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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:05:00 平均起床時刻:04:32

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02月28日(金)

起床時刻:06時26分

 就寝午後11時50分頃。途中何度か目覚めたかも知れないが、よく寝た。本日も又よく寝た。昨日も同様で、そのお陰で、珍しく昨日は仮眠もほとんど取らず一日活動できた。こういうスタイルも中々いいものかも知れない。睡眠時間は6時間半。本日出張日。


 昨日の読売朝刊紙面を読んで先ず一番に感じたのは、老年による様々な現象が現れた記事が多かったということだ。私が昔から好きな「人生相談」でも、70代の男性が息子の借金を肩代わりしていて、しかし残金も途方もなく多く、さりとて債務処理としての自己破産も債権者に申し訳なく、もちろん文面には無かったが、対面的な事もあって中々踏み出せないでいる。自分は自営業なのだが、その仕事も目減りでお金も入らないから仕事の後にアルバイトをしようと思っているのだが、年齢的にも雇ってくれるような所がない。先行き不安でこれからどうしたら良いのだろうという相談内容だった。

 回答者としての答えは、作家の方だったが、結局自己破産を勧めており、現実を見よ、という趣旨だった。私もそれを読みながら、やはり解決策としてはそれしかないのかなと思ったものだった。そしてそれと同時に、以前自分と一緒に仕事をしていた学生時代の友達の事を思い出していた。彼もまた行き詰まり、結局自己破産とし言う手段選んだのであるが、それは私と離れて数年した後のことであり、彼の自己破産は風の噂で知ったのだった。彼は良い意味で金離れの良い男で、気前が良いところがあった。だが、自分の気に入らない部分が相手にあった時は俄然冷酷になり、冷たくなった。そういう時はいつもの気前の良さもどこかに飛んで行き、がめつくなったものである。

 話はさておき、人間、もう残り少ない人生の途上で、このような決断をしなければならないというのも中々酷なものである。普通なら、悠々自適、孫達にも囲まれ、幸せな老後をエンジョイしていてもいい筈である。しかし時代はそれを許さず、老年を迎え、厳しい経済状況にある人たちの数は意外に多いように私は今朝の朝刊の紙面を読みながら感じたものだった。

 他に、ホームレスの女性の記事もあった。彼女は長い間そのような状態であって、その彼女をずっと見守ってきたNPOの女性代表者がその記事を書いていたのだが、彼女もまたずっと長い間、そのホームレスの女性に野宿など止めて、公的な施設に入居するように勧めていたそうである。しかしその相手は頑として言うことを聞かなかったそうである。途中からその代表者も諦めて、反対にその女性の立場や考え方を尊重して一転、野宿生活を応援(?)するようになった言う。が、とうとうある冬の日に行き倒れ病に苦しんでいた彼女を発見し半ば強制的にも彼女を入院させたそうである。現実は厳しく世の中にはまだこういう実態があるのである。

 反面こういう記事もある。2人の男性のことだ。1人は元総理の発言の波及。浅田真央ちゃんに対しての意見であり、これは周知の通りである。世間は一斉にパッシングだ。マスコミは勿論であり、テレビの全コメンテーターは当然な対応である。しかし当の本人は後悔はしていないようで、孫や娘に叱られた・・・というコメントを出しているようだ。それでどうにか治まったように感じる。

 もう1人。公共放送の代表者の発言。これはかなり厳しい糾弾の中にあるようだ。しかし彼の言うことをよく見ても、よくあるカリスマ的な、昔ながらのリーダーの発言に近いものを感じるのは私だけであろうか。私など彼の言うことを聞いてもそんなに違和感を感じず、嫌な気持にもならない。という事は、私は今の時代では失格者であり、生きていけない男なのかも知れないと心配になる。確かに彼の言うことは時々独善的なことがあるのかも知れないが、別な言葉を言えば、男らしい、男性的な発言とも受け止められる。しかしとにかく今の時代は、そういう男っぽいことを言えば直ぐにパッシングされそうである。そういう意味では息苦しい世の中ではないか。

 慰安婦の問題でも、彼の言うことは現実として間違っていないと思うし、事実であるのではないだろうか。ある学者の意見では、慰安婦問題そのものがあったかどうかも疑わしいと言う。私たちはもしかしたらある大きな何かによって情報操作洗脳に近いようなものをされているのかも知れない。みんなが言うからそれが正しいというのも甚だ怪しいことである。常識ほど怖いものはない。自分は一切悪いことせず、高いところから他人を決め付ける風潮は私などある意味「オタク」、独善の固まりのような男から言わせれば、怖くて怖くて。息苦しい。

 世界は一つであり、世間は皆同じ。という考え方は怖いものである。大きな空気や、常識に支配され、皆と右習え的な発想はホントに怖いものであり、逆にそういう考え方に陥っている間には人は本当の幸福、幸せな気持ちにはならないと思う。いつも批判的であり、反対的であり、ビクビクして生きなければならない。もっと鷹揚に、もっと心を広くして生きたいものである。が、現実はそれを許さない。

 話が初めとは違う方向に行ったかも知れないが、元総理でも、公共放送局の会長でもまあある意味老人である。現役とは言え若くはない。しかし初めに列記した2人の経済的に緊迫した老人と比べたら、後者には余裕さえ感じる。しかしいずれにしても、後者には後者たちのそれなりの苦労はあるようだ。世間のパッシングとか、いつその職を追われるかも知れないということである。だからそういう意味では、この世の中で生きるということは全て概ね大変な事であるのだ。人は皆平等である。

 それならば、どうせ、苦労もしなければならないのなら、こちらから仕掛けていくほうがいいのである。こちらから自分から攻撃するのだ。待っていても幸せはやって来ない。幸せな人とは、パッシングされようが、職を追われようが、微塵も揺るがず、幸せな気持ちや感覚を失わない人のことである。だから、この世を幸せに生きようと思うのなら、自らに素直に正直に、心の思うままに生きたほうが良い。その結果、それは攻撃的な生き方になるのが自然である。自分から仕掛けた方が良いのである。

 前者の息子の借金問題で苦しむ人は、自分から債務処理に動くべきであり、自己破産も経験として実践し、それを体と心で丸ごと学ぶべきかも知れない。しかしそれが全てとは言えないから何か別に他の対応があるはずである。それならばそれを自分の中に問い、直ぐにでも一歩を踏み出すべきである。結果を気にせず前に出ることだ。ホームレスの女性も入院先の病院で何か新しいことが待ちうけ、そこで今度は今までは違った価値観で動いていけば良いのかも知れない。いずれにしても、人生は自由自在であり、自分が好きなように動いてもいいのである。
 さあ、一歩を踏み出そう・・・。実践に年齢は関係ない。命は悠久にこの世とあの世を貫いて生きているのだから。


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02月27日(木)

起床時刻:06時25分

 就寝午後11時50分頃。途中何度か目覚めるが、そしていつも通り午前4時頃にも目覚め起きるつもりだったが、気持ち的に何となくゆったりしてしまって、しかも今日はオフであり、何となく又眠ってしまった。睡眠時間は6時間半弱かも知れない。久しぶりにたっぷりとよく寝てしまった。しかし本来は一般的に言えば、いまさらながら、これくらいが一般的な睡眠時間なのかも知れない。朝、トイレに行く途中に、色々と考えてしまった。出張先においても、他の同僚と同じように同じ時刻まで眠るのも良いものかも知れないな・・等と。気分が緩んでいるのかも知れないし、あるいは、良い感じになっているのかも知れない。しかし、睡眠は自分の気持ちに自然で良いが、食べ方はしっかりしようと心に決める。さらに、信念を深めるべきだと。



 少食にすると、そういう関連本によれば、色々な改善点が心や体に出てくると言われているが、その中でも頭脳の働きが活発になり、強くなるとかある。確かに肉体的には様々な点で変化は感じられるが、あるいは精神面でも成長があったりするものだが、脳の面でそのような変化や成長があるかと言われば、もうひとつ、はっきりとした確信は得られなかった。

 だが、最近ふと思うのは朝刊を読んだりする時に感じるのだが、以前は大体私などが読むのは人生相談、それにスポーツ欄、時々興味のある社会面、そしてテレビ欄であった。しかし今は何となくだが興味がなかった社会面でも思わず深読みしていたり、特に大きく変化したのが、国際情勢である。もちろん国内の政治欄もありだ。今までは、そんな遠い異国の事などどうでも良く、特に大国と言われる国以外の、地図上でもどこにあるのかも分からないような国の紛争などには全然興味もなかった。しかし今は、新聞紙面で賑わいでいる記事なら先ずは相手がどんな小さな国であろうと、先ずは読んでいるのである。しかも今までは例え何かのはずみで読んだとしても、内容など全く理解出来なかった。しかし今は良く分かるのである。そして読んだ上で自分なりの感想も持つ事が出来、今度はそれを基にテレビ番組のコメンター達の意見と照らし合わせたりして楽しんだりしているのである。こういう風に生きれば地味な職業についていても、平凡に生きていても意外に人生は楽しいものであるし、充実出来るものかも知れない。

 しかしここで肝心なのは、自分の中に基幹的な考え、思想がある事だ。自分の計りがなければ新聞紙面を読んでも面白くない。人の意見に左右されるだけでは楽しくはないのである。自己がはっきりして初めて他者の意見を尊重したり参考に出来るのである。自分も正しいが、それと同様に他人も正しいのである。人間は皆それぞれで完全なのである。歴史小説として長く親しまれている「国盗り物語」の中で、主人公の斎藤道三もそのように述べ、だからこそ、他者に先んじて己の戦略を実行に移す勇気も決断も生まれるのだと言っている。

 新聞というものは、あるいはテレビでも同様だが、こうやって読んだり見たりしていれば、その思想が右だろうが左だろうが、どちらも中々面白いものである。昔、あの「電波怪獣」として異名を取って活躍した竹村健一さんは、テレビ番組収録で、スタジオ入りする時に、先ずは「今日は私は右なの左なの?」というように自分の立ち位置をディレクターに聞いたという。これこそ、柔軟で強い時代を生きるテレビ人間、言論人の姿なのである。

 少食にしていれば、このように人は元気で健康で、聡明でいられる。しかも、その状態が永遠に続くのである。もちろん時が来て肉体は滅びるのだろうが、その直前まで元気で賢くいられるのかも知れない。私は日々の少食の実践において、それを信じ人間の無限性を信じるのである。



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02月26日(水)

起床時刻:03時31分

 就寝午後11時。出張先。最初の目覚めは多分・・午前0時半過ぎくらい。確かではない。それから午前2時。そして本日の起床時刻となる。しかし、もしかしたら、最初の目覚めが二番目の時刻かも知れない。もしそうだとしたら、先ずは一気に3時間の睡眠を得られたのかも知れない。そうであれば良いのだが。とにかく本日の睡眠時間は4時間半。本日も前回の出張と同様相方はTさんであり、彼は早起きの私と同じ時刻に起きて活動始めたが、また今日も・・という不安がよぎり、私もさすがに今日は体を起こすのに躊躇してしまった。だが、そんなものに負けてはならない。それこそ自分との闘いなのだ。私は頑張って、サッと起きた。


 免疫力・・と言えば、新潟大学大学院教授の安保徹さんの名前が上がるのだろうが、彼はその免疫について、著書の中で以下のように書いている。

 体を鍛えるためには体操などをやればいいのですが、病気をはね返す免疫の力を鍛えるには、手っ取り早く「風邪をひく」ことです。
風邪をひくとリンパ球とウイルスとが戦うので、治ったあとには免疫が自然と高まっています。
薬を飲まずに風邪を治せば免疫は高まるのです。
実際、私は風邪の流行っている場所に行くことにしています。

 ところが、私は風邪をひかない。
流行っているところへ行ってもインフルエンザにはかかりません。
なぜかというと、私たちの免疫のベース(基本)は、リンパ球が働いているだけではなくて、もっと白血球の抵抗とか、マクロファージ(貪食《どんしょく》細胞)などがあって行われているのです。

 とりわけマクロファージの活性が高いと、リンパ球にウイルスを処理してもらう前の段階で、マクロファージ自身の力で治してしまいます。
ですから、風邪が流行していたのに自分はひかないとか、5年以上も風邪をひいていないというレベルの人がいるでしょう。
こういう人はマクロファージがしっかりしているわけです。
マクロファージは体の元気さといっしょなのです。
体が元気だとマクロファージも元気。

 以上の通りです。
マクロファージというのは、教授は「食べる力」だと述べています。この力が強い人ほど元気で、病気などにかからないらしいのです。私がここ数年ずっと風邪にかからないのは、この力のお陰だったのかも知れません。そういうところは以前から何となく分かっていましたが、こういう風に具体的に理論的に分かれば、何となく自信が湧いてきます。まさに、知識は力、パワーとなるのです。

