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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:06:00 平均起床時刻:04:06

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01月31日(金)

起床時刻:04時30分

 就寝午後11時半頃。途中覚醒の記憶が無いのだが、もしかしたら一度くらいは目覚めたのかは分らない。はっきりした記憶無し。もし目ざめが無かったのなら一気に寝て睡眠時間は5時間ということになる。良い感じだ。


 最近読んだ本の中に「気」についての記述があった。そういう意図ではその本を選んだわけではなかったが、その著者はどうやらその方面にも知識が深そうに感じた。と言うよりも、その著者の解かんとする説の中には気が根本的な役割を果たしているような感じでもあった。私は思わぬところから又新しい新鮮な分野の知識を学びたいという気持ちになったのである。

 と言うよりか、私自身、気については過去においても深く勉強してきたつもりだった。しかしそれは意外に深いものでは無く、浅い…と言えば又違うような気もするが、どこか他人事、真剣さが足りなかったのかも知れない。単なる興味本位、面白半分的な感覚で気について読んだり見たりしていたのかも知れない。

 だが今の私にとっては気はある意味死活問題になっているのかも知れないし、生活により密接した地に足がついた問題になっているのかも知れない。気はそういう意味では私だけではなく誰に対してももっと深くそして身近に関心を持って取り組まなくてはいけないものなのだろうと思う。

 その著者が言うには、気というのは分かりやすく言えば、若かった頃、好きだった人と手を初めて握り合った時に、ものすごくドキドキした高揚感であるというのだ。あるいは、初めて告白したり告白されたりした時の緊張感、幸福感、そういった感情の根っこにあるものだという。そう言われれば非常に「気」についての存在感が私にとっては身近に分りやすく感じられるのである。

 それがだんだん歳を重ねていくうちに少なくなってしまう。それは誰でもそうなのだろうが、それは単なる老化などではなく、本当は気自体が少なくなって行っているのかも知れないと言える。そう考えれば、私たちはもっと気というものを大きく考えて行かなくてはいけないと思うのである。つまり気を増やして行けば、若いころのあの躍動感や高揚感が再び得られるというものである。青春が蘇るのである。いわば「若返り」である。

 そういう意味で私はもっと気について考えたり研究しても良いのかも知れないと思う。気というものは、自分の中にあって、私たちに幸福感を感じさせたり与えてくれるものなのである。しかもこの無限とも言える大宇宙において、この宇宙そのものを統一し動かしているものが果たしてこの「気」と言えるのかも知れない。それはここでは気と言えるが、ある時は「神」と言ったり、ある時は「大自然」と呼ばれたりするものなのかも知れない。人間は気とともにあれば一生健康に暮らせ、元気で快活で明るく生きていけるのではないだろうか。夢を実現するにはまさに「やる気」「元気」「活気」などのようなものだろう。知識だけ、考えるだけ、頭だけのものであれば、それはまさに「絵に描いた餅」。それを実行し実現するためには、この「気」に裏打ちされた「やる気」が最も必要となるのである。

 気は、まさに私たちを生かし、毎日をイキイキと過せるパワーの源である。私が毎日行っているスワイソウ・・手振り運動も、この気をアップさせ増加させるものである。気力を横溢させる為の運動なのである。そう考えながら、楽しくこの運動をやれば、飽きる事無く毎日楽しく実行できるのである。そして自分をそういう風に高めよう、もっと強くしようという意欲は毎日の祈りのお陰であるのである。


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01月30日(木)

起床時刻:04時34分

 就寝午後11時。出張先。最初の目覚めは午前1時頃かも。そして次は午前3時36分。この時点では普通なら起きていた。睡眠時間も4時間半だから大丈夫。だが最近の傾向として、あまりの寒さに体と心も縮んでいる。しかし気持ちはもう起きる気満々。だがいつの間にか・・。そして本日の起床時刻。午前4時台・・となると、体は嫌でも自動的に起き上がる。しかし気温は意外にそんなに低くは感じられなかった。睡眠時間は5時間半。


 今の私が食事に費やす時間は大体40分である。もちろん1日1食の晩ご飯にである。あと、午前や午後にオヤツをいただいているが、その時は大体10分程度。一日合計すれば1時間くらいの時間を食事にかけている。しかし40分の時間と言えば、今の時代では長いほうではないだろうか。と言っても、以前の私であれば、世間の平均値よりも随分短いものだったと思うのだ。過去私は早食いの大飯喰らいだった。短気でせっかちな私は食べることにもその性格が現れていたことになる。早くて5分程度でパパッと食べていたのだろう。ろくに良く噛まずに食べ物は流し込んでいたのかも知れない。とにかく人並み以上に欲望が強く、早く食べ物を口の中に詰め込みたい・・という気持ちが強かったのだと思う。そしてその結果が肥満であり、肌の荒れであり、不健康であったのだ。

 それらの全てを少食と良く噛んで食べるという習慣が私を変えてくれた。一口最低でも30回、飲み物でさえも噛んで食べている私としては理想が一口60回。アメリカの大富豪であったフレッチャー氏が一口60回で食べていたということを知り、私も実践の中からこの回数が目標値と設定して現在実行しているのである。固形物はこの回数であればほとんどが流動物となる。つまり、固体は口の中でしっかりした咀嚼で液体に変化する。通常は胃の中で行われる液状化現象、つまり、消化であるが、この作業が既に口の中で行われてしまうのである。その結果、胃の仕事は激減し、その分その仕事で使われる消化エネルギーは他の臓器や細胞などの修復、創造に使われていく。つまり体は健康になり、強壮となっていくのである。もちろん精神も強くなっていく。不思議に精神は立派になる。それは人間自体が本来神の子としてのあらゆる完全円満なものを備えているから、自然な生活さえ営んでいれば、完全な健康体となっていくのである。充分な咀嚼はその基本であり、出発である。

 また充分な咀嚼は物事に対する姿勢にも現れてくる。何事かを前にした時に、余裕を持ち、じっくりとまさに「咀嚼」して考え実行するようになる。あわてないで、何事にも腰を据えて取り組めるようにもなる気がする。以前の私の少食では、どこか心の中で栄養が充分で無いような心配があったように思う。つまり、何かスポーツでもしようとか、本格的なスポーツであるが、例えば、ある程度の長い距離のジョギングなどであるが、それをしようと思っても中々一歩が踏み出せないような自分がいたのだ。それはやはり超少食という生活をしている自分に対して自己防衛が働いていたのだろうと思えるのだ。しかし、充分な咀嚼を実践し始めてからは、不思議に食べる量自体は変わらないのに、そのような不安や心配が感じられなくなった。そういう消極的な思いが消えてしまったのだ。これは全く不思議な感情だった。

 その結果、運動だけではなく、仕事に対しても充分な動き、働きも可能となった。毎日の歳末における大掃除に近いような掃除。そんな事に楽しく取り組む自分を発見したりする。面倒くさいような雑事、今までは後回しにしていたような些細なことに対しても丁寧に対応できるようになった気がするのである。充分な咀嚼は明らかに私を根本的に変えてくれたように思えるのである。

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01月29日(水)

起床時刻:05時25分

 就寝午後11時頃。途中二度程度目覚めるが直ぐに寝る。強烈な寒さの為か。と言うか、そういうものも少し気分の緩みに近いものかも知れない。久しぶりに5時台に目覚め起きてしまった。気分の緩みか、あるいは、より良い方向への変革なのか・・それは精神的な状態で分るというものだ。様子を見たいと思う。自分に問えばいいのである。


 わが子を優秀な子供に育て上げたいのなら一つのことを先ず優先して意識して教育すれば良いと思う。私は以前長い間塾を経営していた。その間、家庭教師も経験した。しかしその頃はその一つの秘訣をまだ得ていなく、今を思えば大変残念な気持ちである。

 一生懸命教師は勉強を教えて生徒の学業にプラスしようと務める。私もそうだった。親はやはり同様に、いや、教師以上に懸命に子供たちを励ます。それでも結果的には中々良い成績は残せないものである。ある者は家庭教師、ある者はスパルタの有名な学習塾。そういったものに委ねて、子供たちの学業を伸ばそうとするのである。

 しかしどんなに頑張って努力しても基本的な問題が解決出来ていなければ、子ども自身にやる気が起きなければどうしようもないのである。要は、子供が自分で勉強にやる気を出し、又は、スポーツや文化活動に対してもその気にならなければ無駄に終わるのである。それはまさしく大人の仕事に対して同じことにも映るように見えてくる。

 最初に述べた一つの秘訣、あるいは、基本的な根本的な事柄とは、私が実践している少食のライフスタイルから分った事である。それは「良く噛んで食べる」という事である。それも半端な数ではなく、出来れば50回、60回という普通から考えれば驚くほどの大量の数を噛んで欲しいのである。

 良く噛んで食べれば自ずと食事量も減ってくる。ある女性栄養学者に言わせれば通常の量の三分の一程度に減るのだと言う。つまり3食食べているとしても、一日トータルに考えれば一食分の食べる量で十分であるということになる。そんなに頑張らなくても、我慢しなくても、しっかり良く噛んで食べていれば誰でも1日1食で済ませられると言うことだ。

 少食は今まで消化に必要であった血液の流れを脳の方に回せることができる。その結果、脳は充分に活性化される。やる気なども結局この脳の活性化によって起こると言われているからだ。やる気も、勉強自体での理解力なども今までよりも格段に劇的に良くなるということだ。それは、脳の働きばかりではなく、他の臓器や筋肉、神経などにもあるいは基本的な細胞自体にも作用して強く丈夫にする。勉強だけではなく、様々な健康面にも作用し、元気な頭の良い子供が出来上がるのである。

 塾などにも行かせなくても、高いお金を払って家庭教師を雇ったりしなくても、子供は自ずと成績は上がるのである。大人は黙っていても子供が勉強していくだろう。あるいは、勉強に興味を持たない場合でも他の分野などに大いに関心興味を持つようになり、個性を発揮するようになるだろう。逆に子ども自身のほうが塾や家庭教師を利用したくなった場合は親は応援しても良いのかも知れない。

 それを浅はかな親は塾や家庭教師に勉強面を任せっ切りとなり、基本的な食の躾を疎かにする。高い教育費を捻出する為に自らはパートに出て、その為に充分な食事を作ることを疎かにし、簡易な食事を子供に与える。子供が頻繁にファーストフードを食べることに疑問を起こさず、飽食をお手伝いしているのである。そして結果的に弱い子供を育て、その上で更にお金を出して子供の勉強に頑張るのである。

 良く噛んで食べなさい・・と子供が幼い頃からしつこく教えていれば子供は誰でもいつかは目覚める。学業は上がり体は強くなる。虫歯も無くなる。性格も素直になり、誰からも愛される子供に育つだろう。そんな子にはイジメなど無縁だろう。我慢強くなり、自らの使命や天命にも早いうちから気づくことになるかも知れない。これほど子供にとって幸せなことがあるだろうか。これはもちろん大人自身に通じることとなるだろう。自ずとその家庭は優しい雰囲気に包まれ空気は穏やかになって行く。そしてそういう雰囲気の中で益々子供は良い方向に育っていくのである。昔の家庭では「良く噛んで食べなさい」と多くのお母さん達が言っていたものである。


