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起床時刻推移グラフ

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12月01日(火)

起床時刻:06時00分

良い天気です。
4時頃に一度覚醒、少し作業後にまた眠ってみる。
目覚めると、窓辺がとても明るかった。快晴!

食事を適当に作ったので、まずくて、
さっさとMacへ移動。

今朝は、ボードレール「パリの憂鬱」を読む。
あまり好き・・と言うのでもなかったのだが、
音感がさすがに美しくて、
内容的には、
どことなく、「南方車站的聚會」を思わせる、

というのは、どういうことなのだろうか。

あの朽ち果てたような街の外観、
猥雑、暴力的、社会的な底辺にたむろする男女の、
うらぶれた希望のなさと、頽廃・・

その中に潜む、不思議な、明るさ。
あっけらかんとした、美への信頼感がほの見える。

私には理解できなかった世界なのだが、
多分、胡歌への興味に惹かれて・・

もう、多分、ただひたすら、それなのだろうが、
しかし、考えざるを得なかった、

不思議な感覚・・と言うのもあるのだと思う。

美とは、思っていなかったものへの
ある種の共感・・なのかしらね。



^^

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12月02日(水)

起床時刻:05時00分

小雨… とても寒い日。雪でも降るかと思う。

あっという間の師走。
人影のない街にイリュミネーションが華やか。

今日は、漢語仏語レッスン。
今回はちょっと練習した、一日二日( 笑うぞ)
まあまあです。

小鮮肉の名前など知っているのは、
でも、私くらいで…
中国語を勉強していても
みなさん、まじめである。

しかし、老師は反応するので、さすがだ。
当たり前ですね。

胡歌さんの名前を出すと、
老師がたは、ほぼ全員が盛り上がる。
帥哥!…ですよ。と説明してくれる。

日本人同学は、ほぼ、きょとんとしている。
中国滞在の長い人も多いのに、
ちょっと残念である。

手応えがあるのは、大変…稀。

仏語は久々の講師。Art 文芸等々好きな人。
中仏共同製作の
« Le lac des oiseaux sauvage » の話をした。
( 南方车站的聚会 ね… )
あっという間に、スマホで映像を出した。
これも、まあ、流石でした。



^ ^

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12月03日(木)

起床時刻:05時30分

一日中曇り空で、室内は薄暗く寒い。
どうしたら寒さが防げるかと思案中。

川辺の薔薇を剪ってみたが、
萎れかけていて… あ、いかんわ、と気づく。
庭の土に枝を埋めて飾る。
悪い事をしたね… と思う。

スマホの待ち受けに“ 九爺 ”を設定すると、
眼差しの美しさに、日々思いが揺れる。

「風中奇縁」はとても苦手で、
ドラマを見始めるたびに中断するのだが、
( あ、勿論、二度くらいは通しで視聴済。)

九爺は、多分特別に好きなキャラだ。
… と思うにつけても、

胡歌出演の作品については、
好みに関係なく、

ただ胡歌の表現が特別に好きだと言う、
… そういう事情がほとんどで、

製作陣営には、ただひたすら、
ごめん… としか言いようがない。

多分、ストーリーや背景も悪くはないのだ。
時々、それに気づくことはある。

しかし、なんと言っても
胡歌印象が… あまりに深くて、
興味はひたすら、先鋭化されてしまう。

僥倖… でもあるので。




^ ^

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12月04日(金)

起床時刻:06時30分

良い天気だが寒い。手が冷たい。

私の瞑想… (胡思乱想 Húsīluànxiǎng)

一応、学生時代は、
老師について、一通り禅の修行はしたので、
毎日一坐はそれなり。

背筋を伸ばして、ただ坐っているだけで、
冷たい手が次第に熱を帯びてくる。

これがちょっと不思議。

こんなものだったかなと思う。
体調が整う感じ… は、よく経験していた。

時間を有効に使える…ようでもあり、
気分もいいので、続行中!

今日の胡歌データは、
久々、2015「金星采访」が面白かった。

以前にもアップした記事なのだが、
文字を起こしていたかな… と考えた。
dl もしていなかったような気がする。

「偽装者」「琅琊榜」「大好時光」…
連続して公開のドラマが大ヒットして、
誰が一番好きかと、胡歌、訊かれていた。

まだ、視帝と言われてはおらず、
当然、梅長蘇の名を上げて、
自分自身の経歴や心情との共通点も語る。

霍建華CP話題もたけなわだった頃。

この頃は、まだかなり元気で、
さほどの迷いもなさそうに見えたが、

各種賞レースの頂点に立って、
親しい友人達が次々結婚していく頃、
胡歌は、アメリカ留学に出たのだった。

采访の雑誌には、「逃亡」とあった。
… 逃げたのだと言っている。

やっぱり、考え過ぎなのか。
”迷茫“ … と言う言葉を良く聴く。
( 「金星采访」でも、言ってはいたのだ。)

しかし、”周泽农“ を見ていると、
選択は正しかったのか… と言う気もする。

”心“ を伝える… 眼差しが、あまりにも違うし、
あまりにも美しい。

見るたび感嘆しないではいられない。



^ ^

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12月05日

起床時刻:05時30分

雨の日、寒い朝、…さすがに走らない。

雨の中、柚子がたわわに実をつけているので、
また一つ二つ、もいで帰る。

瞑想… やっぱり、胡思乱想。

胡歌はよく、迷茫・・と言う言葉を使う。

道に迷い、考えこみ、佇み、立ち止まる。
胡歌ほどの人にして、
限りなく後ろ向きに見え、悲しくも思えるが、
これは、胡歌の最も美しい部分の一つでもある。

胡歌の、明朗、優雅な、美しさのなかには、
鎮魂の・・悲痛な思いと、
世界を見る目の肯定、限りない優しさがある。

その優しさで、彼は迷う。
しかし、胡歌の表現する心は、深く美しい。

今日の微博に、ELLE2015.11月号 独白。
映像は、多分、繁花の阿宝。

 我一直觉得自己是个幸运的人
 那么大的车祸
 我能活下来
 还能回来演戏
 那么多好的演员
 我能得到好的机会
 一定是我爸妈上辈子替我积了许多德

いつも自分は幸運な人間だと思っている。
あれほどの事故にも生き延び、
演技者として戻ることができた
世の中には多くの良い俳優がいるが
自分は良いチャンスに恵まれている
きっと両親が前世で積んでくれた功徳のおかげ

