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起床時刻推移グラフ

目標起床時刻:06:00 平均起床時刻:05:58

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06月30日(木)

起床時刻:05時20分

 就寝午後11時半過ぎ、途中猫の声などで目覚めるも直ぐに寝られる。ちょこちょこ目覚めたのだがそんなに支障はない。寝るたびにグッと深く寝ている実感はあるからだ。本日は勤務日、最近は30分程度早く起きている。

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 デュエットには力があると思う。どんな力?と問われれば、はいこれですと即答出来ないかも知れないが、確かに何かの力があると睨んでいる。

 陽だまりの会において、皆が楽しくカラオケで歌っていた時に私はそれを発見した。一人で歌っているのも勿論悪くはないが、これが二人となると俄然違って来るのだ。デュエットは単純に1+1=2ではないと思う。確実に2以上のパワーを感じる。


 なぜか。人が一人で歌っている時はそれなりに頑張るだろう。しかし実際に隣に誰かがいて歌っていると当然意識する。この意識の力が幅が大きいと思うのだ。しかしよく考えてみると世の中にはデュエットだけではなく色々な場面で似たようなことに遭遇することに気づくだろう。一人よりも二人の方が断然力が大きくなって行くことが多いはずである。

 私は昔友達と一緒にある仕事を起こしたことがある。タウン誌の制作だったが、それは企画力と営業力を求められた。もし私一人で始めていたら、小さな独り善がりのものとなっていただろうと思う。しかし中学以来の親友でもありまたライバルでもあった彼とは互いに意識し合い切磋琢磨しようという気分に自然になった。だから短期間でも一気に業績は伸びたと思う。これが二人の力である。

 夫婦関係でもそうだと思う。一人でも偉大な人はいただろうが、そこにはどこか丸みがなかったり、愛の力が欠落していて周囲から支持されない雰囲気があるだろうと思う。二人の力は偉大であると思うのだ。

 会員さんがデュエットしているのを見て私はそんな感じを持った。撮影役の私は彼らをカメラのレンズの中でとらえた時、ビンビンと感じてしまった訳である。確かに一人よりも二人の方が強いと。

 逆にデュエットしてもあまり変わらない人もたまにはいる。こういう人は一人だけでもある程度パワフルなのだが、もうそれ以上の成長が望めない感じがする。お山の大将にならない為にも上手に相手に合わせて歌う訓練は必要だろう。

 私はこのデュエット力は使えると思い、ある男性会員さんに試してみた。彼はあまりカラオケなどはしないそうであり、今までほとんどしたことがなかったそうである。その彼を半ば強引に女性会員と歌わせてみた。

 ところが彼は意外に素直に私の注文に答えてくれた。恥ずかしながらデュエットで歌ったのである。当然彼が一人で歌う時よりずっと皆の注目を浴びた。それは女性会員さんの方にも当てはまった。一人では注目されなくても二人なら違うのである。だから1+1=2ではないのだ。二人で歌うとそれぞれから愛と調和のオーラが出るのかも知れない。

 デュエットを終えた彼は何となく変わった感じを受けた。「一皮むけたんじゃないの?」という私の問いかけに彼も満更ではなさそうだった。

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06月29日(水)

起床時刻:06時30分

 就寝午後11時半過ぎ、途中覚醒なし、一気に熟睡をいただいた。本日は完全休養日、ゆっくりできるのだが、直ぐには祈りに入らないでしばらく布団の中で本を読んだ。もちろん聖典に近いものだ。「今日は外は大雨だし、今日くらいはウォ-キングを休んでもいいかな」と思ったりした。もう三か月以上続いているウォ-キングだが一日も欠かしていない。しかしまあたまには・・・と思ったが、それからいつもの祈りをすれば不思議にやる気が起こる。と言うか、やらない方が苦痛な感じになるのが不思議である。

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 会員のIさんは独身生活が比較的長い。お見合いで結婚された奥様は37歳の時にガンで亡くなられたそうである。それからは二人のお子さんをIさん一人で育てて来た。まさに奮闘努力の十数年間であった事だろうと頭が下がる。

 私も二人の娘があるが、私の場合はもう二人とも嫁いで家を出ている。一緒に生活している時は子育ても大変だったが逆に子供たちのお陰で楽しい思い出も多かった。大変な思い出は時間とともに懐かしい良い思い出になるものだ。Iさんの家はまだ子供さんが学生でまだ懐かしむ暇もないかも知れないが、きっと将来良い思い出となるだろう。私もそう期待したい。

 Iさんはご自分では頼りない親だと自分で仰っているようだが、それはご自分のことを幾分過少評価しているものである。これはIさんというだけでなく、普通人は皆そう考えるものだと思う。自分のことを立派な偉い親だと考える人の方が少ないだろう。

 しかし私はその点では自分を楽天家だと思っている。つまり自分はそれほど子供たちに嫌われてはいない、尊敬とまでは行かないにしても、十分に親しんでくれていて愛されていると信じているのだ。これは何も私が単純なノー天気人間という訳ではなく、本当は誰でもが皆そういった存在なのだと思っているのだ。

 だから前述のIさんもきっと子供さん達から愛されているはずである。お金のあるなしとか、肩書きの上下などは一切関係ないことだ。この世の尺度で親への見方感じ方を変えるような子供などいないと思う。親はどこまで行っても唯一一人の親なのである。自分のことを一番愛してくれた、または愛している存在は親以外にいないはずである。

 不器用かも知れないが、自分なりに懸命に子供を育てた人が子供から愛されない訳はないだろう。他の親に比較して自分を見下げたくなる時も人は時としてあるかも知れないが、そんな心配はご無用である。私たちは誰でも皆十分子供たちから愛されているのだから。

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06月28日(火)

起床時刻:05時30分

 就寝午前1時半頃、勤務先。途中覚醒なし。目覚ましのセットよりも少し早く目覚めたから早く仕事に取り掛かった。それが終わればいつものようにもう一眠り。この仮眠が意外に効く。グッと寝る。

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 一昨日の日曜日陽だまりの木の6月定例会があった。先月より1名増えて合計8名が参加した。正確に記せば、1名は不参加したが代わりに2名が新しく参加してくれたことになる。出たり入ったりする人がいる一方でずっと続けて来てくれる人がいる。みんな仲間である。

 参加する方からしたら、どんなところかも分からないし、自分に合っているかどうかも分からないのだ。人によったら「そんな連中は初めから入れなければ良い」と強い調子で言う者もいたりするが、相手の立場に立てば、分からないでもない。そして中には合理的とでも言うのか、誰か良い人がいれば良いのであって、そういう人がいれば会に長居することもないのだからという考えの人もいるだろう。世間にはまだまだそのように全てをリスクのあるなしで判断する人が多いように思う。

 しかしこうなると最早人間は物である。自分に得になる人ならぬ人というように、人間関係は全て利得で成り立っているかのようだ。そうやって賢く世間を生きることがスマートな生き方だと信じていらっしゃるともうこちらは何も言えない。

 私はそのような世界が嫌だから、のんびりやろうと思っている。今はそういう意味では試行錯誤の過程かも知れない。とにかく定着してくれている人たちと大切な時間を過ごす。しかしこんな私を見て、ああそれなら森さんは良い人が見つかって結婚でもすれば会を出て行った方が良いのかと思っていただくのも早計である。私としてはずっと出来るだけ長く会にいて欲しいと思う。

 なぜなら言い古された言葉かも知れないが、結婚は決してゴールではないからだ。いやまさにスタートである。せっかく何かの縁で集まった仲間たちである。結婚後もそれからも色々語り合い助け合い相談し合いして生きて行くのが良いと思うのだ。

 そしてそのようなお仲間がたくさんいた方が、出会いを求め人生をやり直したいと思っている人たちの助けにもなると思うのだ。助けられた人はまた人を助けたくなるものだ。

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06月27日(月)

起床時刻:05時26分

 就寝午後11時50分頃、またまたテレビを見て遅くなってしまった。それでも午前0時までには必ず寝ようとは思っているのだ。
 昨日は恒例の陽だまりの木の月例会だった。参加者は私を入れて8名、前回より確か1名増えたと思う。カタツムリのような進み方かも知れないが、内容を確かめながらじっくりと進もうと思っている。先は長いのだ。真っ直ぐ確かな足取りでそして速く進もう。

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 以前職場の同僚が足の痛みを訴えていた。足の裏の部分で俗に土踏まずと言われるところである。私自身はそれまでそんなところが痛くなったことなどなかったから、ふーんという感じで聞いていたものであった。

 彼はしかしそれを非常に深刻に受け止めていたようで、医者にも行っていたようだ。今思うと何かよっぽど悪い病気にでもなっていると悩んでいたのかも知れない。

 私も彼がそのように考えていたものだから、それをそのまま受け取っていたと思う。しかしそれでは彼も暗くなってはいけないと、その内自然に治るんじゃないのと慰めていたものだ。

 私も当時から東洋医学に関心を持っていたので何となくはそんなに悪いものではないのではなかろうかぐらいは感じていたが、さりとて確かな確信もなかったから、ただ同情するに留まっていたと思う。

 その内その彼は職場を離れて行った。辞める時もやはりその足の違和感を持っていたと思う。しかし当時も今もであるが、思い出すのは彼がとにかく必要以上によく動き歩いていたことである。私たちに比べても倍近く動き歩いたものだった。それで足も悲鳴を上げているのだろうと彼自身も私たちも考えていた。

 だからもう少し活動量を減らせば足の痛みも緩和されるのではなかろうかとも思っていたのだが、どうやら彼はそのような真似はできなかったのかも知れない。

 そんな事はすっかり忘れていたのであるが、今度は私がそのような状態になってしまった。彼が言っていた足の部分も同じであり、痛みが出るようになった。人の痛みは自分が実際なってみなければ分からないものだと言われるが本当である。さすがの私も一瞬は彼が感じたかも知れない違和感や恐怖感を感じてしまった。

 しかし今の私はそれだけでは終わらない。すぐに考え方がチェンジできた。つまりまさしく東洋医学の考え方である「症状即治療」である。動き過ぎたり歩き過ぎたりした結果、病気が起こったとしても、人体には独自の自然治癒力が備わっている。病気を自力で治そうとする働きである。それがこの場合の足の裏の違和感、痛みなのだ。今ならそれが直感的に分かるのだが、同僚の時にはまだ頭だけで知識だけで理解していたに過ぎなかったのだろうと思う。

 この痛みを過ぎれば体は一層強く丈夫になり、今の環境に適応できるような体力がつくだろう。そうやって人間の体は強く強健になって行くのであるが、常識に縛られた頭では全て悪い方に考えてしまうのである。この痛みは病気が悪化して行く症状なのだと思い込めば病気は更に悪化する。

 症状を体の悪化と思うか治療と思うかの差である。間反対の差である。今の私は日々の祈りのお陰と積み重ねでこれを治療と直感的に悟れた訳であるが、当時の同僚にもそうやってアドバイスしてあげたら良かったと思うのである。しかしこれは機縁ということであり、これから出会う人にそうしてあげたら良いのだと思っている。

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06月26日

起床時刻:06時12分

 就寝午前0時前頃、テレビを見ていたらこんな時刻になってしまった。今日は陽だまりの木の6月定例会。いつものようにコロッケ倶楽部で集まる。さて何人の人が集まってくれるだろうか。前回の時のメンバーが全員集まってくれるだろうか。新しい人も入って欲しいのはやぶさかではないが、やはり前回の人たちが一堂に揃って集まってくれる事が一番大切なような気がする。しかしだからと言ってそれにこだわり引っかかってはいけないと思う。現象に現れる事に引っかかり大義を忘れてはならない。一番重要なのは中身、私の心であり、内容である。

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 先日訪れた防府市の阿弥陀寺の続き。

 石畳の参道を歩いて本堂を目指す訳だが、この道を歩く過程も神聖な気分がして良い気持ちだ。受付では足腰に少し自身の無い人たちの為に「杖」が用意されている。至れり尽くせりだ。

