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起床時刻推移グラフ

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07月29日(水)

起床時刻:08時47分[いま起きた]ボタンで記録されました。

07月27日(月)

起床時刻:08時41分[いま起きた]ボタンで記録されました。

あるネットの連載記事に台湾での子育て事情を紹介したものがある。

それを書いているのは、ある外資現地法人の社長である日本人女性(当然金持ち)であり、当地で出産した後、いたれりつくせりの月子(産後ケア)センターに一か月滞在し、そのあとは東南アジア人の住み込みナニーを雇って、育児と仕事を両立しているというもの。

その記事のコメントを見ると、たくさんの女性たちが「日本にも月子センターがあればいいのに」とか「住み込みナニーの制度があればいいのに」と書き込んでいるのである。

育児を何がなんでも母親がしなければならないという日本の考え方は変えなければならないとわたしも思うが、こうした日本人女性の書き込みにも違和感を覚えた。

つまり、こうした日本の女性たちは当然のように自分がそういうケアを受ける側にあると思っているのである。あたりまえのことだが、こうした制度は経済的な格差があるから成り立っている。さらに考えると、わたしたち日本人はいまそのケアを受ける側と提供する側のどちらにいるのだろうか。

海外の多くの国が発展し続ける中で、日本は「失われた30年」と言われるように経済的停滞を続けており、もはや途上国になりつつある。
これは中国に住んでいて、わたしが痛感していたことである。わたしが若い頃には、中国は何をしても何を買っても安い国だった。しかし、その立場はいまは逆転している。
昨年、わたしはドバイに行ったり、シンガポールに行ったり、台湾に行ったりした。台湾はそうでもなかったが、ドバイやシンガポールは、もはや貧乏国日本の旅行者であるわたしにとって、気楽に食事をしたり、買い物をしたりできるような国ではなかった。

このままではすぐにわたしたちのが休日返上で7万円ではたらくフィリピン人のナニーの側になるだろう。

いや、もうその立場になっている。

現に日本のインバウンドを例にとっても、訪日中国人旅行客は「日本人は安い金で、ひざまずいてサービスする。また行きたい」と言っているのだ。「おもてなしの国」などと言って悦にいっているのは日本人ばかりである。

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07月26日

起床時刻:09時59分[いま起きた]ボタンで記録されました。

ワンピ縫い始めた。

ウン十年、人が着るものは作ったことがない。

前に人が着る物を作ったのはいつだったかな。

あ、そうだ。息子が生まれる前に、暇に任せて肌着やおくるみを縫ったのが最後かも。
途中までやって里帰り出産。母と最後のしあげをした。

出産後退院して二三日後に、おへそから出血しているのを見つけて、
母とわたしで息子を連れてタクシーで病院に駆けつけたのだった。
そうしたのは、わたしの従兄(かなり年上)がへその緒の処理が適切ではなかったことから死にかけたことがあったので、母が尋常ではなく心配したからだった。

病院につくと、看護師が「これくらいなんともありませんよ。あら、ぜんぶ手作りねえ。大事な大事なあかちゃんなんですねえ」と茶化すように言った。
母はまがおで「そうですよ。大事な大事な赤ちゃんなんですよ」と答えたものだった。

その後、生活が忙しくなり、娘が生まれたときには全部買ってそろえた。

いまさら縫物が楽しいと思っても、
もはや、人形と自分以外、だれのためにも作る機会がなくなった。

とりあえず暇だしね。人形もいまここにはイーマリーちゃんしかないので、かわいくもない自分のためにやってみることにした。

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07月25日

起床時刻:09時25分[いま起きた]ボタンで記録されました。

知らない間に世の中の学校は夏休みに入ったようである。

夏休みと言っても、今年のわたしには実感がない。
この数年、休みになるとあわただしく帰国し、観劇したり、旅行に行ったりしていたが、
今年はそういうイベントもない。近所の祭りさえも中止。