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01月28日(火)

起床時刻:04時36分

 就寝午後11時過ぎ。最初の目覚めは午前3時頃。はっきりとしていないが、午前1時頃にも一度目覚めたのかも知れないが、今ではそれを思い出せない。しかし午前3時の時点では既に充分に寝ているのだから起きても良いのだが、やはりここ最近の朝の強烈な寒気で布団から出ることは出来なかった。そしてそのまま再び寝てしまった。こういう場合は「良しとしたい」。昨日のような場合はいつまでも寝られず、ぐずくずしていた時間が長かった。そういう場合の二度寝はやはりその日の元気に左右するような気がする。二度寝も色々、様々である。全てを十把一からげにして、「悪」と決め付けない方が良いのかも知れない。
 結局、直ぐに二回目の睡眠に入れるような二度寝は気にしない方が良い。特に二度寝の方が3時間以上であれば大丈夫だ。又、前半の睡眠が逆に3時間以上の場合は二度寝をした場合でも直ぐに睡眠に入れれば気にしない方が良い。いずれにしても、直ぐに寝られれば気にしないことだ。それは一つの睡眠の流れの中で起きたポカッとした目覚めである。


 今の私が食事に費やす時間は大体40分である。もちろん1日1食の晩ご飯にである。あと、午前や午後にオヤツをいただいているが、その時は大体10分程度。一日合計すれば1時間くらいの時間を食事にかけている。しかし40分の時間と言えば、今の日本では長いほうではないだろうか。と言っても、以前の私であれば、日本の平均値よりも随分短いものだったと思うのだ。私は早食いの大飯喰らいだった。短気でせっかちな私は食べることにもその性格が現れていたことになる。早くて5分程度でパパッと食べていたのだろう。ろくに良く噛まずに食べ物は流し込んでいたのかも知れない。とにかく欲望が強く、早く食べ物を口の中に詰め込みたい・・という気持ちが強かったのだ。その結果が肥満であり、肌の荒れであり、不健康であったのだ。

 それらの全てを少食と良く噛んで食べると言う習慣が変えてくれた。一口最低でも30回、飲み物でさえも噛んで食べている私としては理想が一口60回。アメリカの大富豪であったフレッチャー氏が一口60回で食べていたと言うことを知り、私も実践の中からこの回数が目標値と設定して現在実践しているのである。固形物はこの回数であればほとんどが流動物となる。つまり、固体は口の中で液体に変化する。通常は胃の中で行われる液状化現象、つまり、消化であるが、この作業が既に口の中で行われてしまうのである。その結果、胃の仕事は激減し、その分その仕事で使われる消化エネルギーは他の臓器や細胞などの修復、創造に使われていく。つまり体は健康になり、強壮となっていくのである。もちろん精神も強くなっていく。不思議に精神は立派になる。それは人間自体が本来神の子としてのあらゆる良質なものを備えているから、自然な生活さえ営んでいれば、完全な健康体となっていくのである。充分な咀嚼はその基本であり、出発である。

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01月27日(月)

起床時刻:04時16分

 就寝午後11時前。最初の目覚めは午前2時前。この時点では睡眠時間は3時間弱。しかも意識も非常にはっきり。猫とも会話し、しかも寝られない。ただ尿意は無い。だから多くの人のように、トイレにも行くことは無い。と言う事は、いつもの如し、直ぐに寝られると言うこと。だが、寝られなかった。正確にはわからないが、時間にすれば30分くらいは起きていたのかも知れない。だからどれだけ起きようかと思ったことか。しかし起きなかった。その内知らぬ間に眠っていたようだ。そして結局本日の起床時刻となった。睡眠時間は途中の目覚めの時間を差し引いて概ね5時間くらい。


 出張先でブログを更新しても起きるのは午前4時前。同室で寝ている同僚はまだ夢の世界だ。業務的には午前5時過ぎに一斉に起きることになっている。あと1時間半近くあるのだ。こんな早く起きるのはチームの中では私一人だけである。以前いた同僚には私と同じような早起きもいたが、今では退職した。

 それでも通常の午前5時過ぎでも十分世間では早起きだ。しかし午前3時とか4時に起きる私から見たらちょっと「遅起き」にも映る。しかも私は特別仕事だからと言って出張だからと言ってこんな時刻に起きるのではなく、普段から同じような時刻に起きているのである。これが私にとっては普通の生活の一部なのだ。頑張ってる・・という意識もない。全く普通の感覚である。

 そんな中でも、数人いる同僚の中には神経質な者もいて、私と同じ時刻に一旦起きてトイレに行き、そのまま又ベッドに入る者もいる。それは当然だ。と言うか、人はある程度の年齢になれば概ねそのような時刻に目覚めてトイレに行く者も多い。しかし私から言わせてもらえば、一度体を起き上がらせて、ベッドから離れ、ある程度の距離を歩き、用を足し、そして又歩き、・・という行動を体がしているのだから意識も相当はっきりしているはずである。それならばもう心も体も万全であるはずだ。だから、もう起きて活動しても良いのである。

 それでもほとんどの人は時間を気にして再び又ベッドの中に舞い戻る。そしてしばらくは多分目覚めているものだと思うが、もう一度寝るのだろう。それでも良いのではあるが、それは普通「二度寝」と呼ばれるものであり、あまり心と体に良いものでは無いのかも知れない。ある人に言わせれば、そのような行動は一日のテンションを全部台無しにする行為だと言う。しかし・・私に言わせれば、あまりそういう風に悪く考えないで、それでも良い方に考えた方が良いのかも知れない。

 同じ二度寝でも私のように布団の中で一度目覚め、又直ぐに寝られるというものは「二度寝」には当たらないのかも知れない。トータルに考えて、その状態も睡眠の中の一つの流れであるかも知れない。第一段階から第二段階の眠りに入り、そのまま第三段階、第四段階の深い眠りへと続きその後のレム睡眠になって、再び初めの浅い睡眠に戻る訳だが、普通は又同じような流れに戻るのであるが(ちなみにこの流れが1セットで1時間半くらいで眠りのサイクルと言われる)、私の目覚めはこの戻った時の浅い眠りが何かの拍子で一旦目覚めた状態ではないかと思うのである。だから私としてはいつもほぼ訪れる最初の目覚めはあまりそんなに意識していないのである。

 しかし、その時に一度起き上がって歩いてトイレに行き、用を足しなどの行為をすればこれは又別である。と思う。実際は客観的に見れば又これも睡眠の一つの流れなのかも知れないが、トイレには行かなくても良いのではないかと思うのだ。それはこの状態でトイレを我慢し、そのまま寝るのは体に悪いのでは・・等と思ったりするのではないかと想像する。しかし決してそんなことは無いはずだ。一度目覚めた体はそんなに不要な水分もないはずである。今まで体は活動もせずエネルギーも使っていないのである。しかも寝る前に一度トイレに行っているはずだから、余分な水分も残っていないはずだ。要は、思い込み的なものだと思う。目覚めた時に、尿意を感じたらそのままトイレに行かなくては・・という思い込み。本物の尿意かどうかも疑わしい。

 私など、そんなものほぼ無視である。と言うか、私は途中の目覚めの時の尿意はほとんど起きない。と、思っているし、感じている。それとも彼らはいわゆる膀胱が通常よりも小さいのだろうか。いやいやそんなことも無いはずだ。ほぼ省エネの状態が、睡眠なのである。朝になって、その時にその省エネ状態の睡眠中で費やした水分を吐き出せば十分である。途中、トイレに行くことなど必要はないのである。

 そういう人たちは、ためしに一度目覚めた時にそのまま起きて活動してみれば良い。そういう日をある程度続けてみれば、今度又途中で目覚めた時に、もしかしたら、トイレに行く事などもなくなっているかも知れない。きっと短時間でも深い睡眠を得られる経験が出来るはずだ。そういう自己改革は意外に危険なものでは無く、自分を少し変えるきっかけになるはずだ。いや、もしかしたら、もうその時点で変わっているのかも知れない。自分が変われば周りも世界も変わるはずだ。今よりも果たして素敵な世界が展開するかも知れない。お試しあれ・・。


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01月26日

起床時刻:03時42分

 就寝午後11時。最初の目覚めは午前1時頃。出張先。もちろん又寝る。そして直ぐに寝られる。そして本日の起床時刻。この第二弾の睡眠が多分熟睡である。最初は序章・・? まだ実験はしていないが、もしかしたら最初の睡眠でもイケるようになるかも知れない。実際過去において、そのような睡眠で目覚めそのまま起きて一日活動したことがあった。その時はハイテンションな一日で充実したものだった。が、そういうものは長続きしなかった。それが悪いとは思わない。が、中身がまだ出来上がっていない状態だったのだと思う。今と比べたら多分雲泥の差だと思える。今は中身も相当出来上がっていて、過去のそういう感じでやっても意外に長続きするかも知れない。が、今はまだやりたくはない。睡眠時間は4時間40分くらい。


 「アウトロー」というDVDをレンタルして見た。トム・クルーズが主演した映画だ。私がアメリカの俳優では、というよりも、日本人以外の俳優では一番好きな人物であるが、彼が出ているということで封切りしていた頃から注目していた。実は既に3回半程見ている。つまり、レンタルは合計2回ほど借りた。今までには無いことであり、それ程惚れこんだ作品である。

 トム・クルーズの当たり役と言えば、例のスパイ物であるが、私はどうも彼の役向きは体制側の方にあるのではなく、どちらかと言えば今回の作品のアウトローで表現されているように、体制側の反対、つまり、アウトローなのであるが、そういう立場の役柄がピッタリだと思っている。そういう役の方が彼には一番個性を発揮できていると思えるのだ。と言うか、体制側であれば彼のプロに徹した役にはどうも当てはまらないような気がするのである。例えば体制側の代表格と言えば役人であるが、公務員があまりにもプロに徹すれば中々社会の中ではうまく立ち回ることが出来ないような気がするからである。ある程度なあなあな感覚でやらねば、職責が果たせないような(公務員の皆様には申し訳ないのですが・・私の偏見かも知れませんが)、そんな気がするのである。

 過去、彼の作品で殺し屋を見事に演じていたものがあった。この役も本当に実際にこのような殺し屋がいれば本当にプロに徹した人物であり、実際にこの世にいたとすればこのような人がいたとしても不思議ではないだろうなと感じさせるように描かれていた。そういうところが変わり者の私はとしては好きな所なのである。そして今回の「アウトロー」に出てくるトムの役柄にもそういう感じが出ていたものである。

 原題のタイトルは確か主人公の名前をそのまま使用したものだったと思う。「ジャック・リーチャー」だ。日本人がこの映画を見る時は確かにこの原題ではしっくりしないのかも知れないが、アメリカ人が鑑賞する場合はこの原題の方が良いのだろうと思える。実は私もこちらの原題の方が良さそうな気がする。時にアメリカでは映画に関わらず小説やその他の表現作品においても、このように主人公の名前をタイトルに使う場合が多いように見受ける。こういう手法は私も好きである。しかしやはり日本人には個人主義的なものは似合わないのかも知れない。