…「天外飛仙」の台詞を思い出す。
観音菩薩が現れて悟す、天女との奇しき縁。
前世で積んだ両親の功徳による幸運ですよ、
と… ちょっと言い方が似ている。

しかし、董永、… 幸運、幸福なのか?
人生は無常で、
見るたび、泣くのだけど…

2019.5月采访では、
30才までの自分に感謝していると言っていた。
それまでの人気が、恵まれた選択肢をくれたと。

どちらも、自分の幸運について、
ほとんど他人事のような謙虚さを示す。

だから、時がたつにつれて、
胡歌は益々、はかなげにも見えるけれども、

しかし、大丈夫、
世界に彼はやさしく、
だから、世界は彼にやさしいのだと思う。



^^

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12月06日

起床時刻:06時00分

良い天気だが寒い。起きるに物憂し。

手が氷のように冷たくて、
冷たさが眠気を誘うようだ。

胡歌について、琅琊榜のあとの、
データを整理してみる。忘れてしまうので。

2015年、琅琊榜ビッグヒットのあと、
一連のドラマ制作で、猎场も年末までには撮影終了、
年が明けて、各奨の頂点に立つ。

これが過ぎると、胡歌はドラマを撮らなくなった。
雑誌の采訪で、そのあたりの事情を吐露している。

ドラマではないが、仕事をしなかったわけではなく、
ブランド代言でクオリティの高い露出が多くなり、
イメージは梅長蘇の優雅に起因するのだと思うが、
采訪の、地の胡歌は、
更にエレガント、瀟洒で、洗練の度が加わっていく。

私が「琅琊榜」を初めて見たのは、2017.5月。
主に過去作品、采訪を渉猟するのに忙しかった。
2017年秋口から「猎场」公開。
これは、早朝にリアルタイムで見ていた。

2018.5月 朗読者第二期・胡歌ハムレット独白。

この頃から「南方」撮影が開始になったようだ。
9月20日頃に撮影終了。

2018年末の金馬奖に出席、Piaget協賛だったが、
2018.9月Piagetイベントの周泽农のイメージはなく、
漆黒のタキシード姿は、どこか愛らしく麗しかった。

2018金馬は、あいにく物議をかもして、早々に退場、
翌年からの参加出席はなくなった。

2019.5月には、「时兴NEArt」があって、
「ゲームオブスローンズ」撮影地ベルファーストの、
荒涼、黄金の腕、異形の懊悩が、胸にささった。

同じ月に、カンヌ紅毯に登壇することになって、
年末の「南方车站的聚会」公開まで、
各種路演もあり、休みなしに胡歌・活動が続いた。

11.11の双猫前夜祭イベントにもゴージャスに登場。
2019.11月金鸡奖には、
南方メンバーも招待出席して、華やかだったが、
今年は規定が変更になって
「南方车站的聚会」は選考からはずれてしまった。

運がないと言うのは、金馬、金鸡か… とも思うが、
胡歌にとっては、ひょっとすると、今は、
奖に遠い方がいいのかもしれないという気もする。

むしろ、静かに、「繁花」待機・・と言うことで。



^^

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12月07日(月)

起床時刻:06時30分

今朝も良い天気だが寒い。
きちんと眠っているが、朝の寒さがこたえる。

胡歌データ続き。書き残しありにつき・・
 ( まだまだ、・・あることはある。)
2016年アメリカ行き、
しかし、賞イベント他多数露出も多い。
2017.秋には、
「猎场」番組宣伝で、「快楽大本営」他にも出演。
胡歌奮闘ぶりは、傑作、出色で、
本編以上に楽しかったかもしれないなどと思う。

舞台劇「如夢之夢」にも毎年出演している。

つまり、消失とか、仕事をしない・・と言いつつ、
胡歌は、実のところ、ずっと仕事を続けている。
振舞いの可愛らしさで、”三歳児”などと言われるが、
冷静沈着、誠実で大人、責任感の強い人ではある。

「如夢」は通しで8時間の舞台劇で、
チケットを取るのも大変らしい。
しかし、幸運にも、胡歌「五号之歌」がアップされ、
・・ 聴いて、心底驚いた。

胸を絞るような表現の絶妙。
「琅琊榜」陣営が役を決定するにあたり、
このステージを見たのだと訊いたが、

梅長蘇の、儚さ、美しさを、彷彿とさせる。

長蘇は、死を目前にして、毅然として立つ英雄だが、
心は、はかなくも脆い、傷心の想いを抱いている。

“五号病人”が、こんな風だとは思いもよらなかった。

思いもよらない表現・・を、胡歌は、いつも幻出する。
こんなことがあるのかと、息をのむ瞬間を与える。

たとえば、最近では、
「南方車站的聚會」・・これも、見るたび感嘆する。

胡歌の美しさと、
映画そのものの美しさにも目が覚める思いがする。
そういう作品なのだと、最近は深く納得している。
その眼差し、思いの深さが胸に沁みる。

胡歌の古装が好きなのだが、
それは、その心底、魂の高貴さに打たれるからだ。
意図するとせざるとにかかわらず、
古装表現には、高貴さの過程を経る部分がある。

現代劇は、ちょっと違う気がしていた。
多分、存在意識の違い、平常感覚の違い。
日常を基調とする人間に、特段の高貴さは必要ないのだと、
そんな風に思っていた。

しかし、周泽农は、普通・・ではなくて、
あの眼差しの、深い沈痛、哀切が、

特別な照射力をもって、人の心を射抜く。
そんな風… なのだと思える。



^^

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12月08日(火)

起床時刻:06時30分

きちんと眠るようになると、早起きがしんどい。
師走の日々です。

今日は英語レッスンに出てみる。
「鵞鳥湖の夜」について話すつもりだったが、
違う方向にそれた。残念。次回ね。

「鵞鳥湖の夜」については、
ミニシアター上映扱いではあったものの、
刁亦男作品としての評判がマニアックに良くて、
作品評コメント公開がいろいろと続いている。

胡歌については、”誰に似ている” 発言が多く、
きちんと受容されていない感覚が強く、
じれったい、と言えばじれったい。

胡歌の優艶さと、威厳を、
どうしてあのような表現なのかを、

「鵞鳥湖の夜」を見る人に知らしめたい気分が、
つい沸々・・
まあ、余計な事だとは思うのだが。

映画討論の一つを YouTubeで 覗いてみた。
いろいろ見当はずれなことも言ってるが、
まともな意見もあり、興味深い。

今回の刁亦男作品としては、
桂綸鎂のファムファタル観点は違うのじゃないか、
・・と言うのは的確。

むしろ、”周泽农”が、ファムファタル的だと、
珍しい観点で、感心する。
きちんと見る人がいないわけでもないのだね。

「南方車站的聚會」での、
今回の胡歌の、圧倒的な演技は、
作品の質感にきれいに嵌りこんでいて、
とてもとても、さりげなく見えるのだ。

あまりにきれいに嵌るので、最初は、私も、
全く気がつかず、残念だとばかり思っていた。

作品自体の二律背反的な構造のすべて、
俗悪なものをこよなく美しく見せる映像のトリック。

悲哀と滑稽、野蛮と優雅、生と死のせめぎあい
その限りない切なさが浮かび上がってくる、
そういう映画の手法ではあって、

何度も繰り返し見るうちに、
そういう、心に深く沁みこんでくる思いが、

ちょっと違うよ・・と、そんな風に囁く。



^^

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12月09日(水)