 私が小食を始めて数年になりますが、しかしその以前にも何十年も続けていたのですが、その間幾度も挫折したり失敗したり方法を変えたりして試行錯誤を繰り返してきましたが、ここ数年、その上がったりさがったりが安定して、自分なりの小食法を確立できて来たのだろうと思っているのです。

 その中で、上記にあるような風邪をひかなくなったという事実があるのです。それが教授いわくマクロファージということだったのかも知れません。私はそれ以前までは、白血球が活発になり、強くなったものだと理解していました。もちろんそれも間違いではなかったのです。とにかく風邪はもちろん、体全体が元気になり、強壮になったという実感は確かにあります。

 体が強くなれば不思議に心と体は一体と言いますし、心と体は連動しているようで、心も強くなったような気もします。その強くなった心から出る「言葉」も強くなります。言葉が強くなると言うのは、具体的に言うと、ポジティブになるということかも知れません。心の強い人が出す言葉は周囲に波紋を広げ、その周りも強くします。周りに弱い人が居れば、その人にとってはとても刺激的であり、一時、逃げてしまうような事もあったりする。しかしその人の心の奥に成長したいという欲求があれば、又必ずその場所に戻ってきます。そしてしばらくは大変でしょうが、その内、影響を受けたり、慣れたりして、彼もまた強くなっていきます。その時は逆に強い人から発せられた強い言葉が今度は心地良く感じられるようになったりします。

 また、強さと優しさは一体であり、壮健な人はまた優しい人であります。思いやりが強くなり、心配りなども強くなります。いずれにしてもあらゆる人間の持つ美徳や長所が強くなるのです。風邪をひかなくなる・・という現象として現れるものを基準にして、自分が強くなったかどうかを判断することも面白いかも知れません。

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02月25日(火)

起床時刻:05時01分

 就寝午後11時過ぎ。最初の目覚めは午前0時50分頃。その次は午前3時50分頃。本当はこの時点で起きるはずだったが、いつの間にか眠ってしまっていた。この時点で睡眠時間は4時間半くらい。結局今日の睡眠時間は6時間弱となった。よく寝た。

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02月24日(月)

起床時刻:04時40分

 就寝午後11時半過ぎ。最初の目覚めは午前1時55分。この時点での睡眠時間は2時間半弱。起きようとも思いしばらく布団の中でジッと待機。何度も起きようと思った。が、いつの間にか再び眠ってしまった。睡眠時間は結局5時間。まあよく寝た。

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02月23日

起床時刻:03時46分

 就寝午後11時。途中覚醒の記憶なし。と、思う。久しぶりの一気寝。そして久しぶりの寝る直前の心地よい疲労。ホントに良い感じで疲れていたと思う。そのお蔭で一気寝が出来たのかも知れない。

 出張先である。同僚のTさんも比較的早起きだそうで、初めてこの日、私が午前3時40分ころに起床して、先ずはトイレに行き、そしていつもの部屋に行こうとしていたら、彼も我々の詰所、そして寝場所から出てきた。顔を合わせた時、私は思わず「チョー早いですね」と彼に言った。彼も目覚めてしまい、寝るのはどうかと思い、起きてきた様子であり、トイレに行く途中でもあった。私は内心彼は今日大変かも・・と思ったが、自分で決めたことなのだからそこまでは私も責任はとれない。しかし多分彼は仕事が終わる時刻まで、いつもよりは少し眠いかも知れない。

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02月22日

起床時刻:05時00分

 就寝午前0時半前。普段より随分遅い時刻に就寝した。遅いテレビ番組を見、布団に入った後も本を読んでしまった。そのため。しかしそのお陰でいつものように1時間半後に目覚める事無く、一気に午前4時半まで寝てしまった。この時点で起きる気満々。ホントに起きようと思っていた。寝る前にさすがに不安になり、5時に目覚ましをセットしていたのだ。目覚ましに頼ることは滅多にないが。それが目覚ましの鳴る30分も前に自然に目覚めることが出来たのだ。それが嬉しい。しかしいつの間にか、再び又寝てしまっていた。結局目覚ましの音で起床。それでも睡眠時間は4時間半。
 午前0時後に寝れば、あるいは、1時間半後に目覚める事無く、一気に3時間とか4時間くらいの睡眠を得て、目覚めることが出来るのかも知れない。


 私が中学生だった頃にあの寺山修司さんが「書を捨てよ、町へ出よう」という書物を書いたが、私はそのタイトルが面白いなとは思っていたものの、読んだことはなかった。何となく内容が分かるような気もしたし、その頃の私はどちらかと言うと、見た目を気にする方だったし、著者にしてもやはりある程度は見た目を意識していたからだ。こう言うと寺山さんには失礼だが、もしかしたら今ならじっくり読むかも知れない。

 とにかく本など読みふけっていないで、とにかく外に出て、色々と冒険しようという趣旨ではなかったかと思うのだ。理屈ばかり並び立てないで、先ずは実践、何事も経験が大事だという感じなのかも知れない。とかく若者は頭でっかちで、理想主義者である。融通が利かないというところだろう。

 しかし私は逆に今の時代では、若者よりはこれを老人、あるいは、中高年、というものに置き換えた方が良いのではないだろうかと思うのだ。つまり、「中高年よ、書を捨てよ、町へ出よう」というところだ。若者はそうは言っても元気にあふれているから、普通やはり外に出るものだ。寺山さんが逆に考える性質の人であり、自宅に閉じこもっていたのかもしれない。普通若者は好んで街に出るものである。過度の期待など込めて彼らは街に出るものである。何も起こらないのにとにかく街に出る。そして結局何物も起こらないのに、期待はずれのまま帰宅し、しかし夜が明けると又性懲りもなく街に出たものだった。

 しかし中高年は、そんな若い時代を過ぎ、何となく人生を過ごし、ある程度自分の人生が見えてきて、分かったような錯覚に陥る。いわゆる人生に飽きてくる。そうしてもう街に出ても何も起こらないのだと達観し、期待もなくなる。そうすれば自ずと街への期待や魅力もなくなり、もう外に出ても仕方の無いことだと悟るのである。体も勿論だが、精神も衰えていくのである。

 だからこそ、私はあえて言いたい。それは勿論自分にも言えることなのだが、中高年よ、書を捨て、街に出ようと。あるいは、若者とは違って、書は捨てなくても良いから、あえて、それでも街に出ようと。人生はまだまだ奥が深いかも知れない。だから、又、街に出ようと。

 街とは、そのまま街でも良いのだが、自宅から一歩出た、あるいは、慣れ親しんだ職場から一歩出た場所である。外の世界だ。世の中は意外にまだまだ刺激的であるし、分からないこともあるかもしれない。私はほぼ連日、仕事がない日には、オフの日には、外に出ている。大体妻同伴なのだが、街に出る。と言っても、ずっと妻と歩くのではなく、別々に行動し、時間になれば集合し帰宅するのだが、その間私は様々な場所に立ち寄る。今の所飽きない。と言うのは、今まで行ったことのない店、場所などに立ち寄る。今まで拒絶したような場所なら意外に新鮮な気持ちにさせられる。自分の幅が広がる。気分はもしかしたら中学生や高校生に近いのかも知れない。中高年が入れないような若者向けの店にフラッと立ち寄ってみる。そこの店員と何気ない会話を交わしたりする。それも刺激になる。そういう意味では自分との戦いにも通じる。自分の凝り固まった頭との戦いである。自分の背中を自分で蹴っ飛ばしてやるのである。断崖絶壁とまでは言えないかも知れないが、高いところから自分を落としてやるつもりで。

 人生に飽いてはならない。自分にはまだまだ未開発な部分がたくさん残っている。そういう意味では人間は無限なのである。だから、中高年よ、書を捨て、街に出よう。ワクワクする何かが見つかるかも知れない。慣れ親しんだ場所から飛び出せば、新しい自分に出会えるかも知れないし、それが本当の自分だったりするかも知れない。.


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02月21日(金)

起床時刻:03時36分

 就寝午後11時過ぎ。最初の目覚めは午前1時頃。そして次が2時半。そして最後が本日の起床時刻。睡眠時間は4時間半。


 私は日課に近い形でネット利用でテレビを楽しんでいる。YouTubeで配信されるヤツである。中身はAKBの新曲で、恋のフォーチュンクッキーであり、そのプロモーションビデオである。この踊りは今全国的に大人気であり、私も年甲斐もなく夢中で楽しんでいる。

 なぜ私がこのような映像と音楽に夢中になっているかと言うと、何やら見ている内に過去にタイムスリップしてしまうからである。過去と言っても随分昔で、まさに青春時代、今までの人生の中で一番楽しく、かつ充実し、その自己顕示欲も大いに満たされた、私の人生のピークと言っても良い、高校時代の頃である。

 特に二年生から三年生の頃であり、文化祭や生徒総会にしゃしゃり出て、大いに目立ち、かつまた、いよいよ生徒会長に選ばれ、我が世を謳歌した頃である。

 あの頃は毎日と言って良い程日々が楽しく、気のあった仲間も多かった。そういう毎日だから、目の前に出てくる登場人物は皆誰もがイキイキとして感じられていた。まさに、あのビデオに出てくる様々な階層の人たちである。自分自身がワクワクして生きているものだから、相対する人たちも同じような人が多くなる。これが、かのアインシュタインの言う「相対性理論」だったのかも知れない。

 あのビデオには本当にイキイキした表情の人たちが多く出てくる。見ているこちらまで嬉しくなってくる程だ。若者はもちろん、タクシー運転手の初老のおっちゃん、子供を背中におぶった小太りだが健康そうな女性、誰もがイキイキワクワクして思いきって踊っているのがスゴく良いのである。

 翻って、私の高校時代。先生や友人達は皆そのビデオと同様、私にはイキイキとして見えた。だから私はこのビデオを見ると、あの当時を思い出し、タイムスリップに陥り、良い夢を見るのである。しかし、そうは言っても、あの当時の青春時代全てが輝いていたという訳ではない。悩みもあったし嫌な事もあった。気に入らないヤツもいただろうし、親友とも喧嘩しただろう。とかく若い頃はまだ経験も乏しく、そのくせ、官能も強い。だから現実を見ないでただ暴走し勝ちである。当然失敗や挫折も多いから気が休まる事も少ないはずだ。しかしその反動としての楽しい事も多かったと言えるのである。

 このように、喜怒哀楽がはっきりしている時は、その時は大変だが、後になってみれば皆良い思い出となる。何もしないでただ無事で生きる老人との差がここにある。

 しかし、今の私は楽しい日々を送らせてもらっているのは確かだが、あの当時の青春時代の頃とは又ちょっと違っているように感じる。つまり、良い事もあるが、悪い事があまりないのである。つまり、良い事尽くし、ずっとワクワクしていられるのだ。そうでなければ、こんな良い歳をして若い女性アイドルグループを見て喜んではいられないではないか。

 あのビデオに登場する様々な階層の人達がそういう意味で好感が持てるのは意味が分かったが、当の本人達、つまりAKBの彼女達はまさに、当時若かった私の周りにいた女の子の投影のような気がするのだ。皆元気で、活気に溢れ、イキイキとした目を輝かせ、未来を信じて生きていたのだ。それはまさにビデオの中に出てきて歌い踊る彼女達そのものなのだ。しかしそんな彼女達もいつしか歳を取り、心も体も硬直し、目に見える事しか信じなくなり、人をその持ち物や肩書きだけで見るような、心の寂しい大人になってしまうのである。こんなものは成長などではなく、ただ衰退のみである。さて、皆さん、貴方はこのプロモーションビデオを見て、感動したり、過去にタイムスリップ出来ますか?