 なぜ私がこの映画を3回半も鑑賞したかと言えば、作品自体が面白いと言うよりも、ストーリーが面白いと言うよりも、やはりトム演じる主人公の生き様、それは多分トムの生き様も少しは反映しているのではないかと思えるのだが、それが私には興味深く感じるのである。孤独であるのだが、寂しくはなく、自分の中に法律を持ち、自立し、強いマインドを持っている。そんな強い男は現代では稀である。だから見る人に興味を抱かせるのである。

 この映画を見ると私は不思議に自分でも何かやる気が起きるのである。よく世間ではスポーツ選手などから勇気を貰ったなどと言う事があるが、私などはそんな思いをしたことが無い。率直に言えば、誤解を怖れずに言えば、彼らは自分のために勝手にやっているだけである・・と思えるからである。だからそんな者からは勇気などはもらえない。しかし私はトムが演じるジャックからは勇気と言うよりも、私もプロに徹することが出来る様な仕事に付きたいと、いや、今やっている仕事の中でももっとプロの意識にならなければ・・・と思うのである。だから私は飽きずに何度も何度もこの同じ作品を見るのであり、見ることが出来るのである。トムはやはり少し世間から外れた所にいる主人公を演じてもらいたいものである。


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01月25日

起床時刻:04時53分

 就寝午後11時半頃。最初の目覚めは午前1時頃。仮眠程度の睡眠であり、本格的な睡眠の序章である。そういう風にとらえる。そして本格的な睡眠に入る。それが4時間弱の睡眠であり、トータルで計算すれば5時間と少しの睡眠時間となる。比較的良く寝たと思う。


 同僚がインフルエンザにかかりその代理として私が彼の仕事をこなした。私たちは複数のチームで一つの仕事をこなし、勤務の無いものは実質オフとなるようなシステムだが、チームの中では最年少の私が選ばれたのかはたまた私の勤務スケジュールが余裕があったから選ばれたのか私には分らないが結果的に私が彼の代わりを務めた。

 私たちの地域ではあるいは全国的にも今はインフルエンザの流行始めだという。ピークは今月末から来月初めにかけてらしい。そういう意味では同僚は先端を走っている。物事に敏感な体質なのかも知れない。そう考えれば、少しは彼も気が休まるのかも知れない。しかしいずれにしても体力的にも精神的にも大変だと想像する。

 他の同僚に聞いてみても、多くは既に予防接種などをしているらしい。だからある程度の安心感も持っている雰囲気が感じられるが、私を含めて数人はまだやっていない。多分私もこの先その予定はないし、する気もほとんど無い。私は同僚たちにも告白したが、元来注射は苦手だし嫌いである。しかし誰だってあんなもの好きな者はいないだろう。安心のために、致し方なくやるのである。

 結局私にはどこか絶対にインフルエンザなどにはかからないという気持ちがある。絶対と言えば大袈裟かも知れないが、ほぼかからないという自信はある。風邪ももちろんそうである。寒さなどもどこか嫌なものとはとらえていなく、ひんやりして気持ちが良いものだと自覚している所があるのである。つまり、この寒さは嫌なもの忌避するものなどではなく、冬だからこそ経験できる貴重な良いものだととらえているのである。

 そんな男だから、結局インフルエンザや風邪の菌やウィルスが避けて行くのかも知れない。つまり彼らとは波長が合わないのである。波長が合わないのであるから、そんな病気と言えるような症状にもならないだろう。注射によって微弱な同質なウィルスや菌を体内に入れなくても私には免疫らしきものも既にあるだろうし、そのような者が体内に入ったとしてもそれらを撃退するようなものが既に存在してやっつけてくれるだろうと期待しているのである。それは白血球とか何とか言われるものである。

 そんなものは私だけではなくても誰にもあるはずなのだが、それではどうして皆予防注射などするのであろう。自分の中には悪いものをやっつけるようなものなど無いものだと思っているのだろうか。自分自身を信頼してやらないのがある意味不思議である。自分の中には既に完全な物が存在していて、どのような状況になったとしても常に完全に良い状態に調整してくれるのだと思えばいいのである。

 しかしそうは言っても私だって以前は風邪もよくかかっていたし、一度だけひどいインフルエンザにもかかったことがある。その時は熱は勿論のこと、鼻水も多量に出て咳も出た。特に辛かったのは関節の痛みだ。体中の節々が痛くて身動きもままならなかった。その上ご飯も食べられず、本当に大変だった覚えがある。しかし振り返れば、なぜそんな苦労をしなければいけなかったのか、自分自身でも今でははっきりと分る。自分が普段考えたり行動したりしてきた生活習慣の積み重ね、結果である。当たり前のことが当たり前として出てきただけのことだった。

 しかし今は普段の生活の中で良い意味で緊張しながら楽しく生活を送っているから、風邪などにかかるような原因を体に入れないようになっている。ある人は「気合を入れて風邪にひかないようにしている」とか、「気迫ですよ」という精神力で風邪を予防しているようだが、私の場合はそれとも違う。そんな気を張っていては疲れるばかりで、私には似合わない。私はリラックスして普段どおりの生活をしながら、風邪にかからないのである。しかし人間は本来そんなものである。野生の動物達のどこに気合を入れて風邪にかからないようにしている者がいるだろうか。

 毎日を楽しく、しかも気楽に生きていけるようなシステムを備えて生きられるように私たちは出来ている。それは人間だけではなく、全ての動物、植物、全てである。だから将来に向かって不安なものに怯えるのではなく、自分を守り自分を生かすような自然に対して自分を任せて生きれば何の心配も無いはずである。私たちは本来そのような存在である。全て任せればいいのである。普通に、普通に・・。.


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01月24日(金)

起床時刻:02時53分

 就寝午後10時過ぎ。途中一度目覚めるが、時刻は分らない。猫の動きで目覚めたのか、あるいは、自然な目ざめかも定かではないが、多分後者の方であろうと思う。多分午前0時前後か・・。そして本日の起床時刻。多分。睡眠時間は結果的には4時間半くらい。いつもより1時間早く寝たから起きるのも早くなった。これはしょうがない。それでも難なくサッと起きれた。この時刻でも躊躇無く。


 インターネットのお蔭で今はオンデマンドに好きな画像や映像が見れるのが良い。私にとってのほぼ日課となっているアイドルのAKB48のプロモーションビデオを見ることもそのうちの一つだ。恋のフォーチュンクッキーである。愛称がサシコ・・と言われる彼女の飛び切りの笑顔で始まる例のものである。正確にはDJの黒人がノリの良い喋りで始まるものであるが。

 指原 莉乃は私を過去にタイムスリップしてくれる。彼女だけではないかも知れないが、グループの彼女たちの躍動感あふれる笑顔と踊りが私を自分の青春時代に連れ戻してくれるような気がして私は一日で一番元気の良い朝の日課にしてくれているのだと思う。とにかくその時は私の至福の時なのかも知れない。

 また彼女たちだけではなく、様々な個人や団体がこの踊りを踊っている様子も描かれるが、それもまたとても楽しい。ワクワクとして皆楽しそうに踊っている様は見ている方にも高揚感を与えてくれる。一緒に踊っているというような気分にしてくれるのだ。

 しかしこの歌に出会う前の私は彼女たちのグループにはあまり関心もなく、どちらかと言えば世の中の多くのオッチャン達と同じく批判的な感じが強かったと思える。チャラチャラして、どこかこんなものが良いのだ・・という感じである。指原 莉乃以外のセンターを取ってきた歴代のアイドルたちを見てもただ可愛いきれいな若い女の子・・という印象しか持てず、逆にどうして皆彼女たちが良いのだろうと思っていたくらいである。

 それは自分自身が既に若くはなく、年老いて行っているのを自覚していなかったのかも知れない。世の中の多くの若い男性とは明らかに感覚が違っていたのだろう。老化していた自分を反省もせず、ただ周りを批判していただけである。まさにそれが老人なのかも知れない。

 しかし指原 莉乃はそんな私を変えてくれたのかも知れないし、そんな事でもなく、ただ単に私が変わっただけの事かも知れない。そして変わった私の前に突然彼女達が新鮮な姿となって現れてきたのかも知れない。まさに、ナイスタイミングであった。

 とにかく私はこのPVを見ている間、タイムスリップをして異空間に飛んで行ってしまう。多くの時を超え、若かった頃、20代なんか一気に飛び越え、10代の頃に戻ってしまうのである。だから結局人間は年齢ではないのかも知れない。感覚…これが最も大切なものである。感覚が共通していれば、人は連帯し合えるのである。中学生や高校生の私に戻って私はこの歌を鑑賞している。だからとても楽しいのである。

 指原 莉乃の明るい笑顔の歌唱で私は幸福な気持ちになる。高校生の頃の感覚に戻る。いや、戻ったような気持ちになる。正確に言えば違うのかも知れないが、本当はもっと素晴らしい境地にたどり着いているのかも知れない。高校生の頃は逆に楽しいことも多かったが「若きウェルテルの悩み」のごとく、若者特有の葛藤や悩みも多かったのだから。しかし今の私の青春のワクワク感はそんな「負」の感傷は一つもないのである。だから楽しくて明るい高揚感しかないものだから毎日の楽しい日課となっているのかも知れない。

 このPVを楽しく見ている間は私は良い状態にあるのだと自信が持てる。そんな自分をキープしつつ毎日を懸命に生きて行こうと思う。死ぬまで青春・・・まさにあの若大将、加山雄三さんのごとく、日々を明るく楽しく暮らせていけたら幸せである。「幸せだなあ~」と彼は歌の中で言っていたものだが、案外こういう感覚だったのかも知れない。 


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01月23日(木)

起床時刻:03時57分

 就寝午後11時。出張先。最初の目覚めは午前0時。直ぐに寝る。そして本日の起床時刻となるのだが、この第二弾目の睡眠は4時間弱。一度も目覚めていない。熟睡である。初めのものと足せばトータルで睡眠時間は5時間弱。良く寝た。昨日の睡眠時間が4時間で、昼食後に15分程度の仮眠を取った以外にはずっと起きて活動。その為か、熟睡もいただけたし、5時間弱の睡眠時間となったのかも知れない。今の私は大体4時間~5時間の睡眠時間かも知れない。


 私の仕事の従事者は全部で七人であるが、その内、2人組みとなって1日の仕事に取り組む。残りの五人はオフである。24時間の勤務であり、早朝から翌日の午前まで仕事である。丸一日以上の拘束された仕事は体力的にはそれほど過酷な仕事ではないが、束縛されているという精神的な面では中々きついものがある。

 だから勤務明けの翌日の朝からは大変な解放感が得られる。他の同僚達は概ね帰宅すると風呂に入ったり食事を取ったりした後1時間程度の仮眠を取っているようだが、私はほぼ取らない。と言うのは、前述した解放感からの高揚感で、寝てはいられないのである。妻と一緒にどこかに遊びに行くことが多いのである。