起床時刻:06時00分

寒い日。曇り空で、太陽の暖かさのない日。

垣根に咲いているのは山茶花、
薔薇のように見える花なのだけどね。

最近見ている、胡歌・・の眼、

”阿宝”かと思うビジュアルが時々現れる。
憂いのない眼差し、少年の無垢だなと思う。
宝石のような眼だ。
十年以上前の素のビジュアルに似ている。

“周泽农”の、憂いの深さを比べると、
印象の違いがあまりにも大きくて、
・・ついつい、またしても、飽かず眺め暮す。

実際の、以前のビジュアルとは、
似ているが同じでなく、どこか成熟の面影がある。
多分、そのように扮装した少年の顔。

「猎场」や「偽装者」で演じていた、
青年前期の顔・・とも、だいぶ違うなと思う。

どこが、どうして、こんな風に違うのかな・・と、
演技者としての、
人間存在の分析、理解の深度を忖度する。

すぐれた演技者は、
哲学者であり、すぐれた精神分析者でもあると言う。

綺麗だな・・と、見惚れているだけ、
・・と言うのも、単純な事実ではあるのですけど。

・・周泽农については、
梅長蘇の憂い・・も魅力的だが、それともかなり違う。

周泽农の憂いは、先行きのない、行き止まり、
誰に共感を求めることもなく、
光明もなく、安寧もないが、
虚無の闇にいて、死と引き換えの愛を抱き続ける。

ただ、ひたすら、悲しみが深い。


^^

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12月10日(木)

起床時刻:06時30分

小雨・・ 寒い寒い日。

語学を最近頑張っていて、
多言語を聴きなおしている。
忘れてしまった言語が、記憶によみがえる。

胡歌については、まだまだ考えこんでいて、
それにしても、なんて綺麗なんだ・・と思う胡歌。

時々変顔をしてみせるのは、綺麗だとばかり言われたくないのだろうし、
確かに、監督の刁亦男をも驚かせたように、
全く違う顔を見せることもできるが、

采訪主事人が言うように、
”非常的好看”・・なのは確かで。
意識していなかったが、名前も綺麗だ。

しばしば、両性具有的美しさを標榜することもあって
女性にもない、超絶的な艶麗さを見せる。

悲劇の英雄 “梅長蘇” は、その中の一人で、
胡歌は、彼を一面の女性として演じたに違いない。

声を低めに抑えたのは英雄としての一面を残すため、
また、時々、しぼるようにかすれ気味なのは、
病の重さを示すためだろうと思われる。細心精緻。

悪の一面をみせる「軒轅」の “宇文拓” が、
かえって高めの声を保つのも、両面性の表現と思う。
特に、主題歌「一吻天荒」の声の高さが、
特に、その「啊」音の高さが、ひどく陶酔的なのも、
そのあたりの事情を語る気がする。

両性具有的な美しさ・・と言えば、
かつて、ジュリーもそういう極端な一例だったが、

映画の「アラビアのロレンス」に現れる
ピーター・オトゥールも、多分そういう例の一人。

あの特異な演技スタイルについては、
意識して、”女性” を演じたのだと言う人もいる。

“女性的”に、と言うより、
“女性”の、
多分、より本質的、トラウマティック、
根源的な、精神の深みに到る、捉えがたい何か。

そうでなければ、あの血みどろの絶望に失墜する、
純白の潔癖を希求した英雄の心がわからない。

ギリシャ悲劇的な、
神々の呪いと、祝福の禍々しさ。美しさだ。

ついでに、

もう一つ、面白いなと思うのは、
「ゲーム・オブ・スローンズ」のデナーリス。

デナーリスを演じたエミリア・クラークは、
映画「アラビアのロレンス」の
オトゥール演技を参考にするよう言われたのだとか。

そう言えば、デナーリスも、
もう一人の「ロレンス」ではあるのだと気がつく。

抑圧された、か弱い乙女が、蛮族の女王となり、
彼らを率いて戦場に赴く。

あの圧倒的な戦闘シーンが、
どこか「ロレンス」アカバ侵攻を思わせたのは、
偶然ではなかったのかと思う。

デナーリスの葛藤、陶酔と失墜、
彼女は意識しないが、代行してジョン・スノウが、
絶望の思いでデナーリスに対峙する。

あの終局には、かなり落ちこんでしまったのだが、
そんなふうに思うと

それはそれで良かったのかと、慰められる気がする。



^^

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12月11日(金)

起床時刻:06時30分

寒さつのる。走っても寒い。
ま、たいして走っていないのだが・・

「琅琊榜」ドラマチックな梅長蘇を考えてみる。
「ロレンス」との類似・・と言うと、
一つには、デラア・トラウマのシークエンス。

梅長蘇の、懸鏡司における夏江対峙。

尊大峻厳で、策に長けた懸鏡司の夏江(Xiàjiāng) …
尋問では、長蘇にすっかり翻弄されるが、
これが、初手には長蘇にひどく甘いのだ。

二日後の対面で「これほど弱弱しい」 と言う言葉の、
「これほど」・・と言うのは、何に由来するのだろう。
不審である。

侮れない相手だとわかっていたはずだし、
捕縛時の長蘇の、恐れ気のない態度は、
言うほど弱くは見えなかった。
寒さにめげた・・のか。

なんにしても、懸鏡司に二日いて
長蘇が、情緒に安定を欠いているのは見える。

夏江は余裕で、大人の対応。
地獄、魑魅魍魎の巣窟・・と罵られ、
茶がまずい・・と言って、
無礼千万な態度に出られても、
笑って許容しているのは、夏江らしくない寛大。

しかし、長蘇の繊弱を侮っているうちに、
のっぴきならない陥穽にはまりこんで、
終局、夏江は、破滅することになる。

長蘇の、傍若無人、
ファム・ファタルぶりが、
明明白白で、鮮やかな対応が、妖しく美しい。

夏江の、長蘇に懸想したらしいと、
見ているとわかるが、その呆然とした眼が、
打ちのめされて、
憎しみと、殺意の激しさに転換する、

わかりやすい夏江情痴の展開で、
こういう見え方も、面白い。



^^

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12月12日

起床時刻:06時30分

空気の、なんとも冷たい日だ。
この寒さがいいんだよ… と言ってみたい。

ところで、
ドラマティック「琅琊榜」続きです。
いいのかな… と思わないでもないが、

「ロレンス」を演じた時のピーターは、
金髪、宝石のような美しい青い眼が印象的。
勇壮な英雄、189センチの長身。
白衣を翻す陶酔の人。

胡歌の185センチは、
繊細な人なので、感覚が微妙だが、
どうしたって比較してしまう、梅長蘇の美しさ。

トラウマになったデラア表現にも
当然、制限はあったのだが、
牢内の暴力沙汰は欧米などでは常識的な懸念が
今やドラマなどではあからさまに描かれている。

「ショーシャンクの空…」でさえ、
主人公は最初レイプされ続ける。
溢れる残酷は、どこでも同じじゃないのかな。

紅衛兵事案吹き荒れた頃などの実録を見れば、
ごく普通の人でさえ、
どれほど常軌を逸した残酷な行為に走ったか
残念ながら、克明に記録されている。

出会いの時の夏江の表情、魅せられたような眼。
懸鏡司が残酷な場所だと言うのは周知のことで、
夏江は敵国の公主にも手を出している人物だ。

策略に長け密かな勢力を持つ璇璣公主を
自家薬籠中の物としたように、
第二の公主にできると思ったのかもしれない。

長蘇はさすがに、
そこまで予期していたかどうかはわからないが、
尋問の場に現れた時の様子には、
何処となく、ショック症状を示す風情が見える。
歩き方がぎこちなく、
( まあ、これは病弱のせいで時々そうなのだが )
最初、夏江を直視せず、眼をそらす。
「力でかなわないのは、わかっていますよ」 と応答。
手をとられて崩落する、自明、自嘲的な反応も苦い。