 この日はホントに快晴だった。梅雨だというのにこんな良い日は珍しい。青い空と緑とが良い色彩のバランスを作っていた。その緑に囲まれた向こうに見えたのは貴重な宝物を展示している建物だそうである。

 もちろんこの日はアジサイ祭りの期間であり、旬の花々は至る所に咲いていた。色々な色が楽しめるアジサイは本当に今の季節の代名詞だと言っても良い。

 こちらの山門はその造りが見事の一言。現在改修中とかで、本来はこの山門の左右にある格納庫の中に収められている木彫りの仁王像が二体、国宝保管の収蔵庫に収められているという。パンフレットで見たがこの仁王像が又素晴らしいそうだ。快慶一派の作と言われている。

 お坊さんらしき人の姿は見られなかったが、私はおさい銭箱にお金を投げ入れ、厳粛な気持ちでお祈りさせてもらった。定期的に護摩供養をする宗派だと聞く。山奥の中にひっそりとたたずむその威容は心を落ち着かせてくれる。

 普通はこのような立派な神社仏閣には立ち入れないような威厳があるが、ここは本堂の中に入るのが自由である。だからと言って皆が皆訪れる人が入ってはいなかったが、私は折角だからと入らせてもらった。中には立派な仏壇があり、その前の一角に座り瞑目し心を静めたりした。他にも何人かが本堂の中に上がり込み、色々と見学しているようだった。私は写真にも写っているが、木の縁側があり、そこに腰かけしばし寛いだ。

 またこの本堂の背後には道が続いていて、参道に沿って流れる川の起点らしきものがあった。そこから大量の水が流れ落ち、その川を延々と流れているようだった。

 本堂の後ろ側に行くと、小さな池があった。写真には撮らなくて今思うと少し残念だが、そこには池いっぱいに水仙の花が咲いていた。いかにも仏教の教えを広めるための拠点であると感じたものだった。

 水と緑と青い空。そして歴史のある建物、その中に秘蔵されている歴史的彫刻など名品がずらりと揃う由緒あるお寺である。今まで一度も来なかったのが逆に不思議なくらいであった。

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06月25日

起床時刻:05時30分

 就寝午前2時頃、勤務先。職員の退勤が遅くなりこんな時刻になった。
仕方ない。しかし前夜隙間を確実に狙い仮眠を多く取っていたから
準備万全である。

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 参院選の告示がありいよいよ選挙戦が始まったが、どうやら政府与党の勢いが強まっているようである。選挙前に桝添氏の都知事辞職などもあって自民党危うしとも思われたが、やはり国民はそれでも無難と思われる道を選ぶのだろう。危険だと思われるような事はしたくないし、しないのである。

 これもやはり日本が平和でどうにか毎日の生活を無難に送れるからでもある。リスクをかけて無謀だと思われるような事はしたくないのである。

 さて選挙戦の方を見てみると、選挙区選と比例選があるが、私が注目するのは選挙区戦の方である。あらかじめ言っておくが、私のような見方は多分独特で変わった見方だと思われようが、まあ気にしないで見ていただきたい。全国には一人区と複数区があるが、どちらの選挙区においても全て立候補者を擁立しているのはさすがに自民党さんである。保守系らしく大企業や大組織からの献金や国からの支給されるお金の数が相当大きいのであろうと予想がつく。だから全国区全てに立候補者を立てるのも容易であろう。他の党にはなかなか真似のできない芸当だろう。

 立候補する以上は多くのお金もかかるのだからやはりできるだけ当選したいと思うのが人情であろう。だから共産党などは今回は他の野党と手を組んで自民党に対抗しようとしている。せっかくの党員からのお金を無駄にはできないはずだ。今までだったら全部の選挙区で立候補していたのは確かこの党ではなかったか。そういう意味では唯一自民党に対抗していたのは共産党だったはずである。かつては民主党もそのくらいの力はあったが今はもう昔日の話である。

 結局自民党だろうが共産党だろうがかつての民主党だろうが基本的に必要なのはお金であるし軍資金であろう。少数かあるいは個人のお金持ちだけの力では先が見えている。だから自民党などは大企業などからの援助に頼るしそれはまた逆から言えばお金を出そうと思われるものを自民党が持つからである。しっかりとした保守であればこそ、企業も生きたお金を出せるのだろう。

 国を安全にし発展させようとする意思や考えを持っているからこそお金のある団体や個人は支援しようとするのだろう。政治家は知恵を出し企業家はお金を出し一つの体となる。これがうまく機能すれば、政治もうまく運ぶのであろうが、それには色々な思想の違いや個性もある。

 共産党は企業からの献金とかではなくて機関紙などからの購読料で組織運営を図っていると聞いている。だから安定していて波がない。一つの思想の元で皆が協力して選挙を戦うのである。労働組合などの組織の顔色などを気にしなくても済むし、同じ思想の同志だから団結力でやはり外に対しても強く出られるのだと思う。

 そういう意味ではここ最近毎回選挙に顔を出している幸福実現党も共通したやり方だと思う。同じ思想考えを共有している仲間たちが選挙を共に戦っている。私は党員ではないが自宅壁にポスターをはるなどして応援させてもらっている。

 私が始めに書いた今回の選挙で全国の選挙区に立候補者を出しているのもこの幸福実現党である。自民党と唯一この党だけが全ての選挙区から出ているのだ。私は正直にこの姿に感動する者である。

 なぜ感動するのか。それは2つ。一つは全国の選挙区に立候補するからである。それならかつての共産党や民主党でも同じであるが、幸福実現党は結果にこだわっていないように見えるところに私は感動するのである。だからと言って初めから負けると思って勝負はしないだろうが、全ての選挙区に立候補するという姿勢が良いのではないかと思う。

 この辺りを新聞テレビなど大メディアはどこも取り上げていないのではないだろうか。不思議であるが、全国どこの選挙区においても立候補している党の姿を報道しないというのは多分私は日本独特なものだと思う。日本は宗教に特別な感情を持っている。

 多分私はその頃生まれていなかったから確かには分からないが、戦前の日本ならこういうことはなかったと思う。宗教アレルギーそのものである。日本は戦争に負けて全てを捨てたのかも知れない。いくら現在一人の議員がいないにしても、全部の選挙区に立候補者を出している党を無視するとは一体どういうスタンスなのだろう、多分過激だと言われている論客やテレビのコメンテーターらも誰一人としてこの点について言及する者はいないだろう。いかに今のテレビ新聞が真実を全て表していないかという良い証拠である。

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06月24日(金)

起床時刻:05時36分

 就寝午前0時前頃、テレビが面白くいつもより遅く寝てしまった。
そのお陰で祈りは正確さがちょっと欠けたのではないかと思う。
つまり正座して背筋はピンと伸びているのだが、半分寝ているような
感覚もあった。意外にこのような状態が潜在意識が上にあがって
来ているのかも知れないから効果絶大かも知れない。
 今日は祈りが終わった後急に大雨となった。一瞬ウォーキングを
迷った。こんな日ぐらいは・・・・と。
しかし気を取り直し本日は初めて傘では無くてカッパを着て
始めた。こんな奴はあまりいない。笑

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 防府市の阿弥陀寺「アジサイ祭り」に訪れた。6月いっぱい行われているそうである。
県内でも4000株のアジサイが植えられていると聞いたので行ってみたのだ。
しかしそんなに期待はしていなかった。アジサイと言えばお隣の小野田市の江汐公園が有名である。多分ここがもっと数自体は多いのだろうと思うし、何度も行って見ているからそんなに期待はしていなかったのだ。

 だがそこはホントに良かった。雰囲気が独特で、古寺という感じに溢れていた。
多分このような雰囲気の良いお寺は宇部市には見当たらないだろう。いや、防府市だからこそかも知れない。そういう意味では防府市と言う所は古刹・名刹が多いのだと思う。

 しかも昨日は九州を始め西日本は大変な雨でもあった。たっぷりと水分を吸った木々はイキイキとして見えた。緑が燃え上がっているように感じた。その燃え上がる自然の中にひっそりと囲まれたという深淵な感じが又良かったのである。ぜひお勧めのパワースポットである。

 そのお寺は山のふもとより少し上がった場所に建つ。ホントにこの場所にお寺がピッタリと合う感じであった。昨日は思いもしなかった快晴で青空が広がり、緑が一層映えて美しかった。もちろん主役のアジサイもきれいだったが、私はその周囲の自然緑の木々に圧倒され自然の迫力に感動させてもらった訳である。

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06月23日(木)

起床時刻:07時12分

 長雨が上がった。九州では水害で大変なようであるが、直ぐ隣りの山口県ではそれほどの被害も無く、ホントにわが県は平和な県だと有難く思う。しかし九州の方は大変だと思う。大地震の後に又このような災害である。気の休まる時も無いとは思うが、本当にご自愛願いたいと強く思っている。

 日課のウォーキングに今朝も出た。今日も雨かなと思っていたが不思議に私が歩く時は晴れる。雨が降っていてもその時だけは止んだり少し小降りになってくれたりする。神様がほほ笑んでくれていると思う瞬間である。そのお陰で私はもう三カ月以上は毎日欠かさずこの日課を続けている。人に話すと呆れられる。あるいはちょっと変わっているなという顔をされたりする。私は昔から自分が変わっているとか偉い事をするなと思われたりする事が嫌いだった。照れくさかったのだ。

 それでわざと自分は駄目な男です、というような言葉を吐いたり行動をしたりしたものだが、それもまた虚栄心の裏返しかも知れない。だから今はなるべく自然にありのままの自分をさらけ出そうとしている。毎日一日も休まずウォーキングをしているのだ、雨が降れば傘をさして歩いているのだと言えば相手も少し引く。しかしそれで良いのだと思う。自分は自分なのである。

 父の日の贈物に長女は柔らかい敷き布団をくれた。次女の分はまだ届いていないが今日到着の予定だ。次女は私に蜂蜜をプレゼントしてくれるという。それも少し高価な多種類の詰め合わせだそうだ。私が今はまっている生姜酢と黒酢を愛飲しているという事でその材料の一つの蜂蜜になったのだ。

 私はこの飲料も日々欠かさず続けている。もちろん健康のためである。最初は少し抵抗もあったが、続けていれば慣れてくるし、生姜酢の方はとても美味しい。ご飯のお供でも充分である。あるいはサラダのドレッシングとしても使える。納豆と一緒に混ぜても美味しくいただける。単独で食べる時は少しピリッとするが、塩辛い的なものでは無く、香辛料的な辛さであるから気にならない。美味しいものは必然続けられる。

 私がなにゆえこのような健康に大切な食べ物に凝りだしたかと言うと、もちろん二年前に始めた「陽だまりの木」の為である。良い活動を長く続ける為には何より健康な心と体が大切であるが、心の方は日々の聖典の読誦があり、又朝晩の祈りがある。だが体の方はやはり積極的に自分で自分に合うものを見つけ出し、取り入れて行くべきだろう。全ては自分の夢の為である。

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06月22日(水)

起床時刻:05時30分

 就寝午前1時半頃、途中覚醒なし。一気に寝る。勤務先。いつものごとし
朝のル-ティンワ-クをこなした後に又少し寝る。気分は上々、変わりない。

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 日本は第二次世界大戦の時にアメリカから二発の原爆を落とされた世界で唯一の被爆国であるが、それを教訓として永久に核は持たないという国是を作った。しかし欧米の考え方はどうやらこの間反対のようである。

 つまり欧米では原爆を落とされたのだから原爆を持つのは当然であるということだ。私も長い間日本で生活しているからどうにもこの考え方、感じ方が分からなかった。しかし最近アメリカで起きたアメリカ史上最悪の銃乱射事件をみてみると、この事件の後にアメリカ国内ではますます銃を手に入れようとする動きが高まっているそうだ。つまり銃でやられたのだから、それに対応するためには銃が必要なのだという感覚なのである。