 そんな日々を繰り返す毎日であるが、一昨日もそんな勤務明けであった。特に今回は中4日のオフ。そんな事は珍しいのであるが、今月は前半と中盤に勤務が混み合って、回数も集中していたのだ。その為今月の後半は比較的勤務の無い日が多く取れていた。それで私は久しぶりの長いオフで気分もリラックスしていた。自宅には客も来ていたようだが、私は2階でテレビなど見てのんびりしていた。

 中4日だからと前から私は色々と計画など考えていた。具体的には何かをするという事も決まっていなかったが、それでもこのオフの間には何か普段出来ないような楽しい遊びを考えていたのであった。そんな時、電話が鳴った。しかし直ぐに着信音は消えた。1階で客の相手をしていた妻が取ったのだろうと思った。誰だろう・・と思ったものだ。自宅の固定電話である。

 それから妻が2階に上がって来て私に言うには明日(つまり今日のことであるが)出勤予定の担当がインフルエンザにかかり仕事ができなくなったと言う。それでその代わりとして私に白羽の矢が立ったのだ。警察官でも消防官でも勤務明けの翌日は普通休みだと思う。24時間を3で割ったら8時間である。つまり3日に一度の勤務が普通なのだ。しかし我々の仕事の場合たまに中1日の出勤もあったりするが、それは大体ひと月前に決まっているからそれなりの覚悟も出来ている。が、こういう場合は急遽決まる。しかもそれは翌日の勤務である。だから普通はあまり出たくない。

 私は電話口で語るチームの責任者の言葉を聞きながら、しかし不思議にもそんなに嫌な気持はしなかった。逆に相手の責任者の方が大変な恐縮さで、私に相当の気を使っている様子だった。誰もが嫌な仕事であるのが明らかな事であるからだ。しかし不思議に私は彼の願いにあっさりと答え、快諾した。

 自分でも驚くほどに不思議なほどに私は快諾した。「良いッスよ~」とあっさりしたものだった。何も躊躇することもなく考えることも無かった。他に誰の名前も責任者には浮かばなかったのかも知れない。他の同僚は何人も居ると言うのに私にそれは決まってしまったのだ。何かの理由があるのかも知れないが、それは又運命である。運命には素直に従うものである。

 そのやり取りを来客も聞いていた。もちろん妻も。その客は冠婚葬祭の営業担当。女性が2人。一人は息子さんが今回のセンター試験を受け、来る度に私と受験談義を重ねていた相手。しかも聞けばあまり結果は芳しくない様子。しかしその時の私の余りにもあっさりした返事と態度には何かを感じている様子だった。私はこの時は勤務明けであったし、彼女とは話す気は無かったが、代理の仕事を快諾した後の勢いで、またまた彼女と息子さんの話になった。少しであったが。

 私は彼女に言ったものだ。「地獄であろうが楽しく生きるのが良いと思います」と。少し大げさな大袈裟な話になったが、分りやすく伝えたかったのだ。彼女は反対に翌日急遽決まってしまった私の勤務について少し同情を示してくれたようだが、私はそれにも「でも楽しいですよ」と答えた。大変だあ、厳しい、過酷だあ~と思えば本当に現実もそうなるだろうし、自分自身も嫌なものである。だからそう思わないで、楽しいなあ・・と思えば良いのだ。そういう風に自分を躾けるのである。日本一の高額納税者と言われる斉藤一人さんも「言葉には創造の力がある」と言っている。口から出る言葉には創造する力があるらしい。

 聖書の中にもあるではないか。「口の中に入るものには気をつけることも無い。ただ口から出るものには気をつけなさい」と。つまり言葉である。また聖書の巻頭にもこういう文がある。「言葉は神なりき。初めに言葉があった」と。


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01月22日(水)

起床時刻:03時47分

 就寝午後11時半頃。最初の目覚めは午前1時過ぎ頃。そして本日の起床時刻。睡眠時間は4時間と少し。短いかも・・とチラッと思ったが、意識もはっきりし、最も強い寒気も感じたが、それでも体と心はサッと起き上がった。夜から雪が降り、もしかしたら積もって、路面凍結か・・と心配していたが、雪が降った形跡も無く、安心。と言うのも、本来は仕事がオフの日だったが、急遽、仕事先の主任から電話。本日の担当者がインフルにかかり、欠勤とのこと。代理として出勤して欲しいとの内容だった。躊躇することも無く快諾。そういうことで本日仕事と相成った。


 かつてテレビなどで人気のあった評論家の竹村健一さんがよく口癖で言っていた言葉で私が好きだったのが「私は人には気を使わないが、頭を使う」というものだった。まだ20代、30代の若さだった私にはそのフレーズがとても好感が持たれ、社会に出たばかりの私にとっては心地よい響きがあったものだ。

 普通より長い大学生活を送り、片親で育った私は友人からは少々企画外れな男だと言われていた。そんな常識はずれの私が社会人となり、初めて仕事を覚え悪戦苦闘していた頃、竹村健一さんはそんな大変な社会で「電波怪獣」の異名を持ちながら大活躍の日々だった。そんな彼を羨ましく憧れもしていた。それに比べて自分の何と不甲斐なさよとか、不自由な境遇、環境に日々苛立ちを募らせていたものであった。

 とにかく私には自由が欲しかった。そして物質的にも精神的にも豊かさを持ち、その上に自由な境遇を持っているかのように見えた竹村さんは本当に目指す理想像だったのかも知れない。そんな彼が「人には気を使わず、頭を使っている」と仰るのである。

 しかしそれはいかにも簡単な言葉であり、羅列であったが、いざそれを実践するとなるとそれは大変な困難さを持ち、難しいものであったと思う。実際に社会で生きる私にとっては、この言葉のまさに真反対の生き方でずっと過ごしてきたと実感するのである。つまり、他人に気ばかり使ってしまい、頭などは一切使わないような自分がいたのである。

 それはやはり私の精神の脆弱さであると思う。おどおどした周囲への配慮。気の配り。それは一見良いようには見えても結局保身主義であり、自分可愛さから出てくる衝動である。そういう中には一切の「強さ」などは無いのである。人は強くなれば自然に自分を守るのみの気配りから解放され、実質的な頭を使うだけの処世となるのかもしれない。

 時間が過ぎ、様々な人生を経験し、そして自分なりの修業を重ねてきた私であるが、今ではどうにか多少、竹村さんが言っていた言葉の実践に努めている部分もある。つまり、他人に対して変な気配りは止め、頭を使って人間関係を築くというものである。だからたまには相手との沈黙や、一切の言葉を廃絶した空間があったりするが、それも今ではあまり気にならなくなった。そういう状況になっても今の私はあわてないし、違和感も感じなくなった。

 他人との関係ではいざと言うときに本当の思いやりとか気配り、相手の立場にたっての心遣いさえできればそれで十分である。普段のつまらぬ心配りなど不必要なのだと思うようになった。そして人はそのような精神状態になれば無駄なエネルギーは消費せず、必要な事だけに集中して活動できるようになるのかも知れない。本当に自分の夢を実現したいと思うのなら、やはり竹村さんの「人には気を使わずに頭を使う」というルールを実践するに限ると思うのである。.



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01月21日(火)

起床時刻:04時20分

 就寝午後11時。出張先。最初の目覚めは多分・・午前1時20分くらい。直ぐに寝る。そして本日の起床時刻。2度目の睡眠は十分に熟睡だと思われる。3時間の睡眠を得た。トータルでは5時間20分の睡眠時間となる。良く寝た。サッと起きる。同僚は神経質なTさん。気になるが、今の私はそれでもサッと起きられる。


 数日前の事。市内のショッピングセンターに出かけ、トイレに入って用を足しているとき、私の前に既にトイレに入ろうとしていた一人の若い男性が大の方に入って行った。そのトイレには三つの大があり、既に入っていたトイレとその男性が入ったものとは真ん中の空いていたトイレを挟んでいた。私は「小」だったが、そちらの方には私の他は子供が一人既に用を足している途中だった。

 私が用をたし始めると、既に大に入っていた方かあるいは私の前にトイレに入って行った方かは定かではないが、私の背中の方で例の音がしたのだ。その音とは汚い話で申し訳ないが、大の音である。しかも、それは明らかに「下痢」を感じられる音だった。いわゆる「ビチグソ」(笑)の音だった。

 私は思わず「クク」っと笑ってしまった。下痢の当の本人にとっては笑い事ではないのかも知れないが、そういう場合はやはり可笑しいものである。思わず笑ってしまったのだ。その笑い声は勿論後ろの方には聞こえない程度のものだったが、私の一つ置いて隣で用を足している子供には聞こえたのだろう。その子供は私のほうをチラッと見たようだった。もちろん下痢音は彼も聞いているのだと思う。

 私はこういう時、やはり嫌な気持ちはするものである。下痢をするのを笑うのは良いものではないと思う。それは「明日は我が身」であるからだ。自分がそのような時に同じ空間にいる者から笑われれば良い気はしないからだ。しかしホントに申し訳ないが私は思わず笑ってしまったのだった。

 しかし正直言えばやはり下痢の音は聞きたくないものである。他人のその音はやはり心地良いものではない。笑って自分の心を誤魔化す・・・というのが正直な所なのかも知れない。しかも普段なら私は笑った上にある歌を歌う。私が作詞作曲した「ビチグソ・ロックンロール」だ。歌詞はただひとつだけ。「ビチグソロックンロール」というコトバを何度もただ繰り返すだけだ。もちろんメロディーはロック調。この態度は決して褒められるものではないが、そうやって私は自分に襲ってきた嫌な気分をいささかは癒しているのかも知れない。

 嫌なことを笑い事に転換する為の私の手段である。多分、きっとそうである。しかし昨日はさすがに隣りに子供がいたので、その歌は口ずさみはしなかった。やはりこれは教育に悪い(笑)。人の不幸を笑うのは大人のすることではない。下痢の音を出した本人だって好きで出した訳ではないだろう。だから明らかに私の行為は良いものとは言えないのだ。しかし、それでも私はこれからも笑った後にこの歌を歌うのだろうと思う。

 もう一つ、私に言い訳を言わせてもらえるのなら、私には随分長い間下痢の症状は無い。以前の私であればやはりその症状もあった訳であるから、人の下痢は笑わなかったかも知れない。しかし今の私には下痢の症状とは無縁である。いわゆる「軟便」がないのである。程よい硬さなのだ(笑)。だから下痢で苦しんでいる当人にとっては悪いが、やはり下痢を引き起こす者は当人に責任があるのだと思ってしまう。本人の食生活、普段の健康に対する姿勢等等。

 先ずは食べ過ぎだろう。本能の赴くままに食べれば下痢にもなるだろう。そして早食い。そして偏った食生活。色々と思いつく。自分の胃袋や腸を酷使し、自分の内臓はもちろん自分の体の一つなのに思いやりなどかけず、自分の体の声を無視し、無茶食いを重ねて行けば体は悲鳴を上げて自分の苦痛を「下痢」という形で本人に、ご主人様に知らせるのである。しかし当の本人は、ご主人様はその悲鳴を一応は聞くのだが、薬で一時的に抑えようとして、自分の生活を改善しようとは中々思わないのだ。何か自分以外の何物か、他者の責任に転嫁したりして反省を怠るのである。自分以外の何物か・・それはある時は今流行の「インフルエンザ」である時もあるだろう。