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02月20日(木)

起床時刻:04時14分

 就寝午後11時過ぎ。最初の目覚めは午前1時半。この時点での睡眠時間は2時間半。つまりホントは起きても差しさわりは無いのかも知れない。が、又直ぐに寝られる。次はその1時間半後。午前3時前。2時58分だった。今でもはっきり覚えている。つまりそれほど意識もはっきりしているのだから起きても良いのだ。しかし本日は出張先。言い訳にはならないかも知れないが。そして本日の起床時刻となる。睡眠時間はトータルで5時間くらい。ある意味現時点の私としては最適に近い時間かも知れない。



 久々のファミレス「ジョイフル」に訪れた。最近、妻が行きたがっているのだ。自分としてはそんなに行きたいとは思わなくなっていた店である。妻がなぜ行きたがっているのかと言えば、それはメニューの中に好きな「焼サバ定食」があるからである。彼女はこの焼サバが大変好きなのだが、それならスーパーなどでサバを買って、自宅で焼けば良いと私は言ったのだが、それでは味が全然違うそうである。それはきっと彼女が自宅ではフライパンで油で焼くからである。そうではなくて、店のように、グリルで焼けば良いのではないかと言ったのだが。肉だって、フライパンで焼くよりも、グリルで焼いた方が美味いし、キャンプなどで、炭焼きなどしたら、それはもう格別な味である。料理の上手下手というよりも、ただ焼くだけであるから、自宅でやった方が安く上がるし、多く食べられる。しかしここが逆にポイントで、少ないからこそ美味しく感じられるのだ。だから自宅よりは外での食事の方が概ね美味しく感じるのかも知れない。

 私はランチを注文した。ランチタイムで日替わりランチを頼めば、ナント399円でいただける。ファミレスの中ではダントツで安いと思うし、安いばかりではなく、内容も中々充実している。火曜日のランチだが、ハンバーグにかかっているソースは「ゴマダレ」。コクがあって美味しかった。その隣には、白身の魚のフライ。おろしポン酢でいただく。私はご飯はほぼ食べないから、パンを注文。二種類あって、一つは写真の胚芽パン。大変小ぶりである。男は普通これでは足りないだろう。小食を実践中の私としては、これで充分である。またご飯なら、大盛りでも値段は一緒だ。昔の私だったら必ず大盛りを注文していたものだ。これをあまり噛みもせず、お腹に流し込むように食べていたものだ。前回来店した時にサービスでいただいたクーポンを利用し、ランチタイム併用のドリンク券を使い、ドリンクバーとスープバーもいただく。写真の真ん中に写っているのは、そのスープで、コーンスープ。あと二種類あって、ビーフコンソメとクラムチャウダー。私はコンソメ以外の二つを飲んだ。特にクラムチャウダーは二杯飲んだ。どちらも美味いのだ。

 ちっちゃな胚芽パンもまあまあ。添付のバターが良いかも。ドリンクバーの券を使って合計580円。しっかりよく噛んで味わえば、そしてドリンクバーでカフェラテも二杯いただいて、これだけのお値段で、気持ちは大変豊かである。私はどちらかと言うと甘党かも知れないから、コーヒーもブラックは飲まないが、ここのカフェラテはそんな私でも苦味が好ましく感じる。だから砂糖もスティック1本しか使わないでも充分美味しくいただける。調べれば、ご飯よりも、トーストよりも(ジョイフルではパンは二種類あるのだ)この胚芽パンはカロリーが一番低い。ご飯のおよそ半分である。女性には良いかも知れないし、健康オタクの私のような輩にも良いかも。とは言っても、私は別に健康オタクではなく、結果的に美味しく食べられるのがカロリーが低いものであることが多いのかも知れない。

 キャベツの千切りなら口の中でしっかり噛めて、咀嚼60回という私の目標値に達することが出来る。これはハンバーグなどの肉食でも同じだ。だがハンバーグの場合は、20回とか30回を超えたら、既に味はほとんどなく、ただ何かを噛んでるという感じだ。それでも良いからとにかく噛むのがいいのである。とにかくゆっくり食べれば何を食べても結構美味しいものである。何より、心が豊かになるというものである。ご参考までに。


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02月19日(水)

起床時刻:03時36分

就寝午後10時過ぎ。途中、猫の騒ぎで目覚めるが、直ぐに寝る。その時刻も分からない。一体何時頃だったのだろう。昨夜も出張先で起こされるし、何が起きるかも分からない。安眠が望まれるものだ。睡眠時間は5時間半くらいか。よく寝た。

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02月18日(火)

起床時刻:04時53分

 就寝午後11時。出張先。午後11時45分頃に仕事で起こされる。数分仕事し、そのあと又直ぐに寝る。途中午前3時半頃に目覚めるが、起きようと思ったのだが、いつの間にか再び眠ってしまっていた。睡眠時間はトータル6時間弱。


 数日前のテレビ番組で、パプアニューギニアの家族が日本に招待され、関東の一家族にホームステイする企画があった。中々面白いもので、かの地の家族は皆日本での滞在をある程度楽しんでいたようだった。迎え入れた日本側の家族は、特にその中の若いお母さんは感激しきりで、物の豊富な日本で失われている何か人間にとっての大切なものをパプアの家族の中に見たと言っては涙を流して感激していたものだ。しかしこれは現在の日本では誰もが概ね感じる感情なのだろうと思う。

 最後に、お互いの家族は別れを惜しんで両方とも誰もが皆涙を流していたが、いつか又会いましょうという再会を誓っていたようだった。日本とかの地とはそれほどの距離でもなく、同じ太平洋を望む地に存在している。会おうと思えばそんなに難しい距離でもないだろう。多分、あれほどの別れの悲しみを経験した彼らはきっとパプアニューギニアまで、例えば、夏休みなどを利用して、再び再会を果たすかも知れないと予想された。

 しかし私はこの感激するほどの番組に水を差すものではないが、かの地の家族は充分に日本での生活をそれなりに楽しんだが、それは日本が快適で住みやすいのとはちょっと違うような気がする。逆に自然に暮らしていれば、ある意味日本は住むのには困難な環境にあるのかも知れない。食品に含まれた人口調味料、各種の薬品、自然とはかけ離れた快適さを追求した挙句の被服などの人工繊維。これらはある種の快適さは私たちにもたらしてはくれたが、反対に様々な病的な要素も運んでくれたのかも知れないのである。

 そういうある意味汚染された日本での生活は、今まで、きれいな環境で、空気なども新鮮なパプアでの生活に馴染んでいた彼らに果たして本当に快適であったかどうかは定かではないのだと思う。しかし彼らが決められた滞在期間の一週間、曲がりなりにも楽しんで生活できたのは、彼らが充分な健康と地力のある体力の持ち主であったからかも知れない。彼らは充分に健康であったからこそ、日本での生活を何不自由なく快適に過せたとも言えるのである。

 反面、もし日本の家族がかの地を訪れ、再びの再会を果たしたいと思うとしたら、果たして、パプアの家族が日本で過したように何事もなく、それなりに生活できるだろうかという疑問である。彼らは日本の風呂にも食べ物にもそして初めて見た経験した雪に対しても最初は少し戸惑っていたようだが、直ぐに順応し、その後は楽しんでいたものだが、逆に日本の家族がパプアに訪れ、一週間、無事に、しかも楽しく過すことが出来るだろうかという疑問である。

 過保護に育ち、人工的な食品に慣れ、電気の生活に不自由のない生活を営んできた日本人が果たしてそれらが何もないかの地で生活し生きていくことが出来るものだろうか。それはずっと滞在する間中、苦痛しか感じられない毎日となるのではないかと思うのである。日本の家族が、パプアの家族と同様に健康であるのなら、かの地での生活もそれなりに適応し、自然の豊かさや素晴らしさを充分に堪能できるものと思えるが、そんな家族や個人が今の日本にどれだけ居るのだと私は思うのである。もし、それが出来ないほどの日本人の不健康さであれば、結局未開の人たちとの交流は、結局、心の交流などではなく、上から目線的な交流であるかも知れないと思うのは私だけの歪んだものの見方だろうか。

 彼らと同様に私たち日本人もより自然に近い健康体を持っていれば、それならば、お互いが対等な立場で本当の交流というものが出来るのかも知れない。結局、私達は今いる立場や環境の中で、自分の幸せを感じて、感謝しつつ、生きていくのが一番なのだと思う。そういう生き方をしている中で、時に、そういうようなまだ文明が未発達の土地で暮らしている人々との交流も意味が出てくるのかも知れないと思うのだ。人は皆同じなのである。


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02月17日(月)

起床時刻:04時56分

 就寝午後11時半頃。昨夜も中々寝付けが良くなく、もちろんそれはいい意味であるが。しかし昨日よりは起床は良くなかった。昨日はホントに目覚めと同時に飛び起きたという感触だったから。それでもこの寒さの中、頑張って布団から脱出が出来たのだ。本日は出張日。途中覚醒の記憶はない。もしかしたら一気に目覚めまで眠れたのかも知れない。睡眠時間は5時間と少し。


 一昨日のこと。長い勤務明けでいつものように近所のベーカリーショップに朝ご飯と昼ごはんを兼ねた、しかし一般的に言えば「オヤツ」程度の量の食事に出かけた時の事だ。私はピザの1ピース。妻はサンドイッチ。それぞれトレイに乗せてワクワクした気持ちでいつもの指定席のカウンター席、中庭の見える窓際の席に向かった。ここから眺める小ぶりの中庭を眺めながら、美味しいパンを食べるひと時が私の至福の時間であるのだが、それは一瞬にして消滅してしまった。なんと、見慣れない集団がほぼ全席占拠していたのだった。

 中学生らしきその集団。と言っても4人ではあるが、彼女達全員窓際のその席にズラッと座り、手元にはテキストらしきものを並べて勉強中ではないか。この手の店ではよく見かける光景ではある。が、この店では初めてであった。

 私はそのよく世間では見かける光景にしかし何故か違和感も感じた。なぜだろう。と思った。時刻はお昼前である。この店の営業時間帯の中では比較的客が多い時刻である。それにもかかわらず彼女らは自分達の事でスペースを占拠しているわけである。これがその違和感の正体だった。

 しかも・・この席は、先程も書いたように、私がこの店の中では最も愛する席である。普通、自分達が選んだパンを食べた後は遠慮して立ち去るものである。少しぐらいは連れと会話などして帰る客もいるが、概ね、食べれば立ち去る。しかしこの手の客は自分のやりたい事をやらなければ帰らないし、ずっと居続けると言うことになる。もうこの日は好きな席には座れないのが分かった時はがっかりしたものだった。

 何も勉強しているから、何をやっても許されるというものでもない。ここに集まった客はパンの味を楽しみ、特にこの席に座る客はその庭の眺めを楽しみながら、ほっこりした気分も味わいたいのである。それを一群のグループが長い時間占拠するのである。もちろん店側もそれを配慮し、テーブルの上に注意書きのカードを立てているのだ。その内容は「混雑している時の長時間のご利用はご遠慮下さい」とある。

 また、そのカードには別に「持ち込みの食材もご遠慮下さい」ともある。そしてこの店で購入されたパンを食べる客限定で店内に置かれている自動販売機で売られている50円という魅力的な価格のコーヒーも飲めるのだが、パンを買わない客に対しては店内で飲むことを禁じている。だから普通皆安いコーヒーだけを買うことはあっても、店内では飲まず、外で、車内などで飲んでいるのだ。

 が、彼女たちの中にはそのパンを食べたような形跡も無い者もいたし、手元には、ヨソで買ったと思われるパック式の飲料が置かれていた。純粋に勉強をしに来たのである。もちろん私たちが来る前に既にパンも食べたかも知れない。それでも遠慮はすべきだろう。私たちは仕方なく、その席の横の席に座った。わざと、彼女たちをしばらく眺めていたりしたが、何の効果も無かった。

 「家で勉強すれば良いのにな」と、聞こえるか聞こえないくらいの声で隣りの妻に囁いたが、それも効果なし。本来は、この店は早朝から夜まで開いているのだから、客が空いているような時間帯を見計らって、好きなことをやれば良い。あるいは、一人なら許せる。私でも妻が不在で、一人で来る時もある。そんな時は新聞や本などを持参して、読んだりして楽しむこともある。そういう時も楽しいものである。が、これを集団でやられては、本当にこの席を愛する者にとっては残酷である。

 彼女たちの中には全然気にしない者もいたし、一人だけは少し気にしている様子の者も見られた。が、そんな少数派は大勢の無神経なその他の者には無力であった。私は意見したいという気持ちもあった。が、もし私が意見すれば、彼女たちは素直に立ち去るかも知れない。が、私としては、どうしても出来なかった。

 その内、何人かの客がその場にやって来て、占拠する彼女たちを見て諦めて他の席に回っていった。その内の一人の男性が比較的長く彼女たちを見ていたが、諦めた様子で、近くの席に座った。明らかに、何か言いたそうな雰囲気であった。しかしやはり彼も私と同様出来なかった。もし・・・彼が何か言えば、あるいは、私も彼の味方をして彼女達に意見したかもしれない。彼以上に大きな声で、整然として、ズバッと言ったかもしれない。

 あるいは・・・彼が彼女たちに意見して、もし彼女たちが立ち去れば、そのあと、彼に感謝の言葉を贈り、彼の取った態度に対して肯定的な言葉を吐いたかも知れない。しかしそんな事は結局起こらなかった。