 核でやられたのだから核を持たなければ対抗できないと欧米人が思うのは彼らにとっては当然であり自然なことなのだろう。だから日本人が二発も核でやられているのに核を持たないというのは彼らにとっては不思議な感覚かも知れない。

 しかしだからと言って私たち日本人がおかしいのだという論理は間違っていると思う。私たちはこういう性質のお陰で長い間平和を享受できているのだと思う。これは広い世界で考えるだけでなく、もっと小さな単位の集合体や社会であっても同様だと思う。目には目を歯には歯を的な西洋的な考えで人と接していては争いは尽きないだろう。

 ただ世界の大勢は日本とは反対の立場ではないだろうか。特に文明が進んだ国はそれが顕著だと思う。貧しいがのんびりした小さな国家であれば日本と同じような平和な考え方だと思うが、西洋をはじめ発展途上国と言われるような国でさえも近年では特に物質主義が横行してそんな太平楽な気持ちではいられないだろう。 

 このようにしてみると、世界の大半はどうやら日本とは雰囲気が違うようである。昔、評論家の竹村健一さんは「日本の常識は世界の非常識」という名言を述べていたが、やはり今でもまだそれは生きているのだろう。この地球が日本と一部の穏やかな小国とだけでできていれば、私たちの今までの態度で良かっただろうが、世界はやはりどうも私たちの考えとは違うようである。

 そうであるのなら私たちはやはり考えを改め考え直すことも大切である。世の中には強盗や盗賊もいるのである。平和が一番だからと言って何も持たないではどうにもお粗末である。そんな時は警察に頼めと言っても、今の世界には警察のような存在がいなくなったようである。今度大統領になりそうなトランプさんも自分たちのことは自分たちで守れと言っている。時代は確かに変わりつつある。

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06月21日(火)

起床時刻:04時52分

 就寝午後11時過ぎ頃、いつもより意識的に早く寝るようにした。翌日が勤務日だということもある。というか、寝る方が良いと思ったときは寝た方が良いと思う。それよりも大切な何かがある場合はそちらをとる。だがそんなものはなかなかないだろう。

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 明日はいよいよ参院選の公示日である。我家の窓に貼られたポスターも剥がさなくてはならないと言われている。そんな事は今までほとんど知らなかったのが正直な話で、さて厳密に何時、どのような感じでと言う事になったら皆目分からない。だからとて又関係者に聞くのも面倒だから、自分でネットで色々調べてみたりした。

 たった一枚のポスターを貼るか剥がすかということで色々と勉強するものである。選挙などほとんど他人事の話であった。高校時代に自分が生徒会長に立候補した時は色々と頑張ったが、後は関係なし。知人が立候補するからと言って当時の先輩に候補者の自宅に連れて行かれたくらいで、真っ当に勉強した事などなかったからだ。

 そういう意味では私も又今回から選挙権が与えられた18歳以上の若者たちと同じかも知れない。頭だけでは色々と知識もあったり情報も与えられてはいるが、そんなものはホントに小さいものである。やはり何事も自分が実際に何らかの形でも良いから関わらないとこの醍醐味や気分は味わえないのかも知れない。

 私の知人の1人に遊び人と言う感じのオジサンがいたが、彼は自分が言っていたのだが何度も選挙に関わってきたとのこと。選挙と言うのは彼曰くドキドキワクワクするものらしく、大変エキサイティングなシロモノらしい。男の勝負どころ、というか、モロ男の遊び心が発揮されるらしいのである。

 有権者から見れば大事な政治の事を男の遊び心なんかでやってもらっては堪ったものではないが、何となく分かるような気もするのである。普段平凡に人生を生きていて、社会の中で他人や世の中に我慢して生きている者ほど、そういう一種お祭り的なイベントは心が騒ぐのであろう。

 今回は舛添都知事の突然の辞任劇や沖縄のまたまたの米軍の兵士による事件などあって、いつもよりは私たちも政治に関して良い意味でも悪い意味でも関心が高まっているかも知れない。そして18歳からの選挙権である。一票なんて屁の力にもならんと私たちはいつも言ってきたが、果たしてそうか。誰に入れたって同じことよ、と言われ続けて来た。果たしてそうか。

 確かに一人の力は大したものではないかも知れないが、それはあくまでも外界を意識しての考えである。しかし結局は人間は1人なのである。一人の世界がその人の周りで展開するのだからあくまでも主人公は自分である。一票は小さいかもしれないが、世界をいかようにも変えられる力を持つのは結局自分なのである。その力を持つ自分が投じる一票はまさしく世界を変える力がホントはあるのである。

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06月20日(月)

起床時刻:07時30分

 就寝午前0時前、祈りをして本来なら寝るのだが翌日は休日だということで、気分もリラックスしていたので本を読んだ。面白くて時間が比較的過ぎてしまった。しかし午前0時までには寝ようと思っていたのでそのまま就寝。朝も明け方に一度トイレで起きたが、又すぐに寝る。良い気分であるが、起きた後に祈りをしてそしていつものウォ-キングだ。これは欠かせない。

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 会員のIさんと街中でバッタリと出会った。街中と言ってもイオンのスーパーである。近所なのだが我が家はホントに便利で近所に何軒もそのようなスーパーがあるから選ぶのも楽しい。よそ道は良いので話を本題に戻す。

 Ⅰさんは私と同じ年だ。中学高校は違うが共通の友人もいたりするから人生は 面白い。直ぐに別れるつもりだったが話が盛り上がり?長くなった。
彼の家庭の事情を聞いた。私が別に聞こうとしなくても彼の方から積極的に
私に話してくれた格好になった。

 彼は今独身だ。だから会に入ったのだろうが、良い人がいたらお付き合いでもしたいのだと思う。それもこの日彼の口から初めて聞いた。
改めて聞いたのはこの日が初めて。奥さんは10年前に亡くなられたそう。
子供さんは二人いて、私たちの年代としてはまだ若い年齢である。
学生さんらしい。私の子供等はもう30を過ぎているから同じ年でもちょっと違う。

 だから彼はまだ頑張って働かなくてはならないのだが、それは私も同様である。しかし彼の話を聞けば彼の働きはどうも効率が悪そうだ。
新聞配達やスーパーのアルバイトをしてお金を稼いでいるらしいのだ。
それではやはり効率も悪いし、保障も無いも同然だろう。
一生懸命働いても得られるお金は多分少ないと思う。
だから一つだけでは無くて複数のアルバイトをしているのだろうが、
探せばきっと良い仕事があるはずである。

 でもそれを指摘しても彼らはきっとこう答えるだろう。「もう年齢が年齢だから」と。私たちの歳になれば、もう効率の良い仕事を新たに見つけるのなんてほぼ皆無である。というのが世間の常識。だから常識に沿って生きていれば何時まで経っても良い仕事等見つかりはしないと思う。
それではどうすればいいのか。それはやはり神様に全部お任せするのである。

 人間の乏しい頭だけで判断して自分の少ない知識だけで行動するから
常識の枠にはまって身動きできなくなるのだ。
だからそんなケチな頭はぽっかりと外して、ぜーんぶ、神様にお預けすれば
よろしい。
しかしそんな事をいきなりスーパーの中で私が話したとしてもそれこそ効率の悪い事に違いないから、私はただ彼の話を聞いていた。

 しかし年齢を重ねるという事は、世間の中で生きて行くのに条件が悪くなるということでは決してない。本当は益々価値が高まり、値打ちが上がって行くのが正しい「常識」なのである。それが神様の常識。
年齢を重ねて行けば行くほどその人の値打ちは上がり、自然と収入もアップ
するのがホントの人生である。

 私はもちろん自分自身もその考え方を磨き、高めて行くのにやぶさかではないが会に集まってくださる皆さんと一緒にその本来の正しい生き方を身につけて明るく豊かな、そして楽しい人生を皆さんと一緒に生きて行きたいと
強く思っている訳である。

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06月19日

起床時刻:05時30分

 就寝午前1時半頃、勤務先。しかし午前5時までぐっすりと寝せてもらった。一仕事をして又少し寝る。とにかく隙があれば寝るようにしている。勤務日には。そのお陰で勤務明けもそんなに苦痛なく楽な感じで過ごせている。

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 今日は父の日だそうだが、私もありがたいことに二人の娘からそれぞれプレゼントを贈られる。一人は既にいただいたが、もう一人は配送の関係で少し遅れるかも知れない。いずれにしてもありがたいものである。

 私はこういうように娘たちから年に二回プレゼントを贈られるが、もう一回は誕生日である。正直な気持ち、私としては二回もプレゼントをもらうというのは気兼ねでもある。一回でも充分だと思っているのだ。だが実際に娘たちにはそんなことは言わないが。ありがたくいただく姿勢を見せている。

 妻はまた私とは違うようである。自分の方から希望の品を娘たちに言っているようだ。私などから見たら厚かましいなと思ってしまうのだが、本人は疑問も持たず、あっけらかんとした感じであるから良いのだろうと思う。

 で、私はふと思ったわけだが、子供たちが親に対して父の日だとか母の日だとか言ってくれるのなら、反対に親から子供への感謝の日はないのだろうかと思ったわけである。そういう意味で言えば「子供の日」があるが、これは親から子供に感謝するというよりも、やっぱり子供自身を祝う日である。ウ-ンいやいやこれもまた子供への感謝の気持ちを表す日なのだと再確認できるのかも知れない。

 それならば現代は子供の日が幼い時だけに限定しているが、父の日や母の日が長い期間続くのであれば、子供の日も同じように続けていくのも面白い。それならば私も娘たちに気兼ねしなくても今まで通り有り難くプレゼントをいただけるような気がする。つまり、娘たちが大きくなって結婚して子供を産んだ後も、やはり子供の日は祝ってあげたいなと思うのである。

 子供の日に大きくなった娘たちにプレゼントを贈ったりしたらきっと彼女たちはびっくりするかも知れない。それも面白い。自分の人生は世界で一つなのだから、楽しいように面白いようにやれば良いのだと思う。

 

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06月18日

起床時刻:05時20分

 就寝午後11時過ぎ、午前4時頃一度目覚めたと思うが直ぐに又寝る。本日は勤務日。夜中にはっきりと覚えていないが変な夢を見て寝言を言って目覚めてしまった。その時ちょっと興奮していたが、最近の私は起きている時はそのような興奮することがなかったから意外でもあった。どこか我慢しているのかも知れないなと思いつつスッと眠りに入った。

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 久しぶりに一人の休日になって、私は小野田を色々と歩いた。先ず最近欲しいと思っていたジーパンをサンパーク小野田に買いに行った。その前にホントに久しぶりに図書館も訪ねた。ここはホントに懐かしい。以前はちょくちょく来ていたが、今はホントに来なくなっていた。読みたいと思っていた探していた本が三冊もあった。宇部の図書館にはもちろん無いヤツである。しかし私は今は完全な宇部市民だから本来なら借りられないのだ。

 以前は自宅が宇部でも勤め先が小野田であれば借りる事が出来た。だからその当時の貸出カードも持っている。だが今は職場も宇部である。カードはあるが、古いのだ。もしそのカードをカウンターに出した時にもう古いと指摘されればアウトである。更新するのに住所と勤め先を聞かれるからだ。うーん、古いカードを出したまま黙って置こうかとも考えたが、不正は良くないなと色々と考えていた。

 所が、図書館にあった書面を見ると何やら宇部市でも美祢市でも大丈夫という。「やったあ」と私は正直嬉しかった。それで借りたい本を持ってカウンターに行き、その事を改めて職員さんに問うと大丈夫と言う。去年の七月からそのようになったのだとのこと。あー、こんなことならもっと早く来れば良かったかも・・と思ったものだった。

 それから私はジーパンを買いお腹もすいていたから二階にあるマクドに行きいつものコンビを買い求めた。チーズバーガー&Sサイズのアイスコーヒーだ。締めて230円也。こんなに安くてしかもきれいなお姉さんと話せてきれいなイスとテーブルでゆっくりと食べられる。日本は素晴らしい!笑