 しかしインフルエンザのウィルスだって、症状が現れる者もいるだろうが、症状が出ない者もいるのである。風邪などどこ吹く風・・という者も広い世間にはいたりする。風邪などかかって体内の悪いものを排出する必要の無い者もいるのである。毎日、日々の生活の中でその時その時に悪いものを排出していれば、まとめて風邪などにかかって排出することもないのである。完全な健康体であれば、インフルエンザ恐るるに足らず・・なのである。

 強靭な胃袋、健康な腸を持てば、便は自ずと健康的なものになって体外に排出されて行く。例のビチグソの音とは無縁の生活になるだろう。そんな生活をする者も同じ世間にはいるのだと思って、毎日の暮らしをもう一度点検して行けば健やかな日々は訪れる。ビチグソロックンロールは流行らないのに越したことは無い。


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01月20日(月)

起床時刻:04時52分

 就寝午前0時頃。途中覚醒あり。午前2時半前頃に目覚める。しかし直ぐに寝る。目覚めたのはそれだけ。睡眠時間は5時間弱。


 一昨日は一日大変な仕事をこなし、体と心もまさにヘロヘロ状態となったため、帰宅してからの晩ご飯はいつもとは違う食べ方となってしまった。まさに、檄食。頭ではいつものように「咀嚼」を意識し、一口60回を目指して食べたのだが、心は早く食べたい、もっと食べたいという気持ちが焦り、本当に正確に数をこなして咀嚼したのか何とも怪しい食事となった。それでも私は意識して咀嚼して食べた。

 他の同僚と比べて私の疲労度ははるかに高かったようだ。他の同僚達はいつもと変わらぬ表情だったが、私は違った。なぜに・・と思ったが、仕事を振り返れば私は明らかに密度の濃い仕事をこなしたのだ。だからと言って他の同僚が手抜きをしていたというわけではなく、私が度を越して仕事に取り組んだのかも知れない。それもこれも現在の私の食生活と毎日の運動、祈りに関連していると思わずにはいられないのだ。

 とにかく今の私は仕事モードに入るとジッとしていられない。何かをしているという状態である。目の前に困ったような様子の客を見れば、あるいは、客ではないのかも知れないが、仕事スタッフ以外の人たちの難儀の人たちを見れば私はジッとしていられずすばやく動く。体が反応する。考えたりする暇も無い。サッと動くのだ。そして出来るだけのサービス、奉仕をする。完璧とは言えないのかも知れないが、その時その場で今の私に出来ることをやるのである。

 すると一日終わった後、まさに、ヘロヘロ状態になっているという訳である。時給の仕事であろうが無かろうが、そんなものお構いなし。本能で動いているという感じである。しかし大切なのはその時でさえ心は平静で穏やかであらねばならない。心が浮ついていたり動揺していたりすれば体にも出る。理想通りの動きにはならない。人に優しく親切な対応を目指す為に私は今の食生活に励んでいると言っても、過言ではない。ゆっくりと食べ、充分に咀嚼し、食べ物の味を深い所までしっかりと味わい尽くす。そういう基本的な姿勢が人間関係にも現れてくるものである。

 そういう事で一昨日の私は体も心も疲れ切って帰宅し、妻の作ってくれた食事をむさぼるように食べた。まさに、その時間は50分にも及んだ。イタリア人は食事に2時間はかけると言われているが、それに比べれば短いものだが、今までの私と比べたら雲泥の差である。自分でもこんなに時間をかけたというのが実感として湧かなかった。振り返れば50分・・という感じだった。だからと言ってその食事量は全く普通。いつもよりは食後のデザートが多かったかなと思える程度。昼間にサンドイッチ一つ、あとは「オヤツ」、それだけであった。1日1食の食生活は変わらない。


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01月19日

起床時刻:03時58分

 就寝午後11時過ぎ。途中何度か目覚めるが、直ぐに寝られる。睡眠時間は5時間弱。ただし、就寝前もある程度の仮眠を経て就寝した。その為しばらくは寝られず。しかし意外に深い睡眠へと入っていった。昨日はここ最近では珍しい過酷な労働をこなした。朝から晩までずっと働きっぱなし。まさに働きっぱなしだった。他の同僚とも仕事内容は同じだったが、まさに少食少眠の私ならではの働き、個性でその与えられた仕事をこなしたからだ。明らかに昨年とは違った動き。心と体と頭は昨年とは全く異質な仕事を私は果たしたと思う。普通なら「そこまで・・」と思えるような仕事を私はこなした。そのために体と心はピークを過ぎたのかも知れない。仕事を終えたときに私はまさに「ヘロヘロ」状態だった。同僚達はそんな私の感想をただ黙って聞いていたが彼らはいつもと同じような「疲れ」に見えた。私はまさに精も根も尽きる・・という感じだったのだ。それで空腹のまま自宅に帰り、晩ご飯を食べたわけだが、咀嚼を意識して食べたのだが、中々まだその境地には行っていないのかも知れない。アゴ関節が痛く、噛み締めるのに四苦八苦。痛みを堪えながらの楽しい食事となった。

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01月18日

起床時刻:03時57分

 就寝午後11時頃。途中覚醒あり。一回程度。午前1時頃だったと思う。起きてから直ぐにここに書き込めば覚えているのだが、今朝のように色々な雑用をこなした後に書き込めば忘れてしまう。まあその程度の記憶と言うことは、直ぐに寝られたと言うこと。そういう意味では悪い二度寝ではないと言うことかも知れない。睡眠時間は5時間程度。本日は臨時的な仕事。早朝から夜まで12時間以上の仕事。長く続いていた晴天も何やら怪しい気配。不思議にセンター試験の日は大体いつもこうである。晴天に恵まれたセンター試験などお目にかかったことは無い。不思議である。多くの受験生にとっては、楽しい日とは言えない証拠かも。

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01月17日(金)

起床時刻:06時12分

 就寝午前0時頃。途中覚醒何度もあり。最初は1時間後。それから何度か目覚めるがその都度起きようと思ったのだがいつの間にか寝てしまった。ここ最近では最も遅い起床時刻。自分でも驚く。昨日いつもより多めに食べてしまった影響か・・。と言っても、回数は多かったようだが、総量はそれほどでもないような気がする。いつものパターンの生活とちょっと違うことがスケジュールに入ればテキメン、こういうことになる。姪と食事に出かけ、帰りに彼女にパンまで買ってもらい、しかもやや大量に。それで帰宅後も思わずそれを食べてしまった。しかしあくまでも適量に。


 スワイソウと言うのをご存じだろうか。中国4000年か5000年か知らないが、古くから伝わる中国の健康体操である。準備体操かも知れない。このブログでも何度か書いたり説明したりしている。分かりやすく言えば腕振り運動である。ただ単に両腕を前後にぶらぶらと振るだけの事である。至極簡単。誰でも出来る。どこでも出来るからお金もいらないしただちょっと時間が必要だ。

 私の毎日の必須の日課である。休んだこともなく、休みたいと思う事はあるが、やり出せば直ぐにその気になるから苦ではない。そのやり方は足を肩幅に広げ頭を起こし真っ直ぐに直立する。頭から一本芯棒を通したように真っ直ぐに。そして両腕を前後に振る。一番のポイントは肩の力を抜くことである。「脱力」と言う。武芸の大切な基本姿勢である。脱力から本当の力は生まれると言われる。強い武芸者は皆この肩の力が抜けているような感じであったという。

 肩の力が抜けていれば敵の攻撃にも柔軟に対応できる。そしてスピードも速い。パワーも体の奥から湧き出てくる。そういう姿勢で心持で両腕を振るのである。ここでポイントである。手の平の向きは二通りある。一つは体の後ろ、後方に向けるやり方である。これは「導引術」と言われる日本の健康法のやり方である。これで後方に漕ぐような気持ちで振り下ろす。この時若干力を入れる。入れながら体の中に溜まった邪気を払うような気持ちでやるのである。手の平で邪気を払うのである。回数を重ねるごとに体から邪気がふり払われきれいな体と心になって行くイメージでやる。

 もう一つのやり方は、手の平を体側に向けてやるのである。内側に向けてやる。手の平で体を包むような気持ちだ。この時は前方に振る時に力を入れる。と言っても、軽く入れるのである。あくまでも肩の力は抜いた状態である。今度は邪気を払うというよりは、体に気をため込むという感じである。やればやるほど体の中に気が溜まり気が横溢してくるというイメージだ。お腹の中に気があふれるという感じである。

 前者のやり方は主に健康法として。病気の人や元気のない人が健康を取り戻すためにやるという感覚。自分の中から邪気を払って、きれいな体にして健康になるという感覚である。後者は既に健康な人が更にパワーアップを図るという趣旨だ。中国ではこのやり方は武芸者が更に強くなるためにやる。私は健康になって充分幸福になり、今のままで良いという停滞感を打破するためにやる。更に己の高みを目指すためにやるのである。もっともっと・・・の世界である。ドラゴンボールの世界である。

 後者のやり方は現代の科学者や西洋人にも支持されているらしい。癌などの難病、特に医者からさじを投げられた状態の患者が一念発起してこのやり方に取り組み、健康を取り戻した後もさらに修行を重ねていき、超人のような体力を獲得したり、大富豪となったような結果もあったらしい。とにかくそんな夢のような事も現実の視野に入れて取り組めばさらに楽しくなるだろう。

 つまりこの健康法は自分を変える魔法の杖なのかも知れない。私にとっては一つの自分を変えるための「瞑想」になっているのである。祈りである。神を感じられる時間なのかも知れない。


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01月16日(木)

起床時刻:03時45分

 就寝午後11時過ぎ。出張先。しかも本日はいつもの寝室ではなく、急遽寝室に作り替えた場所での就寝。だから寝起きもあまり良いものではなかった。慣れていないという事もあったのかもしれないが、とにかく良い感じではなかった。他の同僚は複数回体験する者もいたが私は今回のこれ一度きり。だから次回にこの経験を活かすという事はない。それが少し残念。しかしもうこんな経験はしなくても済むというのが一番良いのかも知れない。途中一度だけ目覚める。午前1時40分頃。この時起きていれば睡眠は2時間半くらい。だから起きても良かったのかも知れない。目覚めた時もそういう風に考えたくらいの意識はあったのだ。しかしそのまま再び眠りに入った。結局睡眠時間は4時間半くらい。

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01月15日(水)

起床時刻:04時38分

 就寝午後11時過ぎ。途中覚醒の記憶はほぼ無い。が、途中、布団の中にいるのにも関わらず体全体がグッと冷え込んできた感覚を覚えた。相当気温低下があったことと思われる。昨日は晩ご飯のあと、少し長めの仮眠を取ってしまった。その為夜はあまり眠気も無く、布団の中に入った後もしばらくは寝られないような感じがしていた。が、意外にそうでもなく、ある程度の時間の後、そのまま眠ってしまったようだった。睡眠時間はしかし長めの5時間半くらいか。