〇夏休みといえば宿題。
わたしの実家の学区は、神奈川県Y市の中でも、繁華街などの土地柄の悪い地区が含まれていて、夏休みに子どもたちが時間をもてあましてろくでもない大人にたぶらかされないように、規則がやたらと厳しく、夏休みの宿題もどっさりでるのだった。

九教科分。体育、音楽、家庭科、美術などすべての教科で宿題がでた。
国語の教師が「むちゃなことだよ。全員に作曲なんかさせるのは。自分だってできる気がしない」と言っていたのを覚えている。結局は、ある程度まじめな層が歯を食いしばってそんな無茶ぶりに耐え、ろくでもない大人にたぶらかされそうな層はやはり宿題なんかやらずにふらふらと繁華街に出かけて行ったりして、その後やくざものになったりするのであった。

そういう状況をみると、「宿題をたくさん出して、ふらふら危ないところに行く余裕がないようにする」という戦略はまちがいなのだったが、学校はいつまでたっても方針を変えようとはしないようだった。
いまの学校はどうなんだろう。

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07月24日(金)

起床時刻:09時20分[いま起きた]ボタンで記録されました。

コロナ感染者数、とどまるところを知らず増えていく。

先月のいまごろは息子と外食したりしていた。
あのころはもう収束に向かっていくのだろうとわたしだけでなく、ほとんどの人が思っていたのだろう。この四連休は、息子とも行き来しない。もちろん、娘とも。

〇昨日、まちがって「ふしぎな君が代」という本をキンドルで買ってしまった。
本当は同じ著者の本で「たのしいプロパガンダ」というUnlimitedを利用できる本をダウンロードするつもりだったのだが、この本をまちがってダウンロードしてしまい、かなり読んでから、「あれ、違う本ではないか」と思って確認してみたら、案の定間違いだった。

しかし、この本もおもしろい。
むりむりに君が代なんて親しみにくくやっかいな背景を持つ歌を国歌にしておくくらいなら、新しく国情にあったみんなを勇気づけるような歌にすればいいのに。この本を読むとわかるけれど、君が代だってもともとはそんなにたいそうな歌ではなかったのだから。

では、どの歌が国歌にふさわしいだろう。
そう思ったときに思い浮かんだのが、以前に「こち亀「」のオープニングで使われていた「だまって俺についてこい」である。「こち亀」では天童よしみが歌っていた。

コロナ感染者数が日々最高数を更新しているのに、政府はこの現状に対してほぼ無策。
それでありながら、来年オリンピックを何が何でもやると言っているらしい。そのために28万人にPCR検査をするとか。そんな金どこにある。
いったいこの状況で、何を根拠にしてまだオリンピックができると思っているのか。

そういう頼りにならない悲しい政府の下で、根拠もなく明るく励まし合って国民が生きていくにはこの歌がふさわしいんじゃないかと思う。もう本当に国歌にしちゃえ。

「そのうちなんとかなるだろう♪わはは」

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07月22日(水)

起床時刻:07時52分[いま起きた]ボタンで記録されました。

キネマ旬報シアターでみたのは「在りし日の歌」という映画だ。
それを見ようと思っていったわけではなく、ぶらりとキネマ旬報シアターにいったらポスターを貼ってあったので見てみたのである。
長い。
中国語の題名は「地久天長」というのだが、まさにそれ。
劇中でなんどか「友谊地久天长」が流れる。日本では「蛍の光」という名で知られる歌だが、中国ではお別れの場面で「これからもずっとお友達だよね」という感じで使われることが多いような気がする。

映画は、一人っ子政策に翻弄される二組の夫婦の話しだが、
やたらと現在と過去を行ったり来たりしながら、何がなんだかよくわからにままストーリーが進んでいき、最後のほうまでみるとようやく事の成り行きがわかるようになっているという、非常に疲れる映画だ。だけど、そういう緊張感がないと、おそらく見続けることができない話である。

