多々であったからかも。とにかく夜、比較的早い時刻に眠気も訪れた。午後8時半前後くらいであったから、これは多分まだ日時が変わらないうちに目ざめかなと思ったが案の定。しかしそれも本当に前述したとおり、フワッと目ざめそして速攻で睡眠に入った。睡眠時間もお陰で6時間半以上。私としては最も長く寝たようだ。


 最近は少しまたまた食事の量を減らしている。ちなみに一昨日は昼に取り外出先にて食べた。道の駅のテラスで。梅雨の中休みで天気も良く気持ちが良かった。食べたのはロールパン2個、タマネギ中1個とちくわの煮物、野菜天1個半、それにピーナッツ少々。これだけである。夜にオヤツのぜんざい一杯。これが私の1日の全食事。昨日は外食し夕方にいただく。餃子の王将にてチャーハンと餃子6個、それに持参したピーナッツ少々。昼にオヤツのぜんざい。これだけ。
 体重もさすがにまだ下がる。1キロ弱であるが、下がっていたようだ。多分このままこの調子で推移を見守ろうとは思う。小食から超小食への移行、体の変遷を見てみたい。そして睡眠の質。昨日のように3時間という短い睡眠時間で済むようになるのか。と言っても、私は何も超、短い睡眠時間で好い気になったり、他人にそれを自慢したりしようと言う気はさらさら無い。3時間睡眠、はたまた2時間睡眠が目的ではない。あくまでも究極の本来の自分の感覚を常に持って生活を送るということだ。自然体。それを維持しながら毎日の様々な出来事に対処、そして自分の夢の実現、自分らしく生きる、自分の使命の全う、そういう感じで生きたいだけである。

●スワイソウ 500回()
※スワイソウは2012年6月16日からスタート   
●テンションアップ38日目
●1日1食 43日目

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