 帰りに途中竜王山に寄った。ここは頂上の絶景が素晴らしいのだ。360度ぐるりと風景が楽しめる。私は頂上にある展望台に上がった。下の駐車場に車が私の他一台しか無かったから誰かいるのかな、若い女性連れかカップルか、そんな感じの車だったから誰かと鉢合わせするかなと思っていたが展望台には誰の気配も無かった。

 一人っきりだ。珍しいなと思ったが、私はその開放感に酔った。展望台にはぐるり四面に前方に広がる様々な地形、景色が説明された看板がある。周防灘の向こうにある九州の山々の名前まで列挙されている。晴れた日にはそれが見えるのだ。由布岳、涌蓋山なども見えるらしい。この日は晴れではあったが靄がかかっておりそれらは見えなかったが、私はこの看板と実際の景色を照らし合わせながらしきりに感心しそれらを思わず言葉に出していた。1人だと思っていたからだ。

 そして美しい景色を携帯のカメラで撮っていたら、後方でも同じようなシャッター音がする。あれ?と思って後ろを振り返れば1人男性が何者かを撮っていた。若い男性だったが良く見ると座っている彼の股間に猫がいるではないか。「猫ですね」と私。彼の方も嬉しそうに返事する。それからしばらく彼と猫談義や小野田の話をして盛り上がった。

 彼は自宅に猫二匹を飼っているそうで、その内の外交的な方を連れて来たそうである。猫の散歩は珍しい。朝私がウォーキングしている時にも1人中年の女性が猫を散歩させているが若い男性がしかも高い山の頂上まで連れてくるとはホントに珍しい。私の家にも猫が一匹いるから話はやはり盛り上がる。聞けば彼は最近防府市からこちらに引越して来たそうで、慣れない土地のようである。私は竜王山の麓には温泉も有りますよなどと教えてあげたりした。

 こんな感じで私の休日も終わろうとしているが、やはり外に出るというのは良いものだ。もう彼とは会う事は無いかも知れないが、人生は一期一会、何事も出会いは良いものである。欲しかったジーパンもゲットし、読みたいと思っていた本も手に入れた。明日は又一日仕事であるが、日々是好日である。

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06月17日(金)

起床時刻:07時26分

 就寝午後11時半頃、最初に目覚めたのはトイレタイムだった。午前4時台くらいではないかと直感的に思ったが、時計を見ないまま又寝たので定かではない。本日は三日に一度の完全休養日、それだからこんな時刻までぐっすりと寝られるのだ。こういうサイクルがまだ続くのだろうが、与えられた環境の中で出来るだけ自分の個性を生かした生活を保ちたいと思う。

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 参院選が近づき又都知事もそのあと選挙で選ばれるようだが、今回から18歳と言う選挙権の年齢が下げられた。ますます若い人たちが選挙に参加してくる事になったわけだ。しかし混迷する政治の世界を今の若い人たちが見て果たして彼らはどのような選挙態度を取って行くのだろうと不安も心配もあるが同時に明るい未来も少しは感じる所である。

 先ず今回の舛添都知事の辞任劇であるが、これをその若い層はどのように見て感じ取っているかと言う事が気になる。やっぱり政治家は汚いのだ、いや、大人全体が汚いのであり、事なかれ主義であり、まあまあであれば良いのだという厭世的な雰囲気が世間に漂い、若者はそれらを敏感に感じる。そういう中で今回の選挙を彼らはどのように取り組むのだろう。

 私たち大人は多くは保守派と呼ばれている部類に入ると思う。だから多くは今回も与党であり、自民党で良いのじゃないかという諦めの気分に似た所があるだろう。自民党が一番良いとは思わないが、それなら野党のどこに任せれば良いのかという感じである。野党に任せるならば自民党にした方がましである・・という感覚が今の世間には圧倒的に多いのではないだろうか。

 しかしだ。若者はやはり違うと思う。大人は諦めながらも絶望しながらも何となくマシな自民党に投票するかも知れないし投票できる力(?)もあるだろう。だが若者は違う。若者はまだ大人ほど世間の垢には染まっていない。だからそんなに割り切って、自民党ならマシだと思えない。と思う。自分の若かった頃を思い出してもそうである。やはり理想を追いたいと思うのが若者の長所であるから。

 そうすると選挙においての若者の取る行動は大きく分けて二つになるだろう。一つは選挙に行かないという事だ。誰がなっても選ばれても結局は同じじゃん、という諦めた大人と同じ感覚。しかし大人は諦めていても「選挙に行くのが大人の常識だ」という変なルール感覚で選挙に行く。しかし若者にはそんな常識は無い。だから醒めた若者は選挙自体に行かない。

 もう一つは本当に信頼できて嘘を言わない、ご都合主義では無い党に入れたいと思う者たちだ。そして本当にこの世界を良くして国民を幸福にしたいと願っている党に入れたいと思っているはずだ。自分たちの利益を度外視して公益に生きる人たちに一票を入れたいと真剣に考えている大人とは違った感覚を持つ若者たちである。

 彼らは投票に行くだろうが、果たしてそのような若者たちはどこの党に入れるのだろうか。そういう意味では共産党は又飛躍するだろうと想像できる。自民党を真っ向から批判しているのは彼らである。他の野党は批判しつつも自分たちもどこか同じ穴のむじな的な所を感じるのかも知れないが、強くは批判していない。

 現実に嫌気をさしている若者は真向にこれを見ている。だから共産党の躍進は又あるかも知れないし、その確率も高いだろう。しかし批判や反対ばかりだけしているのが本当の政治家、政治では無いはずだ。駄目なものを批判しつつ自分たちの理想をぶちまけないといけない。しかしその理想も小さなイデオロギーに凝り固まったものだけでは駄目だろう。より多くの人を幸福にする施策、国益を考えなければやはり私たちは安心して国は任せられないものである。

 そういう意味で私は自分の家の前にもポスターをはらしてもらっている幸福実現党の躍進も考えている。私は党員ではない。熱心な知り合いの若い党員からお願いされていつも選挙の時にポスターを貼らせてもらっている人間だが、彼らからもらう党のパンフレットなどを見せてもらうと上っ面のその場限りの調子の良い内容は無く、大きな視野での国益や国民の利益を考えているなと思っているのだ。

 幸福実現党は今まで選挙しても誰も当選した事は無かった。派手なポスターなどで目を引くが、実際はまだ勝利した事は無い。しかしどうも今回は違うかも知れない。党初めての生え抜きの国会議員が生れる可能性はあるかも知れない。今回の選挙権の年齢が下がった事もきっかけになるかも知れないし、逆に都知事の辞職のような絶望するような事態も起こったことが良いきっかけになるかも知れない。

 先日私が頼まれていた立候補者の応援名簿を持って幸福の科学の支部を訪れた際、ロビーに展示されてあった幸福の科学発行の一般雑誌の表紙に「自民党の正体」という大きな見出しを見た時に、私は思わず応対してくれていた支部長に「まるで共産党の機関紙のようですね」と先ず党員では決して言わないような言葉を率直に吐いたが、支部長もそれを全面的には否定せず「しかし根本の信じる所は違いますけどね」と言ってくれたものだった。唯物主義と唯心主義の違いであるが、もちろん私も全面的に同意見である。

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06月16日(木)

起床時刻:05時30分

 就寝午前1時半過ぎ、一気に寝る。とは言え3時間程度の睡眠であるがそれでもある程度の休養は得られる。昨夜の仮眠を足せばどうにか5時間から6時間くらいは寝られている。3日に一度の24時間勤務をこうやってこなせば後の2日間は人並みか人並み以上に寝ればバッチリかも知れない。

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 舛添都知事が辞任の意向を示したというネットニュースを昨日の朝見た時とうとうやったかと思った。不遜かも知れないが、世論とは裏腹に私の率直な意見としては、舛添さん凄いなあと感心していたものだった。

 しかし私と同じような感慨を持っている人も多かったのではないだろうか。一体どうして彼はあんなに粘っこく、地位に縛りつくことができたのか、その彼の原動力がどこから来ているのか、私はそれが一番興味があった。彼の耐久力の源は。

 どこかの県会議員が似たような疑惑で追及されたこともあったが、彼はのっけから号泣し自分の身の潔白を訴えたりしたが、すぐに態度を変え今度は二度と公の前には姿を現さなくなった。簡単であったが、これが国会議員クラスになると少しはしぶとくなるが、それでも舛添氏に比べたら可愛いものである。何かレベルが別次元のような気がする。

 だからと言って舛添氏に強い信仰心でもあるのかと思いたくもなるが、多分それは違うだろう。正しい信仰心があればこのような窮地が訪れることもないからだ。自分のお金を使わず、私的な部分にも公金を使うような発想が先ず信仰を持つ人には湧かないのである。ただ信仰と言っても色々あって、宗教でも良いものからカルト的なものまであるから、地獄の底から湧き出て来るような宗教、信仰もあるようだ。死をも怖れず自爆する信仰も世界にはある。この世的な視野のみで政治家になる人なら、ちょっとピンチになれば、逃げ出したり畏れ入ったりするだろうが、強い信仰があれば善にしろ悪にしろ少しくらいでは引っ込まないかも知れない。

 前々都知事であった石原慎太郎氏も強烈な個性の持ち主で色々と物議をかもした人物だったが、彼も一度議会の不信任案を出されたことがあった。その時は共産党のみの提出で結局は否決されたが、石原氏はあれだけマスコミなどに毒づいても不思議に大きなトラブルにはならなかった。

 石原氏は彼の著者にあるが日々祈りを欠かさないそうである。仏教の法華経を信仰しているようで、その力が働いているのではないかと私は思っている。舛添氏は確かに頭脳明晰で東大時代でもトップクラスにあったと聞いたことがあるが、人間の頭脳だけを信じて自我力だけで生きて行けばこのような結果になるのだろうと思う。人はやはり地位が上がれば上がるほど強い信仰心が欠かせないと思う。

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06月15日(水)

起床時刻:05時42分

 就寝午後11時半過ぎ、祈りの後に又布団の中で本を読む。今日が仕事だというのに内容が面白く中々止められなかった。ま、午前0時までに最低でも寝れば良いだろうという気持ちがある。本日は色々と職場で仕事が立て込む。望む所でもあるが、何もないのに越したことが無いというのが正直な気持ちでもある。ただ自由な拘束されていない時は何でもやってやろうという気持ちがあって、何とも我ながら不思議な感じである。

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 参院選が迫っているが、先日幸福実現党のポスターを貼らなければという事で宇部支部に出かけた時についでに支部長から応援支持者の白名簿を渡され、ぜひお願いしますと言われていた。つまりこの名簿に私が知り合いの名前を本人に書いてもらうというものである。私はそれを持って帰宅したのであるが、しばらくはそのままにしておいた。

 昨日、勤務明けでいつもなら妻とどこかに出かけるのだが、私もそのつもりだったが、妻は何か用事で留守であった。あれー予定が狂うなと思ったが気を取り直し折角の1人であるし自由をフルに使おうと思いついたのがこの名簿作成だった。

 で、私が直感的に思いついたのは先日同窓会の幹事会に誘っていた友達である。つまりテツとオーサコであるが、彼らに頼もうと思った。今までの私ならそんな事は思いもしなかっただろうと思う。高校時代の友人たちに私が宗教をしているなんて、彼らが噂で知るのなら勝手だが、私自身が自分で告白するのは抵抗があったからだ。

 しかし私ももう良い歳である。この世でそんなに力んでも仕方ない。なるようになる、自然にお任せがもうこの歳になれば一番良いと最近では思っている。だが本当はこのような信仰告白というものは年齢に関わらず、いつだって良いのである。いや、早い方が良いのかも知れない。何も人間は宗教を信じるからと言って寝首を掻かれる訳ではない。