家に帰ってネットでみてみると、意外と評価が高い映画のようだった。
たぶん、こういう映画を平気な顔で「退屈だった」というと「人の世の機微がわからない人」に認定されてしまうのだろう。とにかく、そういう類の映画。

出てくる人たちにもいまひとつ共感できない。
不幸な境遇で肩を寄せ合うようにして生活する夫婦の夫がよくわからない理由でふらりと不倫をして子どもができてしまう。相手の女は夫婦ともにしたしくしている知り合いの女だが、その女が「あなたたちは子どもを亡くしてあたらしい子どもを欲しいでしょう?この子どもを生んだら上げましょう。二人の子どもとして育ててください」などと言うのである。
はぁ? そんなこと簡単に言われても、妻がよろこんで引き受けるわけないだろう。やけっぱちで夫婦の仲を破壊したくて言っているわけでもなさそうで、どういう気持ちなんだか、ちっともわたしには理解できない。その女だけでなく、その境遇で何を思って実直ひとすじみたいな夫が不倫したのかもよくわからない。

そしてその後、女は海外に行き、その子がどうなったかも説明がない。
最後に彼女はハーフの子どもをつれて再登場するのであるが、あの時の子どもはどうなったんだよと思ったのである。

とにかく長すぎて疲れた。あとから知ったがYoutubeで全編が見られるようだ。
でも、こんなに長くて退屈な映画を家でYoutubeで見るのは、わたしにはたぶん無理。

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07月21日(火)

起床時刻:10時05分[いま起きた]ボタンで記録されました。 22時39分[いま起きた]ボタンで記録されました。

〇月曜日は柏まで行って、ひさびさにスタバでコーヒー飲んで、
キネマ旬報シアターで中国映画を見た。
そのほか、お店もいろいろ見た。ほんとうはユザワヤで布を買うつもりだったけれど、
欲しい布もなく、買わなかった。

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07月20日(月)

起床時刻:08時20分[いま起きた]ボタンで記録されました。

その後、Akikoさんのおぼっちゃまの先生は、
何が言いたかったのだろうなと思ったのである。

頭をよくするのは「論語」なのか、素読なのか。
どらえもんの論語は孔子の説いたとされる道徳を子どもに解説する本であって、
論語を素読することに重点をおいていない。

もともと古代に自然発生的な白話があり、それを文字を学んだ知識階層が簡易に書き記す方便として生まれたのが文言であり、文言を日本人が簡易に読み解く方便として生まれたものが訓読であって、もともとの論語だの史記だのの古典は、当然だが素読だの訓読だのとは全く関係なく成立している。

わたしは高校生くらいまでの高校漢文の成績はとてもよかったと思う(自慢ではなく事実)。その後、大学に入ったが、母校で中国古典を教えていたのはK先生という、わたしとしては忌避したい人物であり、そのため、古典にも興味を失い、訓読のきまりなどほとんどすべて忘れてしまった。

その後、中国の大学院で古典文法の先生についたが、これは文法に対する興味からである。(つまり格が形態に現れないという中国語の特徴が口語よりも文言に顕著だからと言う理由で)

修士論文をしあげるころにはある程度古典も読めるようになったが、当たり前の話だが、素読だの訓読だのはできるようにならなかった。そこでますます訓読と古漢語は別物と思うようになった。

戦前までは、書き言葉としての訓読文(書き下し文)が普及していたので、「漢文を書き下せる=理解」であったのかもしれないが、現代人にとっては「漢文を書き下せる=理解」とはならない。たぶん、それが漢文学習がやっかいなものになった所以かもしれない。むしろ書き下しにしても実は本当には理解できていないのに、一応日本語らしい書き下し文に触れたことで理解したような気になってしまうということもあるのではないかと思う。

