2017年03月 <<先月 | 翌月>>

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起床時刻の記録
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03月30日(木)
起床時刻:09時48分
03月29日(水)
起床時刻:09時00分
昨日は夜はゲーム会社でバイト。
経済的には働く必要がないのだが、何となく断り切れずに行っている。
でも、楽しい。普通に世間話をして帰るだけで仕事になる。
昨日持って行った話題は、「綿嫁・綿旦那」。
http://store.shopping.yahoo.co.jp/erimika/8994613484.html
たいして高くないし、わたしは実はこれほしいのだ。
お人形好きなわたしは、これを買って、娘の高校時代の制服を着せてみたい。
娘は高校の制服を捨てたがらないのだが、ただ取っておいてもしかたないし。
気持ち悪がられるだろうか。特に、娘本人が嫌がりそうな気もする。
03月28日(火)
起床時刻:09時33分
わたしもねいさんと同じように思ったのだ。
それを「薄汚い生き方」と書いたのだ。
女からせびった金で後輩におごるとか。
その後、女に追い出されるのだが、また、別の女に支えてもらう。
自分で自分の生活を立てようとする心意気がないのに、自分のおもしろさに忠実でいたいとか、ふざけている。自分にとって大切なことを守るのはよいのだけれど、自分の生き方の始末を自分でつけないなら、何の覚悟もないじゃないか。
結局は、自己破産。つまり、借金を踏み倒したということだ。
それで行きついたおもしろさが何かというと、巨乳のおっさん。
もう女性蔑視というよりも、それ以前の問題じゃないかと。
03月27日(月)
起床時刻:08時31分
ねいさんは日本に着いたようだ。
〇「火花」を読んだ。
期待せずに読んだので、そう悪くもなかった。
泣けるところがあるとしたら、最後のステージで、「Stand By Meドラえもん」みたいなやりとりをするところだろうか。
わたしはもちろん泣かなかった。
主人公はわたしからすれば好感が持てる。
こういうどこか真っ当さのある、こまごまとした自分の感情にきちんと向かい合える性格は好きだ。
でも、やはり気持ち悪い読後感。
神谷という先輩芸人に少しも魅力がないからだ。どうして、主人公がこんなつまらない人物に惹かれていくのか、そこがわからない。
「自分に正直」と「独善」は紙一重であるが、この人は「独善」にしかみえない。
人の賞賛や成功よりも大切なものを守るというのも、一つの生き方であるけれど、
この人が求める「おもしろさ」にとても価値があるとは思えない。
言動が痛い。生き方も薄汚い。最後に「巨乳のおっさん」になるが、
ただの浅はかなおっさんである。なぜ、借金があるのに、そんなくだらないことを?
何をどう思えばいいのかわからないまま、ただグロテスクなものをものだけを感じて、最後のシーンを読み終えた。
03月24日(金)
起床時刻:09時19分
今日も寒い。
暖房も切れたというのに、冬に逆戻りしたようだ。
〇今日の夢はいやな夢だった。
わたしの寝室に置いてあるお人形さんが二つともチェストの上から
落ちて壊れる夢。
夢でよかった。でも、いやな気分がまだ続いている。
〇最近、中国のアニメやゲームを作っている若い人たちと交流がある。
そこで、「この世界の片隅に」の話になった。
彼らは実際に見ていないのだが、わたしの話だけで暗い顔つきになった。
よけいな先入観を与えるようなことをしてしまったか。
〇昨日、日本語検定5級の問題集を見ていたら、次のような問題があった。
日曜日は( )行かない。
この括弧の中に入れる言葉を選択するのだが、「どこも」が正解で、「どこへも」は間違い。
もうひとつは、言葉を正しく並べる問題。
シャツを着てネクタイをしてから出かけます。
シャツを着てからネクタイをして出かけます。
このどちらが正答なのかは忘れてしまったが、どちらでもOKではないのだろうか。
強いて言えば、「シャツを着てネクタイをしてから、出かけます」のほうが正しいような気がするが、もう一つのほうだって間違いとは言えないでしょう。
03月23日(木)
起床時刻:08時37分
風邪気味。
暖房期間が過ぎているのに、昨日は寒かった。
03月22日(水)
起床時刻:08時12分
わたしも見たのだ。平方個の夢。