対応が破綻して、
妖気を発するほどに相手を翻弄するのは、
燃える瞋恚が心に潜むからだろう。
言動のはしばしに、被虐者の怒りが垣間見える。

天牢の謝玉に対しては、
同様に遠慮会釈はなかったものの、
男性的、端正な対座、大人の威厳を示している。
夏江に対するものとは、かなり違うのが、絶妙。

また、救い出され、寝台で血を吐く長蘇は、
いかにも儚く、美しい。
就寝中、胸元にかかる甄平の手を、
反射的、とっさに拒否するのは、
恐怖と悪夢に対する拒絶反応なのが自明。

収監された天牢に、囚われた夏江を訪れる長蘇。
終局を示す、凍りつくような冷たさ、
憎しみを含む口調。

湖上での酷薄でさえ笑みを含んでいた人の、
その表情に、ここでは、そのかけらもない。

デラアでのトラウマをかかえて、
血みどろの殺戮に至るロレンスの狂気を思う。

神々の、…アルテミスの、狂気、怒り。
… のようなもの。

深層の心理は、神々の神話に似ている。


^ ^

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12月13日

起床時刻:05時00分

今朝は、早朝の太陽が輝かしい。
凄い光景で、
太陽は日の出を見るべきだとつくづくと思う。

昨日は英語2コマレッスン初めての講師に会う。
帰宅後疲れて、早々に寝てしまったので、
早起きである。

13日は、南京事件について、微博が注意喚起。
胡歌も「四十九日祭」の出演で関連がある。

映画バージョンの「金陵十三钗」は、
今更だけれども「紅楼夢・金陵十二钗」に因む。

なぜ紅楼夢、かと言えば、
“金陵”だし、”十三人”いたからだろうが、
「琅琊榜」も…“金陵”でした。
つい感慨がおこる。

ドラマや、映画作品には、ふくみがある。
あからさまに描かないが、微細なディテイル。
刁亦男も詩で言うように、
それは、あからさまに言うべきことでもなく、
教えられることでもなく、
ただそこにあるだけ…だったりする事も多い。

胡歌の演技にも、ふくみがあり、精彩。
自身も言うように、優れた、心を引く演技者は多い。

でも、胡歌が演技に入り、眼差しを向けると、
それは得も言われぬ、艶麗、絶妙。

軽やかに飛び来たって、
一瞬で心をとらえる。
魂の真相を暴き、深層に深く入りこむ。

これはなんだろうかと、深読みをさせる。
見過ごしてしまいそうなほど、
さりげないが、
唇の端が動き、瞼が一瞬あがるだけで、
変幻する心が鮮やかに浮き上がる。

本人は飄々として、调皮Tiáopíに笑うが、
不思議な現象だな…といつも思う。

ひとつひとつにひっかかっている。
気になってならない。



^^

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12月14日(月)

起床時刻:07時10分

ついうっかり、二度寝・・ 三度寝。
あんまり寒くて、ふと窓を見ると、すでに明るい。

慌てて、お日さまにお目にかかりに行く。
うん、とても輝かしい。

でも、多言語ラジオ視聴を失敗した。
気をつけましょう。

白洲正子「両性具有の美」を読みかえしている。

次郎も破天荒で好きだが、正子の美意識は格別。
武相荘に行ってみたいと思う。

冒頭に記述される
バージニア・ウルフの「オルランド」、
映画主演のティルダ・スウィントンは、
「コンスタンティン」のガブリエルなど
ゴージャスな美貌は、天使そのものだと思うが、
この時、正子には「ぎすぎす」と見えたらしい。
ちょっと気の毒である。

バルザック「セラフィタ」についても言及がある。

「セラフィタ」という人物、彼は、
女には、毅然とした男性の「セラフィトス」として、
男には、優婉な女性 「セラフィタ」と見える人で、
光をまとうもの、天使の眷属であるものであり、
人間としての愛の不可能、深い憂いの中にいる。

その神性について、たとえば、

少女のように可憐で一種悲しげな表情の、
ルオーの描く、美しいキリストの油絵の類推。

キリストもまた、両性具有者の一人だと、
そのように解釈する人もいる。

セラフィタについて、
 その悲しみが彼の透き通った美しさに
 えもいわれぬ優しさと静けさを与えており、
 男女を問わず人を魅了するのである。

・・と言う、その表現が、
どうもね、長蘇の佇まいを連想させてやまない。



^^

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12月15日(火)

起床時刻:05時30分

けっこう早く目覚める。
性懲りも無く、音源をつけたままで眠る。
慣れたらしく、
せっかくの音源の記憶がないのだが、
目覚めて、声がして、
聴き取れていない言葉があって、
ガバ…と起き上がって
YouTubeで確認したりする。

実を言うと、
「風中奇縁」の胡歌歌唱「好好过」が、
歌詞不明のままで、初期には難しくて、
手がつかなかったのだが、

最近スマホの待ち受けは、…「九爺」で、
彼の静かな、悲しげな佇まいが気になって、

実を言うと、ドラマはどうでもいいのだが、
( ごめん…としか言えない。 )

九爺の “ 愛の不可能” が気になる。
あんまり悲し過ぎて…

で、つい、
繰り返しが多いのに、
思いつくままに歌詞を書き出してみた。

早已过了玉锦繁华的时节
任凭那 满院红花落 
尽管不舍我们曾有的悸动
终究没能够 支撑到最后
就别再藕断丝连就别再回头
熟悉的画面 只会更难受
我孤身留在一个安静的角落
独立去承受 当时的选择
即使有错
*
就让我们彼此都可以好好过
那些曾经的美好留在心中
那时的分开 已经是故事的最终
再留恋只是徒劳和蹉跎
就让我们彼此都可以好好过
时间会愈合了现在的寂寞  
再见面也许在不经意多年以后
能笑着说彼此过着的生活
**
听说你还继续打听我的下落
何必让遗憾放肆再重播
转身去你还有更远的路要走
别让这一段 绑住你的梦 
你的天空 
  