 しかしはっきり言わせて貰えば、こういうことは全て店側の責任でもあるのだ。ただ単にカードに注意書きを書いて終わらせるのではなく、逆に、書かなくても、そういう礼儀知らずの無法者には毅然とした態度で注意して欲しいのだ。私などはほぼ毎日利用している。店としても得意客の方だと自負している。片や、彼女たちは初めて見る者たちだ。特に学生だからその利用は土曜日とか日曜日くらいなものだろう。しかも、飲み物もヨソで買い、パンも買っていないのかも知れない。店としてどちらを取るのだと言いたい。

 多分、彼女たちは自分がやっている行為を悪いことだとは分かっていないのだ。分かっていない者にはちゃんと教えてやらなければならないのだ。それは絶対、店のやる事であり、店の責任である。私は帰宅後もすっきりせず、この店を運営している県内では大きな老舗の菓子会社にクレームのメールを送ろうかとも考えたりした。社長直々に、談判をしてやろうと思ったものだ。それはしなかったが。私がこの店を愛している所以である。もしこういう輩がもっと増えたら、もうこの店には来られない。

 もし・・・再び、また、このグループと遭遇したら、その時は言うかも知れないし、あるいは、店のスタッフに通報するかも知れない。ただ、今回、それをしなかったのは、楽しい時間を過す為にやって来たのに、それを台無しにしたくなかったし、スタッフに通報する行為もなるべくはしたくなかった。そういう行為をした後に残る印象は「むずかしい客」というものをスタッフに持ってほしくなかったからである。あくまでも常連で、よく店内で見かける客であり、ハットをかぶった人の良さそうなおじさん・・という感じで、過したいのである。私のささやかな楽しみをどうか奪わないで欲しいと願うのみである。


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02月16日

起床時刻:05時03分

 就寝午後11時半頃。最初の目覚めは午前2時前。この時点での睡眠時間は2時間半。意識も意外にはっきりしていたものだから、起きようと思ったのだが、その内又眠ってしまった。そして本日の起床時刻となった。睡眠時間は結局5時間半。よく寝られた。目覚めと同時にスパッと起きれた。鮮やかな起床。遠足が今日あるような、子供の頃に戻ったかのような、そんな感じの良い起床だった。


 私の今一番お気に入りのパンがあんフランスというものだ。パンメーカーのフランソワという会社が製造販売している。自宅近辺では不思議にあの激安のスーパー「トライアル」でしか売られていない。トライアルで売られているから、味や品質は置いといてとにかく安い・・というイメージだったが、このパンは違う。とにかく私にとっては無茶苦茶美味いのである。

 食べるのは私が泊りがけの仕事で自宅以外で食べる時に限っている。自宅にいる時は昼ごはんはおやつとして近所のベーカリーに行き、いつもの同じパン「クルミレーズンパン」を食べているわけだが、泊りがけの時はそれが出来ない。それでもパン好きな私としてはそれに匹敵するほどの幸せな気持ちにしてくれるようなパンをいつも探し求めていると言う訳である。しかしベーカリーショップで味わう至福のひと時に匹敵するようなパンは中々お目にかかれない。

 だから時にはそのお気に入りのショップの同じパンを買い求めて、それを仕事先に持って行く事も無きにしも非ずだが、それでは同じ幸福感を不思議に味わえないのである。それでも私は買い物などに出かけるたびに色々と物色してパンを選ぶのである。

 ある時ふと目についたのがこのパンであった。私はとにかく和菓子も好きであり、パンについても昔からアンパンが好きだった。とにかく「餡」が好きなのだ。つまり、小豆である。特に「粒餡」。それと小食になってからは不思議に食感が固目のものが好まれるようになった。よく噛めることもある。昔なら見向きもしなかったフランスパンも好きになった。そのフランスパンと大好きな餡のコラボだと言うのだから、無視するわけにはいかないではないか。

 食べてみたらこれが中々の味だった。普通のカサカサの食感であるフランスパンともちょっと違い、ソフトな感じである。だからと言って、ソフトな柔らかな、現代人に媚びたようなフランスパンが最近目につくが、それとも違う。しかし口当たりが良く、美味しいのである。しかも餡も個性的な味付けで上品で甘さも適度である。パンも餡もどちらも実力者であり、お互いがどちらも負けてはいないのだ。その結果、ホントに美味しい味を作り出していると言う訳である。

 包装紙を見れば、中々のこだわりである。それがこの美味しさを生み出しているのだろう。カロリーはパン自体も大き目だから当然の800キロカロリーに近い。私は昼のオヤツと晩ごはんの二回で完食している。


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02月15日

起床時刻:03時43分

 就寝午後11時。最初の目覚めはいつもの通り午前0時半過ぎ。それでも直ぐに又寝られた。そして本日の起床時刻。睡眠時間は4時間40分。出張先でもあり、先日も一緒であり、しかも同時刻に起きたMさんだから、少し躊躇したが、それでも起き上がった。眠気も若干あったし、どうしようかなと思いもしたが。それでもサッと起きた。


 私の弱点の一つに「高所恐怖症」があった。あったと過去形で書いたのは、現在は若干それが治ってしまったような気がしているからだ。こういう症状が治るなんて実際は無いのかも知れないが、自分自身でそう感じているのだから致し方ない。

 それは昨年親戚を訪ねて九州の熊本、阿蘇に出かけたときに感じたのだ。由布院を経由して有名な「やまなみハイウェイ」を通って、九重から阿蘇に出るのだが、その出る直前に山道を走る所がある。カーブの連続が続き、一部、少し大袈裟ではあるが断崖絶壁のようなところがあるのだが、以前はそこを通る時に怖くて怖くて緊張していたものであった。しかし昨年のその時はそれが何とも無くなり、平気だったのだ。逆に助手席に座っていた妻が内心ずっと少し怖かった、緊張していたと言うではないか。ただ運転する私が高所恐怖症で怖がって緊張しているのに自分まで怖がっていたのではいけないのではないかと思って少し我慢していたと言う。しかし昨年のその時は私がすっかりリラックスして運転していたのに安心して本当の事を告白したのだと言うのだった。

 しかしさすがにこの時はホントに嬉しかったものだ。今までの長い独特な拘束感から解放されたという喜びだった。あの独特な高所恐怖症の気分から解放された、喜び、嬉しさというものは無かった。途中、その崖のようなところで、そこは前方が広く開けて、絶景が広がっているのだが、車を駐車し、大きく背伸びしたものだった。それを見て妻は感心するやら驚くやらだった。あの夫が・・・。というところだろう。昔はそういう場所に立ち寄るとガタガタ震えて緊張し、額に汗を浮かべ両手でガッシリとハンドルをしっかり握っていた夫がどこかに行ったのだから無理も無いだろう。

 幸福の科学の大川隆法さんは、この高所恐怖症なるものは、霊的に判断すると、過去世が関係するのだと言う。その人の過去世において、例えば高いところから飛び降りて自殺したとか、殺された人の魂が輪廻転生して又この世に生まれた時にその強烈な恐怖の記憶が魂に記憶されていてそれが現世に生まれた時にそういう症状として残るのだと言う。また、生長の家の創始者、谷口雅春さんは、そういう過去世を持っていたとしても、真理を学び、深くそれを体得すれば、そういう輪廻の中で作られた様々な悪因は消されていくのだと言う。つまり、いわゆる悟れば、過去に作られた業、つまりカルマであるが、これらは全て消えてしまうのだと言う。そういう意味で言えば、私は少食を実践するということで、その過去に出来た高い所を恐怖するというカルマ、業が消失したのかも知れない。

 いずれにしても今の私は幾分高所恐怖症が克服できたのだと思っている。だから今の私の密かに思っていることは、かつて怖くて怖くてたまらなかった、あの山陰の絶景ポイント、全国的にも有名な「角島(つのしま)」に渡る橋でもゼンゼン平気で車を走らせることができるかもしれない。この橋は数キロに渡って広い海の中にかかる橋なのだが、高所恐怖症の者にとっては、まさに「恐怖の橋」であると思う。以前の私はこの橋を車で走るたびに、緊張感に包まれ、まさに徒歩で走るくらいの速度で走らせていたものであった。しかし今なら、もしかしたら、私は高所恐怖症が治っていて、平気で車を走らせ、美しい山陰の大海原を楽しみながらドライブ出来るのだと楽しみにしているのである。


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02月14日(金)

起床時刻:04時55分

 就寝午前0時前頃。最初の目覚めは午前3時前。ここで起きても良かったのだが、そのまま寝てしまった。そして本日の起床時刻。二回目の睡眠は深い熟睡ではないのかも知れない。一回目で既に熟睡は得られたのかも知れないのだから起きても良かったのだと思う。まあそれでも日中はある程度楽に過せるだろう。睡眠時間は5時間。



 運動不足で困っている。または心配だという事をよく聞く。これが私と同じ世代の人たちから出た言葉なのなら納得するが、意外に若い世代からもこういう発言が出たりするから驚きである。私も最近ある身近な人からこのような悩みを聞いた。私にアドバイスを求めてきたような感じがしたものだから、私は私なりの意見を相手に出してみたのだが。

 しかし果たして運動不足なるもの、どういうものなのだろうと思う。普通ならば、何となく理解できるようなものでもあるのかも知れないが、今の私にとっては、この言葉は何か漠然としてつかみどころが無いようにも感じるのである。なぜかといえば、運動不足の定理というか、それならば、どこまでが充分な運動で、どこまでが不足した運動なのだろうかという事になる。

 すると質問してきた相手は「スポーツのサークルなどに入って、とても多くの汗をかき、筋肉を動かした日など、体も適度に疲れて、でも気分はスッキリ爽やかな状態になれば、充分な運動を施したと言える」と説明した。なるほど・・・それが彼らの言う所の充分な運動であり、運動不足の反対側にある状態なのだろう。

 しかし私は敢えて言いたいものだが、それならば、運動不足を解消する為には、サークルなどに入らなくてはならないし、あるいは、ジムなどに入会しなくてはならない。お金が無ければ、毎日一定のある程度の負荷のかかった運動を自らに課せなければならない。そのような、ある意味自分を強いるようなものは、私としてはどうしてもあまり良いものでは無いのである。頑張る・・・というイメージのあるものは、普通長続きしない。一時期は続くだろうし、運動不足は解消するのかも知れないが、とにかく長くは続かないような気がするのである。

 それならば、やはり好きなものを気軽にやることである。と言うか、一番いいのは、自らの内部から自然と湧き上がる感情で、自然とやりたいと思うようなことをやれば良いのだ。そうすればそれは嫌でも長く続けられる。持続性がある。結局何事も続かなければ意味もないし、本当の力になるのは、ある程度の期間の続けた結果としての集積なのだから。

 しかし運動不足と嘆く人たちは、その自然と湧き上がる感情が出てこないものなのだ。目の前にある簡単な運動でも面倒なものであり、反対にある楽しそうなこと、楽なことなどに目が向くのである。しかしそれがやはり人間のサガである。それこそ自然体というものだ。自然体であれば、その状態で、好きで運動などできればそれが一番なのである。運動不足など思わないような人は、きっと自然体であり、別に自分を強いる事無く、好きで体を動かしているのだ。

 私など、朝に日課のスクワットを100回ほど必ずこなしているが、それは嫌々でやっているものではないし、自然に体が欲しているから、やっているものである。朝にこの運動をこなせば1日の弾みにもなるような気がしているし、確実に筋肉も鍛えられているような気がしている。私はウォーキングなどはしないが、この朝のスクワットでも充分な運動になるし、体も軽く感じるのである。歩く時にも自然と速いスピードで歩くようになるものだ。少食で鍛えられた内臓で、それは精神面にも波及し、体を動かすことが苦ではなく、逆に好きになるから、人間の体というものは面白い。

 それと、少なく食べていれば、不思議に精神面でも常にポジティブに変容する。胃の中の食べ物が適量であり、それは悪い気となって頭には上っていかないから、悪い精神状態にはならないようである。「運動不足」と自分で感じると言うことは、はっきり言えば、悪い思いを自分が感じていると言うことである。つまり今風に言えば、ネガティブに考える、感じる、ということである。ポジティブな思考の持ち主であれば、そんな事は思いもせず、自分は別に取り立ててスポーツなどしていないが、ジムなどにも通っていないが、運動は毎日の生活の中で充分であり、一日を通して充分に動いているのだと感じるものなのである。そういう思考の持ち主がポジティブな人なのである。

 結局、運動不足と感じていると言うことは、それだけにとどまらず、全てにおいてマイナス思考の虜になっていると言うことだから、それは気をつけることである。プラス思考であれば、もちろん無理してプラス思考になっても仕方ないことだが、そうであれば、自然と運動不足などというセリフは出てこないものである。毎日の生活の中で彼は充分に体を動かし、仕事に精出し、好きなことに夢中に取り組んでいるのだから。.