 で、先ずはオーサコの職場に行った。私の自宅と近い所にある。最近彼に知らせてもらった。彼は引退しても良いのに自ら志願して試験を受けて又公けの仕事に奉職しているのだ。少し躊躇していたようだが、意外にも受け入れてくれた。ま、私は正直断られても良いかなとも思っていた。だからと言って彼との付き合いを私の方から切るなどとは微塵も思っていない。人は自由なのだから。

 しばらく彼と世間話をしてそこを離れた。それからもう1人のテツに頼もうと電話すると出てこない。それなら仕方ない、私は今度は誰に頼もうと考えた。あまり遠くない、市内の街中の・・・と考えていたら浮かんできたのが私の姉だった。もちろん姉夫婦である。そのマンションの前まで行ってそこから電話したらこれもまた留守。固定電話だ。

 一つの信仰告白の為か私のテンションは最高潮に上がっていたが、ここまでで私は止めた。「今日はここまで」と自分に言い聞かせた。やり過ぎは禁物だ。なにぶん私はこの日が初めてだった。初日としては我ながら上出来だ。生れてはじめての挑戦だった。よし、この少ないけれども名簿を持って支部に行こうと私は思った。既に妻と長女の名前は書かれてある。
 支部はひっそりとして誰もいないのかなと思ったがチャイムで支部長の声がした。私は彼にその名簿を渡し、更に彼からハガキをいただき又新しい活動を加えてもらった。とにかく何かしらの事をして動いていたい最近の私である。

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06月14日(火)

起床時刻:08時00分

 就寝午後11時過ぎ、途中覚醒なし、一気に熟睡。昨夜は久しぶりに晩酌をした。晩酌といっても、自宅飲みではなく、外食でのこと。もちろん近所の店である。徒歩圏内。生ビール一杯(小さいやつ)、そして冷酒。一合程度かな。それでも十分酔いが回ってとても良い気分になった。安上がりである。出かけたのは全国チェーンの回転寿司だが、ほぼ寿司は食べず、おつまみばかり。最近の回転寿司はこのようにおつまみがあるから有り難い。

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 それから私たちは次の道の駅を目指した。松陰神社にも行こうかなと思ったが、地元民としては少々飽きもあったのかも知れない。また笠山方面も楽しそうだとも悩んだが、萩はそういう意味では見るところが多すぎる。的は一つに絞って道の駅一本に焦点を合わせた。

 県内でも人気トップを争うのがここ「萩しーまーと」である。店内は窓を閉めてわざと暗くしているのだろうか、照明の光のみで他の道の駅には見られない独特な雰囲気である。注目はやはり魚介類やその加工品の豊富さだろう。回流形式の生け簀にはまさに新鮮な透明のイカが泳いでいた。さらにその新鮮な魚介類を美味しく調理した海鮮レストランが何店舗か営業していて、その内の一軒の玄関には取材等で訪れたであろう数多くの芸能人たちの写真が飾られていて全国にも知られているのがよく分かった。

 さて普段ならここまでなのだが、せっかくここまで来て帰るのは忍びない。もうちょっと道の駅の数を増やしても良さそうだとばかりに私は車を走らせた。

 私たちが三軒目に訪れたのは「ハピネスふくえ」。これもまた萩市内にあるのだが、市街地をちょっと離れる。山間部を入るのだ。標高もグッと高くなる。しかも同じ萩市内にあっても先ほど訪れた萩しーまーととは雲泥の差である。何がと言えば訪問者の数である。賑わい度の差である。こちらは言葉は悪いが閑散としていた。しかしそれがまたこちらの個性かも知れないし、ほっこりとした気持ちになる良さかも知れない。かく言う私も賑わった店も良いが、こちらのような静かで穏やかな雰囲気も嫌いではない。

 その後またまた車を走らせ、逆の方向へと進んだ。今度は山間部では無く海沿いだ。長門市方面に無料の高速道路が出来ていて、それに乗って進んだ次第。三見という土地にある「萩・さんさん三見」と言う名前である。こちらもそれほど多くのお客さんはいなかったが、絶景の道の駅としては評判の店だ。バイクのお客さんが多く来訪するようである。
 店の外にあるテーブルとイス席には前方に山陰の絶景の海が眺められる。店内で地元産の軽食を買いこみ、ここで良い眺めを楽しみながら食べる・・と言う人も多いらしい。

 私は今回の萩旅で四か所の道の駅を踏破した。これで全部で14か所、あと一つで15か所クリアである。全部の道の駅制覇とまではいけないと思うが、よくまあやったと我ながら感心しているのである。

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06月13日(月)

起床時刻:05時30分

 就寝午前1時半頃、途中覚醒なしで一気に熟睡。昨日はあまり仮眠をとれなかった。と言っても、比較的という意味でだ。4,5時間は取れたかも知れないが、最近の私の職場での睡眠はそれ以上しっかり取っている。

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 萩の道の駅である「萩往還」にやって来た。妻が今朝萩に行きたいと言うからやって来た訳だが、それならば折角だからと周辺の道の駅を踏破しようという事にもなった。以前から挑戦していた山口道の駅スタンプラリーの残りの駅をやっつけようという気持ちである。これまでに全10個所の駅を訪問していた。

 記念品をゲットできる抽選権が与えられるのが先ずは全10軒の制覇であり、それから15軒と続く。完全制覇というのもあるらしいがそれはほぼ諦めている。山口と言えども中々広いのである。プレゼントの中身はその三段階の訪問件数によって違う。もちろん多く訪問するほど商品の内容はグレードが上がるのである。

 萩往還が先ずは一軒目。さすが土曜日と言う事もあって多くの観光客が訪れていた。長崎ナンバー、広島ナンバーなど他県の車も多く、珍しい土産物や特産品、地元ならではの加工品などに人気が集まっていた。ここは周りが緑が多く、季節はもうすでに初夏の雰囲気も漂い、迫って来るような木々の緑の迫力に圧倒された。

 ちょうどお昼になったから私たちはご飯を食べようということになった。萩ならではの名物か又はどこでも同じのファミレスかなとも悩んだが、パッとひらめいたのが萩に来るたびに通っている萩市役所敷地に建つ「萩元気食堂」だ。宇部にはなかなか見られないタイプの食堂だからせっかく萩に訪れた時はここに限るという感じである。

 土曜日ということで店内は賑わっていたが、期待通りヘルシーそうな、しかし味も良さそうなメニューが並んでいた。こちらはバイキング形式のお店である。肉魚はあまり使わず、地元で採れた野菜中心の料理である。この日は味噌汁の他、カレースープもあって楽しめた。スタッフは主婦が中心で家庭的、雰囲気が良いのである。それぞれの料理を一つ一つゆっくりと味わえば心も体も豊かに健康になりそうだ。

 お客様は比較的中高年が多いようだが、中には若者顔負けの盛りを見せていた「おば様」もいたが、完全に私などは負けていた。笑

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06月12日

起床時刻:06時00分

 就寝午後11時半過ぎ、テレビを遅くまで見てしまいこんな時刻になってしまった。松本仁志の司会で「イッポン」という番組だが、笑いたい時にはこのようなものに限る。本日は勤務日、比較的自由であるから楽しみである。

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 生長の家の二代目総裁、谷口清超さんはなぜ父母への愛と感謝が幸福と健康につながるのかという真理を見事な例えをもって説明している。とかく知識人という人たちは難しく書いて自分がいかに「立派」であるかを証明しようとするが、谷口氏のように本当に偉い人となると、誰にでも平易で解りやすく説明してくれるのである。

 さて本題に戻るが、父母への感謝が幸福と健康への道という真理だが、例えば誰かにプレゼントを貰ったと考えよう。その相手が大変愛する人だったら贈られたプレゼントもとても大切に扱うだろう。しかし何かのきっかけで喧嘩をしたり、何かのトラブルがあって相手を憎んだり嫌ったりしたらどうだろう。そのプレゼントを大切には扱わなくなるだろう。壊したりする人もいるだろう。

 同じように小さい時は愛していた父母が嫌いになったり憎んだりするようになったら父母からの贈り物を私たちはどのように扱うだろう。そしてその父母からの贈り物とは何であろう。それこそが肉体である。両親のお陰で私たちはこの世に誕生する。親は私たちに肉体という贈り物をくれるのである。

 父母へ感謝している人は自然とその肉体を大切に扱うようになる。つまり健康となり病気もせず幸福な人生を歩んで行くということになるのだ。だから先ず健康で幸福な人生を送りたいと思うのなら、父母に感謝する事、父母を心から愛する事が大切となるのである。

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06月11日

起床時刻:07時26分

 就寝午後11時過ぎ、途中覚醒なし。ただ猫の鳴き声らしきもので5時頃に一度目覚めトイレに行く。もちろんそれから直ぐに寝る。本日は完全休養日である。とは言っても、日々の祈りと日課のウォーキングは欠かせない。

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 先日あった同窓会の幹事会世話人会の会場で私が酌をして回ったテーブル席の中に市会議員がいた。以前から少し顔見知りだったから彼女の隣の席に座らせてもらいしばらく歓談した。

 多分保守系の議員さんだとは思うが、私は陽だまりの木の名刺を渡し私の活動内容などを彼女に伝えた。それから今度は彼女の方の活動に話が移った訳である。

 私も既に十分アルコールが侵入しいい気持ちになってもいたが、彼女の話は大体が理解したつもりであった。よく人はただの名誉欲とか見栄、虚栄心などで政治家になろうとすると世間で言われていたりするが、本当にそんな人間はいるのだろうか。それはテレビドラマの中だけの絵空事であって、真実の世界にはないのではないだろうか。そんなノリで果たして議員活動が務まるのだろうかと疑問に思う。

 だからこの日同窓のこの議員と話した時も彼女の話してくれたことは私にはとても真摯で誠実に感じられた訳である。とかく世間ではこのような真面目な当たり前な議員の活動などには関心もなく、逆に不正をしたとか、何かの事故を起こしたとかいうマイナスな面が強調されるような気がするのである。

 どんな職業であれ、そんなマイナスな面やいい加減な姿勢では長く務められる訳はないのであり、それは議員という一つの職業でも同じだと思う。だから私は彼女の話をただ当たり前のように聞き批判的に見ることもなく又媚びることもなく淡々と非常な関心を持って聞いた訳である。

 そんな会話の中で「じゃあ今からもずっと議員のお仕事を続けるんですね」と私が問うと、「自分がそう思っても選挙というものが私たちにはありますから・・・」とやはり落選の心配を話してくれた。こういう会話が議員さん一般の中でよく交わされるものだ。以前なら私も相づちを打ち、大変ですねぇなどと合わせていたものだが、その時は違った。「大丈夫ですよ、そんなの心配しなくても」などと軽く答えたのだった。

 彼女も何を言っているのかというような顔をしていたが、議員になるのだという動機、初心を忘れなければ、落ちることはないと思う。その動機や志しさえしっかり保持していれば悪いことは起こらないものである。時に人はその動機や初心を忘れ虚栄心や見栄に溺れて行くから悪い結果を招くのである。お金や地位の欲望が主体になるから世間から不要となるのだ。ましてお金や身分の保証のために立候補する間は先ず当選は果たせないだろう。それらが削がれて行って本心が出て来た時に政治家になるのだという思いが本当なら必ず当選できるだろう。世間はよく分かっているものだ。

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06月10日(金)

起床時刻:05時30分

 就寝午前1時半過ぎ、途中覚醒なし。勤務先にて。一気に熟睡をいただく。本日は快晴、勤務明けではあるがこのくらいの好天気であればどこかに出かけたいと思うのは自然な気持ちである。血圧を適正にしようと始めた「生姜酢」であるが、あまり美味しくないのに健康の為に続けるのはチトシンドイかなと思っていたが、あにはからん、意外にこれが美味なのである。ご飯のお供に良いのだ。おススメである。