〇結論、素読と内容の理解は別物。

〇YouTubeに頼先生が素読をしている動画(音声だけ)。先生の声、なつかしい。ああいう雰囲気にあこがれるというのもいいね。

https://www.youtube.com/watch?v=3H0g4uMCcBM

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07月19日

起床時刻:09時17分[いま起きた]ボタンで記録されました。

ふーん。論語を読むと賢くなるのか…。

今を去ることウン十年前、わたしがまだ大学生だったころ、
母校のK先生がわたしたち新入生全員に朝日文庫の「論語」上中下(いまは絶版)を読むように勧めたものだ。「インテリ女性なら、論語くらい読むべきだ」ということで。
しかし、この数十年のあいだに何度も読んでみよう思ったが、わたしはいまだにこの上中下を読破できていない。つい最近まで引っ越しのたびにこの本も持ってきていたが、いま本棚をみるといつのまにか断捨離してしまったらしい。

「論語を読むと賢くなる」かもしれないが、わたしをみればわかるように「賢くないと論語は読破できない」のかもしれませんよ。

〇しかし、子どもが子どもであるときには、なかなかわからないことだが、
結局、なにをすればどうなるというものでもなく、なるようにしかならないのである。
いまから思うとわたしもずいぶん無駄なことで気をもんだと思う。

男の子は思春期くらいから、あっという間に心の中に手が届かなくなるのであった。
そこから、彼なりに精神が発達していったのだろうが、何がどうなってどう発達したのか、母には伺い知ることもできないし、コントロールもできないのだった。
そういうのがたぶん成長なのだろう。

これは別に疎遠になったということではない。
いまでも話をすれば楽しくて、けっこう仲良しである。

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07月18日

起床時刻:09時54分[いま起きた]ボタンで記録されました。

毎日だらだら刺し子と読書ですごしている。

どちらも根を詰めてやったりしない。
本は飽きてきたら、適当に斜め読みしてぶん投げる。
刺し子も一日にわずかしかやらないので、さっとやってしまうつもりだったが、まだできあがらない。三年前にはなぜあんなに夢中になったのだろう。
しかし、こういうものも、やはり熟練が大切だと見えて、
三年前の針目のように、昨日今日の針目は整わないのである。
三年前に、毎日根を詰めていまやっているバッグに刺し子をしていたころは、もう続けて何枚もふきんに刺し子をし終えたあとだったし、集中もしていたので針目が美しいが、
この数日の針目は見た目でそれとわかるほど、美しくないのである。

自分でやったことがないと、どれも同じように見えるが、熟練した人が集中して縫った針目はとてもきれいだ。
以前、どこかに飾られていた刺し子作家の針目はほんとうに美しかった。
そのときは自分もせっせと日々刺し子に励んでいたので、いつかは自分もこういうふうに刺せたらいいなと思ったのだが、しょせん熱しやすく冷めやすい怠け者のわたしはその後すぐに飽きてしまったのだった。

ものごとは何でもそうだが、自分ですこしやってみると、熟練した他人の技の高さがわかるようになる。言ってみれば刺し子も修行のようなものだ。しかし、そんなふうに気負うとやはり疲れて飽きてしまう。普通に日々当たり前のようにやりながら集中できて修行の域に達する人になりたい。たぶん、どこかに作品を出品するような人はそういう人。でも、わたしはなれそうもないので、刺し子はひとときに楽しみにとどめて、やってみたかったいろいろなことをやることにする。

こんどは自分のワンピースを縫ってみようかと。自分の服を縫うのは、高校の家庭科の授業でスカートを縫って時以来。

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07月16日(木)

起床時刻:07時18分[いま起きた]ボタンで記録されました。

また朝だ。

Akikoさんの書き込みを見る。
若いなあ。
いつのまにか終わるよ、そんなときも。

後になると、こまごまとしたことに振り回されても振り回されなくても同じようなものだったのかもなと思う。でも、そのときは大ごとかもね。

いまを大切にしてください。
子どもなんて、力のある子ほど、自分の人生に夢中になって後も振り返らずに行ってしまうものみたいだからね。

〇いま思うと昨年の夏は充実していた。今年は何もない。
GO TO キャンペーンどころか、愛知に住む娘のところまで行ってもいいか迷っている。
GO TOキャンペーンでどこかへ行っても、観光業の人たちは歓迎するかもしれないが、街の人たちには迷惑そうな目で見られそうだ。そこまでして行くのも気が引ける。
今年の夏は何をしてすごそうかな。空虚な時間がどかんと目の前にあっても、有意義に過ごす方法がわからない。とりあえず買ってあるけれど読んでいない本を片っ端から読んで、あとは体力づくりかな。