飛騨高山とかにありそうな、古びた民家風の雑貨屋兼カフェみたいなところにいる。
そこで、トピ主にわたしが講釈しているのである。
「あのね。文章題というのは、文章に書かれた意味を、計算式に翻訳するっていうことなの。だからね、
『リンゴ1個×みかん1個という式は何を表すんですか』という質問はありえないの。だって、その前提となる意味があって、次に式を作るんだから…」みたいなことを言っていた。
ほかにもいろいろ夢の中ではあったみたいだけれど、それは忘れた。
〇しかし思い出した。
⓵●●●
●●●●
●●●●
「りんご1個×みかん1個」ということは、⓵の位置がリンゴであり、かつ、みかんであるということでしょう?でも、この位置におけるのは、りんごか、みかん一つだけのはず。だから、「りんご1個×みかん1個」はありえないでしょう?とか、夢の中でわたしは説明していたのだ。
03月21日(火)
起床時刻:09時28分
芝居を見た後、嵐が丘を再読している。
しかし、アーンショー家は、ヒースクリフや下男も含めてまったくキ印ばっかり。
子どものころは、家政婦はまともな女だと思っていたが、この人もどこかおかしく、偏屈というのか、強情というのか。
03月20日(月)
起床時刻:09時15分 10時23分
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2017/0317/797505.htm?g=01
これも新発想だ。
〇しかし、やっぱり「逃げるが勝ちだが…」は見ないことにする。
こういうことは、わたしと夫の間でも長い間トラブルの元だったのだ。
そんなものを見ると、我が家にとっては過ぎ去ったトラブルをまた思い出して気分が悪くなりそうだ。
更年期なのである。更年期とは、そういう危ない時期だ。
ちょっとしたことで、過去の恨みつらみが昨日のことのように思い出されてきそうになる。
いや、過去の恨みつらみという言い方はあまり正しくない。
当時は恨んでもいなかったことが、今となって、恨みつらみとなるのである。
そういう時には、春月ねいさんのブログにある「写真のように思い出せる人」になってしまう。
忘れていたことが、それこそ写真というよりも、動画のように鮮やかに再生されてしまう。
それも、その動画が終わると、関連動画が立て続けに再生される。
そういうこともあって、この数年、わたしの精神はやや危ない状態だった。
うっかり地雷を踏まないように気を付けなければならない。やっぱり見るのはやめよう。
03月19日(日)
起床時刻:10時12分
昨日の稽古後、嵐が丘を見に行った。
ほかの人は驚くほどみんな歌舞伎を見に行くのだった。
嵐が丘は正直言ってつまんなかった。
英国人が演じる英国クラシック劇。
ずっと同じ部屋のセットの中で進行する劇。
不細工な男女。みんな類人猿みたいな顔。
少年少女時代から最後までをずっと同じ俳優が同じ衣装を着て演じるのだが、
お父さんが旅行先でおっさんを拾ってくるって、それ何よ。
一度行ったら、もう行かない部類の芝居でしたね。
03月18日(土)
起床時刻:08時47分
両会が終わったら、本当にあっという間に空気が悪くなってしまった。
でも、今日は稽古。そのあとに、「嵐が丘」の芝居を見に行く。
一緒に稽古をしている人たちの多くは、歌舞伎を見に行くらしい。
北京の「ちょっと特別なわたし」たちは、日本のハイカルチャーが大好きみたい。
03月17日(金)
起床時刻:10時24分
アニメ版「この世界の片隅に」。
すずは哲がいうように「ふつう」なのだろうか。
わたしには、ふつうには思えない。
あの「ふつう」という言葉の意味は、「時代の影響を受けない」という
意味なのだろうか。たぶんそうかな。
少なくとも「ふつう」の女性ではない。
頭がはげるほどのストレスを受けても、のんびりした顔をしているって、
それは「ぼーっとした、ほのぼのした女性」ではないでしょう。
作品中、二度ほど、彼女は感情を爆発させるが、
ドラマ版ではその意味がわかった。でも、アニメ版では??な感じ。
この人は強い感情を押し隠した人?
そうだとしたら、あまりにも痛々しい人。
03月16日(木)
起床時刻:08時07分
昨日で暖房期間が終わるはずだったのに、
我が家の暖房はまだ切れていない。
学校はどうだろう。
切れているといいけど。
だって、暖房が入っていると、教室が暑すぎてみんな寝るんだもの。
せっかく毎日PPT作っていっているのに。
でも、暖房が切れても寝る人続出だったらどうする?