 昨日の夜、珍しく姪からメールが届いた。何だろうって思いつつそれを開くとあるビジネスの誘いだった。彼女はそれを半年前に知り、スタートさせ、今ではまあまあの収入を得ていると言うことである。まあそれはどの程度かは分らない。が、私はいつもならあまり関心も示さないのだが今回は少し違っている。丁度今私はそういう分野に思いが湧きつつあるのである。

 一頃ネットワークビジネスが流行った。それは私が知らないだけで今でも変わらず隆盛しているのかも知れないが、年齢的にも私の現在やっている仕事的にもそういう世界の人たちとの交流が全く途絶えており、長いことご無沙汰だったからである。私は姪のメールを何度か読み返した後、そんな感想も得た。

 しかし内容的には従来のネットワークビジネスと同じような感じは受けた。つまり賛同者を広く集めてその辺りから収入を得ようというものだ。が、姪のメールの内容も詳しくはあるいは具体的には説明していない為に私としても断定は出来ない。ただ何となくそんな感じを受けた・・というだけであり、私の単なる視野の狭さかも知れないからだ。

 そういう意味でも今度近い近い内に、と言っても、明日になるのだが、ある会場で説明会があると言う。もちろんそのビジネスについてのだ。どんな感じで行われるか、どれほどの人が集まるのかは分らないが、そしてそいう詳細を彼女に聞いてみても良いのだが、私は敢えてしない。知らないことの多い方がミステリアスでちょっと楽しいからだ。自分だけの想像と偏見と少ない知識のみで会場に足を運び、自分の世界の枠を大きく飛び越えたものが展開されるのなら、それは又随分楽しいしワクワク感も大きいと思える。

 現在私は自分で始めたネットの仕事をいまだやっている。この歴史も比較的長く、10年近くやっている。そして世間的な、誰もが納得し、いわゆる普通の、カタギな仕事も同じく10年くらい続いている。飽きっぽい私としてはどちらとも随分長く続いていると我ながら感心している。もし私が独身で、自由な身分であったら、こんなことにはならなかったかも知れない。今の私の食費などはホントに微々たるものだ。もし私が独り身なら、1日の食費は一日0円ということもあり得るし、その自信もある。

 だから以前に比べたら、どうしても新しいビジネスをやらなければならないという理由は無い。動機もない。子供たちも立派に独立し、子供たちへの心配も一切無い。逆に多分彼女たちに心配されているのかも知れない。そんな私ではあるが、やはり山師的感覚もひよっとしたらあるのかも知れないし、もっと今よりは豊かになりたいと言う衝動もあるのかも知れない。健全な欲望はあった方が良いと思う。しかし、残された人生において、死ぬ時に、思い残したり、懺悔したり等という事はしたくないとは思っている。いや、死ぬ時なんて遠い将来のことに思いをはせるのではなく、今を真剣に、今を真摯に取り組みたいと言う気持ちは徐々に強まっている.それはこの世的なことに対してだけに生きるのではなく、あの世的、五感の世界以上の世界を見渡しての生き方も視野に入れての処世である。

 そういう人生においての、充実した毎日日々を送りたいという欲求は日増しに募っているのである。そんな気持ちも含めて、明日の姪との再会(と言っても、彼女とは正月元旦に新年会で既に会っているが)は少し待ち遠しい。新しい私の生きる道が発見できるかも知れないという期待感である。.


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01月14日(火)

起床時刻:02時53分

 就寝午後11時。最初の目覚めは午前2時前。この時点での睡眠時間は3時間で、つまり一気に3時間の睡眠を得られたわけだ。だからこの時点でも起きようと思えば起きれた。実際意識も割合はっきりし、まさに起きようと思っていたのだが、出張先であり、時刻的にも少し早いかな・・と思っている内にいつの間にか眠ってしまったようだった。その証拠に次の睡眠時間は1時間。このくらいの短い睡眠では本来の睡眠の働きも弱いような気がする。つまり言葉を悪く言えば「惰眠」である。必要ないのかも知れない。しかし次の起床時刻、つまり本日の起床時刻であるが、午前3時前と言っても常識的には超早い起床時刻である。それでも私はサッと起き上がることが出来た。既にこういう感覚は私の中では全くの「普通」なのであり、それは世間では「脱常識」なのだろう。結局睡眠時間は4時間くらい。最近意識的には3時間の睡眠でもそんなに「違和感」が無くなった。以前はやはりまだどこかで「俺にはまだ無理」という意識があった。今はもう卒業したのかも知れない。


 私にとっての少食のスタイルはここ最近変化を感じている。食べる量は以前の少食よりも更に少なくなっているとは思うのだが、以前よりは苦になっていないと思う。つまりある程度生活に定着したというか身について来たと思っている。

 以前までは多分に意識して少食に取り組んでいた。頑張って少食に取り組んでいたという感じだった。しかし今は何となく自然な感じで少食生活を送っているような感じがするのである。これには私なりに秘訣がある。極意・・だと言っても過言ではない。それはまさにシンプルであり、極意とは結局単純な事であり、昔から人々の間で言い伝えられて来たものなのである。それは食事は「しっかり噛んで食べる」という事だ。そんな事当たり前、今さらとやかく他人に言われる事でもない・・と言われそうだが、まさしく真理は当たり前の中に、ごくごく平凡な日常生活の中にあるのである。
しかしそんな簡単な当たり前の事でさえ、私はたどり着くまで幾度かの困難があったのだ。様々な修行を実践し宗教・哲学・啓蒙書・健康法などの本を読み、自分の生身を使って様々な実験を繰り返して来た。そして現在、今の私にとっての少食についての極意は「よく噛んで食べる」という事なのだ。

 100年前に実在したアメリカの大富豪だったフレッチャーという人物はお金があるのに委せて美食三昧の日々を送っていたという。しかし体はますます肥え太って、超肥満体となり、様々な成人病を抱え込んでしまったのだ。命さえも失う程になった時、彼はそれまで頼っていた全ての医療関係から手を引いた。そのきっかけとなったのが、旅行先のイギリスで知ったその国のかつての首相の健康法であったという。80を過ぎても元気であったその首相は、記者の質問に答えていわく、人間の歯は32本あるから一口32回噛んで食べなければならないと。それを見たフレッチャーは、これだと確信しすぐに実行に移したのだった。フレッチャーはただこれを真似するのではなく、一口に50回60回100回200回と数を重ねて実践したという。そのお陰で二年目には全ての病気が消滅、それ以降はスーパー健康体となってしまったという話である。多く咀嚼する内に食べる量も徐々に少なくなっても一向に構わなくなり、穀物と野菜のみで元気に過ごせるようになったという事だ。肉など食べたいという気持ちが無くなり、質素で簡素な食事を好むようになってしまった。しかし元気はますます旺盛となり、驚く程の耐久力とタフさが身についた。60歳を過ぎても1日20時間働いたそうである。

このように咀嚼は物凄いパワーを持つ。私が考えるに、一口30回噛めば普通の健康状態の者ならその健康体を維持し、病気にもかかりにくい体になるだろうし、現在病気を持っている人や体に自信を持てない場合には、一口50回60回ぐらい噛めばそのうち驚く程の健康体になるだろう。夏の猛暑や冬の厳寒にも十分耐えらるようになるだろう。風邪にも強くなりインフルエンザとも無縁になるかも知れない。健康の為にとか頭でっかちに考える事もなく、自然に体を鍛えたくなるだろうし、動かしたくなるだろう。また体と心は一体であるから、精神も強くなり立派になるだろう。己に厳しく他人に優しく、時には己に優しく他人に厳しくなるだろう。それはまさに自由自在である。噛む噛むは、たくさんの元気と幸せがカムカム、まさにCOME COMEであり、やって来るのである。



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01月13日(月)

起床時刻:04時33分

 就寝午後10時半頃。最初の目覚めは多分午前3時半前。この時確かに起きようと思っていたのだがいつの間にか再び眠ってしまっていた。寒いのもあったのかも知れないが、睡眠欲求が強かったのだろうと思う。そして本日の起床時刻となる。睡眠時間は6時間となってしまった。昨日は妻の誕生日で、そのお陰でお昼に外食し、カロリーの高い食事を取ってしまったのも影響したのかも知れない。その代わり、晩ご飯はオヤツ程度に収めた。本日は出張日。


 現代人は急ぎすぎているように見える。肩に力が入りすぎているように見える。その動きはスピードが全開で、颯爽としているように見えるが、本当は「空元気」である事は何となく分る。無理して速く動いてるいるように私には映る。

 特に現役世代が顕著である。「おい、もっとゆっくりと歩きなさいよ」と思わず声をかけてあげたいような気になる。私の子供のころ、いや、もっと遡れば、私が若かった頃でさえ、もっと私たちはゆっくりと動いていたように思う。ここ最近の特徴ではないのか。とにかく今の時代に生きる私たちはまるでサイボーグのように速く歩く。

 この人はもしかしたら自宅においてもこんなに速く歩いているのだろうか・・・。と思うほど速く歩く。職場においてはこれが顕著だ。しかしたまにゆっくりと自然な感じで歩いたり動いたりする人を見るとこちらもホッとする。そういう人は付き合いやすい。自然な感じでこちらに近づいてきて、そして会話も非常に自然である。

 職場では中々友達など出来ないと言われているが、そういう自然な動きや会話の出来る人は友達になれる。私の最近の特徴はまさしくそうだ。今までは私なども自宅においての妻だけがそのような付き合い方が出来たものだが、今では意外に職場で、そしてたまに全く関係の無い人たちでさえ友達のような接し方が出来たりもするから我ながら驚く。

 先に書いた颯爽と見える動きの人たちとは心の篭もった付き合いは出来ない。多分彼らは常に他人の目を意識して動いているに違いないのだ。そんな人たちとどうして自然な付き合いが出来るだろうか。彼らに共通するのは常に自分が他人からどう見られているかであるからだ。常に自己への関心しか無いのであり、他人への関心など無いのだから。そんな人とどうして心の入った付き合いが出来るというのだろうか。

 自然な動きやゆっくりとした歩きの人たちとは血が繫がってなくても、親戚でなくてもじっくりと付き合っていけるような気がする。しかしそこには原則があり、先ずは自ら他人に親切に接して行くというのが鉄則だ。他人に対して優しい親切な思いや態度が先ず最初にあってこそ、人はこちらに同じように接してくれる。最近の私など時々ハッとするような時も多いのである。え、こんなに優しかったっけ、この人・・という感じである。

 しかしこの忙しい現代において、先に書いたゆっくりとした動きをしている人たちは皆さん他にも共通点を感じる。それは誰もがほぼ同様に個性的であるということだ。悪く言えばちょっと変わっている・・という感じだ。しかしこの少し変わっている・・というのが又魅力的に見えることもある。男は男っぽく、女は女っぽい。基本的に彼ら一人しかない個性を持った上で、それぞれのセクシーさがあるのである。