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02月13日(木)

起床時刻:02時25分

 就寝午後10時。最初の目覚めは午後11時半頃。そして次が本日の起床時刻。睡眠時間は4時間半。最初少し躊躇してしばらく布団の中にいて様子を見た。しかし再び眠らないようなので、思い切って起きる。


 ソチ五輪が開催中で連日テレビでにぎわっているが、期待され注目の女子ジャンプ、高梨沙羅さんが惜しくも優勝を逃し四位という成績に終わったようだ。私たちの職場でも大いにその話題で盛り上がった。皆が大体同じ意見だったのが、日本選手は誰もがガチガチで緊張し、片や外国勢のリラックスした態度が好対照で、やはり外国勢のような態度が必要なのではないかという結論に落ち着いた。

 私は一番年少で、先輩諸氏が色々な意見を交わす中、「マスコミが騒ぎすぎですよね」と一言言わせて貰ったものである。聞けば、アメリカなどでは日本と比べてもそれほど過熱しておらず、適当に盛り上がってはいるものの、日本ほどのフィーバー振りではないとの事である。しかし逆にそれが選手達のリラックスを生んでいるのかも知れない。あまりにも過度の期待、注目し過ぎでは、当の選手達も萎縮してしまうのだろう。

 先の高梨選手も今までの普通の大会では圧倒的な強さを示していたが、オリンピックともなると、マスコミどころか国民全部が異常な過熱振りである。昔、ある国民的な人気のあった俳優が「人気の気は、あまりにも大きくなりすぎると、それは気の集まり、集合体となって、どうしようも無いほどのパワーを持つようになり、遂には一人歩きして、コントロールできなくなる」と、人間の持つ「気」の怖さを表現していたが、まさに、人の気は怖いものである。高梨選手の関係者の誰かが「オリンピック独特の何か覆いかぶさるようなプレッシャーを感じた」と述べていたようだが、まさにこれが人の気が集まったものではないだろうか。

 それに比べて外国の一般の人たちの有名人に対するあっさりした態度は、当の有名人達には気を随分軽くしてくれるものなのかも知れない。私たち日本人も彼らに少しは見習って、もう少し選手達に過度の期待感や依存心などを減らすことを考えた方が良いのかも知れない。

 大リーグなどでも、選手個人に対する気持ちの入れ方というより、チーム全体に対しての勝ち負けにこだわっていて、それに対して日本では選手個人に対して様々な思い入れが強いのだと言う。それに潰されて、日本での活躍とは裏腹に、期待はずれで終わってしまう選手もいるのかも知れない。私達日本人はもっと自分に対して思い入れを強くすべきであり、自分を第一に考えていくことも大切なのかも知れない。選手や芸能人などに対して、自分とはあまりにもかけ離れた存在などとは思わず、同じ人間なのだと、ある程度の距離を保って考えるべきであり、また、同じ感覚を持つ人間なのだと思うようにした方が良いと思う。

 私は若い頃、極真会館で空手を学んでいたが、一度世界大会をこの目で見たことがあったが、あの猪木に挑戦した「熊殺しのウィリー」こと、ウィリーウィリアムスがアメリカ代表で出ていたのだが、彼は試合場のコーナーで出番を待つ間、口にはガムを噛み、セコンドたちは彼の肩をマッサージして彼をリラックスさせていた。しかも彼は周囲に冗談など言いながら、まさに、試合を楽しんでいる様子であった。そして片や、日本選手は見るからに悲壮感が漂い、負ければ「切腹」という感じもあったものである。体はガチガチで、大丈夫か・・と思わせたが、結局、ウィリーの活躍が目立った大会になったのは誰もが知っている事実。そうは言っても、そういう悲壮感も時には必要で、決死の覚悟も大切な感情なのかも知れないが。しかし、それはあくまでも空手のような「武術」であり、オリンピックはあくまでも「スポーツの祭典」なのである。やはり私たちはもっと外国のリラックスした姿勢が必要なのかも知れない。

 あまりにも真面目で、他人の期待を一身に背負うような性格なら、本来の自分の力が出ないこともあるのかもしれない。そういう意味ではある程度の「好い加減さ」、良い意味での「鈍感さ」も大切である。他人が何を言おうと、どういう期待をかけても、我関せず、知ったこっちゃない、俺流でやるのだ、時には「ワル」にもなってもいいのである。これほど他人に期待や思い入れを注ぎ込むことの強い国民性の日本の中では、自分を守るためにもそういう「強さ」は必要なのかも知れないと思うのだ。


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02月12日(水)

起床時刻:05時02分

 就寝午後11時。最初の目覚めはいつものごとし午前0時頃。そして次に午前2時半頃。ここで起きても良かったのだが、出張先ということもあり、又寝る。直ぐに寝られる。そして本日の起床時刻。睡眠時間は6時間。


 少食の効用と言えば、色々あるが、今の私が最も感じているのは、いわゆる「若返り」だと言うことだ。細胞自体が若返るのは勿論であるが、それより何より心と体は一体であると良く言われている通り、細胞が若返れば自然と精神、心も若返ってくるのではないだろうか。つまり、イキイキとした精神、爽やかで颯爽とした心、ウキウキとした気持ちが又戻ってくると言うことである。青春の息吹が再び我が身に感じられるようになると言うことである。

 以前なら、若い頃なら何とも思わなかったことについても、年齢を重ねていくほどに、人は段々と神経質になったり心配性となったりする事を感じるものだ。それがある意味慎重になったとか、深い考えを身に付けたのだという風に良い方に解釈する人もいるのだが、概ね、やはり悪い方に思ってしまう。細胞や体は萎縮し、それに伴って心も縮こまってしまうのである。

 挑戦や冒険などとんでもないこととなり、もちろん夢の実現などとは縁遠くなる。何もしない方が良いのだとか、平穏無事というきれいな言葉に自己を騙し、そして平凡な、淡々とした日常を選んでいくのである。それが又年を重ねると言うことの長所なのだと自分に言い聞かすのである。

 しかし試しにそれでは食を節して、少食に生活を方向転換してみれば分ることであるが、先ずは勿論のことであるが、体が痩せたり、皮膚がきれいになったり、あるいは、排便などでもスムーズになったり、朝の目ざめがすっきりとしたりする体の変化を感じるようになる。そういう変化が強く感じる期間が続く。そしてその後に今度は心の変化も実に感じてくるようになるのである。

 友人や仕事仲間と何かのことについて話したりした時に、ふと感じることがある。何か今までと違う。彼と話したときに自分の対応が、あるいは、自分の意見の内容が変わっている。今までは思いもしなかった発想などが浮かんできたりする。相手の意見に応じて今までとまるっきり違った内容の考えを自分が発していることを発見するのである。こういう変化が実に面白く感じるのである。

 そしてそういう考えは若かった頃に考えていたことにプラスして長く生きてきた人生の体験においての様々なものが合体して、腰の入ったそれでいて若々しい発想に醸成されているのである。地に足は着いているものの、大らかな夢のある思想が自分の中に生まれているのに嬉しくなってしまうのである。少なく食べることの効用は、先ずはこの若返りなのではなかろうかと、私は考えている。


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02月11日(火)

起床時刻:05時14分

 就寝午後11時前。はっきりとは分らない。途中何度か目覚める。午前3時台に一度目覚めたとき、起きようとも何度か思ったが、そのまま眠ってしまった。睡眠時間は6時間くらい。

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02月10日(月)

起床時刻:04時53分

 就寝午後11時半過ぎ。多分最初の目覚めは午前0時過ぎだったかも知れない。そして午前3時半頃。ここで起きようと思えた。昨日と全く同じような感覚もあった。すなわち眠気があったが起きられた。が、本日はその眠気のままに又寝てしまっていた。そして睡眠の1サイクルを過してしまった。すなわち1時間半。二度寝である。熟睡プラスこの二度寝によって睡眠は充分に得られたのだろう、眠気はほぼ無く、すっきりと起き上がれ、そのまま活動にすんなりと入る。


 オリンピックが始まったようだ。期待されていたスノウボードでは入賞はしたものの、メダルには手が届かなった。彼はまだ17歳ではあるが、メダル獲得には相当の期待もかかっていたようだった。実際彼は他の大会では優勝したりしていたらしい。だから期待も相当あったのだろうと思う。その彼が3位にも届かず入賞。テレビなどのキャスターたちは誰も皆彼の健闘を称えてはいたが、私などの一般視聴者などは期待外れ、という感想を持った者が多かったのではないだろうか。それが正直な所だろうと思う。

 なぜ期待されていた彼がメダルを逸したのだろう。色々と私もテレビを見ながら想像してみた。彼のみならず、様々な分野でそういう事は比較的多いと思われる。しかし私自身、テレビなどのキャスターが皆彼の健闘をただ純粋に褒め称えているのに、どうして私はメダルを逸したことばかり考えるのだろうと我が身を恥じたりした。自分のいやらしさに自己嫌悪した。しかしこれも同じ部屋で番組を見ていた同僚との会話である程度解決できた。

 私は同僚に言ったものだ。つまり、その17歳の彼は場数が足りなかったのかも知れない。日本国内では断トツで勝ったりしたものの、一歩広い世界に出てみれば様々な国々の代表者たちに囲まれた環境は未経験だ。主に欧米の選手たちだろうが、逆に言えば彼らは普段から日常的に様々な人たちと交流しているだろう。欧米人たちのざっくばらんな付き合いやコミュニケーション。飾らないそのオープンな態度。それらはいざ本番という時のリラックスした態度や精神に効果的だと思われる。

 つまり、日本代表のその17歳にとって今から必要なのはもちろん技術の向上ではあろうが、それ以上にもっともっと色々な場所に出て行って、それは日本国内だけで天狗になっているというものでは無く、広い世界に出て行き、日本の常識から見れば想像を超える世界に出て行き様々な人格と交わり慣習に親しんで行けば自ずと彼の勝負運も上向いていくものだと思うのである。そういえば、日本で常に常勝のあるプロゴルファーがいたが、彼は国内では無敵でも、一歩世界に出ればその存在感が急に消えてしまうという事があったのだと誰かに聞いたことがあった。まさに日本の中にいるだけでは計り知れないところが広い世界には存在するのだろうと想像できる。

 今回の惜敗で、彼自身も一番分かっているだろうと思う。反省点として言えば、技術云々ではなくて、そういうメンタル的な、もっと広い世界があるのだと自覚し、そういう中で自分の中にタフな部分を付けて行けば良いのだろうと、きっと彼も思ったのではないだろうか。私は少しの時間しか彼の出てきたテレビ放送を見たり彼の話を聞いたりした中で、以上の感想を感じたのであった。


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02月09日

起床時刻:03時30分

 就寝午後11時。最初の目覚めはいつものごとく午前0時頃。もちろん直ぐに寝る。しかも寝られる。そして本日の起床時刻。一気に3時間半寝られたという事だ。ここで熟睡を得られたのだろう。トータルでは睡眠時間4時間半。まあまあだ。出張先。起き上がるのに少し躊躇する。何故なら意外に眠気が少しまだ残っていたからだ。が、それでも起きる。起きればその眠気も取れる。


 昨日の朝は目覚めたら外は既に若干の雪景色。しかも起床時刻はいつもより遅かった。更に昨日は出勤日である。家の前では救急車のサイレンが鳴っている。どこかでもしかしたらスリップ事故でもあったのでは・・という思いが脳裏をよぎる。それらの事が全て私の小さな気を刺激し慌てさせる。これはいけないと、それからはいつもの倍の速さで仕事の準備に取り組んでいたのかも知れない。

 朝の早起きブログへの書き込みは起床時刻だけとなり、あとは勤務先での食事の支度。そしていつものニンジンリンゴジュースの製作。あとは身支度だ。忘れ物がないか心配になったが、何よりそれより路面の心配がもっと上回った。凍結していれば勤務先まで軽く倍以上の時間と精神不安がかかる。冬における私の一番嫌なトラブルである。ざっと窓からもう一度外を見ればその心配は中々取れない気がした。私は妻の布団の上で丸くなって暖まっている愛猫を見た。慌ただしく動く私を見て何を思っているのだろう。その真ん丸な瞳が今朝は一段と可愛く感じた。私は思わずその頭を撫でてやり、お陰で私の気持ちは少し落ち着いた気がした。まだ布団の中で眠っている妻に向かって後の事を託した。