〇刺し子のバッグはたぶん今日完成。

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07月15日(水)

起床時刻:08時46分[いま起きた]ボタンで記録されました。

お人形ほしい。でも、ほしいお人形がない。

〇「ポテサラじじい」むかつくな。


わたしも見た目おとなしいから、そういう質の悪い高齢者に目をつけられやすい。
高齢者にかぎらず、頭がおかしい人にからまれやすい。

日本でも中国でも。

子どもたちが小学生くらいのころ、わたしと子どもたちだけでファミレスで食事をしていて、「母親が食事をつくらずこんなところでねえ」と言われたことがあった。もちろん、頻繁に外食をしていたわけではない。仕事が忙しく、かつ夫が出張などでいないときだけである。あれからもう二十年くらいたって、働く母も増えただろうに、まだそんなことを言う人がいるのかと暗澹とした気分になった。

親戚にもそういう人がいた。大叔母である。
二十代の中頃、ちょうどバブルのころでものすごく忙しくて、疲労困憊していた。
そんなとき、法事があり、帰郷した。親戚がそろって食事をしているときに、叔母(大叔母ではない別の人)に「あら、うささんの手、かわいいわねえ。小さくて、指が長くて」と言われたのである。
すると、大叔母が横から「なーんにもしてないんでしょう。皿一つ洗わないと、そういう手になるのよ」と。

ずっと専業主婦で、大手海運業の船員の高収入の夫をもって、娘一人を育てただけの大叔母に比べれば、わたしのほうがさんざん働いているはずと思ったが、黙っていた。

その後、わたしが結婚して子どもを産んでからも、実家にいくと鉢合わせをすることが多く、なぜかいつもわたしをみると「最近の母親はなーんにもしないから、私たちの頃に比べると、身ぎれいにしている」とか、「母になったんだから、髪の毛は耳のところで切って手がかからないようにしろ」だとか、余計なことを言ってくるのである。

あれはなんだったんだろうねえ。実の娘は溺愛していて、苦労はさせていなかったようなのに、なぜわたしにそんなことを言ってくるのだろうと思っていた。

わたしもこれからそんなババーにならないように気を付けよう。

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07月14日(火)

起床時刻:08時16分[いま起きた]ボタンで記録されました。 12時35分[いま起きた]ボタンで記録されました。

昨日はイーマリーちゃんのドレスを作成。

イーマリーちゃんがもう少し大きかったら縫いやすいのだが、小さい人形に硬い布では縫いにくかった。
ダイソーに行って、ドレスに縫い付けるレースとマジックテープを購入。ダイソーにはなんとほつれ止め液も売っているのであった。もうとりあえずは必要ないのだけれど、悔しいのでそれも購入。
その後、夜までかかってピンクのドレスを縫い上げた。

イーマリーちゃんの服作りはここでひとまずやめて、後は刺し子でもすることにする。
三年前の夏にやりかけて放り出してあった刺し子のバッグの続きを作ろうと思う。
あの年はビザの切り替えで日本に戻ってきてすることもなく、狂ったように一気に六枚のさらしの手ぬぐいに刺し子をし、さて次は刺し子のはいったバッグを作ろうと思って材料を購入したとたんに憑き物が落ちたかのように飽きたのだった。

どうせ暇なので、それを今日からやる。つまらない毎日をそうやって一日ずつやり過ごしていくのである。

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07月13日(月)