* 〜 ** 繰返し
放了所有 别再执着 

* 〜 ** 繰返し  
再见面也许在不经意多年以后
能笑着说彼此过着的生活

玉锦の花の盛りは過ぎ、
中庭には紅の花が満ちる。
お互い抱いていた想いの切なさも
ついには潰えた。
未練は振り切って、振り返らないこと
思い出はただ悲しいだけ
私は一人静かに片隅に佇む
あの時の選択を悔いはしない
間違っていたとしても
それぞれが幸福に過ごせるよう
あの頃の美しい思い出は心に留めよう
思いを残すのは甲斐なく果敢ない
だからそれぞれ幸福に過ごそう
時が経てばこの寂しさも癒えるるだろう
多分何年も経ってまた会えれば
笑顔でこれまでの事を話し合えるだろう
どこに住んでいるのかと貴方が訊く
何故また苦しみを繰り返すのだろう
振り返れば貴方は更に遠く行ってしまう
こんな風に貴方に縋ってはいけない
貴方の夢に、貴方のいる彼方に
それぞれで幸せに過ごしていこう
美しい思い出は心に留めておこう
あの別れは既に終わったこと
懐かしんでも甲斐なく無駄なだけ
我々はそれぞれ幸福に過ごそう
時が過ぎればこの寂しさも癒える
何年も過ぎてまた会うことがあれば
笑顔でそれまでのことを話そう
やめよう、もう執着してはならない
それぞれが幸福に過ごしていくのだ
美しい思い出は心におさめて
あの時の別れはもう時の彼方の物語
懐かしんでも甲斐なく悲しいだけ
幸福に過ごそう
時が今の寂しさを消してくれるだろう
何年も経ったらまた会おう
笑顔であれこれの話をしよう
何年も経ったらまた会おう
笑顔であれこれの話をしよう



^ ^

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12月16日(水)

起床時刻:07時15分

夜更かししてしまい、ゆっくりの起床。
まあ、大丈夫。それなりルーティンはこなす。

あれこれ考えつつ、
今日は漢語レッスンを2コマ。

突然、映画の感想に話題が向かって、
同学は「鬼殺・・」を見たのだそうで、感想。

私も少しは見ないでもないのだが、
アマプラでテレビ枠放映版の1,2くらいで終了。
どのあたりが、感動の焦点なのか・・
ちょっと聞いてみた。

私の場合は、
前々から、胡歌胡歌・・と騒いでいるもので、
今回、老師は面白がってくれていて、
「南方車站的聚會」を紹介しなさいと・・

言われて実のところ、困った。
客観的に内容を紹介するための語彙が、
完璧欠落している・・

この映画の存在を全然知らない人に
私がとても感動していると言っても、
何が、どうして、なぜなのか・・なんて
わからないのは自明。

妙なことを言って、誤解されても困る。
どのあたりを、
どんな風に言いたい・・

そういう思い入れはあるし、

あ、いかんわ・・と、初めて思った。

英語や仏語などでも、
内容まで聞かれはしなかったので、油断。

これを説明するほどの語学能力はない。
ほんとに、まずいと思った一日。

反省・・しきり。

所以没有下次了吗?



^^

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12月17日(木)

起床時刻:06時20分

凍えるほど寒い日。零下になるらしい夜です。
なんとか足元をぬくめて作業中。

「琅琊榜」の胡歌・梅長蘇が、
英雄であって、まことに優婉であったように、

中国には、児女英雄・・の伝統、概念がある。
児女の優艶をもって、かつ英雄であるもの。

それは「児女英雄伝」の話の前振りの段章に書いてあったことで、
「紅楼夢」の宝玉も、その一人だと言う記述だった。
子供の頃に読んで、あいにく心に沁みこんでいる。

宝玉・・その人の造型についても、
彼はなぜ、あんな風なのかな・・という不思議さはあった。

・・女は水でできた身体で、男は泥から、
と、宝玉は言うのだが、誰も思いつかない言葉だ。
しかも、封建時代のまっただ中で。
誰からも羨まれる貴公子の身で、そう言うのだ。

確かに、「紅楼夢」中の男性陣は、
ほとんどが、ろくでなし・・に見えるのだが、
では、女性は・・と言うと、
必ずしもすべてではなくて、
その美しさが際立つのは、年少の少女たちなのだが、
しかし、それにしても、
その心情の描き方は、かなり精彩微妙で、
風に吹き散らされる木の葉か、花のように、
運命の非情、人生の儚さに翻弄されていく。

宝玉の遁世は、「太虚幻境」に帰る、
という枠組みがある。
もともと宝玉は、幻境の存在なので。

通霊宝玉が女禍関連の霊石の化身で、
傍観者・・であることを望んだように、
宝玉自身も
現世に対して、特に何を働きかけることはない。

聡明だが、柔情、
官僚制の窮屈な価値観に徹底的に反抗的だが、
家族、社会の、がんじ搦めのしがらみの中で、
それを打破すべきだと行動するわけではない。
ただ時の流れのまま、
失意のまま、終局的には世を捨てる。

失意は、作者自身の心境でもあるかとは思うが、
幼い頃の栄華、美麗そのものの思い出を、
そのまま捨てるに忍びなかったのか、
筆致は、あまりにも細緻だ。

物語の時の流れは、
儚いが、いかにも優婉で美しい。

ただもう、その美しさが、すべてで、
すべての悲しみや苦しみは、
その美で、英雄的にも相殺されるものと、
そんな風に考えてもいいのだろうか。


^^

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12月18日(金)

起床時刻:06時00分

朝6時7時を過ぎても、零下の温度が続く。
あたふたとして、朝のルーティン。

瞑想は30日を連日で超過。
朝のランニングとセットで、心身の活性化に貢献中。
良い習慣だが、
早朝の寒さが、例年こんなに身に堪えたかな。

去年は確か、5時頃には起きていた。
自宅がこれほど寒い・・としても。

目覚めて聴いている「琅琊榜」音声は、
一語一語・・
実のところ、きちんと理解できいないなと痛感。

胡歌については、当然、私として基本形は、
「琅琊榜」だが、過去作品もできる限り跋渉した。

初期の胡歌、
とりわけ、李逍遥、董永、郭靖・・の頃の胡歌には、
眼差しに、人を恋うる思いの一途さが見え、
そのあどけなさ、純粋さが、切々として胸に迫る。

仙剣三・景天の頃からは、それが少し影を潜める。
恋の想いより、鎮魂・・の切実さが現れる気がする。

胡歌は、心底暖かく、やさしい人だ。
しかし、そのやさしさの中に、
悲しみ・・と言ってしまうと簡単だが、
深く胸に沈む思いの静かさ、諦め・・にも似た、
世界の一切を許容するような、
或いは、拒絶するような、
揺蕩いに満ちた、表情の冷たい美しさを示す。