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 朝刊でアメリカ大統領選での民主党候補がクリントンさんと決まったことが報道されていたが、この関連ニュースは妻にも幾分興味があるらしく、先日でも私に「トランプが大統領になったら困る」等と言っていた。多分テレビの影響もあるだろうし彼女の交友関係からの影響もあるだろう。

 妻の意見がだいたいの日本人の意見かも知れないなと思いつつ、私は彼女に反対意見を言うのである。「トランプがなった方が日本は良くなるよ」と。こういうことを言うと誰でも最初は少し戸惑うかも知れないが、私は理屈というより直感でそう思ってしまうのである。

 同じく朝刊の他面には又中国が侵入禁止区域に軍艦を入らせたというニュースがあったが、トランプさんが大統領になればもしかしたらそんな事もなくなるだろうと思うのだ。弱腰と言われるオバマ大統領だからこそこんななめられた事も起こるのかも知れない。というか、中国の戦闘機や軍艦が出没するのは何も遠い太平洋の彼方ではなく、アジアである。日本がなめられているのである。もちろん日本だけではないアジア諸国全部が中国にとっては眼中にないのかも知れない。

 ではなぜトランプさんが大統領になれば日本も良くなるのかと言えば、彼は現在アメリカが日本に駐留している為の経費を全額日本に払わそうとしている。出来なければ全て撤退と言っている。このような強いはっきりした主張をされたらこちらも中途半端な態度ではいられなくなるものだ。自主独立の気運は否が応でも高まるだろう。またトランプさんは日本でも核を持てば良いではないかと述べているが、そうなれば日本も誰にも気兼ねなく核を持てるようになる。クリントンさんやオバマさんでは何か文句を言われそうである。

 トランプさんは結局あんまりお人好しになるな、世界の警察官等と言われる時代ではもうないのだとアメリカの国民に問いかけているように感じる。昔はまだ世界中で弱い貧しい国が多かったが、今はだいぶ改善され、世界全体が豊かになった、それならばなるべくそれぞれの国では自立の精神を持ち、上下の関係だけでなく、対等の付き合いをしようというところかも知れない。特に日本は今まで甘えていた防衛面で自立した大人に成りうるチャンスかも知れないのだ。

 これが女性のクリントンさんならどうであろう。今までと同じ環境が続き同じ事の繰り返しになる可能性大である。いや、現状維持ということは結果的に停滞につながり、もっと状況は悪くなるかも知れない。上を目指し、自己を変革しようという意識を持ってこそ、最低でも現状維持は叶うものである。日本は変わらなければならない時かも知れないし、日本人全体がホントは潜在意識の中で変革を求めているのかも知れない。その時にちょうど良い時に現れたのが、彼トランプさんかも知れない。

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06月09日(木)

起床時刻:05時12分

 就寝午後11時半頃、途中覚醒なし、一気に熟睡をいただいた。そして祈り。大体20分強の祈りを済ますと身支度を整えウォーキングに出かける。軽快に歩いた。特に今日は体調も良く楽しく歩けた。歩くと言っても、私のは駆け足に近い。颯爽と歩くというイメージで歩いている。風に乗るという感じ。雨の日も風の日も休む事は無い。深酒した翌日も歩く。逆に歩かない方が気持ちが悪いのかも知れない。本日は勤務日。読書の日だ。

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 知り合いの女性が歯の事で悩んでいる。入れ歯の一つが外れかかっているという。入れ歯というと何か物凄い年寄りのような感じだがそれは総入れ歯のことであり、私が今言っているのは部分的な入れ歯の事である。

 これに限らずどちらかと言うと女性の方が男性よりも歯とか骨、あるいは皮膚の問題で悩んだり困ったりしている場合を良く見聞する。これは一体どうした事なのだろうと私は昔から思っていたものだ。同じ人間なのにどうして女の方が比較的体が脆弱に出来ているのだろうと。

 これはあくまでも女性の方が勝手にそのように思いこむからではなかろうか。男は女に比べて自分たちが弱いとは思っていないし、逆に強いものだと思う人の方が多いだろう。いずれにしても何かと比べて自分を上に見たり下に見たりする癖は人間独特なものである。

 お釈迦様はこの世に生まれた時に「天上天下唯我独尊」と宣言したそうだが、これは生れた赤ちゃんがそのまま喋った訳では勿論ない。生れたというのはある種の比喩で、生まれ変わったと言った方が正しいと思う。今までの五感の世界から本当の世界への誕生、悟りを得た時の感覚である。その本当の世界への誕生を実感した時に「天上天下唯我独尊」と主張出来たのだと思うのだ。

 これは先に書いた他人と比べるから人間は悩むという事に起因している。女は男と比べるから自分は弱いと思う。逆に男は女よりも強いと思うから女を蔑視したりする訳である。傲慢になったり逆に卑屈になったりするのは全てこれ他者との比較から始まる。

 もし仮にこの世に女しかいなかったら果たしてどうだろう。比べる異性がいないから自分が強いか弱いか分からない。そうするとありのままの自分をそのまま認めざる得ない。私は歯が弱いとか骨が弱いとか皮膚が脆弱だとか、比べる存在が無ければ実感できない。

 男であれば女がいなければ比べられないから自分が強いのだという実感も湧かない。ありのままの自分をただ認めるだけである。しかし女だけの世界しか無かったとしても今度は女の中での比較が始まるだろう。あの人は恵まれた環境に生れたから私より健康なのだ、とか、あの人は父母が立派であるから頭が良いのだとか、きりが無い。

 結局世界は自分一人にならなければ本当の自分が見えなくなるのだ。比較する者が完全に無くなれば後はもう自分を客観的にただありのままに見つめる事しかできない訳である。その時に自分の本当の姿が分かって来る訳である。だがそうだからと言って、人間は一人では生きれない。ではどうすれば良いのか…。

 その時に大切なのが自分が1人なのだと想像する視観である。誰とも比較できないように自分をもっていく。これが私はお釈迦さまが説いた教えではないかと思うのだ。この世界は自分一人、天上天下というのはこの世界である。その中で唯我独尊、自分のみを尊ぶのである。比較できないから自分の事をありのままに見ることしかできない。それならば自分の事をどのように見るのかと言うと、尊、つまり偉いと見るのだ。

 自分を神の子、仏の子として見る。世界の中にこの自分だけしかいない。しかも自分は神の子である。完全な存在である。と見る。比較するから悩むのである。自分のみ、この世界には自分しかいないのだ、と信じ、自分の周囲は幻に過ぎないとすれば比較する事も無いからただありのまま、神の子であるとただ見て行く。

 自分の前に対する男も女も全ては幻であり無いのであると見る。あるのは神の子の我のみ。目の前に展開する人間や事物は自分の中から描き出された幻であるから全ては自分と同一なのである。自他一体というのもこれ。自分を尊いと思えば他人も同じように見える。これが天上天下唯我独尊の正体ではないかと私は思っている。

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06月08日(水)

起床時刻:07時00分

 就寝午前1時過ぎ、高校の同窓会幹事会で賑わい続いて同期との二次会で居酒屋で盛り上がりこんな時刻になってしまった。テツが入ればいつもこの調子だ。しかし同級生とはホントに良いものである。中には喧嘩している者もいるが、我々ぐらいの年齢になれば、死というものもその視野に入って来ても良いのだから、飛ぶ鳥跡を濁さず、きれいなままでこの世とのお別れを意識した方が絶対に良いに決まっている。ケンカなど言語道断だと思うのだがいかがだろうか。

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 全くプライベートな事だが、昨日国際ホテル宇部において夏に開かれる同窓会総会の為の幹事会が開かれた。総会は8月14日であるが、その為の決起集会的な催しとなる。私はほぼ毎年参加させてもらっている。今年は同期のテツとオオサコを連れて参加したのであった。

 私はどちらかと言うとこの会にはいつも1人で参加してきた。その方が気軽で楽しく過ごせ又誘えばその人に少しくらいの負担もかけるかもしれないという、私には似つかわしくないような理由で単独の参加を楽しんできたのだ。所が今年はちょっと違った。

 何が違ったかと言うと、気持ちの問題だ。利己的に生きれば例年のとおりで良いだろう。が、公けに生きればそれは違う。己を滅し公の為に生きるというサムライ精神を持てばこれは1人で安気に参加していてはいけないと思ったのである。

 参加すれば飲み食いはタダであるがその代わり1人に三枚のチケットを負担される。今年は何でか二枚に減らされていたが、結局私が1人で参加すれば当日の総会には私を入れて最高三人の参加となる。しかしこれが幹事会に三人が参加すればその三倍、つまり九人が総会に参加になるのである。これは大いに違う。

 で、私はそちらを取ったのである。1人でも多くの参加者があれば良い。私の同期がやはり全体の会長を務めてもう10年になるらしいが、その同級生も喜んでくれると思うと私のやる気に火がつくのである。

 しかもテツもオオサコもどちらもかなりのツワモノである。どんな場所でも臆する事も無くそして社交性が特別強い。顔も広い。かなり頼れる存在である。だから彼らを誘って今年の総会を更にパワーアップしたいと思うのは同窓生とは当たり前の姿勢であると思う。

 彼らのその強い個性のお陰で幹事会も大いに盛り上がった。終了後いつもはそのまま帰宅する私であるが、この日はこの三人で居酒屋に繰り出し又そこで大いに飲み食い盛り上がった。同級生というものはホンマに良きものかな・・・・。

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06月07日(火)

起床時刻:05時30分

 就寝午前1時40分頃、途中覚醒なし、目覚ましで起き、それからル-ティンの仕事を。終わってからは又一眠り。本日も掃除のおばちゃんたちとも軽快に話す。たぶん私の現場では私だけだと思う。本日は高校の同窓会幹事会。テツとオオサコと一緒に参加する。楽しみだ。また会長が同期だから尚更である。

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 ちょっとニュース性が古くなってしまったかも知れないが、北海道の児童置き去り事件について気になっていることがあるので述べたいと思う。

 私が気になっていることは2つ、先ずは元々この子どもが両親によって置き去りにされた理由である。報道によればこの子どもは他人や他人の車に向かって投石をしたという。普通の子どもならこんなことはしない。まあ異常行動であると言っても良いと思う。それから報道の通りいろいろあって日本はおろか世界中まで知られるニュースとなった訳であるが、確かに子どもは無事確保されてハッピーエンドのようではあるが、果たしてそうだろうかということである。

 一番肝心のこの子どもの「奇行」が治っていない。他人に向かって石を投げるような行為をなおざりにしたままで良いのだろうか。仮に今回のような大事になっていなかったらこのお父さんは又子どもに同じような「しつけ」をするかも知れない。しかしこれ程大きなことになったものだから、お父さんもびっくりしてもしかしたらもう怖じ気づいてしつけを出来なくなるかも知れない。もうこれからは腫れ物に触るように子どもに何も出来なくなるかも知れない。

 これはある意味子どもにとっても両親にとっても不幸である。やっぱりいけないことはいけない、悪いことは悪いと言わなければならないのではないだろうか。そして私が一番考えなければならないと思うのは、この他人に向かって投石するといった行為の裏に何があるのかということだと思うのだ。そしてそれをどうしたら直せるのか、良い子に出来るのかということである。

 そこを放っといて、ただ何も言わないやらないでは無責任な放任になってしまう。この子どもの心の闇を消す努力が必要である。

 もう1つ。お父さんは謝罪会見で何度も何度も「行き過ぎた行為、しつけ」と述べていたが、果たしてそうであろうか。確かに何人かの識者はこの父親の行為を行き過ぎと非難していたが多くは同情的であり、共感を持った人が多かったように感じた。世の父親ならば誰しもこのようなことをしたことがあっただろう。今回のケースはその世の中にあるよくある出来事がちょっとしたことでこんなに大きな事件になってしまっただけではあるまいか。