 道路は雪が少し積もり、シャーベット状のように感じた。大丈夫かも・・とチラッと思ったがまだ安心は出来ない。過去の私のドライブ歴の中の、路面凍結での嫌な思い出はまだ私の中では根強く残っているに違いないのだ。車に乗り込み、スタートさせる。私の家は国道沿いにあるから道路状況はすぐに分かる。勤務先まではほぼその国道が占めるし残りも整備された県道である。数キロ走らせてさすがの私も徐々に安心して来た。とはいっても、いつもの速度では走らない。年齢の割には比較的走り屋の私にとっては遅い速度で走らせた。途中ガソリンも注油し私は勤務明けで私たちを待っている同僚たちの元にただ淡々と愛車を走らせたのだった。

 仕事先でブログ更新したが、外を眺めればすっかり朝の風景とは一変して快晴の日和である。お天道様は朝の天候など何事もなかったかのようにその明るい陽射しを私に注いでくれている。今年はもう宇部市には積雪や路面凍結などはないのかも知れない・・と、嬉しいやら、はたまた通常とは違う今冬の様相に少しの心配も感じる私ではあるが。



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02月08日

起床時刻:05時46分

 就寝午後11時過ぎ。しかし途中何度か目覚める。猫が私の布団にやって来て鳴くものだからそれで思わず目が覚めてしまう。怒る気にもなれず逆にその可愛さに思わず頭を撫でてしまう。そういう事が二度程度あった。そして本日の起床時刻となった訳だが、いつもより随分遅い時刻になってしまった。しかも本日は出張日。さすがに慌ててしまった。昨夜から雪がずっと降っていたようで路面凍結も心配した。結果的には大丈夫だったが。睡眠時間は6時間以上という事になる。


 昨夜もうそろそろ寝ようかなと思っていた矢先、同級生のHから電話があった。Hは女性であるが、高校を卒業して大人になってから親しくなった私にとっては数少ない異性の友人である。在学当時は顔は見たことはあったが話したことは一度も無かった。中年になって、随分久しぶりに開いた同窓会で初めて少しだけ話し、それからの付き合いだ。それ以後、頻繁に開いた同窓会で徐々に親しくなり、今では随分昔からの友人のような感覚でつき合わせてもらっている。多分フィーリングが合っていたのだろうと思う。その彼女からの久しぶりの電話だった。携帯の画面に出てきた彼女の登録用の名前に「え、久しぶりの電話、一体何だろう」と率直に感じた。

 聞けば我々の共通の恩師でもある高校時代の教師が亡くなったそうである。社会科の担当を務めていた宮本先生だった。先生は若くして教師を辞め、実家の神社の後を継いでいた。私たちが生徒の時代はそれでもずっと教師であり、当時も実家がその神社だとは聞いていたが、まさか跡継ぎとして教師を辞めるなどとは思いもしなかったのだ。私たちが卒業してからしばらく経ってから彼は辞職し、その神主としての仕事に従事し始めたのだった。

 彼は教師の現役時代、独特な個性と風貌で生徒には人気もあった。小柄ではあったが、ボクシングもやっていたらしく、時には確かホンモノの真剣なども学校に持ってきて私たちに披露したりした。そういう意味ではそういう行為がまだ許された時代であった。私の親友がキャプテンを務めていたラグビー部の顧問も務めており、今時のサラリーマン的な教師とは違って、単なる給料目的だけの教師ではなかった。教育に情熱を持ち、私たちにも裸でぶつかってくれた珍しい存在であったのだ。

 温かい人柄はその笑顔にも表れ、人々からずっと愛されていたようだ。神主としての仕事を続けていた頃もそのキャラクターは相変わらず、多くのファンを獲得していたものと思われた。私はやはり同級生で、塾を経営しているOにその彼の神社を訪問したことを聞き、お前もゼヒ一度その神社を訪ねるべきだと言われたものだが、それは中々実現しなかった。が、ある時私もふとそこに行きたくなり、一度正月に妻を伴って彼の働くその神社を訪れたことがあった。

 場所は山口県の東北部、山間地にあった。内陸で山々に囲まれたその地はある意味自然に囲まれた素晴らしい土地であった。そしてその神社が建つその地はまさに絵本で出てくるような、映画に出てくるような、そのものズバリの雰囲気に溢れていたものだった。静かで荘厳で、それでいて晴れやかな空気に満ちていた。彼が働くには本当にピッタリなその雰囲気に私達夫婦は良い意味で圧倒された。

 突然の訪問にも先生は嫌な顔一つせず、私たちを昔ながらの温かな笑顔と大きな声で迎えてくれた。彼はそう言えば私達夫婦の結婚式にも参列してくれたものだ。私がダメな時には厳しくも愛あふれる叱咤激励の言葉で応援してくれたし、私が調子が良い時には大いに褒めてくれたものだった。そんな彼ももう二度とこの世では会うことも叶わなくなった。何とも寂しいものである。私はそんな私の感情を報告してくれた同級生のHに伝えたが彼女も同じ気持ちだったろうと思う。

 私は彼女に早速共通の友人でもあるYにこの事を伝言すると言った。彼女も直ぐに賛意してくれた。私たちはこのように直ぐのネットワークが築かれているのである。こういう場合本当にありがたい存在なのである。友人、同級生というものは本当にありがたいものである。時刻も遅かったからそのYも電話には出なかった。しかし直ぐに彼から返事の電話が入り、私が宮本先生の訃報を伝えると驚き、しばし昔話なども交わし、そしてやはり彼も私と同じく寂しい気持ちに襲われたようだった。そしてやはり同じように私に友人として伝えてくれたことへの感謝の言葉をくれた。彼もまた私やHと同様な寂しさと同時の友人のありがたさ、感謝を大いに感じているようだった。

 先生の死というものに対してありがたいというような心情を感じる事は果たして適切かどうかは分らないが、その気持ちを共有できたことはそういう意味では先生のお陰である。先生・・ありがとうございます。そしてあの世でも皆を笑わせそして激励したっぷりの愛情をかけて活躍せんことを願っています。私の方は、もう少しだけこの世で頑張ります。先生に負けぬよう、頑張ります。今度はあの世から僕に色々教えてください。最後にもう一度、先生、ありがとう。.




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02月07日(金)

起床時刻:02時41分

 就寝午後10時半頃。途中覚醒はあったと思うがその時刻は確認していない。と言うのも、猫が私の布団の上にやって来て寝てしまったりした気配で目覚めたものだからだ。それが一度。他は熟睡したものだと思われる。ここ数日の寒さで寒いのだが不思議に目覚めはすっきり、直ぐに布団からも出られる。多分この寒気にも慣れたからだと思う。普段よりも随分早い時刻の起床にも関わらず、躊躇無く起き上がることが出来た。睡眠時間はトータル4時間くらい。


 今朝のニュースでは今年の冬最も寒い朝を迎えたと言っていたが、もちろん東京のことらしいが、それは我が町でも一緒だろうと思われる。先日の春のような日和は一転、まさに冬本番と言っても良いような寒さである。昨日、立春を迎えたようだが、春はまだ遠からじ・・かと思われる。が、テレビのお天気キャスターは「今が寒さのピーク、今から春に向かって段々と温かくなっていきます」と嬉しいことを言っていた。

 しかし冬は寒いのが当たり前だ。そしてその寒さを嫌悪するのではなく、ある意味楽しむという感覚も必要である。では冬のどういうところを楽しむのかと言えば、それは私はやはり戸外に出た時の「ひんやり」とした感覚にあるものと思う。顔の周辺の皮膚感として感じるあの「ひんやり」としたものだ。今の私は本当にそのように感じて何か時々嬉しくなってくるのである。

 以前の私はどちらかと言うと、誰よりも寒さに弱かったのだと思われる。仕事先でも同僚達に比べても一番年少にも関わらず、一番防寒に気を配り、寒さへの予防感覚は一番強かったと今振り返れば思うのである。しかしその時の私はそれが普通だと疑わず、当たり前だと思っていた。他人の様子はあまりよく分っていなかったのだ。

 これは夏の暑さにも共通していて、暑い日も寒い日も私はいわゆる「苦手」だったのである。しかし体質改善をある程度果たした今となっては、夏の暑さも冬の寒さもそんなに苦にならず、逆に、それぞれを快適に感じるようになっているのである。夏の暑さを苦にしたことも無く、今の寒さも苦にした記憶が無いのである。外に出た瞬間に、ヒヤッとした感覚を感じた時、何とも言いようの無い良い気持にさせられる時があるのである。若かった時のあの清新な感覚、清純な思いがその瞬間に蘇ってくるような時もあるのである。

 そこがやはり冬の良さではないだろうか。寒さのために、悪いもの、例えば、各種ウィルス的なものとか、雑菌、あるいは、目に見えるものであれば、ゴキブリやネズミというようなあまり見たくないようなものが視界に入ってこないのがありがたいものであるが、それが又冬の良さである。美しいものが、美しい景色が冬には多くなってくる。それが冬の美しさである。

 その美しさが、肌にとってはあの「ひんやり」とした感覚に繫がってくる。それが又精神にも作用し、清新さや清純さに繫がっていくのである。その冬の厳しい寒さの美しさによって鍛えられた精神が自分の人生に計り知れない良いものをもたらしてくれるのだ。そう思えば冬は決して忌み嫌うものではなく、やはりその醍醐味を私たちはもっと満喫した方が良いと思うのだ。クラシックの名曲「冬の旅」でも、あるいは、日本でもかつて同名のドラマがあったのを覚えているが、その言葉のイメージだけでも、何かある種の美しさを感じるのは私だけでは無いと思う。


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02月06日(木)

起床時刻:03時39分

 就寝午後11時。最初の目覚めは午前0時頃。出張先である。相方は同じ血液型のTさん。同僚からはやや煙たがられている存在だが私とは比較的気が合う。と言うか、自分でも言うのもなんだが、私は大体誰とでも合わせられる。調子が良い奴なのだ。そして次の目覚めが本日の起床時刻。つまり二度目の睡眠は一気に3時間半程度の睡眠を得たという事だ。トータルでは4時間半の睡眠。まあこんなものだろう。と言うか、最近少し朝の目覚めが遅かったが、しばらく暖かい日が続き、急に又冬のむ寒気が戻ったために体が順応せず、その為にやや目覚めに不調な感じがあったものだが、それが又冬の感覚に戻ってきたのかも知れない。世間では急激な気温変化に注意せよなどと言っているが、まあ、生きていればこんなこともある。柔軟な対応は心も体も当然必要である。


 安倍内閣の閣僚で、新藤 義孝総務大臣と田村 憲久厚生労働大臣の2人が既に今流行のインフルエンザにかかってしまい、他の閣僚も何となく不安な状況であると、ニュースで報道されていたが、そのくらい今の日本ではこの風邪がピークの状態らしい。

 そう言えば、私の職場の同僚でチームのメンバーも一人かかってしまい、その代わりに私が彼の仕事を肩代わりしたこともあった。彼はしきりに私に感謝していたし恐縮していたが、私は彼が思うほど大変ではなかった。しかし他の同僚から言わせれば私たちの仕事は一日でも予定より増えれば精神的肉体的に大変負担であるらしく、その分彼の私への感謝の思いは大きかったのかも知れない。

 しかし私に言わせれば、大変ではあったし、私の予定としては色々と予定していたこともあったが、ある意味彼のお陰で私のギャラが増えたことになる。そんな事は決して職場では言わなかったが(それは下品であるかと思ったからだ。)確実に私の収入は増えたからである。私たちの仕事はわずか一日増えたとしてもその分は世間的には比較的大きな収入となるからである。つまり私は彼のインフルエンザのお陰で収入がアップした訳である。

 そういう意味ではやはり健康は良いものである。健康であれば毎日が楽しく生きれるし充実して過せる。そして経済的にもより良くなる。そしてここが一番大切なことであるが、私はほぼ風邪、今の時期ではインフルエンザなどには先ずかからないという自信めいたものがあるのである。それは何度もここで書いているが、私が少食を自らに課しているからである。少食していれば先ず風邪などにはかからないものである。

 先に書いた同僚が私と一日一緒に仕事していたときにも、彼はマスクを着用していたが、私のことを気にかけていた様子だった。多分私が思うに、誰も自分が風邪などにかかった場合、そばの人間は迷惑がるだろうし、不安な気持ちにさせるからだと思うのだ。そういう意味で彼は私に自分のことを負担に思わせることに気を使っていたことだろうと思う。しかし当の本人、つまりその時の私にとってはゼンゼンそんな事気にしていなく、自分は絶対と言っていいほど、風邪にはかからないし、うつらないという自信があるのである。

 どのような強力なウィルスが体内に侵入してきても、少食を生活習慣にしていれば、体内の白血球はいわゆる常に「ハングリー」であり、飢えているから、そのようなウィルスを即食ってしまうのである。白血球からすればこのような美味しいものは無いのかも知れない。その為、風邪やインフルにはかからないのである。