それが、一種独特な、
胡歌特有の優雅さでもあるのだが、

最近の胡歌は、なぜか、昔の胡歌の面影が濃い。
飾らない素地の風合い、
可愛い少年風。つまり、李逍遥・・っぽい。
梅長蘇っぽい、・・とも言える。

今現在の映像なのか、以前のものなのか、
判別つきかねて、

やっぱり、神秘人・・なのだねと思う。
( Shénmì rén )




^^

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12月19日

起床時刻:06時00分

良い天気だが、やっぱり引き続き寒い日だ。

仏語のレベルをあげて、
レッスンの予約をしているので、
最近不調なのだけれども、頑張ってみている。

・・のだが、やっぱり不調で、かなり落ちこむ。

と言うところで、胡歌の百変について、
胡歌には多分最も似合っていた扮装の李逍遥以来、

変転に変転を重ねて、
胡歌は胡歌・・なのだけれども、
一つとして、同じ印象だったことがないのだが、

それにしても、
美しい変転・・ではあって、
今年9月、三国志ゲームライブに出演した時などは、
紳士的で、大人びているが、若々しい清新さで、
自然体のさらっとした雰囲気もとても良かったのだ。

それが、昨今、10月くらいからなのだろうか、
判別しかねる・・と言うのは、
確信ではないので、不明ではあるのだが、
多分、阿宝・・かな、と思う映像が、
20代前半頃の胡歌のイメージに重なるのが、驚倒的。

いや、だって、あの雰囲気には戻らないだろうと、
勝手に思っていたので。

神秘人・・というのは、
時々、胡歌自身に使われることもあるけれども、
元来は「蒲公英」胡歌・程灏の呼称。

事故にあって記憶を失い、神秘人と呼ばれる。

前途有望、清新な程灏(Chéng hào)、
初恋の人と結婚し、早々に子供にも恵まれる。
(22才にして既に6才の子の父親役・・
 可憐な風貌なのに、なぜか板についている。
 さすがである。)

遠隔の地での恋人と家族との相克に引き裂かれる。
幸福に推移するはずの愛が、複雑に絡みつく。

胡歌の不思議は、
作品を追っていくと、
それぞれがそれぞれの意志で、
関係していくように見えるあたりにもある。

まるで予見していたような作品だなと思う。
ただの偶然だにしても。

しかし、多分、なろうと思えば、何にでも
なれるのでしょうね。

美女にだって、簡単になれてしまうのだし。
ともあれ、「繁花」に期待!



^^

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12月20日

起床時刻:06時00分

早朝、駅に向かう途中で、可愛い猫たちに遭遇した。

外猫なのだけど、良くなつく子たちで、
可愛いんですよ・・とのことで、
素敵なフェンスの邸宅の奥さまと話までした。

幸先よし。

仏語レッスンを早朝で2時間。

俳優の責任とは何か? と訊かれた。
偶々出た会話だが、ちょうどいいので、
少しコメント。

J'ai un acteur préféré.
L'acteur ressemble à un philosophe,
Il a une compréhension profonde des sentiments du personnage.
La performance est très impressionnante.

私にはとても好きな俳優がいる、
俳優とは一種哲学者のようなもので、
人間を考察し、その魂の奥深くに入りこむ。
キャラクターの心理、感情を理解し、表現する。
見る者の心に深く感銘を与える。

でも、多分、
胡歌の表現は、それ以上に何かを喚起する。

無意識の領域に入りこんで、
意識化されていなかった、様々な思い、
保留にしてきた、もろもろの懸念事項を、
つぎつぎ引きずり出して、明るみに曝す。

眠っている心が、少し覚醒するように、
花が開くような、悦びの思いが溢れる。

人の心の奥に眠るものが、
相呼応して、呼びかけに応えるのだろう。

唯一無二だからね。



^^

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12月21日(月)

起床時刻:07時00分

あまりにも寒いので、早起きをしない。

冬至なので、中国の習慣で、餃子を食べてみる。
寒さで赤くなった耳が改善、身体に良いそうだ。
形が似ていて、"嬌耳" ・・と言うのだとか。

南瓜と小豆粥も。昨日から弱火で煮こんである。
物ぐさな私には珍しいが、寒さにちょうど良い。

このところ元気で多言語を復習している。
思い出すと、それなりに面白いので、
現在勉強中の言語が少しおろそかになりがち。

今日は古い雑誌を引っ張り出して
四声、記憶力もあやしい・・ので、ピンインの練習。
ラジオの講座を聴くと、
モデルリーディングの声がとてもイケメン。
経歴を見ると俳優さんで、様々なお仕事に従事。

胡歌も記録片など朗読の仕事を時々しているが、
それにつけても、
胡歌のような存在は、ほんとに稀有なのだなと、
あらためて思う。

最近、微博の登録ができて、
(電話番号の最初の「0」を入れない・・、
 検索すると解答があったのに気がついた。)

見ていると、今日は胡歌ビデオが山ほど出ている。
「南方車站的聚會」も一周年記念にはなったし、
きれいな合成MVも数多い。
「偽装者」の人気が高いのも知れる。

「香格里拉」で共演していた扎西顿珠が
公開番組で胡歌について話しているのも面白い。

基本的には、以前の采訪同席の内容と同じだが、
ところどころに二人の映像と逸話が入る。
胡歌の冗談に客席が笑う。

いつも胡歌は、丁寧に自己紹介から始める。
・・我是胡歌
頓珠は挨拶されて、内心思ったのだって。
・・誰不知道你是胡歌呢
(あなたが胡歌だって知らない人いないじゃん。)

采訪を見るたび、このご挨拶を聴くので、
同じ感想を持つ人も多いのをと思うと、
ちょっと可笑しい。



^^

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12月22日(火)

起床時刻:07時00分

遅く起きるのに慣れると、睡眠も慣れるらしい。
気がつくと、朝寝・・

あまりに寒いので、温度計を買い直した。
室温は、さすがに零下・・ではない、
ので、少し安心する。
手は凍っているにしても、対策は変えられる。

胡歌については、
例によって、アナログ録音の声がBGM。
主に「琅琊榜」なのだが、
姿に気を取られるビジュアルと違って、
声に特化していると、
その声の表現の繊細さに、いちいち囚われる。

時間をはかるのに、
闹钟(通知の音)は、胡歌「一吻天荒」を使う。

10分ごと、1時間ごと、区切りごとに流す。
アナログだから残念な音質なのだが、
そのたび手を止めて、歌声をなぞる。
コーラス部分を確認する。

胡歌は、
ため息、吐息、かすかな息づかいが
とりわけて、艶めかしい。
息づかいの切なさが・・ 絶品。

高く張る、長い発声も陶酔を誘う。

昔、ジュリー「サムライ」の歌声の、
長く伸びる「あ」の声が、
誰もまねのできない陶酔の声だと言われた。
その印象に似ている。

美声の人も、多分多いのだけれども、
映像と一緒に見ていた時には気がつかなかったが、
声だけになった時に、
実は本当にびっくりしたのだ。

いまだにびっくりし続けていて、
当該のパートに到る時には特に気をつけている。

2018年「南方・・」杀青後の秋の撮影、
NeArt、七夕の詩、五号之歌・・
この情趣も、
声、姿・・ともに、溺れさせる感慨が深い。

そのあたりの映像では、
演出がとりわけ、
胡歌の特性を良く理解し、把握していて、
表現の融合するあたりが
眩しくも目覚ましいように思う。

それは耽美・・と言っていいのだろうかと、
考えこんでしまうような現象で、

深く深く胸に沈みこむ・・何か、なのだ。



^^

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12月23日(水)

起床時刻:06時00分

昨日の夜から明け方にかけて、体調悪し。

語学は、ドタキャンか、と思っていたのだが、
持ち直したので出席する。気楽に!