 決してこの父親はよく言われるところの「虐待」とか、スパルタパパではない。平凡な心優しいパパである。まさか自分の小さな子どもがわずかの間にどこかへ一人で森の中へ消えて行くだろうとは思わなかったはずである。そういう意味ではこの子どもの方が独特であり個性的なのだ。

 普通は置き去りにされても先ずは待つものである。それが予想出来るから親は置き去りにしても直ぐにまた帰るのである。その常識を破る子どもの方がある意味「行き過ぎ」たとは言えないだろうか。

 大人でも大変な道をまだ一年生の子どもが一人で歩くのである。そして勝手に自衛隊の建物に入ってそこで数日寝泊まりする。多くの人はこの行為を絶賛したが反面行き過ぎた行為とも言える。これくらいの年齢の子どもであれば、大人にすれば富士の樹海とは言えないまでも、広大な森林の中に迷い混んだ状態と同様だろうと思う。大人でもパニックになるのが普通である。

 それが途中迷うことなくうまく事が運んだというのはこの子の運もあるだろうが、それ以上に彼の強い個性も感じるのである。他者から見て行き過ぎた行為がいい意味で強い個性を作る時がある。

 他人や他人の車に投石するという行為は誉められたものではもちろんないが、当然矯正すべきことではあるが、その奥にこの子どもの何か強烈な個性も隠されているのかも知れない。今はその個性が悪い方に現れているが、良い方向に出てくれば、彼は希代の冒険家になるかも知れないしあるいは私など想像を絶するような逸材になるかも知れない。まさにピンチはチャンスである。

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06月06日(月)

起床時刻:05時20分

 就寝午後11時25分頃、途中覚醒なし。一気に寝る。よく寝た。本日は勤務日。雨模様。そして明日は同窓会の準備会。役員会である。懐かしい友人に会えるし若い同窓生諸君とも会える。又何かの出会いがあれば良いと思う。

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 主宰する交流会の会員さんの中に六月が誕生日の人がいて、昨日その人がお友達と誕生会を祝う場所に私も押しかけて(?)会員さん(女性であるが)にプレゼントを渡して誕生日を祝った訳である。

 彼女がどうして昨日お友達との誕生会を行ったのか私が知っているかと言うと、先日開かれた陽だまりの木の六月の月例会において彼女自身がそれを私たちの前で述べていたからである。その時私は調子に乗って「それではその日僕も参加しよう」と思わず言ってしまったのである。そして更に私は悪乗りして周囲の男性会員さんたちにも「参加しようよ」と誘ったのであった。

 しかし常識人である男性陣は「うう・・」と口ごもっただけでご返事はいただけなかった。そりゃあそうである。そんなにまだ知らない仲の女性の誕生会にいきなり参加するとは言えないものである。私が子供なのであり、単純なのである。

 しかし私はそれでもその時はホントに参加しても良いと思っていた。が、時間が過ぎて行くうちに、会員の女性の他にもお友達が参加するという事だからその人たちの気持ちも考えなくてはならないなと思い出した。というか、これを妻に言ったらそう言われたのだ。妻は私よりは随分大人なのである。

 良い歳になって誕生会というのも気が引ける人は多いかもしれないが、そんなの年齢は関係ない事だ。人間は幾つになっても自分の誕生日を皆に祝われるのは嬉しい事に違いない。だったら多くの友達から祝ってもらった方が良いに決まっている。大人ぶるという事は人の気持ちに鈍感になるという事では決してないからだ。

 しかし私はそれから又色々と考えて、ここはひとつ会に参加するというのではなく、何か彼女に贈り物を用意してその会に突然私が現れて彼女に渡そうと思い始めた。その方がサプライズで良いかもしれないと。で、実際に私はそれを実行したのである。

 彼女の気持ちになって考えれば多分彼女は私が月例会で調子良く「参加するぞ」と言っていたけど、あれは口だけではないか、等と疑心暗鬼だったかも知れない。その証拠に私は月例会から半月過ぎても何も彼女に連絡しなかったからである。ま、普通は来ないなとおもうだろう。多くの人はその時はホントにその気があってそう言ってしまうのだが、段々薄れるのだ。その時に嘘は言わないのだ。相手を喜ばそうと思って嘘は言わない。

 だからその辺りの事も彼女は重々承知で誕生会を祝っていたことだろう。しかし私は突然来たのだ。会場のカラオケボックスのドアをトントンと叩くと中から「どうぞ」と声があった。私はスッと躊躇なく入った。

 目の前に彼女は座っていたが私を見てまさに驚いていた。サプライズは成功である。私は直ぐに「これ誕生日のお祝い」と言ってプレゼントを彼女に渡した。そしてお友達の同年齢の女性も「どうぞどうぞ」と私に座るように勧めてくれたが私は丁重に辞退してその場を離れた訳である。その間大体10分程度、何気ない会話で笑い声も生れて私は幸せであった。

 こうして私の陽だまりの木運営は続いている。少し少し大切にしかし着実に前進して行けば良いと思っているのである。

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06月05日

起床時刻:07時00分

 就寝午後11時過ぎ、夜明け頃に猫の鳴き声で目覚めるが直ぐに寝る。さすがに本日は完全休養日、しっかりと寝られた。最近の私の生活の特徴は自分でも強く感じるのだが夜にテレビを見なくなった。というか、あまり面白い番組がないように感じる。これもまた日々の祈りのお陰かも知れない。物事の真理、奥底を覗く祈りは表面的なテレビ番組が物足りなくなるのかも知れない。とは言っても、一週間にいくつかの好きな番組はある。それらはいずれもナチュラルな自然な人間の感情の発現や交流が表に出ていて好ましい。お陰で私は勤務日でも休みの日でもよく寝られる。睡眠は活動のための大切なエネルギ-源である。

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 生長の家の二代目総裁である谷口清超さんの著書「正しき日本の進路」を読んだ。ご本人は既に亡くなられているが、誤ったマスコミ報道や知識人と言われる人たちからの常識でははかり知ることの出来ない内容ばかりで大変面白く又為になった。

 私は生来あまり歴史には興味がない方であるから一般的に世間で言われているところの知識をそのまま鵜呑みにするところがある。だから物事の真実を知ろうと思うのならば、やはりたまには歴史書などをひもとくのも悪くはないなといつもこういう本を読んだ時には強く感じてしまうのだ。

 しかし正しい歴史の事実を知ることは頭の中だけの問題ではなく、自分自身の生き方にも十分影響を与えるものなのだなと思うのである。
 さて本題に入ろう。この本の中には一体何が書かれてあったのかと言うと、大雑把に言えば今の中国があるのは我が国日本のおかげだということである。えー、そんな馬鹿なと思われるかも知れないがそのからくりは以下の通りである。年号や事件の起きた正確な日常はここでは省くが、知りたいと思われる人ならば関連本をご参照いただきたい。

 大きく分けて2つある。先ず満州事変以降日本と中華民国(当時の中国の呼び名)は長い戦いに入って行ったが、中華民国では既に自国で内戦も各地で起こっており、その相手が共産主義の中共である。その頃の中共は兵力僅か二万強しかなく、つまりたいした軍隊ではなかった訳である。その後終戦となったが、日本が負けたのは正確に言えばこの中華民国の方なのである。というか中華民国は連合軍に入っていたからである。

 かたや中共(もちろん中華人民共和国の事である)は、中華民国にそれまでは圧倒的に劣勢であったのだがここである陰謀を企てたというのだ。それが有名な「ろ溝橋事件」である。ゲリラ軍を使い日本軍に攻撃を仕掛け、それを国軍つまり中華民国軍の仕業だと見せかけて両者が戦うように仕向けたのである。そうして国軍からの攻撃から身をかわした中共軍は一息つき、その間力をつけて行ったのである。

 さらに日本が連合軍に負けたと同じくして、中共はソ連軍を通じて日本関東軍の持っていた莫大で精良な武器火薬を手に入れたという。その種類と数は現代人から考えると想像を絶するものである。そしてその圧倒的な武力のおかげで中共軍の兵力は百五十万強ともなったと言われる。

 かたや中華民国軍は日本との長い戦いですっかり疲弊していた。両者の戦いの結果は火を見るより明らかであった。日本軍の大量で優秀な武器を手に入れた中共軍から大陸を追われた中華民国軍は台湾に逃れて現在に至るということになる。

 これらの事実によって何が分かるかというと、今の中国を作ったのはあの頃の日本であったということになる。そして日本は過去一度もその中共軍(今の中国である)とは戦っていないのである。私たちはこのような事実の元に、どこの国に迷惑を与え、どの国に対してもっとも信義をつくすのが正しいのかを考えるのが大切であると思われる。

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06月04日

起床時刻:05時30分

 就寝午前1時半、勤務先。最初の目覚めは午前4時、さすがに直ぐに寝る。テンションは相変わらず高いのだがその中でもまた若干上下があるような気もする。日々楽しく明るく暮らしているが、さてさてもっと欲を出して常に最高の自分であろうと努めるのがホントなのかどうなのか。考えるところである。

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 久しぶりに秋吉台にやってきた。もうすぐ梅雨がやって来るが今の内ならまだ秋吉は新緑の季節であり、緑が眩い時期である。今が一番良い時かも知れない。そう言えば今日はホントに天気も良く、しぜんの美しさが段違いに見事だった。緑が生きているかのように、その逞しい生命力を思う存分に表現していた。これは秋吉までの行く道で感じた事。沿道に生える緑の木々が生々としていたのだ。
 秋吉台にたくさん咲いている「アザミ」の花。アザミと言えば私が直ぐに思い出すのは研ナオコさんの歌った「アザミ嬢のララバイ」。
 しかし私がこの花を名前と一緒に確認できたのはドライブの途中で妻に教えてもらったのが初めてだった。

 私が新緑の季節に一番行きたかったのは実は阿蘇である。湯布院から阿蘇まで走る「やまなみハイウェイ」の緑の絨毯の中を颯爽と走りたかったのである。こんな気持ちの良いものは中々無いだろうと想像しながらその時を待っていたものだが、何せ今年はあの熊本大地震があった。しかしまだ完全に諦めたわけではないが、阿蘇の景色と秋吉のそれは実は良く似ているのだ。初めて阿蘇に行った時にそれを強く実感できた。

 今日の秋吉もホントにきれいだった。青い空にぽっかりと浮かぶ白い雲、そして緑の絨毯である。心が解放されるのは当たり前である。

 私は最近秋吉に来たら展望台やお土産屋さんばかりをうろついたりはしない。どんどん自然の中に入って行く。今日もどんどん入って行った。観光客はあまりそのような事はせず、お土産を物色したり展望台で秋吉台全体を俯瞰する。しかし私はどんどん歩いた。そして私と同じような人間もいたりする。向こうから来た道を帰って来る人たちが見えたりする。やー、彼らも探検しているのだと嬉しくなる。

 広島のどこかの小学校から子供たちがやって来ていた。丁度私が探検から元の場所に帰って来た時に彼らとぶつかった。多分、修学旅行かも知れない。皆楽しそうだ。全員集合で記念撮影の真っ最中。

 私が彼らのそばで携帯で撮影しているからかも知れなかったが、カメラマンさんがしきりに「はい、カメラはこちらですよ~こっちを向いて~」と大きな声を上げていた。子供たちの何人かがもしかしたら私の方を気にしていたのかも知れなかった。中には私の方に手を振ってくれた子供もいたのかも知れない。カメラマンさん、すみません・・・。

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06月03日(金)

起床時刻:04時50分

 就寝午後11時半、途中覚醒なし、だがいつもより早めに目覚める。猫の鳴き声に起こされたということもあるが、もうしっかりと睡眠が足りていたのだと思う。本日は勤務日だからちょっと早すぎるかなと思い、もう少し寝ようと努めてみたが寝られず。意識もはっきりしていた。それならばと起き上がったわけだ。このくらいの余裕をもって支度した方が良いような気もする。