起床時刻:08時52分[いま起きた]ボタンで記録されました。

昨日はイーマリーちゃんの浴衣を作った。
ネットのニュースなどを聞こうと思っても、すぐ眠くなってしまうので、
こういうことをしながら聞くとよいようだ。

イーマリーの浴衣は型紙がないので、ネットでリカちゃんの浴衣の型紙を探し、
それを見ながら方眼紙に縦横をイーマリーに合わせながら縮小して書く。
イーマリーは頭が大きいけれど、体は小さくてリカちゃんの半分くらいしかないのである。

布は最近スーパーで買ったかわいい柄の手ぬぐいを使ったが、ガーゼなのでほつれやすく、ピケでほつれどめをした。

手ぬぐいは100円だったが、ピケは500円以上もし、ほとんど一つをまるまる使ってしまった。帯は100均で買ったリボンで作る。

こうして約700円で完成。意外とお金がかかるものだな。ほつれにくい布なら布とリボンで200円でできたのに。

次はワンピースを作ろうと思うが、毎日続けると頸椎が痛くなりそうなので、しばらく縫物はお休み。

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07月12日

起床時刻:13時03分[いま起きた]ボタンで記録されました。

そう思うと人を騙すのなんか、やる気なら簡単なことなのかもしれない。
人を騙すのには、エビデンスはいらない。

やろうとはしていないけど。

映画やドラマなんかも、音楽を盛り上がらせて、「ここは感動するところですよ」という雰囲気にすれば、感動しちゃう人って多いのだろうな。

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07月11日

起床時刻:14時07分[いま起きた]ボタンで記録されました。

そういえば、「お母さんの請求書」というのもありました。
これも学校で教える「感動的な」道徳ネタです。
内容はかいつまんでいうと、次のようなもの。

たかしくんがある日おかあさんに請求書を差し出す。

「お母さんへのせいきゅう書
お使い代 100円
おそうじ代 200円
おるす番代 200円
合計 500円」

これに対して、おかあさんもたかしくんに請求書と500円を差し出す。

「たかしさんへのせいきゅう書
 親切にしてあげた代 0円
 病気の時に看病してあげた代 0円
 洋服や靴やおもちゃ代 0円
 食事代や部屋代 0円
 合計 0円」

たかしくんはこれをみて反省し、涙ながらにおかあさんに許しを請う。

これ、どうですか。感動しますか。
学校教育的な正解は、「母の無償の愛にたかしくんが気づいた」ということになるのでしょう。

だけど、こんな請求書をもらうくらいなら、
「たわけ、お互い様だろ?」と怒鳴りつける母のほうがよくないですか。

こんなにねちねちと箇条書きにして、「これだけしてやったのに、タダにしてあげたのよ」と子どもに精神的な借りを背負わせるようなややこしい親。
この母は確かに「金」は請求していないけど、案外抜け目のない親なのじゃないかという気がする。

学校で教えられる「感動」って、わたしには正直なところよくわからない。
それとも、わたしがずれているんですか。

〇それと、最近、ネットサーフィンしていたら、以前話題になった「奇跡の詩人」Rくんとその母がまだ往時とおなじように腹話術みたいなことをしているのを知った。
話題になったころは、まだ母の膝の上に収まる子どもだったRくんだが、いまはもう29歳だそうだ。母もすっかり老けた感じ。
正直なところ、怖いと思った。
あれもどうしてテレビ局や出版社の人たちまで真に受けたのだろう。
感動物語には気を付けなければならない。

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07月10日(金)

起床時刻:10時21分[いま起きた]ボタンで記録されました。

昨日は電車にのって買い物へ。
これから着る服もないし。

ショッピングセンターは普通に人出があった。
フードコートは食事の時間がすぎてがらがらだったので、食事をすることにした。

マスクを顎にかけておしゃべりしている人をたくさんみかけた。
マスク持っているなら、なぜ話しをするときに外すのだろう。
一人で話しをしないで歩いているなら、
特にいらないかもしれないが、話すときにマスクをしなければ意味ないのに。