いつもの漢語と、
英語は、もう2,3年ほどご無沙汰の講師だが、
とても良い人である。私も口舌良し。なぜかな。
元気になってしまった。

山崎勉「俳優のノート」を読む。
いろいろと興味深い。
ジュディ・デンチへの言及もいいなと思う。

「リア王」を演じるにあたって詳しい分析があり、
毛嫌いしていたが、「リア王」を再読してみる。

あのシチュエーションが嫌いだったのだが、

今頃になって
人間の救いがたい愚かさ、
高貴さと醜さの混在、人の軋轢の解きがたい縺れ、
嘆きの空しさ、不条理と非情、
などなどの、ことばの一つ一つが胸にこたえる。

何かの雑誌で読んだのだが、
無名だった頃のピーター・オトゥールが
エドマンドを演じて、複雑な美しさが評判だったそうだ。

悪と善とのはざまに相克する人間の表情の美・・なのか、
そういう演じ方もいいなと思う。



^^

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12月24日(木)

起床時刻:06時00分

早朝は寒く、今日は曇り空で、一日じゅう寒い。
起きてすぐに、門外に出て走る。

朝の太陽、
沐浴、整頓、礼拝、短い瞑想・・
それが、心身を整えてくれる気がする。

やり過ぎは禁物です。
多言語も・・ ちょっとかな、
と言う気がしないでもない。時が過ぎる。

塩野七生「フィレンツェ」を買う。
・・散財するなよ、と思う。
面白かったけれども、
貧乏なのよ。

でも、装丁がすごい。
文庫本なのに、美麗写真集つき!




^^

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12月25日(金)

起床時刻:06時00分

クリスマスである。良い天気でさほど寒くはない。
元気に、走りから始める。

堺雅人の2009年版エッセイも読む。
とりとめないのね。「真田丸」や「大奥」はまだだ。
写真がところどころ胡歌に似ている。
前髪でかわいい。

彼は実力で、だんだんと頭角を現した人。

胡歌は、2010年「神話」の頃から、
前髪を上げて、いろいろなスタイルを見せるようになったが、
前髪があると、やはり若々しく、初々しくなるもの。

胡歌は、デビューの時から爆紅(Bàohóng) だった。
その人気が更に高くなったのは、その美貌と可憐、
なにより、演技者としての姿勢の真摯、誠実な人柄にもよる。

今年、なぜ胡歌は「紅」じゃないのか…
と言うコメントを、ちょっと見た。
確かに、胡歌がノミネイトされていたら
影帝は、胡歌だっただろうと、思うことは思う。

今年影帝を取った黄暁明も、
10キロ痩せたようだ、美貌の人。
胡歌の10キロ痩身に張り合ったかしら、
などと、思ったりする。

「繁花」を撮る王家衛の映像は、
基本的に、いつも、なまめかしく、壮麗。

「南方車站的聚會」でさえ、胡歌は最高の美だった。
彼の要求は、ミューズを求めるからかな、
美神を。

なまめかしさは、欲望を喚起するし、
美しさは、愛をかきたてる。
生きる意欲において、愛と欲望に如くものはない。

美は、多分、なにものにも増して、
生を求める心に、光をもたらす救済なのだと思える。



^^

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12月26日

起床時刻:06時00分

良い天気で、出歩いているうちに時が過ぎる。

サンルームになっているカフェでは、
陽射しが強くて、自宅の冷暗状況に暗澹・・

思うのだが、
胡歌百変は「琅琊榜」において、
殊にうるわしくも顕著な様相を示している。

「軒轅劍」では、実際に役柄自体が変幻したのだが、
「琅琊榜」では、そのままで変幻する、
林殊と長蘇・・という二つの相克はあるにしても。
演技の精緻・・と言うべきか。

登場の時の、息をのませる神韻縹渺の幽艶。
梅長蘇が何者であるか・・を示す。

多分、神話・・としての根源。
多分、この世の人ではないのだ。
多分、「紅楼夢」などと同様の枠組みだなと、
私は勝手に思う。

藺晨も神がかった風采の人格だが、
長蘇の、この神韻とは比べられない。

そのほか、
極めて印象的だった幾つかは、

謝玉対峙の時の、
相手を翻弄しつつ自ずと現れる、
あたりをはらうような威厳。

同じく敵対する相手に対するものとはいえ、
夏江への表情とは全く違っている。
圧倒しきった場での、意志の揺るぎない強さ、
しかし、秘めた悲しみの衝撃を深く抑制する、
感情の深さを示す。

現代劇では見られない表情だなと思う。

言侯対峙では、
敬愛をもって対峙する相手への、
透徹した洞察力の鋭さ、いたわりの思いが、
清らかさ、高潔さとして現れる。
玲瓏玉のような美しさだと、いつも思う。

次第に体調を崩し、
表情に蒼白さが顕著になる頃は、
かえって、驚くほどに、麗しさが匂い立つ。
眼を閉ざしていても、この人の美しさは比類ない。

心を許した蒙挚などに対しては、
武人時代の洒脱さで、軽い態度の長蘇だが、

失った許婚を待ち続けた霓凰に対しては、
ひそやかにも、豪奢、華やかな、
恋のエピソードを懐かしむ風趣が美しい。

年少の友人たちに対する時の、
長蘇・胡歌の、柔らかな優しさは、また格別で、
慈しみに満ちた笑みを含み、
純白の高貴さがあって、
ひたすら後を慕った景睿の思いの投影のようだ。

殊に、謀反の戦闘時に、庭生をかばう時の長蘇は、
庇護の思いの強さのために、
懐に窮鳥を抱く母鳥・・のようにも見えたが、
ほとんど悲母観音・・

慈愛の感性が、神域に近い。

开心果 Kāixīn guǒ とも言われる、
胡歌自身の、深い優しさの発露かと思う。



^^

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12月27日

起床時刻:07時00分

曇り空です。

太陽を見に行っても見えない。
陽光の射して暖かい場所がない。

寒いので、小豆を炊く。
小豆粥にしてみる。

「南方车站的聚会」は、秀逸だと思うが、
「琅琊榜」は、やはり、多彩。
54集もあるのだし、ほぼ20倍の映像と言葉。

未だに把握しきれない。
いや、どちらも… とは言える。

「南方車站的聚會」は、武漢方言だし、
「琅琊榜」は、文語が多くて、
やっぱり、一期一期が難しい。

書き取りを試みるたび、中断する。
お顔にみとれてしまう・・
(なまけものなだけ・・)