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 私の職場の仲間の一人にバリバリの共産党員がいて時々会話を交わしているが、彼はホントに気の良い人である。私が見る限り誰とでも上手に交際し、人当たりも良い。以前の私は共産党と言うと何か強烈な強い個性の人が多くて、付き合いにくいかなと思っていたのだが、そんな色眼鏡を外せばホントに良い感じで付き合えると思う。

 ただし彼の車の背中側の窓ガラスには「戦争反対」という意味合いのステッカーが貼られている。つまり自民党を批判しているらしいのだ。彼らから言わせれば与党は戦争を進めようとしている集団のようにとらえているようだ。しかし私たちがテレビなどで見る安倍さんなどがホントにそうなのかと思わず疑問に思ってしまうのは不思議ではないだろう。

 集団的自衛権の法案であってもこれを戦争法案としてとらえている。これはちょっと短絡的ではないかと思うのだ。自国の防衛を完全にしようとするのならば当たり前の事ではないかと私などは思ってしまうのだ。それを即戦争に結びつけるのはちょっと行き過ぎ・・と思うのだが。

 しかも中国や韓国などは日本が昔のような軍国主義になりつつあると非難しているが、共産党も何度か彼らのパンフレットなんかでそれに似た論調を見た事がある。日本が軍国主義?まさか。

 私は前の職場で多くの元自衛官たちと仕事を共にした事がある。彼らは当然全員戦争経験者ではない。皆ほとんどが戦争を知らない子供たちであった。しかし愛国心とか自衛の精神は一般の国民よりはやはり強いものがあったように感じた。だが誰も好んで戦争をしようとか日本が軍国主義になれば良いとか主張する者など一人も居なかったのである。

 今の時代で最大の武器はもちろん核である。たった一個であってもその威力は大したものであろう。持っていると言うだけでも威嚇力は相当なものである。それではこの最大の武器である「核」を日本は持っているのかと言えばノーである。そのような軍国主義の国があるだろうか。核も持っていないのに戦争を好もうとする国があるはずもない。

 軍国主義反対、戦争反対と言って国会の前でデモをした人たちもいた。共産党の人たちもいたかも知れないが、何か若者の集団でそんな人たちもいたようだが、しかし核も持たないような国に対してそんな見当はずれな事を批判するって何かおかしくないかと思うのだがどうだろう。私は彼らに言いたいのだが、その反対と言って叫ぶのは日本の国会議事堂では無くお隣の強国ではないだろうかという事だ。

 日本が軍事国家になりつつあると警告している張本人の国家、それは中国である。彼らの国は核を持っている。それも相当の数だ。大国と言われる国はその所有数を明示しているようだが、中国に限って秘密にしているようだ。が、相当の多くの核を持っていると思われている。そんな核大国の中国こそ「軍国主義」そのものではないだろうか。最終兵器、最強の兵器と言われる核を持っているのだから彼らこそ軍国主義の国であるはずだ。

 時々何か記念日には核爆弾を積んだトラックをパレードしていたりするではないか。それに引き換え我が日本はそんな事は考えられない。自衛隊が何か街の中を行進しているだけでもまだまだ異様な感じを与えているのが日本の現状である。こんな「軍国主義」の国など世界に絶対無いのである。それを知っているくせに、中国が日本をそんな風に批判すればその知り馬に乗って同じ日本人が日本の事を批判している。訳が分からないし、その若者の集団のリーダーもカッコいいと思われている感じがありありと見えてくる。

 戦争反対と訴える相手が違うのである。日本政府では無くお隣の大国の方である。本当にカッコいい若者ならば、骨のある若者ならば、そんな子供が甘えて大人に反抗しているような事(日本政府に対して批判する事)は止めて、正々堂々、軍国主義の中国に戦争反対を主張なすった方が、ずっとカッコいいのであると思う。

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06月02日(木)

起床時刻:06時20分

 就寝午後11時半過ぎ、ほぼ午前0時に近かったと思う。午後11時にテレビを終えいつもの祈り。神想観。そして布団に入るのだが翌日が完全休養日だという事で気分はリラックス、で本を読んだ。意外に読んで寝たのである。睡眠時間も気にしなくて良いからいつ寝ても良いとばかりにそうしたのであるが、不思議に早い時刻に目が覚める。それでも6時間半は少なくても寝ている。ガバッと起きて祈り、神想観、そして日課のウォーキングに飛び出す。休む事は無い。

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 安倍内閣というか、安倍総理は消費税増税を随分先送りにするという決定を出したようだが、これは多分もうじき始まる選挙対策の為だろうとは素人でも分かる理論である。それにつられて野党の諸君たちはこぞってこれを批判し問題にしているようだが、これもまたどうかと思う。

 野党が反対するのは安倍総理が消費税の増税をするのは将来の年金対策等の為だからと主張していたのに、選挙が近いからと言ってそれを取りやめ、先に延ばすとはどういう事だ、目先の欲に眩んだやり方ではないかという所だろう。将来の年金財源、社会保障問題はどうなるのだ、先の不安はまたまた若者へのつけに回るのか、と紛糾しているようだ。

 全く野党の言う通りである。だから内閣でも財務大臣の麻生さんも最初は安倍さんを批判反対していたようだ。そんなにクルクル方針を変えてどうするの?という所だろう。しかし結局同じ与党であり内閣であり元総理であるから気持ちは分かる。で、直ぐに賛成という事になった。と推理できる。

 しかし選挙を前にしてそんな消費税を又上げるのかという事になれば、庶民はたまらない。たまらないのは貯金の方でもそうだ。ダジャレも出てきそうだが、庶民は大変である。するともう自民党には票を入れてやんないよとなる。そうすると安倍さんも困るのである。負ける喧嘩をするほど馬鹿じゃないと思うかも知れない。

 日本の政治はずっとそういう風にやってきた。そういう歴史がある。今文句を言っている野党でも一時与党になっていた時代があったが、彼らも同じ事だ。とにかく選挙が一番、それも庶民の大勢に流されるのである。迎合するのである。だから結局いつまでたっても政治は良くならないし世の中も変わらないのである。いつかどこかで危険だと思っていてもここはグッと我慢の子・・・という感じで荒療治も必要な時があるのだと思う。

 だからと言ってそれでは共産党に政府を任せられるかという事になったら、それはちょっと出来ない気がする。彼らは少数でも全然構わないという気風でやって来ている。しかし一つの国家には多数の国民がいる訳であり、多くの人の幸福を考えてくれなければいけない。少数派で良しとしている人たちにはどうにも任せられない。

 ホントに将来の社会保障問題を真剣に考えて増税しかないのだと思うのならば、やはり増税はしなければいけないのではないか。と思う。確かに税金が上がるのは嫌だが自分たちを含めた日本全体の事、未来の事を考えればそれは仕方ない。しかしよく考えれば、自民党は昔からずっとその路線でやってきた。とにかく目の前の選挙に勝たなければ意味が無いからその時の国民の大多数派になびく。しかしその結果そのつけがどんどん回って来ているのだ。

 結局今の社会保障がパンク寸前というのも、自民党を代表とする与党が先にそのつけを伸ばしてきたからの結果ではなかろうか。票の為にお金を垂れ流し、先の事を考えず借金はどんどん増え続けて行った。そして今回も又同じような事をしている。国民も今が良ければ先の事は目をつぶろうとばかりに思っているようだ。

 それではお前は消費税を上げても良いのかと言われればそうでもない。他に何かアイデアがあるはずではないだろうかと思うのだ。それを与党も野党の人たちも真剣に考えるべきである。野党は反対反対と言っているだけが能ではない。ダイナミックに国家運営をこなし、国家の財政を潤せば、税金を上げないで将来の社会保障を立て直す事も可能ではないだろうかと思っているのである。

 しかし心配なのは野党の諸君である。消費税を中止という安倍さんの意見に反対を唱えたのでは逆に国民感情に逆らう事になる。そうなると選挙に勝てない。それを覚悟で正論とばかりに反対と言っているのか、野党は既に与党になる気が無くなっているのか・・。いやいや野党は消費税中止に対して反対しているのでは無くて、安倍さんが社会保障の財源の為に税を上げると言っていたのに止めるのでは可笑しいではないか、嘘つきではないかと非難しているのかも知れないが、国民から見れば安倍さんに文句を言うのであればそれは消費税アップだという事になるのである。

 だから確かに安倍さんの態度はおかしいが、それならば将来の社会保障も大丈夫だ、しかも税も上げないのだ、という何か強烈なインパクトのあるアイデアを引っ提げて来なくては駄目だし、それがあれば多くの国民が支持するだろう。特に若者たちが集まって来るのだと思う。いやいや若者だけでは無く中年だってもっと骨がある元気な人間もたくさんいるはずである。何度も何度も同じ事の繰り返してはホントに嫌になるし政治離れも今よりもずっと深刻化して行くかも知れない。

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06月01日(水)

起床時刻:05時30分

 就寝午前1時40分頃、勤務先。それまでにたっぷりと夜仮眠をとっていたので寝られるかなとちょっと不安だったが、いつの間にか眠ってしまっていた。深夜に本睡眠を取り、このようにその前の夜の仮眠を足していけば、ト-タル7時間近く寝ている。この「つぎはぎ睡眠」が有効ならば、勤務日であってもある程度の健康は得られると思う。

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 北海道の山の中で、子どものしつけだからといって置き去りにしてしばらくして父親が戻ってみたらもうその子は居なかった、そのまま行方が分からなくなったという事件が起きてしまったが、大規模な捜索にも関わらず、いまだ見つからないという。6月になるとは言え、北海道はまだ肌寒い、しかも雨なども降り、その消息は本当に心配である。

 こういう時よく親が子どもをしつけとして普通から考えたら異常とも思える行動を取ったりすることがあるが、あながちそのような行為を責めてばかりはいられないなと思ってしまうのである。テレビのインタビューに出てきたその父親はホントに困惑しばつが悪そうな表情で質問などに答えていたが、それが子どもの安否を気にしてのものなのか、あるいは世間からの自分たちへのバッシングへのものなのか、どちらとも分からないような感じを受けてしまったものである。

 もちろんこの場合のようなケースでは自分たちが子どもに対して取った行為が自信を持って世間に言えるものではないのかも知れないが、私たちも果たして彼ら両親を批難し裁いたりすることができるのだろうかと思うのである。まさかこの親たちもこのような事態になるとは夢にも思わなかっただろうと思う。新聞の記事を読めば、子どもに罰を与える前に、その子は他人や他人の車に向けて石などを投げつけたという。普通ならばそんなことはしない訳である。だから親たちも驚いてこれは厳しくしないといけないと思ってそのような厳しい罰を与えたのだと思う。テレビに映る父親を見てもそんな大層な厳しいしつけを普段からするような親には全く見えないのである。

 この家族の近所の人たちも彼らの普段の様子を話していたが、ごく普通の仲の良い家族に見えていたようである。虐待なども普通からはなく、問題のある家庭とは見えなかった様子が感じられてしまうのである。ということは今回のようなことは私たち誰にでも起きてしまう可能性があるということである。全くそう考えれば、この人生は一寸先は闇そのものではないだろうか。

 今回の事件においても、今は世間が騒いでいるから両親もその批判めいた多くの視線と戦わなくてはならないかも知れないが、騒ぎが一段落し落ち着けば今度は結局自分たちとの戦いになるのである。それは子どもに対する悪かったという自責の念であり、後悔の念である。取り返しのつかないことをしてしまったという辛い厳しい自身を裁く思いである。

 だから私たちは他者を責めたり裁く前に相手に共感し立場を理解する思いやりかも知れない。一番辛いのは子どもを置き去りにした両親のはずである。私たちは決して裁判官になったり、教育評論家になったりして現象を批評するものではないと思うのだ。一番大切なのはこのような事件が起こらないような普段からの心構えだと思う。それは決して世間の常識の中にただどっぷりと浸かっているだけでは分からない真理の世界である。その常識を越えた真理の世界の探求こそが、今回のような悲劇から私たちを守ってくれる切り札だと思う。

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