〇「この世界の片隅に」をみたもやもやは何だったのだろう。
今、何とか言葉にできるような気がする。
つまり、この映画は圧倒的な考証と画力によって、
戦時下の生活がとてもリアルに描き出されていることが評価されていると思う。戦時下にあっても、悲惨な経験ばかりがあったのではない。
庶民はその賢さによって、生活を楽しみ、支えあって生きていたのだと。
でも、この映画は、これまでの映画が描かなかったリアルを描いているけれど、それはやはりリアルではないのではないかと。
たぶん、捨てられた本当がたくさんある。
彼や彼女は食糧難であっても、動作や行動がまったく飢えていない。
いつも通りに生活できる。戦時下であっても、戦後であっても、衛生的な生活をしているように見える。
一番、あれっと思ったのは、すずが両親を失ってもそれほど表情に変化を見せないことである。
右手を失い、両親を失い、姪を失い、おそらく妹も失う。
その設定の重さだけでわたしは参ってしまった。
しかし、最後にはみんな悲しみを抱えつつも、けろりと笑顔を取り戻す。
ここで感動できるか、できないか。
それがこの映画を評価するかどうかを決めるような気がする。
わたしはここでこの映画やこの主人公から心が大きく離れてしまった。
この映画を見て、「どんなつらいときでも、生活を守ることや、心のもちようで乗り切れる」というような感想を持つ人も結構いるようだ。
なんと、都合のよい人たちだろう。
もし、戦争が起こっても、心のもちようで生活の知恵で乗り切れますよ。
もし、たくさんの人が身近で死んでも、また希望が訪れますよ。
この映画のメッセージはそういうふうに受け取られているということだろうか。この映画の本当のメッセージをどうとらえるべきなのかはわからない。
でも、そういうふうに受け取る人が多いであろうことが怖い。
03月14日(火)
起床時刻:08時39分
ねむい。
授業中、いつもはまじめに聞いている学生もうつらうつら眠り始める。
ま、しかたないのかも。
急に春になったから。
なのに、まだ暖房が入っている。教室は蒸し風呂。
〇それだけじゃなくて、頭もぼけている。
昨日も、プロジェクターにスライドが映らなくて慌てていた。
学生の一人に助けを求めたら、すぐに解決。
ケーブルをつないでなかっただけだった。
03月09日(木)
起床時刻:08時57分
朝夕はまだ寒いが、陽の光が春らしく煌めいてきた。
春の気配がすると、胸が締め付けられるような、
切ないような、そんな気持ちになる。
ちょっとうつっぽい感じ。
かつてはそういう気分になるのは、散り急ぐ桜や、
年度末にありがちな別れや生活の変化のせいかと思っていた。
ここではそんなものは何もないのに、なぜ?
03月08日(水)
起床時刻:08時38分
春らしくなってきたと思うとまた寒くなったり。
昨日は、夜もでかけたのだが、寒かった。
早く春らしいコートを着て、ベレー帽かぶってでかけたい。
03月07日(火)
起床時刻:08時40分
いつのまにか、三月。
新しいパソコンを買った。
家で作業をしているパソコンの電源アダプタがだめになり、
バッテリーも寿命になった。
日本で買ったパソコンなので、こちらでは電源アダプタが手に入らない。
一応、ネットで探して買って、息子に届けた。
3月末に夫が日本に行ったときに受け取ってきてもらうつもりだが、
それまでに完全にダメになってしまうと困るので、
新しいパソコンを買ってしまった。
今度も安いパソコン、日本円にして3万円代。
しかし、使ってみるととても快適だ。
これまで家で使用していたパソコンも、前のパソコンが壊れてしまったときに間に合わせで買った三万円代のパソコンなのだが、
これは本当に値段相応の愚図なパソコンだった。
買ってみたら、メモリの増設は必要だし、無線Lanさえついていなかった。もちろんカメラもついていない。
今度のは、早いし、無線Lanもカメラもついている。
日本で翻訳をしていたときは、仕事に使うのだからといつも結構いいパソコンを買っていた。最近は安物ばっかり。でも、それでも案外使えるものなのだ。今時の高いパソコンって使ってみたら、どんななんだろう。ものすごく快適なのだろうか。興味はあるけれど、たぶん、買うことはないだろう。