立姿の秀麗さにもみとれてしまう・・
すらりとして丈高く、
肩が綺麗にはっていて、胸元は高く、
腰は細く、
脚が長い。

「仙剣奇侠伝」の編集も滞っている。
胡歌百変の様相から分類すると、
李逍遥は、梅長蘇に似ている。

胡歌が、殊更に作為をこらさず、
可憐さと華やかさを全開にした役柄だから。

ひとつひとつ、それぞれに映像が美しい。
ドラマは長いので、お得な気がする。

特に胡歌の、精緻多彩は格別。



^^

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12月28日(月)

起床時刻:06時00分

今朝も太陽の見えない寒い日。

師走も押し迫ってきて、庭の草木も枯れていきます。
朝夕にみとれていた薔薇、
・・じゃなくて、山茶花でしたが、
これも気の毒にも、すっかり萎れました。

川辺に実っている柚子が、唯一、
元気に、香ばしさをふりまいている。
手を延ばして、もぎ取ってみると、
長い棘に指を刺される。

PCをWin10にしてから、
何かと不具合が多くて、映像チェックも滞る。

データは開かなくなるし、
2TUSB☓2個組・・というのを買ってみると、
保存したはずのデータが全部消えていた。

フェイクにひっかかったらしい。
情報弱者は手を出すんじゃない!
・・と言うお叱りの声もあるが、
良く知られたアプリでも、だめなものはだめで、

何かと落ちこむのだった。

年の暮れさ・・




^^

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12月29日(火)

起床時刻:06時00分

朝日の出る頃に外へ出る。このところ・・6:49
冬至は過ぎたが、同じ時刻で推移中。

今朝は濃霧で、先が見えていない。
当然太陽も見えず、起床時の温度は零下・・

川辺の柚子の木は健在で、
今朝も良い香り、2個もぎ取って走る。

新年は神社参拝をしないつもりなので、
年内に訪問する。
芝大神宮は、パワースポットなのだそうだ。
道理で、いつも清澄の気配が濃いと思う。

あちこちでポイントもたまっているので、
お得に、餅や茶・・など買って帰る。

元気なので、あいかわらず、
「琅琊榜」「南方車站的聚會」を見ている。

血だらけの周泽农の顔が綺麗だ。
何をしても美しい人は美しいのだね。
とりわけ、周泽农は、はかなげに美しい。

「琅琊榜」は、
苦手な・・誉王とか景琰とかのパートを見る。
苦手って、・・メインなのだけど、
つい、
飛流のうほうなどに流れていく。

他更好、我最好・・
たたみかける言葉が面白い。
ほんとに簡潔で、気持ちの良い言語です。

溢れるようなセリフの奔流。
「南方」とは大違いである。

浅田次郎の本を読んでいた。
「僕は人生についてこんなふうに考えている」
いろいろな作品からの抜粋。アンソロジー。

曰く(いろいろ省略前後不同)
 あいにくわが国には「不言実行」とかいう
 世界に類を見ないモラルがある。
 しかし、人生の戦場では、
 もっとも有効かつ貴重な武器は、
 「忍耐」という鎧、「弁舌」という剣。
 しかし、「有言実行」、こうした能力は、
 少なからず天性のもので、
 生まれついての口下手は努力だけでは
 いかんともしがたい・・

皮肉と洞察力に富んでいて、耳が痛い。

長蘇の雄弁を見ていると、
見習いたいものだと思うが、まず無理。

無理だけれども、
あまりにも鮮やかで、目が眩みそうである。
 
いいな・・と思うばかりだ。




^^

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12月30日(水)

起床時刻:06時00分

早朝、太陽は輝いていたが、雲間が濃くなった。
雨が降り出して、寒い晦日になった。

ベッドの配置を変えようと思ったが、
自宅は冷えこんでしまったので、外へ逃げる。
カフェで暖をとり、本を読んでいる。

塩野七生「イタリア・ルネッサンス」
新刊の4巻目、ベネツィアは、面白そうだ。

図書館は閉館しているので、
新聞はTullysで、一紙置いてあるのを見る。

危なくなっていたスマホストレージは、
プライム会員なので、AmazonPhotoを入れて保全、
ついで、20年来使用中のメールをUpdateして、
各種Newsを拾えるようにした。便利。

「琅琊榜」誉王、景琰バージョンは、
雪中の白眉シーンもあるし、
あまりに精緻過ぎて、

考えてみると、内容が濃過ぎるのだった。
一話ずつ、焦らず、
セリフをいちいち確認してみる。

背景の精緻な造りこみなども合わせて、
とても一口では語り尽くせない
そういうドラマなのだった。

54話を一挙に見ることはないなと思う。
見始めると止まらなくなる・・
という悪い癖は、やめたほうがいい。

廃人になるよ、
・・と、自分に忠告してあげよう。



^^

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12月31日(木)

起床時刻:06時00分

朝日は輝いていた。でも、寒い。 風が強い。
閉めてある窓の簾が揺れる、風が流れる。

しかし、良い天気なのが幸いな、年の暮れです。

年末に到って揉め事があり、
家族において、かくも情の薄い、
いつまでたっても成長のないのを実感する。

言う通り・・
「忍耐」と言う鎧、「表現力」という剣が必要。
状況に流されず、対処できるといいのだが、
つい忘れがち。

しかし、かわらず「琅琊榜」は見ている。

簫景琰に対応する時、
梅長蘇の端正さの陰にひそんで現れるのは、
なんと、ほとんど浮き立つような、喜びの表情。

とまどいがちに表情のない景琰に対し、
長蘇はとても嬉しそうだ。

嬉しそうだが、対応はあくまで、
淑やかにも、ひそやか、
あでやかさが匂い立つような風雅さ。

景琰は、反発しつつ惹かれ、林殊の影にとまどう。
透徹した叡智に敬服しつつ、長蘇の策謀を疑い、
相反する心の相克に引き裂かれる。

離反の計に遇った雪の日、長蘇の切実は、
思いの伝わらぬもどかしさが、焦燥とともに、
微妙に変幻する。

「簫景琰 你给我站住!」

取り縋る・・わけじゃないのだが、
声の表情が編集のバージョンによって違うのが絶妙。

本編は、林殊の強さを出しているのだろう。
焦慮が遠慮を取り払って、景琰の翻心を促す。

景琰の回想では、年下の友の、林殊の儚さが、
幼さを含むほどの哀切さが迫って、胸が傷む。
更なる悔恨をつのらせる。
どちらも捨てがたい。

声のバージョンが、いろいろな場面で違うのは、
収録の違うものがあるのだろう。
声だけ聴いていて、ある時、気がついた。

胡歌の表現が、それぞれ、たいそう魅力的だ。

深謀遠慮…
表現力だよねと思う。




^^

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