 とは言っても、そんな私でも少し前に風邪のような症状になってしまったことがあった。熱は出なかったが、鼻水がずっと出っ放しで、しかしその鼻水は常に透明な状態ではあった。以前の、少食になる前の私はよく風邪にかかっていたものだが、その時の鼻水は透明なものではなく、いわゆる青鼻・・と呼ばれるものだった。しかも咳も出る、体はだるい、食欲も減る・・というものだった。しかし今回のものはただ透明な鼻水が出るのみで、他の症状は無かったのである。だから日常生活にはほとんど差しさわりが無く、元気一杯だった。だから私はこれは風邪などではなく、もしかたしら「花粉症」かも・・と思ってしまったほどであった。

 そんな私であるから、世間のインフルエンザのニュースや喧騒はほとんど気にならない。心配もない。少食のライフスタイルさえ守っていれば、そのような流行にも乗らないで済むし、あるいは、他のどのような病気にも先ずかからないであろう。ただ世間で言われる単なる普通の少食ではない。それはこの言葉の上に「超」という冠が付いた場合かも知れない。だからと言ってそれは過酷なものではない。朝ご飯を食べないとか、昼も軽く食べる程度でも充分超少食と言っても良いかも知れない。もちろん晩ご飯も食べすぎてはいけない。要は、あまり欲望に振り回されていない状態の事である。

 養生訓の著者、貝原益軒によれば、少食を実践していれば、健康になるばかりか、経済的にも豊かになるそうである。そういう意味では先に私が書いた同僚の仕事の肩代わりで私が臨時に得た収入アップのような事が起きてしまったが、それもこの経済力のアップという事になるのであろう。超健康であれば誰からも好かれるし、その結果誰からも仕事の依頼も増えるし、それは確実に経済力の増強に繫がって行くのである。


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02月05日(水)

起床時刻:05時00分

就寝午前0時過ぎ。非常に面白いコミックを読んだせいか、あるいは、前日私にとってはとても長い睡眠時間を経た朝を迎えていたせいか、中々寝付けない状態だった。午前0時を迎えても眠気は中々訪れなかった。電気を消し寝ようとしても寝られなかった。結果、いつ寝たかは定かではない。しかし、それでも私である。そのまま知らぬ間に眠ってしまったのだろうと思う。そして最初の目覚めは午前3時40分くらいだった。が、最近の傾向で、いつものように、寒さの為か、布団から出られず。そのまま又寝てしまっていた。そして本日は出張の為、目覚ましをセッティングしており、その音で目覚める。しかしそれでも睡眠時間は5時間弱となる。途中猫の鳴き声でも何度か目覚めたと思う。それでもそれは睡眠のサイクルでの浅い部分であったのだろうと思われるから、一定の熟睡は得られたものと思う。

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02月04日(火)

起床時刻:07時04分

 就寝午後11時半頃。途中覚醒あり。しかしその時間が分らない。あまりにも長く寝すぎ、あまりにも遅い時刻に起床したためかも知れないが、記憶がほとんど無い。夜中にも目覚めたような気もするし、いつものように午前3時とか4時くらいにも目覚めたかも知れないが、その記憶があやふやだ。なぜこんなにも長く寝たか、なぜこんなにも遅く起きたのか、さっぱり分らないが、もしかしたら内面の精神状態の変化の他には、気温の急激な変化があるのかも知れない。テレビのニュースによると、我が地域では昨日よりも最高気温が10度も低くなっているらしい。ものすごい変化だ。


 私の朝の日課・・というか、1日の日課の中で、飲食と運動において、最近ちょっと感じているのが、毎朝のニンジン・リンゴジュースと、スワイソウ&スクワットである。この三つが最近特に定着しているというか、日々の生活に随分溶け込んでいるというのが実感である。

 先ずはジュースであるが、この習慣もある程度の期間続けている。以前はその味もそんなに美味しいとは感じられなく、健康の為だとか、精神状態を良いものにしたいという動機から続けていたのであるが、最近は少し美味しく感じているのである。今までは美味しく感じていないせいか、義務的なところもあったが、今ではちょっと待ち遠しくなっている。もちろん空腹も紛らわせるし、お腹も少しは満足するのであるが、それより何より美味しさを感じられるようになった。これは体と心がこのジュースに馴染んでいるのだと言えるのだ。

 どちらかと言うと、ニンジンの方がリンゴよりも量的には多く占めている。リンゴはジュース向きのものだから、小ぶりなのだ。それに比べてニンジンは大ぶり。だから作る前の見た目にはニンジンの方が勝ってしまっているようで、美味しそうには感じられないのである。それでも実際ミキサーで混ぜ込んで飲んでみるととても美味しいのである。だから今は健康の為だとか義務だとか、そういう気持ちではなく、美味しいから、という感じでいただいているのである。

 そして、スワイソウである。中国の健康体操であり、武術の基本動作なのだが、今は日本でも多くの愛好家がいるらしい。単なる腕振り運動なのだが、このポイントはまさに「肩の力を抜く」、つまり、脱力の運動なのである。無駄な力を抜き、本来の人間の潜在能力を発揮させ、その隠された力を表に出す為の手段として私はとらえている。この運動が今の私の活力の元なのかもしれない。これもまたジュースと同じく以前なら義務的に行っていたものだが、今は、本当に楽しく面白くやらせてもらっている。これをやれば何となく全てにおいて、あるいは、自分の目標とするものの達成のために、その「やる気」を熟成するための一番の私の手段となっている。

 三つ目のスクワットであるが、ホントはこれが最も厄介なものだった。とにかく面倒くさいし、大変である。何しろ筋肉運動である。プロレスラーが自分の肉体を強くするためにやる基礎運動なのだから、一般人の私などが実践するのは本当に大変であり、中々続かないものである。それを飽きっぽい私が何で今までずっと続けられているのか、それはやはりこれも楽しく感じられるからである。楽しくやれなければ何事も長く続かないものである。

 時には100回程度続けて出来る場合もあるが、最近は連続したら大体50回程度である。これを朝と晩にそれぞれ一回ずつやればトータル100回である。一日最低でもこの程度やれば筋力アップにはなると思っている。とにかく義務的とか、単に健康のみ、あるいは、筋力アップのみでやれば続かないのかも知れないし、根性なども必要だろう。それを楽しくやるためにはやはり体に馴染ませ癖付け、生活の一部にする必要があるのかもしれない。今の私は多分、この三つの日課が既にこの境地になっているような気がするのである。

 それもこれもやはり毎日の少食生活が全ての基本にあるのだと思っている。必要最低限の栄養のみを体に与えていれば余計なエネルギーや消費も必要としなくなり、体は本来の元気を維持できる。そうすれば、更に体は自分を元気に健康にさせるように持って行くものである。そういうシステムが私に日課の継続をさせてくれているものと思っているのである。


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02月03日(月)

起床時刻:05時20分

 就寝午後11時。最初の目覚めは午前0時前。さすがに又寝る。直ぐに寝る。そしてこれが又不思議にはっきりとした記憶が無いのだが、多分・・午前3時くらいに一度目覚めたような気がするし、あるいは、それは先日の事だったかも知れないが、何となくそのころに目覚めたような気がする。そして、なんと、出張先においての珍しい目覚ましの音での起床。初め何の音だろう・・と思ったほど。全く珍しく良く寝てしまった。結局睡眠時間はトータルで6時間20分ということになる。最近では最もよく寝た日。昨日が特別に早い時刻に目覚めそのまま出張先ということもあり、仮眠らしいものをほとんど取らないまま仕事し、その影響大かも。


 昨日あるテレビ番組であのタレント、元陸上競技者の武井壮が熱く語っていたが、彼は独特な哲学の持ち主だった。こんなにも熱く自分を語るようなタイプとは思っていなかったから少し意外であったが、その語りの中で面白いことがいくつかあった。彼は最低でも200歳までは生きるというのである。最低という事は目標があるのだろうが、それは彼にとっては目標という実現可能かどうか分らないというあやふやなものではなく、本当は自分は「死なない」という思いを持っているらしいのだ。そこが面白い。

 自分は死なない・・・等という意見を聞けば、以前の私なら「何馬鹿な事を言っている」と一笑に付したことだろうが、今の私はそうは思わないのだ。どちらかと言えば、武井に近い感覚を持っているような気がするのである。そう、私ももしかしたら、死なないかも知れない、いやそこまで行かなくても、やり方や修行次第によっては、死ななくなる体と心が得られるかも知れないと思うところもあるのである。

 彼は以前に違う番組でやはり彼のことを紹介しているものであったが、そこで彼は日常のトレーニングや生活を見せていたが、その中で私が注目したのは、彼もまた食生活において「少食」を実践しているというところである。一日一食に近いような内容だった。私と違うのは、肉食が多いという所で、私はどちらかと言うと、菜食が多いのである。しかし彼は随分少ない食事で、あの過酷なトレーニングに取り組み、いや、少食だからこそ逆に過酷なトレーニングも無理なくやれるのであるが、それと同時に彼は又睡眠も短く、それも又極端に短いものだった。1時間とか2時間レベルの仮眠程度の睡眠で毎日をこなしていたのだった。

 厳密に、自己に対して厳しく規制をかけながらこうした生活を日々実践していれば、私は多分彼のような独特な思想、考えを持つようになるものだと想像する。私自身も少食と短眠という生活のスタイルによって以前そうでなかった頃の自分の考えとは随分変わったものになったと実感しているからである。そしてそれは独特な生活スタイルの変革だけではなく、あらゆる事に対してもとても個性的な考えを持つようになったりするものだと思える。政治、経済、教育、何でもである。そして自然にこういう個性的な自分だけの考え方に変わっていく自分を眺める事がとても面白く感じるのである。

 それは内面のみにあらず、自己の外面にも現れ、ファッションにも現れる。ちょっと危ないファッション、中年のオッサンとしては、ちょっと危ないファッションもするようになるのかも知れない。しかしそれは最近のニュースで話題となったあの冷凍食品に異物を混ぜた犯人のような格好では決してなく、それは他者から見ての違和感ではなく、自分だけの個性というものであり、流行に流されない強い自己主張があるものである。「ちょっとおかしいかも・・」と精神状態を疑われるようなものでは決してなく、その辺のオッサンとはちょっと違う、パンチの効いた個性的なファッションなのである。そういう風に変わっていくのである。

 現在の日本の、いや、世界でもその常識の中では、寿命は大体よくても80歳そこらだろう。そこまで生きたら、大往生、くらい言われるものである。しかし武井は200歳まで生きられる、いや、最低でもそこはクリア出来ると言う。その自信。不敵な自信。彼が独特な考え方、あるいは、個性的なライフスタイルを真面目に実践していることで、こういう思想は自然と身についていくのである。決して売名行為だとか、自分を売り込むために、嘘を言っているのではないはずだ。それは実際に自分でそういう生活を実践してみて初めて分ることであり、それを実行してもいないのに、ただ彼を批難するのはお門違いである。

 そのような状態にたどり着くのにアプローチはどちらでも良いと思う。つまり、先ずは考え方を変えるのか、あるいは、生活自体を、ライフスタイルを変えるのかであるが、どちらでも良いとおもう。私の場合は後者の方であった。先ずは形から入るのである。体から変えて行き、心や精神がそれに伴って変わってくるのである。武井は今はどちらかと言えば、自分は死なない・・と言う。それは彼が毎日の独特なライフスタイルを真面目に真摯に実践して行った結果なのである。だからそれは真実なのだ。決して彼は「嘘」を言っているのではない。何度でも言うが、それを嘘だと決め付ける前に、我々は先ずは自分自身でも実践してみるべきである。他人から見れば突飛だと思われるような考え方や行動でも、自分が直感的に求めた生き方であれば、それでいいのである。先ずはやってみるのである。

 実際過去の私であれば、寿命などせいぜい70歳がせいぜいであったと思う。私の母は65歳の若さでこの世を去ったし、父親は70を越えた辺りで身まかった。どちらもこの時代では早い方だ。だから私の兄弟たちも皆不安を持っているらしい。だが私は違う。今のライフスタイルを長く実践している内に、武井ほどは真面目ではないのかも知れないが、私も又自分の寿命感覚は変わってきたと思っている。最低でも平均寿命、80歳は行くだろう、両親のことなど関係ない。彼らはあくまで「肉」の親であり、私は精神が変わったのである。そして80歳はおろか、90歳くらいは行きそうな気もするのである。そして昨日の武井の言葉によって、私も今の生活をもっと真面目に取り組んでいけば、世間で言われる大長寿者、つまり、100歳も夢ではなくなるだろう。あるいは・・200歳。