 しかし家庭以外で、外の世界で、友達を作りたいと思うのなら、先ずは自分から他人に親切になる事である。そうすれば必ず他人はそんな貴方を冷静に見ているから、特にゆっくりとして生きている人たちは見ているから彼らもそんな貴方に優しい気持ちで近づいてくるのである。思いがけない親切を貴方に運んでくるのである。そういう時に異性であったら「ときめき」など感じるかも知れない。

 この世は確かに地獄的な状況が広がっている。スピードを付けて、速く動いている人たちがこの世を支配しているかのように見えているのかも知れないが、それは嘘である。錯覚だ。物質世界の法則で生きている人たちは錯覚の世界で生きている。現象面にのみ支配されて生きていては本来の愛の世界を忘れてしまう。本当の世界はもっとゆったりと動いている。ゆったりと動いているが、常に成長発展は続けている。その流れには素直に乗る事も大切なのだが。

 さあ、もっと肩の力を抜いてゆっくりと生きよう!肩の力を抜くと「脱力」と言って本当の力が湧いてくるのである。下半身の両足はしっかりと大地を踏みしめ、ゆっくりと歩くようになる。しかしだからと言って動きが緩慢になると言うわけではない。緊急的な場合は驚くほどの力が湧いてくる。きっと走ったり歩いたりするスピードも半端ではないだろう。しかし普段はゆったりと優雅に動くのである。もっと自然に身を任せ、ゆったりと生きれば新しい素敵な人間関係が生まれる。小学生の時に、学校からの下校時の道すがらに、時も忘れて語り合ったあの親友との再会も又生まれるかも知れない。まるで家族のように、いや、家族以上に心を許しあった、あの親友が貴方の前に出現するかも知れないのだ。人生は中々捨てたものじゃない。


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01月12日

起床時刻:04時41分

 就寝午後11時半過ぎ頃。最初の目覚めは午前2時8分。続いて午前3時22分。そして本日の起床時刻となる。昨日が3時間睡眠で日中もほぼ仮眠無しで過ごしたからこのような目ざめとなったのかも知れない。一日一日でとらえるのではなく、大体トータルに連続して体は調整しているのかも知れない。とにかく今朝は睡眠を欲している感じだった。だが、それでもなお、気力で最初の目ざめで起きてもそれはそれで良いのかも知れない。睡眠時間は5時間。


 山口県の知事が病気の為に辞職する事が決まった。これから見ても健康がいかに大切であるかを実感するものだ。いつかいつかと思って様子を見ていた県民も多かっただろう。前知事や自民県連等の推薦を受けて圧倒的な強さで選挙に選ばれた知事であったが病魔にはいかんとも勝てずという事になった訳である。

 私もまあ以前から山口県の政治風土と言うか県民性というものに何となくな疑問は感じていた。明治維新で多くの英傑を出し歴代の総理大臣の数では日本一の多さである。こってこての自民党王国であり、それは保守王国でもあるという事だ。私はそれに対しては誇りだとも思っていたし県民性の良さでもあると思っていた。しかし、最近は中々そうでもなくなった。全国のニュース等を見ても我が県の知事は他に比べて地味な感じがするし優秀なのであろうが何かパッとしない。おじさん達はそれを褒めるが今の私には何か物足りないのである。そういう思いはずっと以前から漠然とではあるが感じていたが、中々それを口に出しては言えなかった。つまりそれは裏を返せば私が自分に自信を持てなかっただけの事だと思うのである。しかしそれなら自分に自信を持つ為にはたくさんのお金を稼ぐようになったり出世したりしたら出来るのかと言えばそれは違うような気がするのである。そういった外の世界での価値観によったものでは私は永遠に自信等は持てないだろうと思う。自信は自分の中にある世界で唯一の我(われ)が納得したものだけであろう。それを掴みさえすれば今回の知事辞職についても今まで漠然と感じていた山口県の政治や風土について正しい批判も出来るような気がするのである。


 東京都知事選に立候補している元航空自衛隊トップであった田母神氏もその著者で書いているが、勉強に自信がありクラスでも成績トップの連中はほぼ官僚になるらしい。反対に頭は良いのだが、クラブ活動などに汗を流す連中が色々な分野のリーダーになるとも書いてある。成績トップの連中は勉強で忙しく、とてもクラブ活動などに費やす時間は取らないそうである。つまり学業優先と言うやつである。こうして見ると、どうやら山口県の知事や官僚達はその部類で、何か新しいものを生み出したり、喧嘩してでも自分を通そうとするような情熱は無いようである。だからどこか面白味がなく地味に感じのであろう。そしてまた次の知事選で自民党が推している候補者も若いがその官僚出身のようである。無難であり間違いはないのだろうが、相も変わらぬ山口県・・という感じだ。


 結局先の選挙で自民党は復活したが、またまた昔と同じような事を繰り返して行くのかも知れない。明治維新の爆発的なエネルギーは我が山口県においては最早賞味期限も切れたままなのである。かの吉田松陰や高杉晋作はあの世で私達後輩をどんな思いで見ているのだろう。



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01月11日

起床時刻:02時26分

 就寝午後11時17分。直ぐに寝られたものと思われる。しかも出張先。その上1年でただ1度だけの同僚とは別の寝室での就寝。正確に記せば1度ではなく、この期間、数度ある。だから出張先でもあり又一人である。その上でこの起床時刻だ。就寝後一気に寝た。途中覚醒も無し。さすがに目覚めた時に迷ってしまった。自宅ならまだしも仕事先である。しかも睡眠時間は3時間。大丈夫なのか、同僚との接触まで3時間もある。しかし逆に言えば3時間である。その間このようにパソコンの更新などもこなし、仕事の段取りなどもやり、職場のいつもの掃除などもこなして行けばその内3時間も過ぎる。何事も経験だ。しかも初体験はワクワク感もあるではないか。やってみても面白いし、既に私はやっている。あのまま再び布団の中で眠りに入らなかった。と言うか、どう考えてももう寝られなかったような気もする。それはある意味3時間にも関わらず私はしっかり寝たという熟睡の証明なのかも知れない。

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01月10日(金)

起床時刻:03時54分

 就寝午後11時半頃。最初の目覚めはやはり1時間半後の午前0時過ぎ。時計を見る前に最近は何となく薄々その時刻が分る。感じる。あ、まだそんなに寝てないな、とか、逆によく寝たなとか。そして次の目ざめが本日の起床時刻となる。この二回目の睡眠で熟睡となり、一気にほぼ3時間の睡眠が得られた。結局トータルで睡眠時間は4時間半弱。
 最近の傾向だが、日中の仮眠においては、多くは晩ご飯の後なのだが、と言っても、私たちの晩ご飯は早い。まだ日も暮れていない時間帯なのだが、その後ほぼ爆睡。目覚めは本当に悪く、と言っても、熟睡感はたっぷりあるのだが、目覚めた後、しばらくは体が言うことをきかない。つまりすぐには体を起こせないのだ。と言っても、これは多分に気分的な気持ち的な問題かも知れない。つまり、朝の起床とは違って気持ちもリラックスし、休息モードであるからだ。それが分っているから、体の方も随分休んでいるのかも知れない。いずれにしろ、目覚めた後しばらくは直ぐには動けない。その反対に、朝はゼンゼン違う。起床後は直ぐに体は動き、活動体勢は万端だ。これはやはり睡眠の質にも違いがあるのだろう。夜の、深夜の睡眠はやはり良質なのだと思える。

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01月09日(木)

起床時刻:03時03分

 就寝午前0時前後。途中覚醒の記憶がほぼ無い。もしかしたら一気に起床時刻まで寝られたかも知れない。睡眠時間は3時間くらいか・・。現在の自分の持ち得る睡眠時間は4時間~5時間だと思っているので、この3時間というのに若干まだ抵抗もある。だから目覚めた時も嬉しい反面迷った。果たして起きても良いものだろうかと。だからホンの少し布団の中で温かみも楽しみながらジッとしていた。が、やはり起きようと決意。パッと起き上がった。感覚としては充分寝たという感じが強い。熟睡感はある。

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01月08日(水)

起床時刻:03時49分

 就寝午後11時。昨日と同様に、いやそれ以上に運動をこなしたはずなのだが、途中覚醒多々。特に最初は就寝後まだ1時間程度しか経っていないのに目覚めた。いささかショックに近いものがあった。睡眠とは深淵である。中々理解できないし中々コントロールできないものかも知れない。が、それだけやりがいもあるというものなのかも知れない。しかし睡眠時間は5時間弱。4時間~5時間の範囲である。1週間ぶりにテンションもアップし、昨日は好調な一日だった。これでなくては面白くない。果たして本日も同様に楽しく過ごせるか・・。色々原因や理由を探してみる。考える。だが、これだというものは見つからないし、今は思いつかない。途中覚醒は何度かあったが、それだからと言って熟睡が無かったとも言えないと思うし、よく寝たなとも言えない。しかし昨日のよく運動したという事は無駄ではないと思う。

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01月07日(火)

起床時刻:04時07分

 就寝午後11時前頃。途中覚醒無し。睡眠時間は5時間と少しとなる。目標の4時間にあと少し。しかし前日は4時間だった。しかも2日続けての途中覚醒無し。今まで偶然か又は自分の意識外での途中覚醒無しはあったが、意識してでの結果は無かったと思う。つまり私は前日に自分で決めた運動をこなしての結果なのである。これだけの運動をやれば翌日は途中覚醒無しで目覚めるという計画での結果なのである。私の場合は初日400回翌日250回というスクワットでの運動なのだが。今までは普通で100回はほぼ毎日こなしていたが、やはりそれでは私には「運動不足」だったかも知れない。時には200回程度やった事もあったのだが、それでも足りなかったかも知れない。それで昨日は少し頑張って250回こなしたのだ。勿論一日トータルしてでのことだ。夜中、一度も目覚める事無く起床を迎えるのなんて、一体何年ぶり、何十年ぶりのことなのだろう・・。たまにそういうこともあった。が、意識して、計画して、それが実現できるのはやはり気持ちのいいことだ。


 睡眠科学では、一晩の睡眠について4つのパターンに区分けされるらしい。前半の第一第二段階の眠りが浅い眠りであり、後半の第三第四段階の眠りが深い睡眠である。一般的に熟睡と言えるものがこの後半の睡眠という訳である。私など深い眠りの後には爽快な気分になり、テンションも高くいられるから、良質な睡眠を取る事はまさに死活問題であると言っても過言ではないのである。

 しかし、この後半に訪れるという深い睡眠パターンは年齢とともに減少して行くようだ。説明が不十分だったが先に書いた4つのパターンは一晩に行われるのではあるが、眠りのサイクルと言われるものの中でこの4つのパターンが進行されるのであり、時間にすれば大体90分、これが一晩に何回か繰り返されるのである。例えば四回繰り返されればトータル6時間の睡眠であり、五回であれば7時間半になるという訳だ。