〇「水からの伝言」のほかに「ありがとうと無視」というのもあるらしい。
「ありがとう」と声をかけたご飯はくさらなかったけれど、
無視したご飯はくさったという小学生の自由研究が感動を呼んでいるという数年前のできごとらしい。
なぜこれで感動するのかわからないけれど、普通は何か条件が違ったから、一方が腐って一方が腐らなかったのではないかと考えるものではないだろうか。
日常生活でもパンを二つ買ったら、一つだけにカビが生えるとかよくあることだ。

ネットで調べると、これをネタにして生徒に「言葉を交わす大切さ」を教えようとする小学校校長などもいるようなのである。この「おたより」には「不思議なことですが、ほんとうにあった事です。」と書かれている。不思議だと思ったなら、なぜ一歩立ち止まらないのだろう。「ほんとうにあった」って、どこの誰とも知れない人のブログに書かれているだけのことである。こんなおたよりを子どもに持たせる学校に子どもを行かせたくない。校長先生が言ってしまったら、親よりも信用するのが子どもだからである。

昔、産婦人科に入院していた時に、同じ部屋の人たちが「一人目の子の太もものシワをみると、二人目の子の性別がわかる」という話でもりあがっていて、話しを振られるたびに苦痛だったのを思い出した。
ストレスの多い入院生活をギリギリのところで耐えていた私は、「そんなの関係あるわけないでしょう!」と大声で言ってしまいたい気持ちを抑えるが精一杯だった。

どうしてそんな馬鹿な話を信じられるのか、その精神構造こそが不思議である。
日本は無知蒙昧な原始人の国なのであろうか。
もう少しまともにならないと、また「戦争で死んだら神様になって靖国神社に…」だとか、荒唐無稽なフィクションで息子を差し出す国になっちゃうよ。

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07月06日(月)

起床時刻:08時26分[いま起きた]ボタンで記録されました。

昨日はトーハクの「きもの展」に行ってきた。
「きもの展」を見てから、ロビーでお茶とお菓子で一休み。
そのあと、ソッコーで帰宅。

予想に反して、上野公園は平時より人は減ったが、それでも家族連れなどでそこそこにぎわっていて、「きもの展」も盛況のようだった。

久々にでかけると驚くことが多い。
駅の名前が変わっていたり、上野駅周辺の様子が変わっていたり。
上野駅の公園口は改札をでると、すぐに横断歩道だったが、まだ工事中だがまっすぐそのまま公園側に行けるようになっており、改札をでたときに一瞬「ここはどこ?」と面食らってしまった。

とにかく、「きもの展」で目の保養をし、それはそれで満足だったのだが、
またどこかへ行きたくなってしまった。でも、行くところもないし、当分はがまんするしかないのかも。

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07月04日

起床時刻:18時05分[いま起きた]ボタンで記録されました。

〇コロナの感染者数はますます増えている。
明日のトーハクのチケット、購入してあるのですが、どうしよう。
たぶん、行くと思う。でも、常磐線で上野まで行き、展示見たら、ソッコーでまた常磐線に乗って帰る。

〇試験の採点も終わり、これからの長い夏、することもなくどうしよう。
とりあえずイーマリーちゃんの浴衣を作ろうと思って、かわいいピンク色の手ぬぐいを買ってきた。

今回の試験は、客観問題の採点は中国にいる先生にやってもらって、
わたしは記述式の作文の採点とその他の集計をやった。

記述問題は二つ作った。そのうちの一つは「あなたが好きな中国の習慣について述べなさい」というものである。作文の形式についていくつかの指示を出し、それをクリアしつつ、具体例と自分の考えを述べなければならない。
今回は、試験会場ではなくて、家でファイルを作ってわたしに送信してもらったので、時間の制限もなく、自由に調べることもできたせいか、例年よりもよくできていた。

中国人の習慣として、学生が上げたものが多かったのは、「白湯を飲む」、「祝日に家族がそろって食事をする」、「ビニール袋を集める」などだった。
試験問題を作成したとき、伝統的習慣のようなものを想定していたので、「ビニール袋を集める」という内容は意外だった。しかも、そう答えた学生は何人もいた。
ビニール袋を集めて再利用することは、「節約という中国人の美徳を表すよい習慣」なのだそうだ。
まあ、日本人も普通にやっているけどね。