 日本一の納税額を誇っていたあの斉藤一人さんもこの200歳の信念を持っているようである。その記述を読んだ当初は私はこれは眉唾ものだと思っていたが、今ではその考え方を持つ者が一人増えてしまって、武井の事であるが、より私にとっては説得力が強まった。要は自分の中から催してくる直感に素直に真面目に従って行けばいいのである。少なく食べ、少なく眠り、よく動く。日々楽しくイキイキと暮らしていけば、永遠に生きて行けるように、あるいは、なるのかも知れない。武井は番組の中で最も強く力説していたが「思いは必ず実現するのである」と。人間は神の子であり、その力は無限なのである。


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02月02日

起床時刻:02時48分

 就寝午後11時。途中覚醒の記憶無し。一気に寝たものと思われる。本日で3日目である。ちょうどディナーに炭水化物をカットして以来である。つまり炭水化物を排除して同時に就寝後1時間か1時間半程度の睡眠で目覚めることが無くなった。最低でも3時間程度の睡眠が一気に得られる。それは誠に結構なことではあるのだが、ここで注意しなければならないのは、一気に最低でも3時間程度の睡眠を得たのなら、その時の起床時刻がいくら常識から考えても早い時刻であっても、ひるまず、もう起きるべきである。まだ早いなどと思わず、もう一度決して寝ないことである。つまり二度寝は厳禁である。1時間とか1時間半くらいの仮眠は良くないものだ。二度寝に3時間程度の睡眠がもし得られたのなら構わないのかも知れないが。だが、多分、そのような二度寝はありえないだろうと思う。二度寝は1時間、1時間半程度である。それは避けたい。そしてその時間は、お昼や夕方に取ってしまう仮眠にも言えることである。とにかく本睡眠以外の仮眠に1時間とか1時間半の仮眠は厳禁である。起きてからもしばらく体がだるかったり、使い物にならないからだ。それだけではなく、その後長い間エンジンがかからず、いわゆるテンションが落ちっぱなしである。気をつけたい。夜の本睡眠において、最初の睡眠で一気に最低でも3時間寝られれば、それで充分である。起きても良いのだ。あるいは、起きた方が心と体にも良い。心地良いテンションが得られる。そして・・・世の中に非常に少数だが、存在するであろう、超短眠の人間達で、1時間半程度の睡眠で大丈夫な人たち・・そのような状態になったら、それはそれでいいのである。その是非なる感覚はきっとその時に自分の直感で判断できるはずである。


 30歳のいわゆる「理系女(リケジョ)」が化学の世界で世界的に画期的な発見を為したというニュースが日本はおろか世界中を駆け巡ったが、何とも同じ日本人としては誇らしくも嬉しいものだった。新聞の記事を最初一読して直ぐにこれはノーベル賞に値するものだと直感したものだった。まさに偉大なる日本人、ここにあり、ということだろう。

 メディアは連日のようにこういう良いニュースよりは悪いニュースを流し続けているという印象があるが、それは又我々視聴者や読者が悪いものを求めているという精神構造にもその原因があるのだろうが、つまりニーズがあるから彼らは提供しているのだろうが、その中でもうんざりさせられるのが韓国の日本バッシングである。もちろん中国もその一つである。

 素朴な考えであるが、何故彼らはあんなにムキになって日本を叩くのだろうと不思議に思うのだ。確かに過去日本が彼らに対して無法なことを強いたりした事もあったのかも知れない。しかしそれも既に過去のことである。だからと言って忘れてしまうのはいけないことなのだろうが、だとしても、実際日本人の中にも様々であり、色々な人格の持ち主がいたわけである。賛否両論であり、良い事をしてくれたという人の証言も実際はあるようである。

 もう少し歴史をさかのぼれば、日本が大陸に向かって進出した以前、西洋列国がアジア・アフリカに対して行って来た侵略や略奪については果たして「時効」というものがあるのだろうか。どうして韓国は同じような、あるいは、もっと酷いことをした可能性がある西洋列国に対しては強い批判をしないのであろう。比較などしてはいけないのだろうが、日本が韓国に対して行って来た色々な仕打ち(と、一応はこういう表現をしたが)と、例えばアメリカが最悪の兵器、原爆を二回も日本に落としたことなどはどう説明できるのだろう。私達日本人はもう誰も表立ってアメリカ人を非難していない。

 また、他の西洋の国々も過去多くの発展途上国を侵略、支配してきた。しかし今や世界中でそのことについて誰が声高に非難しているのだろうか。何故私たち日本のみがこうして非難されなくてはいけないのだろうか。きっと何か韓国人は純粋な出来事以外にその原因があるのだろうと想像してしまうのである。もっと根の深い問題かも知れない。連日の韓国の日本に対するバッシングのニュースを見るたびに暗い気持ちにさせられてしまうのである。

 韓国は世界中に向けて日本の悪い所、過去行って来た色々な汚点をPRしていると言う。それは現在日本の一部保守政治家で日本が行って来たことを正当化する者がいることへの警告かも知れない。しかしそういう歴史の中で、日本が支配し統治したお陰でその国の進歩が促されてきたという事実もあるのだと言う人もいる。私はこれもまた一つの真実だと思うのだ。それは私がやはり日本人であり、同じ国の中で生きているという生活の中から実感できるものだからである。

 そしてこの韓国が行っている日本のイメージを悪くする行動(だが韓国からすればそれは正当な事をただ主張しているだけのことと言うのかも知れないが)に対して、日本の方も正しいことをもっと主張し、日本人も言われるだけではなく、もっと世界に向けてその正当性を発信しなくてはいけないと主張する識者もいるが、私はある意味、日本人は本来そんなに自己主張するタイプではないのだから、それはそれで良いのではないかと思っている。つまり言いたい事を言うやつには勝手に言わせて置けば良いというスタンスなのだ。

 それは、最近よく聞く日本人の快挙のニュースがあるからだ。様々な分野で日本人の活躍が報道されている。冒頭に述べた再生化学の分野での新発見についてもだ。しかも若い女性なのである。こんなアジア人が他にいるだろうか。多くのノーベル賞を獲得してきたのは西洋人以外ではただ日本人のみである。そしてそれ以外に多くの分野で日本人の活躍が世界を駆け巡っている現代、世界の人の中で私たち日本人へのイメージは益々高くなる一方である。「韓国が言うような酷い醜い日本人が果たしているのだろうか、信じられない」と、世界の人は何となく感じるはずである。

 逆に他人を非難しているばかりいる人たち、それは世界ではある意味グローバルスタンダードである。特に西洋社会ではそれは常識だったのだろう。だが「世界の常識は日本の非常識」なのである。だからと言って我々が悪いとは限らない。なぜならば常識とはある意味「悪」の代名詞でもあるからだ。人を批難する事無く、自己を反省し悪く思う・・というのは日本人の特徴かも知れないが、それは悪いことではなく、もしかしたら私たち日本人の美徳かも知れない。

 私はこうも思っている。現在、中国や韓国との関係が悪く、この緊張関係は一刻も早く改善しなければならない。だから日本人はもっと反省し相手に対して謝るべきだ、という論説も多くあるようだが、果たしてそうだろうか。私から言わせればそんな胆の小さいことではどうするものぞ・・と言うのが実感である。良いではないか。少しくらいの緊張感があっても。しばらくは悪い関係が続いても仕方ない。そういうことも長い人生の中ではあることだし、そんなにこの世界で直ぐに良い関係になることに急ぐことも無いような気もするのである。それよりも私たちは各自がそれぞれひた向きに自分の仕事に取り組んで、日々を誠実に生きて行けば良いではないかと。

 もっと腹を広くもって伸びやかに、ギャンギャン怒鳴ってくる隣人にも馬耳東風で行っても良いかも知れないではないか。人生なるようになるのであり、レットイットビーである。私たちはもっと自信を持って生きて行っても良いのかも知れない。仲良きことばかりが良いとは限らない。穏やかな日々平和な毎日が全てとは限らない。それは自己の心の中において、それが存在していれば良いことであり、外の世界では様々な問題や喧騒があっても仕方ない事である。


●スワイソウ 500回()
※スワイソウは2012年6月16日からスタート   
●テンションアップ27日目
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02月01日

起床時刻:04時12分

就寝午後11時半頃。最初の目覚めは午前3時過ぎ。熟睡が出来たものと思う。この時点で充分起きても良かった。しかし依然とした寒さで布団から出ることは無かった。しかし直ぐに寝られたので良しとしたい。そして本日の起床時刻。1時間と少しの睡眠ということで、ホンモノの睡眠かどうかは疑わしい。トータルの睡眠時間は4時間半~5時間弱。


 私の最近の人間関係で、交流する人数は以前と比べたらもかしたら格段に減っているのかも知れないし、或いは別の意味では増えているのかも知れない。が、やはり減っているのだろうと思う。以前は誰彼差別無く、付き合いながら、人からは私は顔が広いと言われて悦に入っていたのだろうと思われる。道を歩いていると時々知らない人から声などかけられたりする事も多く、こちらは相手が誰か分らないのだが、相手は私の名前まで知っていることが多かった。そういう意味で私は目だった存在かも知れなかった。

 しかし今の私は冒頭でも書いたように、格段に付き合う人の数は減っていると思う。その代わり自分でも何となく分るのだが、その付き合いの密度は以前に比べたら格段に濃いものだと感じている。まるでこれは私の毎日の食生活のごとくでは無いだろうか。一事が万事・・というのはここでも実感できるというものだ。

 それは又睡眠でも言えるだろう。短い睡眠時間で私は日々充分に生きていけるし、その過し方も密度は濃いい。長い時間をゆっくりと食事しゆっくりと生きているのかもしれない。そういう生き方に生まれ変わった私の元に現在現れている人たちだけで私は交際し生きているのだろう。だから比較的自分よりも年上が多いし、誰も皆比較的ゆっくりと生きている人が多いように感じる。そんな中でたまに若い人もいたりするが、以前の私が付き合っていた人たちと比べたら、そういう若い人たちもどこか違っているように感じる。

 人間は皆神の子である。とはあの生長の家の創始者、谷口雅春さんの言葉であるが、以前は言葉のみで理解しホントの所は良く分っていなかったかも知れない。だが今は何となく分ったというか、人は皆誰もが凄い力を持ち、個性を持っているような気がしてならない。だからどんな人に対してもあだや疎かに対応等は出来ないと感じているのである。経済力、地位、経歴、肩書き、普通人はこういった外側に見える、目に見える価値基準で人を判断しがちだが、そんなものは無視してでも、どの人も皆凄い力の持ち主なのだ。ただネガティブに考える人とポジティブに考える人の差が在るだけで、素質自体は皆全く同じである。

 そういう人間の本質を見て誰とでも付き合って行ければ、自ずと数は減っていくのだと思う。日々をゆっくりと暮らし、大切に過していけば、付き合っていく人の数も自然に少なくなり、しかしその内容は濃くなり、本来の人間関係になっていくものだと実感する。本来の自然に近い自分で毎日を過せば、笑顔はもっと増えるだろうし、その口から発する言葉は皆思いやりのこもった愛語が出てくるだろう。そうすれば付き合う人たちからは誰からも愛されるようになる。皆貴方を心から愛するだろう。

 今の私は付き合う人の数は減ったが、誰からも好かれるようになった。独りよがりかも知れないが、自分自身でそう感じられるのなら、それが真実である。私は自分より年上の年配者からお菓子など気軽に貰えたりするし、優しい言葉をいただいたりする。私はただ笑顔を返すのみだが。仕事で接する客とは数も多いのかも知れないが、時候の挨拶など交わす程度であるが、その他では、本当に密度の濃い人間関係を過しているのだろう。日々はその繰り返しである。

 人は誰も皆自分の人生の主人公だ。他人が自分を中心に動き、自分の人生という舞台に上がってくる脇役である。そういう意味では人は皆自己中心的に生きて行けばいいのである。そういう他者の中で、ある者は途中からその姿を消す者もいるだろう。又新しい出演者が舞台に登場してくるのかも知れない。だからその時はただ淡々とそして濃くその人と接していけばいいのである。誰もが皆自分の人生に彩りを付けて行ってくれる貴重な人たちだったのであり、消えていった人たちも皆彼の人生を踏み出しているのだと思えば良い。

 今の私が付き合っている人たちは誰もが私を好きであってくれ、私に親しんでくれている。もちろん先ずは私の方が彼らを愛している。大切にしているのである。そういう日々の付き合いで私は今を生きているのである。日々は幸せである。感謝する日々が続いて行けばその内夢の実現も叶うのだろうと期待しているのだが・・。


●スワイソウ 300回()
※スワイソウは2012年6月16日からスタート   
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●1日1食 257日目

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