 世にいう短眠者と言われる人達はこのサイクルを二回か三回繰り返すのである。ずっと昔ならこれを四回繰り返す、つまり6時間の睡眠でも短眠者の部類であったが、今の時代ではそんなものざらであり、以前の8時間睡眠は現代ではずっと短縮され6時間程度になった感があるのは歪めない。

 話を元に戻せば、その4つのパターンの中で、年齢を重ねて行けば後半の睡眠が減って来ると言ったが、これはまさに本当だと実感する。学説では、男性は40代頃からこの減少傾向が始まり、女性は大体10年ほどの時差で遅れて来るそうだ。しかし60頃になると男女ほぼ同じになる由。いわゆるこれも老化現象の一つだろうと思う。歳を取って行けばここが痛いあそこが痛いと言うようになるし、膝の軟骨が減り特別なサプリなどを取るようになるが、これらと同様に人は自分の体の衰えを感じるものとして睡眠にもそういう現象が現れるものである。

 そういえば、若い頃は夜中に何度も目覚めたりなど一度もなかったと思う。一旦眠れば朝目覚めるまでぐっすりであったはずだ。と言うか、そんな事当たり前過ぎて考えた事もなかった。年寄りが嘆くのを聞いてもそれは全くの他人事、遠い先の事であったのだろう。しかし時は残酷であり、確実に私達は一分一秒確実に歳を取り老人になって行くのである。睡眠のサイクルの中で行われる4つのパターン。老人になればその後半の部分は減少するどころか完全に消滅するそうである。つまり深い睡眠、熟睡は私達から消えて無くなるそうである。膝の軟骨が無くなり歩くのも困難になるのと全く同じではないか。
だから老人の睡眠は浅く、夜中に何度も目覚める。また起床後も心身ともすっきりしなく爽快感などおぼつかない。新たな元気や活力など生まれるはずもなく、未来への挑戦などほとんど絵空事である。それでは一体どうしたら良いのだろう。人生が仏教で言うところの「生老病死」であるのなら、人間は老人になれば明るい希望や未来を持つ事は出来ない事なのだろうか。ただあとは死ぬのを待つだけなのだろうか。

 それは違うと思う。もしそれが本当なら、それが神の作ったシナリオなら、人は健康なある年齢でピタッとこの世から消えて無くなる筈である。完全な神が創造した私達人間が情けない人生の幕切れなどを迎える訳がないのである。常に人間は進歩向上して行く存在である。なぜなら人は完全な神の最高傑作なのだから。

 私は瞑想の時いつもそう考える。だから必ずどのような問題にも打開策はある。膝の軟骨だって、致死病だって治る時代である。人類はそうやって難問と戦って来たのだ。中年以降になって夜中に目覚めたり、老人になって深い睡眠が消滅したとしても、それは結局自分がこしらえて来たものなのだ。歳を取れば人間は様々なところが衰え老化する・・と自分が勝手に思い込んだり、他人の暗示にかかったりした結果なのである。本来人間に老化は無く、究極は死さえないのである。思うように心と肉体は作られていく。かのパスカルは言った。「我思う故に我有り」と。

 だから睡眠でも熟睡を再び取り戻そうと思えば取り戻せるのである。穏やかな心、ストレスの排除、そして適度な運動である。特に若い頃のような熟睡を望むのならある程度の運動は必要だろう。自分で軽いなと思う運動では老化を阻止する事は厳しいだろう。流行りのウォーキングでも散歩程度であれば多分体は若返らないだろう。1時間半から2時間くらいであれば良いかも知れない。長い時間が嫌であれば、ウォーキングのような有酸素運動ではなく、自分の肉体に少し負荷をかける運動が良いだろう。私ならスクワットをオススメする。ただ年齢にもよるが、100回や200回程度ならどうにか楽に出来るから熟睡は呼べないかも知れない。この回数は1日トータルしてのものであるが。そうではなく、少し自分でも大変だなと思える回数をノルマにする事である。自分の我を取る作業にもなって丁度良い。その運動をこなしたあと、少しハーハー言うくらいが好ましいと思う。こうすればその夜から熟睡が訪れる。そして夜中に目覚める事などなく、すっきりと爽快な朝を迎えるだろう。朝は1日の始まりだから、その日は1日活気に溢れた1日となるだろう。そういう日々を重ねて行けば人は永遠に若くあり、老ける事などないであろう。健闘を祈ります。



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01月06日(月)

起床時刻:03時10分

 就寝午後11時。途中覚醒なし。珍しい。一気に寝た。睡眠時間は4時間と少し。これだけの時間を一気に寝られたのは本当に珍しい。良い傾向かも知れない。昨日は仕事で一日拘束。しかも合間にスクワットをいつもよりも多めにこなした。500回近い数をやったと思う。そのお蔭かも知れない。ある程度の運動量、活動量をこなせば、まとまった睡眠時間が手に入るのかも知れない。

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01月05日

起床時刻:04時18分

 就寝午後10時過ぎ。最初の目覚めは午前0時過ぎ。いつものパターン。そして直ぐに再びの就寝。そして午前3時25分。ここで起きようと思っていた。が、少し温まろうと布団に潜り込んでしまい、そのまま又睡眠に突入。いつのまにか寝てしまっていた。睡眠時間は結局6時間程度。本日は出張日である。

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01月04日

起床時刻:02時06分

 就寝午後8時前後。その後午後9時半頃に目覚める。しばらく起きていたがやはり再び就寝。その間およそ30分程度。その後一気に寝る。これは熟睡だと思える。トータルで5時間半の睡眠。

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01月03日(金)

起床時刻:04時36分

 就寝午後11時。途中二度程度目覚めるが今となっては何時に目覚めたかは定かではない。それほど熟睡に近いものだったと思う。久しぶりに直ぐに寝られた。以前の感覚に近づきつつある。最近は正月モードのような、休日感覚が無くなったように思う。いつもと変わらぬ感じである。仕事の内容は変わらないのに以前は正月でもなれば体も心もそのような感じになったものだが、今は全く変わってしまった。いつもと変わらぬ感じである。そしてそれは悪いものでもない。悪い感じではない。睡眠時間は5時間半。


 良く考えれば社会人になって初めて就職して以来、正月休みは全く当たり前の行事となってしまって、一週間程度の長い休みは当たり前の感覚となってしまっていた。独立してからは今度は自分が決めていたものだがそれでも世間を意識してある程度の休みは取っていたものである。

 しかしこの日本で皆が皆仕事を休んでいたのでは運用できないというもので、誰かはやはり働かなくてはならない。その誰かの内の少しに私たちが入っていると思えばそれで良いのだ。しかもこの年齢になってその仲間に入るのも中々乙なものであるのかも知れない。しかし思い出せば学生時代はもっと過酷で大変な時期を過していたものである。自分としてはそれを過酷だなどとは露ほども思わず全く当たり前の生活になってしまっていたのだが。

 大学時代は私は最初の学校は学費や生活費などは親任せではあったが、途中退学して次の学校に入りなおしてからは、自分の我儘の結果と言う事もあり、ほとんど全てを自分で賄うようになって来た。それで周りの学生達が長い休みに入ってからが私の本格的な学費稼ぎの日々となるのだった。正月休みなど全く縁がなかったものである。

 気の合っていた少し年上のマスターが経営していた喫茶店の仕事に取り組み、いわばアルバイトだが、その店をほとんど任せられるような立場までになり、他のアルバイトや厨房のおばさんまで差配し、私はある意味充実した学生ライフを過した。他の同級生達のようにのんびりと正月を過したという思いでもなく、私の大学時代は仕事に明け暮れた日々でもあった。

 そして休暇が明ければ今度は学校でもリーダー的存在であったから、自治活動、クラブ活動に没頭し、本当に忙しくも楽しい毎日を過した。そういう意味では私は本当に果報者であり、当時お世話になったそのマスターにも感謝しているというわけである。逆に社会に入り、お給料を貰うような立場になってからの方が、私はいわゆる「暇人」になってしまったのかも知れない。

 それではいけない。人間はいつも忙しく立ち働き、常に人のために社会のために動くようでなければいけない。そういう中でこそのひと時の休息とかレジャーなのかも知れない。だから現在の状況はそれほど苦にはしていないのだ。元日は恒例の兄弟たちの集まりがあったが、その前後には私一人が仕事で頑張っている状況なのであるが、わずか数日の正月休みの中で、その忙しいスケジュールがあるからこそ、貴重な正月休みにもなって来るのだと思っているのである。

 しかも、私は今年は今よりももっと自分を忙しい状況に持って行こうとしているのである。今までの自分であったら、そのような過酷な状況に自分を持って行くのなんて、とても出来はしなかったものである。いわば自分に対して過保護なラインを敷いていたのである。しかし年金などあまり当てにはできないし、妻や嫁いで行った娘達にも頼ろうなどとは思っていない。そんな思いよりも、もっと自分を鍛え、もっと自己の可能性を追求していく方が人生は楽しいというものである。そういう意味では私は学生時代の二十歳過ぎの頃よりも今のほうが強く逞しく健康であるのかも知れない。

 私には多くの夢があり、欲望もある。それらを全て実現させていきたいという欲求も強いのかも知れない。食生活の改善によって私は益々壮健になりその快活さは強まる一方のようだ。昔から言い尽くされてきた言葉であるが、やはり「働く・・」という言葉は「はたを楽にする」という所から来ているという事は全くの真理である。.


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01月02日(木)

起床時刻:04時26分

 就寝午前0時頃。最初の目覚めは午前1時半頃。そして午前3時半頃。睡眠時間は結局4時間半弱となる。就寝時刻がまたまた午前0時くらいになってしまった。とにかく眠気が起こらないのだ。しかしとは言っても、一度はいつもの時刻に眠気は訪れるのだが、それをやり過ごせばこういうことになる。昨日なども布団に入ってもしばらくは眠気が無く、どうしたのだろうと自分でも不思議だった。日中の活動の質が悪いのであれば改善も必要なのかも知れないし、あるいは、睡眠自体に変化が訪れているのかも知れない。

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01月01日(水)

起床時刻:05時06分

 就寝午前0時半頃。つまり年が明けて就寝したことになる。いつもの時間、午後10時頃に一度強い眠気があったのだが、それを超えて、何か眠気が飛んで行ってしまい、とうとうこの時刻になってしまったのだ。最近では最も遅い就寝時刻となった。結婚した次女も帰省し、久しぶりの家族の団欒や、大晦日で一家でテレビの紅白など見て、しかも最後まで見てしまい、こんな時間になってしまった。しかも布団に入っても中々寝付けず、ホントに不思議な気持ちだった。幾分気持ちが高揚していたのかも知れない。今日は恒例の兄弟たちが集まる新年会だ。今年は特に私の長女夫婦と次女が加わる。私の家族で計5人の参加である。大晦日に幾分テンションが落ちたのは気になる。こんなに早く落ちるとは思いもしなかったが、自分ではどうしようもならない世界だと思っていたし、しかし、そういう考えもそろそろ変えなくてはならないのかも知れない。要は、心の奥の深い所からの信念を作れば良いのだから。

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