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07月03日(金)

起床時刻:13時30分[いま起きた]ボタンで記録されました。

採点終わった。

いつ中国に戻れるのかな。
自民党は習近平の訪日中止を要請するって。
それに東京の感染者数はどんどん増えていく。

夏になればなんとかなるだろうと思っていたが、もう夏だ。

大学側はわたしたちの就業許可証を延長してくれるみたいだが、
入国できるかどうかはまた別問題である。

日本にずっといるのもそれはそれでいいなと思い始めてもいるが、
しかし、こういう状況ではこれからどうするか、考えられない。

中途半端な状態がストレスである。
試験が終わって暇だからと言って遊びに行けるわけでもないし。

〇横浜市大の医学部の小論文問題(2019)。

高校の授業の一環として稲刈りの体験授業があり、あなたはそれに同伴した指導者です。農家の高齢の御夫婦が、お礼にとおにぎりを握って持ってきてくれました。しかし多くの生徒は知らない人の握ったおにぎりは食べられないと、たくさん残してしまいました。これについてあなたはどう考え、生徒や農家の方とどのように話しますか。1,000字以内にまとめなさい。

これにどうこたえるか。

たぶん正解はないのだろうが、わたしだったら、こう答えるかな。
「生徒の中で食べたい人に持ち帰らせる。高齢夫婦には、みんなでおいしくいただきましたと嘘をつき、次からはお礼はいらないと言う」

娘は、「焼きおにぎりにすれば殺菌できるので、みんなで焼きおにぎりにする。高齢夫婦には、手間がかかってもうしわけないから、次からは米でくださいという」と答えるそうだ。

次からお礼を断ってしまうのではなく、「米で」もらおうとする我が娘はしっかりものだ。
しかし、こういう抵抗感は、焼きおにぎりにして殺菌したからと言ってぬぐえるものなのだろうか。我が娘なら、たぶん理屈で大丈夫なら大丈夫だと考えそうである。

こういう問題を日本語学科で考えてもおもしろいかもしれない。
最近の日本では、手作りのお菓子などを他人にあげてもいやがられることが多いらしい。
以前に、中国の企業で日本語研修をしたときに、その話をしたら、中国人の社員たちのほとんどが、「なぜ?心がこもっている食べ物なのに?」と納得がいかないようすだった。
でも、直接手でにぎるおにぎりだったら、どう思うのだろう。

もし、抵抗があるなら、どうするのだろう。
こんなことを考えたら、興味がわいてきた。機会があったら、この問題を授業に取り入れてみよう。

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07月02日(木)

起床時刻:14時22分[いま起きた]ボタンで記録されました。

春月ねいさんにならって、わたしも張り切って洗濯をしたが、
さっき見たら、強風のせいで洗濯ものが飛ばされてどろどろになっていた。
洗いなおして室内に干したが、今日中には乾かないだろう。
明日は雨らしい。

〇一か月前に注文したイーマリーちゃんが届いた。
髪の毛の色は指定できないが、届いたのは欲しかった黄色い髪の子だった。
つまらなそうな今年の夏をこのこのために服を作って、ささやかな楽しみにしようと思う。

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07月01日(水)

起床時刻:09時33分[いま起きた]ボタンで記録されました。

どこかにでかけたいが、行くところもない。
今度の日曜日、トーハクの「着物展」のチケットを予約しているので、
それが久々のおでかけとなるが、東京はどんな感じだろう。

息子の話では、もうオフィス街は普通だということだが、コロナはじわじわ増えている。
夜の街で増えているというなら、そういうところをもっと徹底的に管理してほしい。

第二波が来てももう都にはお金ないらしいし。
さらにお金がかかりそうなオリンピックやめちゃえばいいのにね。

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